【書籍化記念SS】けんかを知らない君へ side ドニ
side ドニ
「ドニ、私に、けんかの仕方を教えてくれないか」
振り返れば、そこに立っていたのは、つい先週このヴァルデン侯爵家にやってきたばかりのヴィルフリード様。鍋の蓋を持ったまま、俺は思わず固まった。
「けんかの仕方を教えただなんて旦那様に知られたら、俺、首が飛びますよ」
とりあえず、もっともらしい言い訳を口にする。『令息に喧嘩を教えたコック』なんて肩書きなんてごめんだ。
「大丈夫だよ、内緒にするから」
大丈夫じゃねえだろう。
「……で、ヴィルフリード様。なんでまた急にけんかなんですか」
「エミリアがね、ドニとアビーのけんかを見て、『本当に仲良しな夫婦ね』って言っていたんだ」
「……はあ?」
間の抜けた声が出た。
「つまり、仲良しはけんかをするんだろう? 私はエミリアと仲良くなりたい。でも……けんかの仕方が分からないんだ」
真剣そのものの顔だった。俺はしばらく黙って、それから深く息を吐いた。
「多分ですがね、お嬢様が言いたかったのは『何でも言い合える仲』って意味でしょうよ。ヴィルフリード様はけんかの意味が分かりますか?」
「互いに意見をぶつけ合ったり争ったりすること、と本には書いてあった」
「そうですね」
俺は腕を組み、壁にもたれかかった。
「お嬢様に意見をぶつけたら、お嬢様は、意見を返さずに悲しい顔をするとは思いませんか?」
「っ! そうだ、アビーとエミリアは違う。じゃあ私たちは何でも言い合える仲にはなれないのだな」
その言い方は、妙にまっすぐで。こっちが気まずくなるくらいだった。
「別に、『けんか』なんてする必要はないですよ」
「え?」
「俺とアビーは……言って、ぶつかって、スッキリして、それでまた普通に働く。つまり、“けんか”に見えてるだけで、本当はただの会話の延長ですよ」
ヴィルフリード様は少し考え込むように視線を落とした。
「我慢ばかりしてると、関係は長持ちしません。でも、けんかして“勝つこと”が目的になったら、それはもう仲良しとは違う」
俺は少し身を乗り出して、ヴィルフリード様の目を見る。
「じゃあ私は、どうすればいい?」
「簡単ですよ。まずは、けんかの仕方なんて考えるのをやめること。その代わり、ちゃんと話すことです。思ってることを、逃げずに、誤魔化さずに伝えるんです」
ヴィルフリード様は、しばらく黙っていたが、やがて、小さく息を吐いた。
「……難しいな」
「そりゃそうです」
俺は笑って、鍋の蓋を持ち上げた。
「だからみんな、言い合いながら覚えてくんですよ。お義兄様方とは、したことがないのですか? けんか」
「私に話しかけていたのに、返事をしなかったからか、兄たちは私にけんか腰だったように思う……私は無視をしていたから一方的に怒っていた。であれば、あれはけんかではない」
淡々とした口ぶりだった。難儀な人だ。
「なるほど。お義兄様方はヴィルフリード様に興味があって、知りたいと思っていたのに、それに応えなかった……だから怒ったのですね」
そこで、ヴィルフリード様は、はっとしたように顔を上げる。
「なぜ、私のことを知りたいのだ?」
「可愛い弟だからですよ」
俺は思わず口元をゆるめた。
「お嬢様のこと、知りたくはないんですか?」
問いかけると、ヴィルフリード様は迷いなく頷く。
「もちろん知りたい。可愛い妹だ」
「じゃあもし、お嬢様が何も教えてくれなかったら?」
「……悲しい」
「でしょう、普通、人間はそこで悲しみが怒りに変わるのです」
俺は肩をすくめる。ヴィルフリード様は静かに聞いていた。
「俺とアビーだってたちはああやって言い合うのが性に合ってるだけで、あれが正解ってわけじゃない。ものすごく怒らせて二週間、口をきいてくれなかったこともありました」
「二週間! リアにそんな長く口をきいてもらえなかったら……それは嫌だな」
ちらりとヴィルフリード様に視線を向ける。
「知りたいなら、知りたいって言う。話したいなら、ちゃんと向き合う。自分がしてもらえたら嬉しいことを、まずやってみることです。逃げずに、それだけやりゃいいです」
ヴィルフリード様は、何かを決めた顔になる。
「領地の兄にも手紙を送ろう。私のことを知りたいのなら、やぶさかではないが、私の情報をいくつか書いておこう」
――上からだな、おい。思わず吹き出しそうになるのを、なんとかこらえた。
「じゃあとりあえず中庭で花の絵を描いているお嬢様に、このお菓子を差し入れに行ったらどうですか」
俺は焼き上がったばかりの菓子を布に包んで差し出した。
「お嬢様、これお好きなのですよ。どこが好きなのか、いつから好きなのか、そういうのを聞いてみると、相手のこと、よく分かりますよ」
ヴィルフリード様は、まじまじとそれを見つめる。
「分かった」
気付いたときには、もう踵を返している。
「走ると転びますよ!」
止める間もなく、ヴィルフリード様は廊下を駆けていった。まったく、と小さく息を吐く。鍋の中身を木杓子でかき混ぜる。やることはいくらでもある。だから別に、気にする必要なんてない。……ないのだが。
そっと窓の外をうかがった。花壇のそばでスケッチブックを広げているお嬢様。その隣へ、息を切らせたヴィルフリード様が駆け寄る。ヴィルフリード様が包みを開いて、ひとつ差し出す。少し遠慮していたお嬢様が、やがて口を開け、一つ食べさせてもらう。
その様子を、ヴィルフリード様は食い入るように見ていた。そして今度はお嬢様の方が、ひとつ摘まんで差し出す。ヴィルフリード様は一瞬きょとんとした。けど、嬉しそうに素直に口を開けた。その仕草に、遠慮は一切ない。
「……くくっ」
思わず苦笑が漏れた。なるほどあれは『仲良くなりたい』なんて可愛らしい段階じゃない。本人はまだ気付いていないのか、それとも言葉にできていないだけなのか。どちらにせよ、不器用なのに行動だけは妙に正直だな。
「ありゃ、お嬢様を溺愛するのも時間の問題か。いや、もう片足くらい突っ込んでるか」
俺はようやく窓から視線を外した。鍋の中身をかき混ぜる。
「よし、完成だ。さて、俺もアビーに何か持っていくか」
さっき焼いた菓子をいくつか包み、アビーの仕事場の奥へ向かう。覗き込めば案の定、職人たちへ指示を飛ばしていた。その姿を見て、思わず口元が緩む。
「アビー、差し入れだ」
「え? あんた、仕事中に何して――」
文句を言いながらも、ちらりとこちらを見る。その視線が菓子から外れないことを、俺は見逃さなかった。
「いらねえなら引っ込めるけど」
「いらないなんて言ってないでしょ」
そう言いながらも、差し出した包みはしっかり受け取る。アビーはひとつ摘まみ、そっぽを向いたまま口へ運んだ。ほんのわずかに口元が緩む。慌てて引き締めたつもりだろうが、残念ながら遅い。ちゃんと見えていた。
「……まあ、悪くないわね」
「へいへい、それはどうも」
相変わらず素直じゃない。けれど、それでいい。ぶっきらぼうで、口を開けば文句ばかり。それなのに、時折見せる小さな隙が妙に可愛いのだ。
「ほら、あんたも食べなさいよ」
不意に目の前へ菓子が差し出される。俺が何も言わず口を開くと、アビーは当然のようにそれを放り込んだ。さくり、と軽い音がする。
「うまいな。やっぱり俺は天才だ。いや、それだけじゃねえか。アビーに食べさせてもらったから、いつもよりうまく感じる」
「なによ、それ」
呆れたように言いながらも、アビーは小さく吹き出した。そのままもうひとつ菓子を摘まみ、自分の口へ運ぶ。
お嬢様が言っていたことは間違っていない。俺たちは、こう見えて案外仲がいいんだ。




