【書籍化記念SS】他人の目には、はっきりと side マリー
side マリー
久しぶりに会ったエミリアのために、ベンが腕によりをかけて作った料理が食卓に並んだ。温かなスープの香りと、子どもたちの笑い声が部屋いっぱいに満ちていた。
そんな中、不意にコリーが口を開いた。
「なあ、エミリア姉ちゃんと兄ちゃん、全然似てないな」
いつもなら、すぐにたしなめるところだ。けれど、その疑問は、私自身、そっと抱いていた。確かに、気になるねえ。
エミリアは、少しだけ驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかに微笑んだ。
「ヴィルお義兄様とは血が繋がっていないから、似ていないのよ」
あまりにもあっさりと告げられた言葉に、コリーが目を丸くする。
「血が繋がってないのに、兄妹なのか?」
「ええ。私、いずれ結婚して家を出ることになっていたの。だから、お義兄様が養子として私の家に入って、家を継いでくださったの」
「ようし……?」
まだ言葉の意味を飲み込めていない様子のコリーに、エミリアは優しく言葉を重ねる。
「ほかに本当のお父様とお母様がいらしたけれど、それでも“兄”になってくださったのよ」
その説明に、子どもたちは顔を見合わせ、やがて、ぽつりと言った。
「へえ、父ちゃんと母ちゃんと別れたってことか。なんだか可哀想。俺は嫌だな」
「アリーも」
エミリアは、少しだけ困ったように笑っている。
「こ、こら! あんたたち――」
思わず声を荒げる。
「エミリア、ごめんな」
ベンが気まずそうに頭を掻きながら言う。
「いいんですよ」
エミリアの柔らかく返す声に、棘はまるでない。よかった。
「でも兄ちゃん、すげえいい人っぽいよな! 野菜もくれたし、肉もくれるって!」
……まったく、この子は現金なんだから。呆れ半分で息をつけば、エミリアはくすりと笑った。
「ふふ、ヴィルお義兄様、とっても優しいのよ」
――優しい、ね。先ほどちらりと見えたご友人への態度とエミリアへの態度を思い出すと、手放しで頷くのも少し違う気がするけれど。
「姉ちゃんは、いつ結婚するんだ?」
また、ずけずけと。エミリアの後ろに控えている執事の頬がぴくりと動いたのが見えた。けれど、それは、私も知りたいね。結婚するはずだった子が兄のもとにいるということは、つまり――。
「結婚はなくなったの。今はお義兄様と暮らしているわ」
「ご、ごめんな、エミリア。何度も言いにくいことを聞いて」
ベンが慌てて頭を下げる。
「今、とても幸せなので大丈夫です」
確かに、以前よりも頬はふっくらとして血色も良い。身に着けている服もよく似合っていて、大切にされているのがひと目でわかる。
「でも、兄ちゃんが結婚したら、姉ちゃん家を出なくちゃいけないだろう?」
「結婚?」
エミリアが首をかしげる。そこは考えていなかったのかね。
「知らないのか? 結婚したら別々だぞ。父ちゃんも妹のおばちゃんと一緒に住んでないし、めったに会えないぞ」
「……めったに、会えない」
その言葉を、エミリアは小さく繰り返した。初めて知った事実を、確かめるみたいに。さっきまでの穏やかな笑みが、わずかに陰を帯びた。
なるほど、この子は、まだ自分の気持ちに名前をつけていないんだね。けれどもう、その形ははっきりしている。
失うかもしれないと知って、こんな顔をするのなら、それはきっと兄妹なんて言葉では、収まりきらないものなのだろうね。
「そうだ! 嫁に行けなかったら俺が嫁にしてやるぞ!」
「ふふ、そうなったらお願いしようかしら」
「おう、任しとけ!」
無邪気なやり取りに、場の空気がふっと和んだその時、玄関が叩かれた。戸を開けると、そこにはエミリアの兄である侯爵様と、そのご友人が立っていた。
「リア、迎えに来たよ」
名前を呼ぶ声は、驚くほどやわらかく、甘い。エミリアはぱっと顔を輝かせて立ち上がり、子どもたちと一緒に駆け寄った。
「ヴィルお義兄様!」
呼ばれた侯爵様は満足そうに目を細める。伸ばされた手は自然にエミリアの頭を撫で、そのまま頬へと滑った。
「楽しかったかい、リア」
子ども扱いするような言葉なのに、声はどこまでも優しい。エミリアは少しくすぐったそうに笑う。
「これは子どもたちにお土産だよ」
穏やかな声とともに差し出された袋に、子どもたちが顔を輝かせる。
「わあ、ありがとう兄ちゃん!」
「すごい、いい匂いする!」
「す、すみません、野菜もいただいたのに……」
思わず深く頭を下げる。本来ならば、こちらがもてなす側のはずなのに。
「いや、とんでもない。エミリアに楽しい時間をありがとう」
一人ひとりに菓子を配り終えたあと、当然のように最後の一袋をエミリアに差し出す。
「これはエミリアの分」
「え、私にも?」
「クッキー好きだろう?」
エミリアは小さく頷いて受け取る。侯爵様の視線はエミリアから逸れない。
「やっぱり兄ちゃん、いい人だな。俺の兄ちゃんになってもいいぞ!」
「こ、こらコリー! 侯爵様になんてことを!」
慌てて叱るも、もう遅い。
「兄ちゃん?」
侯爵様が、ゆっくりと聞き返す。
「ああ、俺とエミリア姉ちゃんが結婚したら兄ちゃんだろ」
侯爵様が、にこやかなまま、ぴたりと動きが止まる。笑っているのに、目だけが笑っていない。やっぱり不敬……すぐ謝らなければ!!
「ふふ、お嫁に行けなければ、コリー君が結婚してくれるそうです」
エミリアが無邪気に笑いながら、言ってくれた。
「コリー君、だったかな?」
侯爵様はゆっくりとしゃがみ、コリーと視線を合わせる。
「エミリアはね」
ぽん、とコリーの肩に手を置く。
「ちゃんと嫁に行けるし、私のそばから離れない。だから悪いが、君にエミリアを渡すつもりはない」
静かな声音は、決定事項のように揺るがない。子どもへ向けるには、あまりにもはっきりとした拒絶ね。
『ちゃんと嫁に行ける』のに、『私のそばから離れない』?
それはどういう理屈だろう。思わず首を傾げる。
「ヴィル、子供相手に本気出すなよ」
隣の友人が呆れたように笑う。そのまま侯爵様は、その言葉を無視して、立ち上がりエミリアの髪をそっと整える。
「帰ろう、エミリア。冷える前に」
「はい、ヴィルお義兄様。マリーさん、本日はありがとうございました。とても楽しかったです。また、ぜひお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん。いつでもおいで」
「またな、姉ちゃん」
「またね、お姉ちゃん」
嬉しそうに頷く彼女を見つめる侯爵様の眼差しは、どこまでもやわらかい。。周囲に向ける顔と、エミリアへ向ける眼差しが、まるで別物だ。
ああ、なるほど。思わず、心の中で笑みがこぼれた。
エミリアは、こんなにも深く想われている。それならもう、何も心配はいらない。むしろ、当の本人はどうして気付いていないのかね。
近すぎたからだろうか。それとも、当たり前のように守られ続けてきたからだろうか。
どちらにせよ――。
私にできることは、エミリアがこれからも笑っていられるようにただ静かに願うことだけ。
その隣にいる人と共に、幸せな日々を重ねていけるように。




