47.嘘だろ sideクロード
sideクロード
「……クロード、私たち別々に暮らしましょう?」
食後のお茶を楽しんでいると、フルールが、食器を片付けながら静かに言った。
柔らかい声ではあったが、その言葉は冷たく、容赦のない刃のように感じられた。
「別々にって? え?」
驚き、思わずフルールの顔を見つめた。
彼女の表情は淡々としていて、感情が読めない。
「誕生日まで日がなかったから、書類だけの婚約をして、あとは、あなたの婚約解消を待ってから籍を入れるはずだったでしょう?」
ああ、そうだ。婚約解消の手続きが済んだという知らせが届いて、夕食をとりながら結婚の話をしたばかりだ。
「そうだ、これから私たちは支え合って――」
「支えるって、どういう意味か分かってる?」
言葉を遮られた。
「私はあなたを支えてる。でも、あなたは私を支えていないわよね」
言葉を失う。フルールの冷たい視線が、自分を見下しているように感じられた。
「そ、そんなことない!」
「そんなことあるのよ。でも、説明しても納得しないでしょうし、もういいわ」
淡々とした声のまま、彼女は続ける。
「とにかく、私の家から出て行って」
「私の家? 私たちの家だろう」
「いいえ、私の家よ。ほらこれを見て」
フルールは一枚の紙を取り出した。
そこには土地と家の権利書があり、フルールの所有と明記されていた。
な、なんで?
「おかしいことなどないわ。あなたは伯爵様とは無関係。何も、もらえない。だから、これは私がもらったの」
「婚約……そうだ、婚約をそんなに簡単に解消できるわけがない」
きっとフルールは何かに怒っているんだ。
何かが間違っている。
何か、何か、……なんだ?
焦りが胸の中で膨れ上がっていく。とにかく、時間を稼がないと。
「できるのよ、だって平民ですもの。貴族と違って複雑な手続きなんかないわ」
そう言いながら、フルールは私の荷物をカバンに乱暴に詰め込んでいく。
「ま、待ってくれ? 今すぐにか? もう夜も遅いじゃないか!」
「今すぐよ! 宿代くらいはあげるわ。あなたが、今まで生活で使っていたお金だって、本当は、全部私の物なのよ!」
まともな話もできないまま、玄関から追い出され、カバンを投げつけられる。
「もう二度とこの家に近づかないでね、見かけたら、憲兵に連絡するから!!」
雨が降りしきる中、呆然と立ち尽くした。
頭の中は混乱し、何が起こったのか理解できない。
なんでだ? さっきまで仲良く食事をしていたのに……嘘だろ?
何度もドアを叩いてみたが、何の反応もない。
近所の住民が、ちらちらと此方を見る。
このままじゃ、フルールよりも先に、近所の住民に憲兵を呼ばれる。
とりあえず、雨をよけなければ……
そう思い、近くの酒場に入った
「……酒をくれ」
もらった金だと、安酒しか買えない。
別れるって本気なのか? 愛している……フルールは、私にそう言ったじゃないか。
何かが気に入らないからって簡単に見捨てるなんて、愛じゃないだろう。
なんだよ。フルールだって、前は、私との時間を大切にし、毎日のように一緒に過ごすことを望んでいたのに、仕事仕事って……
一緒に出掛けて買い物を楽しむことも、外食することもしなくなった。
ああ、やってられない。
酒を一気にあおった。
こんなことになるなら、あのままエミリアと一緒にいた方が良かったかもしれない。
そうだよ。
そうしていたら、私は貴族のままだったのに。
フルールが
『あなたのことを好きになってしまったの』
『結婚したあなたの傍にいつまでもいられないわ』
そんなこと言うから、私は……
酒がどんどん進む
「あらやだ、お兄さん、すごく顔が整っているのね。いいとこの坊ちゃんが、お忍びかしら」
酒場の喧騒の中で、響いた声が自分に向けられていることに一瞬、気づかなかった。
濁った思考に沈み込み、手に持った安酒の杯をぼんやりと見つめていたからだ。
誰だ?
顔を上げると、目の前に立つ女の姿が目に入った。
彼女は、美人ではあったが、その美しさはどこか俗っぽく、安っぽい感じがした。
派手な化粧を施し、胸元が大胆に開いた服を着ている。自分の身体を商品として売り込むかのような格好だ。
「……違う、平民だ」
自嘲するような口調で、言葉を吐き出す。
かつて貴族としての誇りを持っていた自分が、今ではただの平民に成り下がってしまったという現実を噛み締めながら。
女は私の答えに、興味を示したように少しだけ目を見開いた。
「平民なの? 品がよさそうなのに……あ、平民になったっていうことかしら。じゃあ、大変でしょう」
女の言葉が、胸にじわりと広がる。
そうだ! 大変なんだ。
私なりに、平民の生活に順応しようと必死に努力してきた。
貴族の身分を失い、かつての誇りは失われ、今ではただ、平凡な生活に耐え抜くことが全てだった。
貴族だった頃の贅沢や特権はもはや夢の中の話であり、現実は冷たいものでしかなかった。
気付けば、話しかけてきた女に、今までのいきさつや、家を追い出されたことを語っていた。
酔いのせいもあるだろう。この女に話すことで、何かが軽くなるような気がした。
ああ、安酒は駄目だな。
口に含んだ酒は粗悪で、どこか不快な苦味が喉に残っていた。
意識がぼんやりとして、瞼が重くなる。抗えず、目を閉じた。
沈む意識の中で、一人の女の姿が浮かび上がる。屋敷にあった肖像画と同じ顔。歪んだ口元、冷たく勝ち誇ったような笑み。
……あなたは、私を産んだ母だろう?
私は、何のために生まれたんだ。これから、どうやって生きていけばいい。
――どうか、教えてくれ。




