41.選択 sideクロード
sideクロード
よろめく体をフルールに支えられながら、どうにか屋敷へとたどり着いた。
体は鉛のように重く、足元はひどく頼りない。彼女の腕がなければ、その場に崩れ落ちていたかもしれない。
視界は霞み、思考も定まらない。
誕生日までは、まだ日があるはずだ。それなのに、なぜこんなにも体が言うことを利かない。
邸の扉が開き、父の姿が視界に入った、その瞬間、世界が、暗転した。
次に目を覚ましたとき、私はベッドの中にいた。
柔らかなはずのブランケットが、ひどく重い。耳鳴りが止まず、こめかみを鋭い痛みが刺し続ける。息をするだけで、体の奥が軋んだ。視線を動かすと、すぐ傍に父がいた。
――ひどく、辛そうな顔で。
「……気分はどうだ」
かすれた声が、遠くから届くように聞こえる。
「……こんなに、体が重くなったのは……久しぶりです……誕生日は、まだのはずなのに……なぜ……」
言葉を発するたび、喉が焼けつくように痛んだ。父は、わずかに目を伏せてから口を開く。
「エミリアはな……普段から、少しずつお前の“靄”を消していた」
靄――
その言葉に、背筋が冷える。
「誕生日に一気に膨れ上がるだけで、今も決して“ない”わけではない。エミリアがいなくなった以上……体調が悪化するのは当然だ」
当然だ、と言い切るその声音に、言いようのない不安が滲む。
「……私は、このまま……」
言葉の先が、出てこない。頭に浮かんだのは、未来だった。フルールと過ごすはずだった、何気ない日々。笑い合って、同じ時間を重ねていくはずだった未来。
それが、もう手に入らないのだとしたら。
そのとき、はっとする。フルールがいない。急激な不安が胸を締めつけた。
「父上、フルールは――まさか、追い出したのでは」
「いや、屋敷に居る。母親のことで散々喚いていたからな。部屋に閉じ込めているだけだ。これから話す内容に、邪魔になる」
これから話す内容。嫌な予感がする、
父は、わずかに息を吐いた。
「エミリアに頼らずとも、お前が助かる方法が、一つだけある」
「……本当、ですか」
ここ数日、ずっと絶望の中にいた。ようやく差し込んだ光に、緊張が高まる。
「ただし、その前に話さねばならんことがある。今まで、お前に隠していた真実だ。……クロードにとっては、酷な話になる」
「……構いません。どんなことでも……この苦しみより、酷いことなどありません」
迷いはなかった。父は、しばらく沈黙し、静かに頷いた。
「……そうか」
そして、語り始める。
「実は、お前は、私の子ではない」
現実離れした言葉が耳に入る。
私が、父の子ではない? そんなはずがない。
「……いつかは、話さなければならないと思っていた。だが……来ない方がいいとも、思っていた」
何を言われているのか、もう半分も分からない。ただ恐怖だけが、体を支配していく。死ぬよりも、怖い。そんなものが、この世にあるとは思わなかった。
「……お前の母は、私を、愛していた。いや……愛しすぎていた。私と血の繋がらぬお前が、私の愛を受け取ることを――耐えられぬほどに、な」
つまり……父に愛される私を、憎んでいた? 自分が産んだ、子どもを? そんな、そんな理不尽な話が、あっていいはずがない。
理解できない。それほどまでに父を愛していた母が、父の子ではない“私”を生んだのか。
――私の、本当の父は。いや、それよりも。母は、私を憎んでいるというのか?
「こ、ここを離れればいいのでは? 助かる方法とは、私も父上と一緒に領地へ行くことでしょうか?」
「違う。お前は移動の途中で体調を崩しただろう。場所の問題ではない」
その一言で、わずかな希望が音を立てて砕け散る。
「……そんな……」
「だが、屋敷を出る、という点においては間違いではない」
顔を上げる。
「私からの愛を受け取らなければいい。つまり、縁を切る。廃嫡し、私と無関係の人間となる。平民として生きるのだ。そうすれば……」
「父上と、赤の他人に……? そんなの……嫌だ……! 父上は……平気なのですか……?」
気づけば、強く首を振っていた。問いかけた瞬間、父の表情が歪んだ。
「平気なはずがあるか! 何度も考えた……! お前への生活の援助も愛になるのか。顔を見に行くだけでも駄目なのか。遠くから見守るだけなら――それすら許されないのかと……何度も……何度も……考えた」
言葉が、途切れる。握りしめた拳が、かすかに震えている。
「息子でいてほしい。……だが、生きていてほしい」
その一言が、胸に深く突き刺さる。父の苦しみが、痛いほど伝わってくる。
「……もう一度、侯爵家に頼むことは……」
縋るように言う。
「それはできん。これは、ヴァルデン侯爵からの提案でもある。可能性を試すことなく……提案を退け、さらに願いを重ねるなど……」
言葉の続きを、父は飲み込んだ。沈黙が落ちる。
「クロード、お前に選択を迫るのは、無慈悲だろう。だが……選ばなければならない。お前は、どうしたい」
クロード・コルホネンとして、この屋敷で死ぬか。
すべてを捨て、“クロード”として生きるか。
――答えは、決まっている。
「……父上。私は……生きたい。フルールと共に生きると、約束したんです」
言葉にした瞬間、不思議と恐怖は消えていた。
「たとえ……父上の息子でなくなったとしても」
覚悟を込めて、言い切る。しばらくの沈黙のあと――
「……そうか」
そう、父は、小さく呟いた。
その表情は、ひどく静かで、ひどく寂しげだった。父はそれっきり何も言わず、立ち上がる。そして、そのまま部屋を出て行った。引き止める間もなく。
……なぜだ。平民になるのだぞ。家も、名も、すべてを失うのに。
どうして「よく決心した」と、そう、一言も言ってくれない。父上は私が、生きることを喜んでくれないのか?
どうしようもない寂しさが、静かに広がっていった。




