39.仮説 side コルホネン伯爵
ロザリーを問い詰め、エミリアのここ数年の出来事を聞き出した。その内容は、私の想像を遥かに超えていた。予想すらしていなかった事実に、私は言葉を失った。
……エミリアが、そんな辛い思いをしていたとは。夢にも思わなかった。
もし、もっときちんと話を聞いていれば、もし、あの子の言葉を軽く流さず、向き合っていれば、何かが変わっていたのだろうか。
エミリアから、あの“靄”の話を聞いたのは、いつだっただろう。私が近づくと、その靄はより黒々と濃くなる。そして次第に、人の形のように見えてきた、と。
……その顔が。私の亡くなった妻に似ている、と。
あの言葉を聞いた瞬間、ぞっとするような予感が生まれた。
もともと忙しい身ではあった。それを言い訳にして、私は屋敷へ帰る回数を、年々減らしていった。
靄と、亡くなった妻。そして、クロード。
頭の奥に浮かんだ恐ろしい予想から、目を背けるために。そうだ。私は逃げたのだ。
ヴァルデン侯爵家を継いだエミリアの兄が、執拗に彼女を取り戻そうとしていることは知っていた。だから監視役が必要だった。
それが、ロザリーだ。
だが、あの女は何を思い上がったのか。エミリアを虐げ、自分の娘を後釜に据えようとした。
『フルールがクロード様と結婚すれば……わ、私たちはずっとこの家に居られると……! つい、魔が差したのです!』
ロザリーは泣きながら訴えた。
……白々しい。
エミリアの宝石を取り上げたのも、つい魔が差したからだとでも言うつもりか。その言葉には、罪の意識よりも身勝手さだけが滲み出ていた。
私は、ロザリーに同調していた使用人の名前もすべて吐かせた。そして、まとめて屋敷から追い出した。
残ったのは怒りでもなく、ただ、どうしようもない絶望だけだった。
◇
「……やはりか」
早馬で届いたヴァルデン侯爵からの手紙を読み終え、私はゆっくりと息を吐いた。婚約破棄の手続き書類が送られてくること自体は、予想していた。
だが同封されていた私信には、私の心を激しくざわつかせる“仮説”が書かれていた。
……仮説。そう書かれてはいるが限りなく、真実に近い。なぜなら、それは、あのヴァルデン侯爵と、隣国の第五皇子が導き出した仮説だからだ。
数年前、社交界で有名な話があった。
『隣国の魔法学院に、天才が二人現れた』
そう囁かれていたのは、あの二人だ。彼らの推論を否定する材料など、私には一つもない。むしろ、心当たりが多すぎる。
「……そうか。やはり……あの黒い靄は、私の亡き妻が、命と引き換えに生み出したものだというのか」
妻からは、魔法は使えないと聞いていた。だが手紙には、別の可能性が示されていた。妻が、エミリアと同じ闇魔法を使っていた可能性。
そしてその魔法は、エミリアのものとは違い、呪いの類を生み出すものだったのではないか、と。
妻は、公爵家の令嬢だった。それでも私を慕い続け、何年もかけて家族を説得し、ようやく私との結婚を叶えた。彼女が私を愛していたことを、疑ったことは一度もない。
そして、私もまた、彼女を愛していた。
愛情深い眼差しで私を見る彼女に応えること。それが、私の喜びでもあった。今となって思う。私は、その愛に十分に応えられていただろうか。
彼女は、いつも『大丈夫よ』そう言って、微笑んでいた。私はその言葉を信じ、いや忙しさを理由に、その言葉に甘えていたのだ。
手紙には、ある日のことも書かれていた。
クロードが生まれる前年。私が、結婚記念日に家へ帰れなかった日のことだ。その夜、邸をこっそり抜け出し、街で酔いつぶれていた妻を介抱していた男がいたという。
その男は、クロードと同じパープルの瞳をしていた。品の良い女性と、釣り合わない身なりの男。それを見かけた者の話では、その奇妙な組み合わせが、強く印象に残っていたそうだ。
……どうして、そんな昔のことまで調べ上げられたのか。さすがはヴァルデン侯爵というべきか。
私は思わず苦笑し手紙を握りしめた。
妻は、きっとクロードを産むその瞬間までは、信じていたのだろう。あの子が、私の子だと。
だが生まれた我が子の瞳の色を見た瞬間、彼女は、すべてを悟り、そして絶望した。その絶望が、彼女自身を静かに蝕み、やがて形を得た。あの、消えない呪い、黒い靄として。




