8‐2 天秤の守護者フィリア
焦げ臭い朝食に顔をしかめ、ミゼラと共に食事を済ませる。
今日の予定は特にない。ミゼラが「今日は休みでいいわよ」と私に告げた。
珍しいことが続く。仕事の日は、特に予定がなくても、何かしら言いつけられるのだが。ミゼラはトリスを呼んで、仕事の打ち合わせをする。
私は急なお休みに驚きつつ、休日らしい過ごし方を考えた。
農民時代に休みは無かった。畑仕事は毎日あるし、休みは雨の日だけ。
獄中生活は常に休みだったが、やる事全てに制限があった。
(優雅に本を読んだり、買い物したりなんてしたことがなかったなぁ)
どうせなら、それらしいことをしてみようか。
散歩とか、小さなことからやってみよう。どうせならエリーゼも連れて行こう。彼女にも息抜きは必要だ。
そんなことを考えていると、ダイニングのドアが勢いよく開く。
私が目にしたのは、黒服の男たちだ。
「確保っ‼」
短い命令に、黒服の男たちが一斉に飛びかかる。
──……まずい、ミゼラが!
私がミゼラの方を向くと、トリスがミゼラを庇っている。
私が安心して前を向いた瞬間。
「……あれ?」
男たちは、ミゼラなんかに目もくれず、私に真っ直ぐ向かってきていた。
私は男たちに押しつぶされて、腕を拘束される。
「被疑者確保!」
手に冷たい金属のような感触がある。懐かしい。
手錠をつけて、無理やり立たせられると、目の前には軍服を着た女が立っていた。銀色の髪に、満月のような黄色い瞳。端正な顔立ちなのに、狼のような威圧感がある。
警棒を片手に私に近づくと、彼女は眉間にシワを寄せた。
「ようやく見つけたぞ」
女は警棒の先で私の顎を持ち上げる。
エリーゼは恐怖に震え、口を覆って言葉も出ない。
トリスは状況を飲み込もうと必死だ。けれど、この状況が分かるのは、ミゼラと私しかいない。
「久しぶりだな。フィリア」
「馴れ馴れしく呼ぶんじゃない。不敬だぞ、囚人番号【110564】」
フィリアは警備保安省の警察局局長だ。
主に警察官の管理、不正調査等をしているが、緊急性や重要性の高い事件を担当することもある。つまり、私の事件の担当警官だった。
「お前は終身刑のはずだ。それなのに、どうして監獄の外にいる」
「局長と一端の警官じゃ報告速度が違うらしい。釈放されたの知らねぇんか」
「賄賂を受け取った警官には、重い処遇を通達済みだ」
「はっ、そうかよ。……聞きたきゃ、ミゼラに聞いてくれ。私を連れてきた張本人だ」
私は顎でミゼラを指した。フィリアは首だけミゼラの方を向くと、そのままミゼラに「本当か」と問いかける。
ミゼラはトリスを押し退けて、「本当よ」と前に出た。
「彼女は、アタシのボディーガードよ」
「聞いた話じゃ、婚約者として振舞わせているとか。ボディーガードに必要か?」
「必要なの。この子は、アタシたちを変えてくれる」
「だろうな。破壊の方向で変えてくれる」
フィリアは私を睨み上げると、憎々しげに顔を歪めた。
警棒を腰に収めると、ミゼラに通告する。
「ミゼラビリス・マレディクトス。貴殿を、脱獄ほう助の罪で逮捕する」
急な通告に、私もトリスも目を見開く。
フィリアは冷静に、ミゼラに手錠をかけた。
私は押さえている警官を払いのけて、フィリアの妨害をする。
「待て! ミゼラは関係ないだろ」
「そうです! ミゼラ様は」
「やめなさい。あなた達も罪に問われる。……行きましょう」
「そんな、ミゼラ様!」
ミゼラは存外、大人しくフィリアに従った。
エリーゼは「何かの間違いよ」と、近くの警官に懇願するが、肩を強く押されて尻もちをつく。
『っ! 何も知らない野郎どものクセに! お姉様に触らないで!』
エリーゼがフラン語で警官を罵る。その瞬間、フィリアはエリーゼの方を睨んだ。
「それは、我々への侮辱か?」
エリーゼは小さく悲鳴を上げて、フィリアを見上げる。
フィリアは残酷なまでに冷たい目でエリーゼを見下ろす。
「公務執行妨害だぞ」
近くの警官に手錠を出させようとしたが、私が体を割って入れて阻止した。
フィリアは不快そうにしかめっ面で私を睨み上げるが、私は落ち着いて話しかける。
「エリーゼは混乱してるんだ。こんな状況、普通は見ねぇだろ」
「そうか、ならば今回は見逃してやる。今のうちに覚えておけ。この先、このような光景を見ることがあるかもしれないからな」
フィリアはそう吐き捨てて、私とミゼラを連行する。
トリスはもどかしそうに、ミゼラの名を呼んだ。ミゼラはその声に振り返らない。
振り返ってやるのが優しさだろうに。でも、今振り返ったら、トリスも疑われかねない。ミゼラは分かっている。
私は彼の代わりにトリスの方を見た。
狼狽える彼に、私は宣言する。
「ミゼラは必ず帰すから」
口約束なんて信じるものじゃない。けれど、このちょっとした言葉で、彼の支えになるのなら。
私は護送車に乗せられる。ドアを閉めるとき、フィリアは私を睨んで言った。
「二度と外に出られると思うなよ」
ドアが閉まって、車が走り出す。
初めてじゃないのに、緊張していた。
せめて、せめてミゼラだけは、家に帰してやらないと。
──帰る場所のない、私と違うのだから。




