王都・側近Aの休日2(デミロデオ)
「昼の鐘か。休憩の時間だな」
殿下の呟きに、休憩も何も来たばかりだろうと浮かんだ不満を振り払った。ひとりでモヤモヤしていても解決しない。かと言って口に出すのは不敬だ。とりあえず、タウンハウスに帰ってから従者に相談しようと後回しにする。
学園入学もまだのため、デミロデオは王都のタウンハウスから通っている。
学園の家政コースを卒業したばかりの父方の叔母が、行儀見習いを兼ねた王城のメイドとして勤め始めていて、お披露目の後に領地に戻った両親に代わり、成人したばかりの彼女が王都での保護者になってくれている。
食欲はなくなってしまったが、これ以上この場にいるのは苦痛でしかない。さっさと食堂に行こうかと思ったところで、先にテルードとジョージががたんと音を立てて椅子から立ち上がった。
「殿下、俺ら昼からは街に視察に行ってくるわ」
「視察?」
「そうそう。実地調査っての?」
昼から『は』だと?だからお前ら来たばかりだろう?それに、視察だの調査だのと、それは王子側近としてではなく、さっき話していたように家業の話であって、多くはないものの給与が支払われている側近見習いとしての時間に行うべきではない。
さすがに口を挟もうとするが、なぜか殿下がそわっとした様子で目を輝かせたので、急いで言葉を飲み込んだ。
「ならば私も一緒に……!」
「シャルが行けるわけないでしょ」
あり得ない殿下の参加表明は、サフィア嬢によって即却下される。……ああ、よかった。婚約者のいる殿下を愛称呼びするなんて信じられないが、やっぱりそれはそうだよなと安堵の息を吐く。
「なぜだ。調査だぞ?責任者が必要だろう!」
「私がシャルの代理で付き添うわ」
子供のように駄々をこねる殿下にサフィア嬢は呆れを隠していない。その様子にもデミロデオは困惑する。
殿下は平均より体が小さく、サフィア嬢の方が背が高い。見下ろす形になるのは仕方ないとはいえ、臣下がこうも無遠慮に見下ろすものだろうか?
「シャルの外出は色々手間がかかるのよ。大人しく留守番していて」
まるで聞き分けのない弟に言い聞かせるようにサフィア嬢が言う。サフィア嬢は僕達より二年早く側近になっている。その分の絆というものなのか?
「俺ら、遊びに行くんじゃないんだから」
「そうそう。殿下はソレ……なんだっけ、プレタウルイム?でも見てれば?」
「プレタウルイムじゃなくて、プラネタリウムよ。ジオ」
「言ってるじゃないか。プレタウルイムだろ?」
「!そうだな!昨夜の観測で、また新しい星の並びを見つけたんだった!新しく星座を作らねば!」
テルードとジョージの態度も、年の離れた子供を邪魔にするような、そんななおざりなものだ。
親しさと無礼の境界がわからなくなって混乱してきたデミロデオは、ついに頭を抱えてしまった。
ふと、自身に影がかかったように感じて顔を上げると、殿下のさらさらの金髪に縁取られた小さな白皙の顔があり、形の良い翠玉の瞳がデミロデオを見下ろしている。
幼いながらも、さすが王族だと思わせるような圧倒的な美貌に、思わず息を呑む。
「なにか難しいことが?」
思いがけず優しく尋ねられ、目を瞬いた。
気が付けば他の側近たちは既に退室していて、残された殿下が苦悩するデミロデオに気付き、声をかけてくださったらしい。
苦悩の原因は気遣ってくれている本人なのだが、もちろんそうとは言えず、誤魔化すように手元に開いたままの日誌を示した。
「……その、わからない単語があったので」
「どれだ?……ああ、それは」
嘘ではないので、日誌の該当部分をいくつか指差すと、すらすらと澱みない説明が返ってくる。
慌てて自分のノートにメモをとりながら、さすがは聡明と評判の王子殿下だと改めて思う。
ほんの二年前まで真逆の評価を受けていたと話には聞いたが、側近に対するようなあの幼い態度がそう思わせていたのかもしれない。
やはり、問題なのは側近の方であって殿下ではない。
例え半分が下位貴族の血であっても、それを補って余りあるもう半分の王家の血。多少の不満があったからと言って、貶めるようなことを思ってしまったのは不敬だった。反省しないと。
ひととおり質問を終えると、殿下は飾り棚の方に向かって行く。そして棚の引き出しを開けて黒い紙でできた筒を取り出した。
「殿下、それは……」
先程までは私的なことを尋ねるなんてと遠慮していたのに、質問する空気ができていたことで、うっかり口が滑った。慌てた口を押さえ、恐る恐る様子を窺うが、殿下は気にした素振りもなく答えてくださった。
「これに穴を開けて、星座を作る。この並んでるのは空一面のものだが、自作する際はこの紙カップを使うと簡単なんだ。プレタウルイムというものらしい」
「プレタウルイム……先程、ジョージとサフィア嬢が言っていたものですね」
星座を作るなどという意味のわからない説明と、耳慣れない言葉に首を傾げると、殿下の瞳がきらきらと輝く。
「そうだ!これはリーリエラが私のために作って贈ってくれたものなんだ!」
「婚約者様が?」
「この星座の形に穴を開けた半球は取り外しができるようになっていてこうして中に光源を入れると星空が投影されるのだ!この婚約してすぐに贈ってくれた最初のものはリーリエラ嬢の住むブルーム城から見える夏の星空で」
思わず眉を顰める僕には気付かず、殿下は聞き取れないほど早口で喋り出す。
殿下があの生意気な女にどれほど想いを寄せているのか、思い知らされるような熱量。無骨なオブジェの贈り主が田舎貴族と知り、道理でと呆れながらも、それを口にするのは得策ではないと判断する。
殿下は飾り棚に並べられていた半球のひとつを手に取り、同じく棚から取り出した蓋付きの壺から小さな石を出して中に入れた。
「次は冬、そして次は王都からの……ああ、これでは部屋が明るすぎるな。カーテンを閉めてくれ!」
「は、はいっ」
作業が終わったのか口調が緩くなったかと思えば、突然与えられた指示に、慌てて窓に駆け寄り分厚いカーテンを引く。当然のように真っ暗になる部屋に、ぽうぅと仄かな光が浮かび上がった。
ーー星空だ。
白く揺らめく光は、見慣れた照明と同じ色。
なのにこの神秘的な光景はどういうことか。
「この半球には、実際の星の並びに穴が開いている。中から火岩の欠片で照らせば、こうして一面に投影されるんだ」
「これは……美しいですね」
だろう、と誇らしげに殿下が笑う声がした。
暗闇で窺えない表情は、きっとこの人工の星空のように美しい笑顔。
言葉もなく天井を見上げていると、殿下が不意に口を開いた。
「……リーリエラ嬢と初めて話したのは、宇宙についてだった」
「宇宙……?」
「ああ。宇宙と天気の話だ」
宇宙という概念は知っている。天を仰げば見える一面の空は、ずっと遠くまで続いていると。あまりにも壮大で確かめる術もないその話は、あまりに高等な学問だ。殿下がそれを学んでらっしゃるなら、流石だと感心するばかりだが……その話を、リーリエラ嬢と?
天井と壁一面に浮かび上がる幻想的な光景は、まるで魔法のように非現実な美しい星空。
女なら誰でも、うっとりと見上げてその神秘を讃えるだろうし、王城へ招かれたのならその日の天気の話くらいはするだろう。
だがこうして、見たこともない不思議な道具を作ったというなら、リーリエラ嬢も聡明な人だということか?
「宇宙はとてつもなく広く、この世界はその一部分に過ぎないと言う」
ふっと空気が動いて、空に手を伸ばす殿下の姿がぼんやりと暗闇に浮かんで見えた。
考えに気を取られていたことに気付いて、はっとする。殿下とお話しする機会にぼうっとするなんて。
「そのまた一部分に過ぎないこの国を、統べることになる私が知るのは、ほんの僅かーーこの王城と、学園のみ」
「殿下?」
「サフィアの懸念はもっともだ。後ろ盾のない私が王城という安全地帯を出ることは難しいからな」
淡々と紡がれる言葉に、先程まで垣間見えていた幼さはない。寧ろ鋭さを感じさせる緑の瞳が、ひたりと僕に向けられた。
2で終わりませんでした…続きます。




