週末・昨日の友は今日の敵。
リーリエラ視点
朝日が昇る頃、自然と目が覚める。
鍛錬の用意を済ませ、静まり返った寮を出て、ブルーム領のある方向に一礼。今頃、揃って鍛錬に集まっているだろう家族を思い浮かべて、おはよう、と心の中で呟く。
学園の騎士科の訓練場まで走り、一から型をさらう。指先、爪先まで神経を研ぎ澄ませ、気を行き渡らせて。
しばらく体を動かした後、訓練場の土を均して終了。
寮の部屋まで走って戻り、汗を流して制服に着替えて食堂で朝食を取る。あまり時間がないので、顔を合わせたお花ちゃん達には挨拶だけ。
馬車で迎えに来るマーシャル殿下と一緒に登校し、座学中心の午前の授業を受ける。
昼休みは生徒会があるという殿下達とは別に、都合の合う友達やクラスメイトとの交流を深めたり、顔繋ぎしたい人への伝手をたどってみたり。
あ、エンデ商会のメナムくんは、一見おっとりして人当たりがいい少年だけど、なかなか思慮深くて腹を割って話すにはまだ時間がかかりそうだ。気長にいこう。
午後は実技の授業。礼儀作法や裁縫、楽器の演奏や歌、お茶会を開くためのあれこれなどなど。
授業が終われば、基本的には自分の商会かレイド伯爵邸に顔を出し、諸々の報・連・相をしたり、思いついたことをまとめたりして過ごして寮に戻る。行き帰りの馬車は昼寝の時間だ。
部屋に戻ると、王城からメイドさんが来てくれているのでお風呂に入り、お風呂上がりの髪の手入れをしてもらいながら今日の座学の復習をして、着替えて食堂にご飯を食べに行く。
手入れしてもらったのに髪が少しパサつくのは、メイドさんが使うオイルの質が良くないせいだ。
夕ご飯を食べて部屋に戻り、メイドさんの退室の挨拶を受けてから部屋中に『鑑定』をかける。テーブルに置かれた水差しの中の水が飲料用じゃなかったので、いくつか持ち込んだ観葉植物の鉢から一枚葉をちぎって入れておく。浄化作用のあるハーブなのだ。
それから明日の予習をし、筋トレをして、汗を流しついでに髪も洗い直し、ストレッチをして寝る。
来週からはこれに王宮での王子妃教育が加わる。
「……大丈夫かい、エラ」
「ありがとうございます、叔父様」
馬車で迎えに来てくださった叔父様の労いに、いろんなことを飲み込んでにっこり笑う。
「お手をどうぞ、お姫様」
手を貸してもらって馬車に乗り込み、扉が閉まると同時に叔父様の手をぎゅっと握った。
「大丈夫じゃありませんよォォォォ!!」
「痛い痛い痛い!落ち着いて!落ち着いてエラ!叔父様か弱い文官だから!筋骨隆々のブルーム産とは違うから!!」
叔父様の手を握りつぶ……握りしめて苛立ちを抑え、肩で息をしながら両手で顔を覆った。
「あんなの偽物だわ!偽サフィア嬢だわぁ……!!」
「……何かと思ったら、サフィア・エラーダの件か」
「叔父様、なにかご存知なのですか!?あのキラキラおめめで一生懸命頑張りますってお胸の前で両手をぎゅうしてたサフィア嬢は一体どこに……!?」
「取り乱しすぎだよ。落ち着きなさい」
取り乱すに決まってる。
なんせ、いきなり貴族の養女にされても素直に受け入れ、課せられる淑女たる諸々に一生懸命で、王都で面倒な思惑にまみれながらも無垢な笑顔を忘れなかったサフィア嬢が、この数日でまるで別人のような振る舞いに変わってしまったのだ。
素っ気ない。睨まれる。無視される。
なにかのきっかけで個人的に嫌われてしまったなら、ショックだけど仕方ない。だけどサフィア嬢とは関わらないわけにはいかないので、せめて外面だけでも取り繕って欲しいのに、敵意を隠そうともしない彼女に戸惑う日々が続いている。
例えば登校。マーシャル殿下が迎えに来る時間はかっちり決まってるわけじゃないので、入学式の日同様、部屋まで呼びに来てくれるのはサフィア嬢。
しかしサフィア嬢は、ノックしながら外から声をかけてさっさと立ち去ってしまった。聞き逃すかもしれないからせめて応答を待って欲しいと言ったら、ものすごく不満げな顔をされて驚いてしまった。
次の日は応答を待ってくれてはいたけど、私が外に出るなり挨拶もなく立ち去ろうとしたのでさすがに注意をしたら、『そうやってすぐ身分を笠に着るんですね』と睨まれて愕然とした。
三日目からは部屋で待っているのが苦痛になり、サフィア嬢と一緒に寮の前で殿下がくるのを待つことにした。けど、それはそれで『当てつけですか』とか言われて機嫌の悪い顔をされて気まずい時間を過ごすことになった上に、殿下に気を遣わせているので気をつけろとテルード様に文句を言われた。
ちなみにどういう風に気を遣わせているかと尋ねたら、馬車の中で『もっと急げないのか』『まだ着かないのか』とずっと気を揉んで下さっているのだと。
うん、はぁ?って言いかけたね。ただゴネてるそれを気遣いと言われて、申し訳ないなって思えと?いや、安全運転しなきゃならないのに文句言われる御者さんには申し訳ないな。
だけどそもそも私が待たされるのは、朝起きるのが苦手な殿下の来る時間が十分単位で前後するためなんだよね。そして朝が苦手なのは、殿下の趣味の時間に没頭して夜更かしするせいだ。つまり自己管理ができてないのが問題なの。
それに依頼されている『オウイン』の素材の件。
なにか希望があればとこちらから殿下に確認したら、それはサフィア嬢に任せてるって言われたので探して呼び止めて、まず嫌そうな顔をされて。
オウインのことはまだ秘密(なんせ、殿下のやらかしの補填なので)のため、人のいないところで聞こうとしたら
『そうやってこそこそ探って……!また手柄を横取りする気なのですね!そんな卑怯な手を使ってまで、マーシャル様の婚約者にしがみつくなんてみっともない!!』
と、さすがに聞き流せない言葉を投げつけて、フンッと鼻を鳴らして去って行ったのだ。
どこから突っ込んでいいのか混乱して呆然としていた私に、少し離れた場所で待ってくれていたシャーロット様とシンシア様が駆け寄ってきて慰めてくれた。
どうやらサフィア嬢の大声は辺りによく聞こえてしまったらしく、その後の失礼な態度も含めてたくさんの生徒達にしっかり見られていたようだ。
怯えてはないけど素直に甘えておいた。みんな天使。
『まったく、横取りだとか卑怯だとか、よく言えたものですわ!』
呆然として反論できなかった私の代わりに、ぷりぷり怒ってくれたのはユーリア様。
お披露目前のお茶会でお会いした高位貴族の子供たちは、マーシャル殿下が発表する前に私がクトゥンのドレスを着ていたことを知っているし、保護者同士のお話でルー兄様からティオルやブルーム野菜のことを聞いている。
なので、その二つがマーシャル殿下の発案だという公式発表を信じているのは、高位にパイプのない貴族だけなのだ。
婚約した経緯……ヴィオラの失態を盾にルー兄様と結婚させると脅されたことについては、さすがに口外できないため、親しくない家の方には誠に遺憾ではあるが、『ブルーム家が殿下に権利を差し出して婚約した』と思われてる節もある。
これはなんとか払拭したいので、側妃殿下やキュラス様以下高位貴族にゴリゴリ擦り寄っていきたいと思っている。
「以上です。ご静聴ありがとうございます」
「うんうん、ちゃんと味方がいるようで安心したよ。やはり踊らされているのは下位貴族だけか。……もっともあれらの様子を見れば、陰で糸を繰ろうとする高位貴族も出てくるのだろうが」
ひと通り垂れ流した愚痴を聞いてくれた叔父様が、私の頭をぐりぐりと撫でながら眉間に皺を寄せる。
うん……まぁ、利用できそうとか御しやすそうとか思われそうだもんね。既に側近の子たちの親にも。
「腹立たしいことに、カジェンデラ前子爵夫人は、第一王子殿下の側近たちにエラを貶め、殿下に都合のいいデタラメばかりを広めている。サフィア・エラーダの暴言とやらもそのせいかもな」
「ええ……」
思わず顔を歪めると、叔父様もうんざりした顔で眉間を揉み解す。
「まったく夫人もなにを考えているのか……。
周辺国との関係も深く王国の防衛の一端を担うブルーム辺境伯の娘で、王子が無理やりに婚約を結ぶほどに望み、派閥に功績をもたらすエラを貶めるなんて、何の得になる?」
「子爵家とはいえ、王子の教育係がブルーム辺境伯家の役目を理解していない、とは考えたくありませんけど……。婚約の経緯にこちらが反論できない以上、言い続ければそれが真実になるのでしょうね。
あ、野菜とティオルの件は私は気にしてませんよ?ルー兄様を守れたので」
叔父様の渋面に、それはもう終わったことだと笑う。婚約の経緯はどう思われてもいい。一番はルー兄様の誇りだから。
勿論、中身空っぽでこれから先の功績を期待できないようなら無駄だろうけど、マーシャル殿下もサフィア嬢もちゃんと優秀だ。
現に農地改革の浄化器官の交換期間なんかは、殿下とサフィア嬢が実験と計算で算出したらしい。論文にして王国府に提出されたから、今後、殿下の発案と見做されるのは仕方ない。それは権利を譲渡した時点でわかっていたこと。
「……陛下に奏上して、カジェンデラ夫人へ側近の指導改善は命じることはできたが、夫人自身の能力の監査については見送られた。問題が起きてからでは遅いが、なにか起こらないことには、この件で陛下が動くことはないだろうな」
「……マーシャル殿下の立太子の話って」
「それはデタラメじゃないな」
陛下はカトレア妃を正妃にしたいけど断られたから、マーシャル殿下の立太子に意地になっている。
カトレア妃の言葉を丸々信じるわけではないけど、陛下のマーシャル殿下の扱いは、本気で立太子しようとするものだとは思えない。
それに、陛下が立場のある側近をつけなくても、陛下自身がマーシャル殿下の支持を公言していたんだから、いくら乗り換えができないと言っても第一王子派の人もいたはずだ。なのに、側近に名乗り出る人がいなかったのは何故だろう?
「しかし、サフィア・エラーダが側近の良い手本になるかと思ったが、あの態度では望み薄だな。あれではまた第一王子の株が下がるぞ」
叔父様の声にはっとする。
そうだ、嫌われてどうこうとか、こっちも仲良くしたいわけじゃないわとか言ってる場合じゃないんだ。
「私からも話してみます。殿下の評判に関わるのだから、私への感情は二の次でしょう」
「……だといいんだが」
来週からは私も王子妃教育が始まるから、王宮に通わなきゃいけない。王都に来てからまだカジェンデラ夫人と顔を合わせてないけど、やっぱ会わなきゃいけないだろうなぁ。気が重い。
「そうだな……正直、第一王子の株などどうでも良いが、黙っていたらとばっちりがエラにくるのが目に見えている。素直に聞き入れる気がしないが」
「拳で語り合えばなんとかなるかと」
「ダメだよ?エラ」
「わかってます。ただの本心です」
「……限界が来る前に早めに言いなさいね」
「はい」
私の頭を撫でる叔父様の手に浮かぶ手形を見ながら、素直に頷いた。




