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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
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6-25「海に出ようぜ。そこになら、お前の求めてる自由がある」

 いくら待ってみても、流治都市ルギスパニアから返事はこなかった。

 ウェルキンは痺れを切らして返事を催促する手紙を書いたが、結局、出すことはなかった。伝書鳩はもう残っていなかったし、早馬に持たせて送り出しても返事と行き違いになってしまう可能性の方が高い。そう思って待ち続けているうちに、ひと月余りが経過していた。


(これじゃ結婚式の方が先になりそうだ)


 シャリーの十歳の誕生日は、もう五日後に迫っている。ウェルキンとシャリーの結婚式はその三日後である。

 二人の結婚式には、ルギスパニアの主だった者たちも参列することになっていた。ルギスパニアのコーネリウス侯爵や、次期領主のゲルトリックスも当然参加する。命令書が届くよりも、コーネリウスが来る方が早くなりそうだ。もしかすると、直接指示を伝えるつもりなのかもしれないとウェルキンは思った。


 ナルカニアはお祭りの準備にせわしくなっていた。シャリーの誕生日を祝い、結婚を祝い、新領主ウェルキンを祝うつもりなのだ。宴は七日余り続くだろう。

 ウェルキンはその準備を見ていても、やはり実感が湧かないでいた。この町が自分のものになるという実感も、幼いシャリーを嫁として迎えることになるという実感も、まるで湧いてこない。自分には関係のないことと思おうとしていた。


 しかしシャリーに話しかけられると否応なしに現実に引き戻される。彼女と結婚するのが自分だという事実に気づかされる。この幼い少女の運命を、自分が歪ませてしまったということの重みに耐えきれなくなる。

 ウェルキンは逃げるように、アッシカやルーイックのいる地下牢を訪れていた。最近では、護衛の兵士さえつけていない。


「ったくよ、何から逃げてるんだかしらねえが、よくこんな場所を毎日訪れてくるよ」


 牢の中のアッシカにまで笑われる始末だった。ウェルキンは「そう言うなよ」と笑って、特別に作らせた食事をアッシカとルーイックに振舞う。牢の中に押し込まれてひと月以上が経っている。アッシカもルーイックも髭は伸び放題で、身体中から異臭を放っていた。身体は痩せてこそいないものの、顔つきと目つきはずいぶんと変わった。変わらないのは、アッシカの特徴的な髪形だけである。


「いい加減、おれたちの処遇は決まったか」

「それが、いまだに返事がないんだ」


 ウェルキンは肩をすくめた。「そうか」と気のない返事をしながら、アッシカは食事にむさぼりつく。ルーイックは何もしゃべらず、もくもくと料理をかっこんでいる。二人は牢の中にいて、食事だけが楽しみになっているようだ。


「結婚式ってのはいつなんだ」


 アッシカが急に話を振ってきた。ウェルキンは「八日後だよ」と答える。


「考えたくはないが、お前の結婚式の前座に処刑されるなんてことはないよな?」


 ルーイックが「げ」と言いたそうな顔を浮かべる。


「そんなことはない……と思うよ。少なくとも、私は聞いていない」

「それを聞いて安心したぜ。ともかく、八日でおれたちの処遇は決まるわけだ」

「どうしてそう思う?」

「子どもの結婚式だ、コーネリウス侯が来ないわけがない。そんで、お前はその指示を待っている。考えるまでもないさ」

「そうだね、たしかにそうだ」


 アッシカに言われて、ウェルキンはようやく自分の頭が回っていなかったことに気が付いた。シャリーとの結婚が近づくにつれて、ぼんやりすることが多くなってしまっている。


「……で、これは推測なんだが、お前はその結婚に乗り気じゃない」

「どうしてそう思う?」

「顔を見りゃ、そのくらいわかるさ。それで現実から目を背けたいから、わざわざ地下にまで来て、おれたちを話し相手にしているってとこか。お前には、現実の外側におれたちがいるように見えてるのさ。だから現実から目を逸らすために、おれたちと話したがる。外の世界のことを知りたがる」

「…………」

「図星みたいだな」


 ルーイックは自分の食事を終え、アッシカの食べ物をじっと見ている。それに気づいたアッシカは「やるよ」と言って、残っていた食べ物をルーイックに寄せた。


「そんなに嫌なら逃げ出しちまえばいい、とおれは思うがな。おれはいつだってお前を歓迎するぜ」

「私はまだ、檻の中に入りたくはないよ」

「海に出ようぜ。そこになら、お前の求めてる自由がある」

「自由、自由か……」


 ウェルキンは一瞬だけ、大海原に思いを馳せた。広い空と、見渡す限りの海だ。潮風が心地よく髪をなで、穏やかな波が船上を揺らす。船の甲板ではアッシカが豪華な食事を広げていて、ルーイックがむしゃぼりついている。他の海賊たちも思い思いに時間を過ごしていて、みんなが楽しそうにしている。海賊とは言うが、気のいい奴らばかりだ。ウェルキンもまたその中にいて、葡萄酒を飲みながら一緒になって騒いでいる。何者にも侵されない自由な場所が、そこにはある。


「楽しそうだな」


 思わず口に出している自分に気づき、ウェルキンははっとした。

 アッシカは、真剣な表情でウェルキンを見つめている。その眼をまっすぐに見られなくて、ウェルキンは目を逸らした。


「前も言っただろ。私には、父や弟を裏切ることはできない。いくら君たちのことを好きになっても、私は君たちをここから出してやることはできないんだ」

「自分自身の気持ちはどうなんだ。自分自身の気持ちを裏切ってでも、家族のために尽くすのか」

「家族のためじゃない。これは、貴族として生きてきた自分自身に対するけじめのようなものなんだ。私は、私はこれまで、貴族としての人生を享受してきた。それは、コーネリウス侯を父親に持つからだ。父のおかげで、私は今日まで何不自由なく生きてこられた。その父を裏切るような真似は、絶対に出来ない。それは、私自身の気持ちでもある」


 口から出てきた言葉は、アッシカを納得させるための言葉ではなかった。ウェルキン自身を納得させるための言葉だった。

 アッシカはしばらく何も言わなかった。牢の中では、ルーイックがもくもくと食事をとり続ける音だけが響く。


「そうか」


 しばらくの沈黙の末に、アッシカが言った。


「そりゃそうだ。ガキじゃあるまいし、嫌だからって放り出すわけにはいかねえよな。何よりお前は、ナルカニアの次期領主だ。この町のやつらみんなの期待を一身に背負っている。お前がいなくなっちゃ、この町は終わりだろうよ」

「わかってくれるのか」

「わかるさ。おれだって、海賊団の長だぜ。仲間のことを見捨てるような真似はできねえ」

「仲間……か」

「そう、仲間だ。おれは仲間を見捨てられねえ。我ながら甘いとは思っちゃいるが、それでも無駄死にさせたくねえ。おれを頼ってきてくれたんだ。面倒をみると決めた。だから、おれは絶対に仲間を見捨てねえ。頭の悪い問題児ばっかりだがよ、何とか人並みの生活をさせてやりてえと思っている。おれたちの支配下に入った都市のことも、おれは仲間の一部だと思ってる。どこぞの搾取することしか考えてねえ地方領主たちよりよっぽど、おれは領主らしい行いをしてきたつもりだぜ」


 ウェルキンは胸が締め付けられる思いだった。たしかにウェルキンはナルカニアの領主になる。だが、胸を張って仲間だと言えるような人が、果たして一人でもいるだろうか。このままナルカニアの領主になって、町の人々の生活を守ってやれるのだろうか。気が付いたときには、自分もまた、搾取することばかりの領主になってはいないか。


「ま、自惚れかもしれねえけどな。だが、心当たりはあるだろ。民衆を食い物にしている領主が、あまりに多すぎる。おれたちのことを海賊だなんだといっちゃいるが、領主を追放してみたらその方が民衆の生活は豊かになったりする。いったい、どっちが賊なんだろうな。おれたちは確かに支配下の都市から金を吸い上げている。だがそれは、町を守ってやる代わりさ。町を守ることさえできねえ領主より、よっぽど恩恵があるとは思わねえか。なんなら傭兵団を雇うより安いかもしれねえぜ」

「それは詭弁だよ、アッシカ。だって、君たちの行いはどんなに言いつくろったって、海賊行為そのものじゃないか。金品を奪い、人々の生活を脅かしている」

「だとしたら、悪徳領主たちもみんな賊ってことになるが、それでいいんだな?」

「私はその実態に詳しくないが、彼らはルージェ王国が正式に認めて、領主になった。そうだろう? 君たちはその過程を無視した」

「爵位ねぇ……。金で買える爵位に、何の意味があるっていうんだ。あくどい商売で儲けて、それで爵位を得る。そんな話は日常茶飯事じゃねえか」


 ウェルキンは黙った。たしかにアッシカの言うことには一理ある。だが、牢から出してもらいたくて道理を並べているだけのようにも聞こえる。アッシカたちを解放するなど、できるはずがない。


「ともかくだ、私には君たちをここから出してやることはできない。申し開きがあるのなら、私ではなく父に言ってくれ」

「そうさせてもらうよ」


 アッシカが吐き捨てるように言った。お前も、あいつらと一緒だ。いずれは民から搾取するだけになる。そう言われているような気がして、ウェルキンはいたたまれない気持ちになった。アッシカに背を向けて、階段を上る。

 他の海賊たちを閉じ込めている場所にまで上がると、席を外していた兵の一人がウェルキンに寄ってきた。


「ゲルトリックス様から伝令です。明日、到着なさると」

「明日? ずいぶん早いな。シャリーの誕生日まで、まだ日程はあるのに」


 ゲルトリックスはウェルキンの異母弟にあたる。じきに流治都市ルギスパニアを、父コーネリウスから受け継ぐことになる正当な後継者だった。


「コーネリウス様の代理とのことです」

「父に何かあったのか?」

「それが、どうも体調が芳しくないようです。それで、式にはゲルトリックス様が代理で出席なさるとかで」

「……そうか」


 だから伝書鳩の返事もこないのか。ウェルキンは合点した。息子の結婚式にも出られそうにないとは、よほどの重症なのだろう。


「それで海賊の件ですが……」

「何か言われたのか?」

「それが、ゲルトリックス様が裁定なさると」


 思わずウェルキンは「ゲルトリックスが?」と訊き返した。

 いくら正統な後継者とはいえ、ゲルトリックスはまだ爵位も領地も継いでいない。コーネリウスが決めた結果を伝えるだけならともかく、裁定そのものをゲルトリックスに任せるなど、父らしくない判断だった。


(どこかきな臭い話だな)


 おそらく、ゲルトリックスの母であるメアリーが何かを言ったのだろう、とウェルキンは思った。

 メアリーは現国王ビブルデッドの妹である。平民から成り上がった経歴を持つコーネリウスは、妻メアリーに頭が上がらないという面があった。おそらく今回も、息子のゲルトリックスに花を持たせるために、メアリーが何かを言ったのだろう。


 ウェルキンは地下牢を出ると、コーネリウスの体調を案じる手紙を書き、すぐに早馬に持たせた。

 海賊団の沙汰を仰ぐ手紙は出せなかったのに、こういう手紙はすぐに出せてしまう。本当は、アッシカたちの沙汰が出ないままで欲しいと思っているのではないか。手紙を出し終えて、ウェルキンは自問をはじめた。シャリーとの結婚も、ナルカニアを継ぐという話も、アッシカやルーイックの処分も、何もかも後回しにしたがっているのではないか。答えが出なければいいと思っているのではないか。


挿絵(By みてみん)

2021/2/27追記


リアルの都合で、2-3年ほど更新ができないことが確定致しました。

いずれ帰ってきて続きを書くつもりではありますが、お約束できないこと、大変申し訳なく思います。ごめんなさい。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

もし待っていただけるのであれば、私の都合が落ち着くまでお待ちいただけますと、心からありがたいです。

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