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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
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6-21「鳩は、自分の帰る場所を知っているのですね」

 ウェルキンは、アッシカ海賊団を捕らえた旨を短く記した手紙を十通用意し、小さく折りたたんで小指ほどの大きさの筒に入れた。それを屋上にある鳥小屋で、伝書鳩の足に一匹ずつ自らの手で取り付けていく。十羽すべてに取り付け終えたところで、ウェルキンは鳥小屋の扉を開け放した。十羽の鳩が、競い合うように大空へ羽ばたいていく。


「まあ、綺麗」


 言ったのはシャリーだった。ウェルキンはシャリーに微笑みかけ、そうだね、と相槌を打った。

 シャリーはナルカニアの領主の娘で、まもなく十歳になる。そして十歳になると同時に、ウェルキンと正式に結婚することが決まっている。


 シャリーのことを見るたびに、ウェルキンは心が痛むのを感じていた。シャリーは、まだ恋も知らないだろう。それなのに、十以上も年の離れたウェルキンと結婚することが決まっている。まだ幼いというのに、もう宿命を背負わされている。


「鳩は、自分の帰る場所を知っているのですね。帰るついでに、手紙を届けてくださる」

「シャリーは頭が良い。そうだよ、彼らは自分の帰る場所を知っている」

「でも、それならどうして十羽も飛ばすんですの?」

「飛んでいる間に、道を見失っちゃう鳩も多いんだ。どこに向かえばいいのか、わからなくなってしまう。大空に飛び立ったときにはわかっていたはずなのに、飛び続けているうちにわからなくなっていってしまうんだろうね。だから、念のために十羽飛ばすのさ。一羽でもちゃんとルギスパニアにたどり着いてくれれば、それで十分だからね」


 ウェルキンは説明をしながら、人間も似たようなものだ、と思った。飛んでいるうちに、どこへ向かっているのかわからなくなる。自分が進んでいる方向が正しいのかどうか、確信が持てなくなる。


「帰る場所を忘れてしまった鳩は、どこへ行くんでしょうね」

「さあ……。案外、巣に帰るよりも、生きやすい場所を見つけているかもしれないね」


 ウェルキンはそう言ってにっこりと笑い、会話を切り上げた。

 シャリーは何か言いたそうにしていたがウェルキンに会話の意思がないことを悟ると、黙って微笑み返してきた。良い子だ、とウェルキンは再び思う。胸が痛くなるくらいに良い子だ。彼女を妻に迎え入れることに何の不満もない。しかし、幼すぎる。


 もうすぐ夫婦になるというのに、ウェルキンにはその実感がまるでなかった。むしろ幼いシャリーの方が、ウェルキンよりよほど結婚のことを理解しているようにさえ思える。こうやってウェルキンの後をついてきて、何とか会話の糸口を掴もうと努力している。いじらしい話だった。そうと分かっていて、ウェルキンにはその好意に気づかないふりをするしかないのだった。


 流治都市ルギスパニアと、商業都市ナルカニアをつなぐ政略結婚である。その必要性はウェルキンにもとても良く理解できた。しかし必要性があるということと、自分自身の気持ちは別問題である。いや、ウェルキン自身のことは良いのだ。貴族として、いずれはどこかの誰かと結婚しなければならないのだし、異母弟ゲルトリックスがルギスパニアを継ぐ以上、ウェルキンは外の都市に婿に出なければならないのも理解できる。

 そしてルギスパニアの繁栄を考えるならば、ナルカニアとの縁談は、これ以上ないと言えるほどの内容だった。ルギスパニアはウェルキンの異母弟ゲルトリックスが継ぎ、ナルカニアはウェルキンが継ぐ。つまり、二つの都市を兄弟が治めることとなる。ルギスパニアの持つ治水技術と、ナルカニアの持つ商業的価値が合わされば、リンドブルム地方の発展に大きく寄与することだろう。そんなことは、ウェルキンにもわかっている。


 嫡男でこそないが、それでも貴族として生きてきた。食事に困ることもなく、寝床に困ることもなく、洪水で財産を失うこともなかった。平民たちと比較して、恵まれた環境にいることは明らかだった。それだけ貴族として恩恵にあずかってきたのだから、結婚相手を選べないくらいの不自由は、受け入れて然るべきだった。


 そう、ウェルキン自身のことは良いのだ。

 だがしかし、シャリーはどうだ。まだ十歳にもならぬというのに、貴族の宿命を背負わされ、恋も知らぬうちに結婚を強いられる。


 そんなに無理をしなくていい、とウェルキンは言ってやりたくなる。だがシャリーはとうに覚悟を決めているようだった。もうすぐ結婚するという事実から逃れまわっているのは、むしろウェルキンの方なのである。

 ウェルキンはシャリーをなるべく傷つけないように言葉を選んで屋上を抜け出した。


 アッシカ海賊団を捕らえた、という伝書鳩を飛ばしてから五日が経った。そろそろ何か返事があっても良い頃だったが、まだ返事は届かない。


 なぜアッシカたちを生かしたまま捕らえろという命令が出たのか、ウェルキンには理解ができなかった。アッシカとルーイックだけならば話はわかる。名の通った海賊だから、民衆の前に引きずり出して見世物のように処刑するというのは、割とありふれた話だ。しかし、海賊団の下っ端たちまで生かしておく意味があるだろうか。

 そもそも、命令書が伝書鳩で届いたことも不思議だった。ウェルキンがナルカニアに来たのはせいぜい、ひと月前の話である。それ以前はルギスパニアにいたのだから、アッシカ海賊団を捕らえておけというならば、ルギスパニアにいるうちに直接命令を出せばよかったはずなのだ。それが、わざわざ伝書鳩で命令書を届けてきた。言い忘れたのか、それとも他に理由があるのか。微かに違和感がある。しかし鳩の足には間違いなくルギスパニアの焼印が入っていたから、命令が正式な物であることには疑いようがないのであった。


 相変わらず、シャリーはウェルキンの後ろをついてくる。さりげなさを装って、会話をつなごうと努力している。

 ウェルキンはシャリーを避けるようにして、地下牢へ向かうことが多くなった。地下牢にまではシャリーは追いかけてこないのだ。たとえ入ってこようとしても、番をしている兵士たちに止められる。


 地下牢はもともと荷を入れる倉庫として利用されていた場所で、新しい倉庫が作られる際に牢として改修を加えてあった。実際に使ってみるのは初めてだったが、今のところ問題は起きていない。海賊団のほとんどは、驚くほどに大人しくしていた。ウェルキンは海賊たちを閉じ込めている牢を通り過ぎ、奥にある階段を降りていった。最下層に、アッシカとルーイックだけは隔離して閉じ込めてあるのだ。


「なんだ、また来たのか」

「自分でも不思議なんだけれど、ここに来ると落ち着くんだ」


 アッシカのぶっきらぼうな物言いに、ウェルキンは肩をすくめて答えた。まんざら嘘でもなかったが、アッシカは「ふん」とそっぽを向き「じゃあおれたちと交代しようぜ。ここは湿っぽくてな」と言う。


「それはできない。私には、父や弟を裏切ることはできないから」

「じゃあ、どうしてここに来る。おれたちから引き出せるような情報など、何もないはずだ」

「どうかな。実は、何かを掴んでいたりして」

「知ってたら話すさ。それで命が助かるなら安いもんだ」

「命を助けるかどうかは私には決められないが、助命くらいは嘆願するよ。たとえばそうだな、クイダーナ地方の現状とか、私はとても興味があるのだけれど、話してくれるかな」

「伝わっている通りだよ。リズ公の悪政に嫌気がさして、魔族たちが反乱を起こした。エリザとかいう少女を、新しい女帝として担ぎ上げてな」

「それで君たちは、帝国側についた?」

「バカな。おれたちは海賊だぜ。確かに帝国軍とは協力し合うこともあるが、別に味方ってわけじゃねえ。お互いにその方が都合がいいから、そうしているだけさ」


 ウェルキンは「ふうん」と言って頷いた。アッシカの物言いは乱暴だが、どこか会話を楽しんでいる風でもある。牢に入れられて、時間を持て余しているのだ。ルーイックは口を挟まず、壁を見てじっとしている。ウェルキンとアッシカの会話に入れないので、拗ねているようだ。


「君たちは、自由なんだね。ルージェ王国にも、クイダーナ帝国にも縛られていない」

「自由なもんか。いまは牢の中だぞ」

「でも、心までは縛られていない。たとえこのまま絞首台に送られたとしても、心は自由なままだ」

「まるで、あんたは違うみたいに言うんだな。何かに縛られているみたいに」


 縛られている、というのとは少し違うかもしれないとウェルキンは思った。少し考え、それから言葉を紡ぐ。


「水車を見たことはあるかい?」

「ああ、あるよ」

「私は水車を構成する板切れの一枚なのさ。生まれた時から、そうなることを運命づけられていた。もう他の部位とがっちり接続されてしまっていて、自分の思うようには動くことができない。縛られているというより、そうだな、固定されていると言った方が正しいのだと思う。しっかり固定されているから、水が流れてくれば、水車は回る。ルージェ王国という巨大な組織は、そうやって回っているのさ」

「おれたちには、一生、縁のなさそうな苦労だな」

「苦労、と言ってくれると助かるよ」


 ウェルキンは微笑んだ。ルーイックは壁を見たまま、じっとしている。

 それから、アッシカと他愛もない会話を続けた。たしかに、驚くような情報は何一つとして出てこない。会話が続くと、アッシカは必ず仲間たちの安否を確認しだす。ウェルキンが全員無事だと伝えてもなかなか信じようとせず、アッシカは仲間の特徴を伝えて、こいつは無事か、あいつは無事かと訊ねてくるのだった。ウェルキンは覚えられる限り覚えて、上の階層に行って確認して戻ってくる、ということを繰り返した。


 仲間思いなのはいいことだ、とウェルキンは漠然と思った。もしかすると、アッシカ海賊団が大人しくしているのは、アッシカのことを信頼しているからかもしれない。アッシカなら、何とかしてくれるだろう。そう思っているから、彼らはじっと時を待っているのではないか。

 アッシカの言葉にはいくつかフェイントが混ぜてあった。言われた特徴通りの男を探しても、見つからないのだ。捕まえた海賊の中にそんな男はいないと言うと、アッシカはとぼけた顔で「おかしいな」と言う。ウェルキンは部下たちに確認を徹底させたが、やはりそんな者は見つからない。何度かそのやり取りを繰り返して、ウェルキンはそれが嘘だとわかった。ルーイックが「親分、そんなやついないよ」と言いたげに口を尖らせているのだ。それに気づいてウェルキンは部下たちに、いもしない海賊を牢の中から探させるのをやめた。ルーイックの存在が、アッシカのウソ発見器として役に立つとは、なんとも皮肉な話である。


 再度、アッシカに「どうして君たちを捕らえておけと命令が出たのか、心当たりはないのかい?」と訊ねてみた。

 アッシカはまたしても「知らないな」と答える。ちらりと横目でルーイックを見るが、ルーイックにも心当たりはないようだった。


 ウェルキンは牢を出るまで命令書のことを考えていたが、やはり答えは出なかったので思考を止めた。

 ルギスパニアから返事が来れば、わかることである。

来週もおやすみいただきます。

生活環境に変化があり、リアルがばたばたしております。

次回更新は10/31予定でありますが、確実に執筆の時間が取れるとは言いがたい状況なので、更新が11月になってしまったらごめんなさい!

なるべく早く、執筆に戻れるように致します。

宜しくお願い致します。

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