6-12「王国の手足を痺れさせ、動けなくしてしまう程の猛毒を」
物流が再開されて数日を待ってから、ベルタッタンは動いた。
ジーラゴンからゾゾドギアへ。ゾゾドギアからさらにルノア大平原に渡る。商人たちの荷物に隠れるのは、そう難しいことではなかった。
ルノア大平原に降り立つと、ベルタッタンは空を見上げた。良く晴れた日だった。そろそろ、冬も終わりに近づいている。乾いた風に流されて、雲がゆっくりと通り過ぎていく。ベルタッタンは太陽の光を見ないように手をかざしながら、空を注意深く見渡した。真っ黒い影が、雲の流れに逆らうように飛んでいる。ベルタッタンは影の飛び立っていった方向を指で追いかけた。
「……南、ですか」
魔鳥が飛び立っていった方向へ、ベルタッタンは歩み始めた。
陽が陰ってきたとき、魔鳥がまた飛んできた。ベルタッタンの上を旋回し、飛び去っていく。ベルタッタンは方角が間違っていないことを確認して、歩み続けた。陽が完全に落ち切ってみると、目指す先におぼろげな光が見えた。一晩明かすのを待たず、ベルタッタンは光に向かって進み続けた。
光は、徐々に形を持ち始める。やがてベルタッタンにはそれが焚火の光であるということが分かり始めた。焚火の周りでは何十人かの少年少女たちが雑魚寝をしており、焚火に老人が一人、薪をくべている。ダルハーンだ。
「遅かったの」
ダルハーンはふぉっふぉっと特徴的な笑い方をしながら、ベルタッタンを迎え入れた。
子どもたちの周囲には馬車が十台ほど止められており、ちょっとした隊商のようでもある。ぱっと見ただけでも馬車のあちこちにルーンが刻まれているのが分かる。いずれも、モンスター除けのルーンだろう。これだけの数があれば、そうそうモンスターたちは近寄ってこないはずだ。それでもなおダルハーンが起きていたのは、ベルタッタンの到着を待っていたと考えて良さそうだった。
「子どもたちも連れ出すのならもっと日数がかかると思ったのです。いったい、どんな手品を使ってこの子たちをゾゾドギアから出したのです?」
「一人ずつ別々の方法での。荷に潜り込ませたり、水夫に化けさせたり、商人に金を握らせたり、の」
「なるほど。この馬車もそういうことですか。まったく、見事なお手際で」
ベルタッタンは感心して言った。ダルハーンには、まだ教えてもらっていない技がいくつもある。
少年少女たちは誰一人として目を醒まそうとしない。陽の上っている間に、ダルハーンにみっちりしごかれたのだろう。あるいはモンスターを相手にさせられたのかもしれない。肉体の疲労が限界に達して、眠りはかなり深い物になっているはずだ。いずれ、どんなに身体が疲れていても小さな物音で目覚める修行も行うはずだが、今はまだそこにまでは達していない。
ベルタッタンは雑魚寝している少年少女たちを踏まないように気を付けながら、移動して腰を下ろした。焚火を挟んで、ダルハーンと対峙する。
「以前、私のことを同志と呼んでくださいましたね」
「そうとも。お前は、この子らとは違う。儂はお前に命令をしない」
「では、同志として頼みます。あなたが何を企んでいるのか、そろそろ教えて欲しいのです」
ふぉっふぉっふぉ、とダルハーンは笑った。窪んだ目元の奥で、瞳が怪しく光る。
「なぜ、儂が何かを企んでるなどと?」
「あなたが、帝国軍に肩入れをしすぎているからですよ。ルージェ王国に恨みがあるというのはわかります。しかし、奴隷制度を認めていない新生クイダーナ帝国が伸長すれば、あなたは商売をやりにくくなるはずだ」
「そうじゃのう」
「それに、あなたの情報網は一介の商人が持つには、あまりに広すぎる。それでもまだ飽き足らず、これだけの子どもたちをまた暗殺者に育て上げようとしている。何か、狙いがあると思っても不思議はないでしょう。あなたは何かを狙っている。その目的の為に、暗躍している。……違いますか」
ベルタッタンがそこまで言うと、ダルハーンは炎の向こう側でにんまりと笑った。焚火の光が、ダルハーンの顔の陰影をくっきりと際立たせている。
「――王国打倒」
ぱちぱち、と焚火の音が鳴る中で、ダルハーンは確かにそう言った。
「儂は、ルージェ王国が憎い。憎さのあまり、滅ぼしてやろうとまで思っておる。その答えでは不服か?」
「その為に、帝国軍に力を貸していると言うのですか」
無理だ、と思いながらベルタッタンは訊ねた。新生クイダーナ帝国とドルク族がたとえ共同戦線を張ろうとも、ルージェ王国を滅ぼすには至らない。クイダーナ地方のすべてを支配下に置いても、帝国軍が動員できる兵力は底が知れている。クイダーナ地方の独立を守るくらいのことはできるだろうが、それが限界だろう。ドルク族に関しては、そもそも兵を補充することさえできないはずだ。
「帝国軍は、外からの圧力にすぎんよ。儂とて、ルージェ王国の強大さは身を持って知っている。歳月をかけ、ユーガリアの全土に種を蒔いたのだからの。しかしいかに強大であろうとも、しょせんは人の手による物」
「それは、そうですが」
「ベルタッタンよ。お前は、どうしても勝てぬ敵がいたらどうする? お前の舞踏のような剣術でも敵わぬ相手がいて、そいつを倒さねばならぬとしたら」
「毒を盛ります」
「毒だけで仕留められぬとしたら?」
「弱らせてから、殺します」
「そう、その通りじゃ。儂が帝国軍に期待しているのは、そのトドメの一撃じゃ。外からの圧力。武力による破壊。その役目を、帝国軍には期待しておる」
「では、毒を仕込んでいるのですね。王国の手足を痺れさせ、動けなくしてしまう程の猛毒を」
ベルタッタンは、自分の頬が緩んでいることに気が付いた。知らぬ間に笑っているようだ。ダルハーンが何を企んでいるのか、そのすべてを知りたいと思っている。金の呪縛が解けてもなお、ダルハーンについてきたことは間違いではなかった。望んでいた以上の楽しみを、ダルハーンは与えてくれる。
「王都ルイゼンポルムでは、ルーン・アイテムの盗難が問題視され始めておる」
「まさか、それも?」
「いや、儂の力ではない。正確に言えば、儂の手の者も力を貸してはいる。だが、主犯は儂ではない」
「では誰が?」
「その正体こそ、猛毒というやつじゃ。ルージェ王国を滅ぼす、猛毒。とんでもない野心を胸の内に隠し持ち、時が来るのをじっと耐えている。今から、その男に会いに行くのだ」
「猛毒に」
「そう。猛毒に、じゃ。……ふぉっふぉ、猛毒か。言い得て妙じゃの」
「いま我々は、南に向かっていますね。このまま進めば、やがて機構都市パペイパピルに出ます」
「儂らが目指すべき場所は、もっと南じゃよ」
「すると、リンドブルム地方に?」
ダルハーンは頷いた。長い髭が揺れる。
「流治都市ルギスパニア。そこにルージェ王国を内側から滅ぼす猛毒がいる。王家の血を引いていながらその手で王国を滅ぼそうとする御仁が、鬱屈した感情を溜め込みながら機会を窺っている」
ルギスパニアはリンドブルム地方最大の都市である。ここ十数年で、農業都市ユニケーや機構都市パペイパピル、剣の国ブレイザンブルクとも並ぶ大都市にまで成長してきている。