6-11「民衆は、自分たちが信じたいものを信じます」
軍の中に英雄を仕立て上げる、という作戦はスッラリクスの想定以上に上手くいった。
ラッセルをはじめ輜重隊の生き残り全員を集めて表彰し、金と名誉と休暇を与えた。彼らは、地下牢に閉じ込められていた体験談を、ゾゾドギアとジーラゴンのあちこちの酒場や料亭で語った。これは一種の賭けだった。彼らがどんなに真実を語ろうとも、民衆がそれを受け入れない可能性はあったのだ。特に、ゾゾドギアの民の中には、ラールゴールを信じ切っている者も多い。彼らはラールゴールに助けを求めようと、ワニの生息する川を渡っていったくらいなのだ。
だが、懸念していたような事態には発展しなかった。輜重隊の生き残りの語った言葉は、あまりに生々しく、そして真実味を帯びていたからだ。
水門の罠の話が、特に民衆の心に刺さった。地下牢に閉じ込めた輜重隊たちを餌に、ジーラゴンとゾゾドギアの間にワニを集める罠だった。渡河に加わって生き延びた人たちが、信じられない程のワニの大群に襲われたと証言している。水門の罠が発動したのであれば、それだけのワニが集まった理由にも説明がつく。水門の罠の存在を知っている老人たちもいた。まさかそれが使われるとは思っていなかったから、すっかり意識から抜け落ちていたようだ。そうやって次々とラールゴールがすべてを仕組んだのだという証言が出てくると、民衆は手のひらを返した。自分たちはずっとラールゴールに騙されていたのだ、と憤る者もいた。
すべての罪と責任を、ラールゴールに押し付けた。ラールゴールに近い立場にあった者や、輜重隊に毒を盛った四番隊所属の十名などを戦犯に指名し、わざわざゾゾドギアに連れてきて、民の見えるところで打首にした。
一歩間違えば、自分がああやって打首になっていたとスッラリクスは思った。民衆は、誰かに責任を負わせたがっていた。ラールゴールの責任であると流布できなければ、軍の中にその責任が求められたはずだ。そうなっていれば、スッラリクスが真っ先に槍玉に上がっていたことだろう。
ラッセルは、千人長という立場に就かせた。英雄にふさわしい特進である。ラッセルの存在が軍の中にあることは、民心を得ることに大いに役立つ。
ところが意外にも、この人事に不平を漏らした人物がいる。ディスフィーアである。
「いきなり千人長? 軍功を上げたわけじゃない。それにあの子、指揮も出来ないでしょう?」
わざわざスッラリクスの部屋にまで入ってきて、ディスフィーアはそう漏らした。
「決められたのはジャハーラ公ですよ」
「だから、誰も文句言わないんでしょ。でも、心の中ではみんな不満に思ってるはずよ」
そうかもしれない、とスッラリクスは思った。千人長と言えば、サーメットやナーランと並ぶ地位である。アーサーやカート、ナーランといった諸将がこの人事に異を唱えないのは、それが必要なことだと思っているというよりも、父ジャハーラが決めたことだから、というのが大きいだろう。別にラッセルの特進は五百人長でも、三百人長でも良かったのだ。それでも大出世である。
それなのに、ジャハーラはラッセルを一気に千人長にまで引き上げた。信じられないほどの出世だったが、それだけに、軍がラッセルの功績を高く評価していると民に印象付けることに成功することともなった。
「ゾゾドギアの民に真実を広めるのに最も手っ取り早い方法が、英雄を仕立て上げることでした。英雄の言葉ならば、民は大人しく聞くのです」
英雄がその信用を失わない限りは、とスッラリクスは心の中で付け足した。
「元領主のラールゴールって人に従っていたように?」
「そうです。民衆は、自分たちが信じたいものを信じます。彼らは、川の向こうにさえ行けば、ラールゴールが助けてくれると信じていました」
「そして今は、本当に助けに来てくれた英雄ラッセルのことを信じているわけね。……でも、いくら何でも、ラッセルの特進は性急すぎたんじゃない? 言っちゃなんだけど、ここは川の真ん中だし船は軍が取り押さえてる。時間をかけて民衆に真実を聞かせていったって良かったはずだわ。エリザ様たち北軍も、聖騎士の軍勢を退かせてこっちへ向かってきてるって話じゃない。せめて、エリザ様たちと合流なさってからにすれば良かったのに」
「早くしなければならなかったのです。第一に、ジーラゴンに渡ることができた人もいます。彼らがクイダーナの各地に散ってしまう前に、真実を聞かせなければならなかった。第二の理由は、物流です。物の流れをいつまでも止めているわけにはいかなかった。一日でも早く、リズール川を渡って商人が行き来できる環境を整えなければなりませんでした」
スッラリクスは、広げてある地図に目を向けながら言った。
「ご存知の通り、クイダーナ地方はそのほとんどの地域が赤土です。農業には適さない土地柄ですので、穀物のほとんどは他の地域から輸入しています。道がなければ当然、物の流れは途絶えてしまいます」
「リズール川を伝って物が動く、と言いたいのね」
「はい。ルノア大平原とクイダーナ地方をつなぐ要衝であるが故に、長く物流を止めておくわけにはいかなかったのです」
ルノア大平原で買い付けた穀物をクイダーナ地方で売り捌けばそれだけで利が出る。たとえルージェ王国がクイダーナ地方への穀物の持ち込みを禁じたとしても、商人たちは秘かに物を運び込もうとするはずだ。しかしそれは、道があってこそである。いつまでもリズール川を渡れないとなれば、商人たちは別のルートを開拓するか、あるいは他に利益の出そうな商売を探し始めるはずだ。
一度、流れが変わってしまえば元に戻すのは難しい。ゾゾドギア、ジーラゴンを経由するルートは使えないと商人たちの間で噂が広まり続けてしまえば、クイダーナは孤立してしまう。物流を回復させて、商人たちの動きを取り戻すことは急務だった。
「機構都市パペイパピルや交易都市ニーナといったルノア大平原西岸の都市から、船でクイダーナ南部に渡るというルートもありますが」
「アッシカ海賊団……」
「そういうことです。海賊団が、海岸沿いの都市のほとんどを所有しています。海を渡ろうと思ったら、彼らの支配圏を通行することになる。当然、海賊団は運賃や通行料を要求するでしょう。その分だけ商人たちは利益を失い、海賊団は私腹を肥やすことになります。利益が薄くなれば、商人たちはクイダーナへ穀物を運ぶのさえやめてしまうかもしれない。パペイパピルまでもが海賊団の支配下になったいま、ジーラゴン、ゾゾドギアの物流をいつまでも止めておくわけにはいかなかったのです」
リズール川を使った物流が止まっていれば、その分だけアッシカ海賊団が儲かることになる。今は協力関係にあるが、だからと言ってわざわざ彼らを太らせてやる必要はない。穀物の輸入が途絶えれば、クイダーナの民が苦しむ。
「そうやって色々考えた末に、あのラッセルって子を千人長にまで特進させた、と」
「納得しましたか」
「実力じゃない、ってことが分かっただけよ」
「民心を得る、というのも実力の内ですよ。ラッセルが軍の中で力を得たことで、ゾゾドギアの民衆の不満を抑えることができました。それに、軍の中にも良い変化が生まれました。混血であるラッセルが一気に特進したことで、軍内部の混血たちに夢を与えたのです。手柄を立てれば出世できる。たとえ混血でも、出世のチャンスがある。そう思えるようになったはずです」
軍内の主要な階級は、魔族に独占されていた。寿命が短く精霊術も使えない混血たちは、どうしても魔族の下位になってしまうのだ。例外として軍の中枢にいる混血はエリザとスッラリクスくらいであったが、エリザは純血種並みの魔力を持っているし、スッラリクスは黒竜の塔を卒業できる程の知力を持っている。
そういった特別な力を持っていなかったとしても、手柄さえ立てれば出世できる。ラッセルの特進は、混血たちにも大きな希望になったはずだ。
「ふーん、なるほどね」
「しかし意外ですね。あなたは軍の階級になど興味がないと思っておりましたが」
スッラリクスは心からそう言った。ディスフィーアは、ゼリウス軍に所属はしているが、軍の中では異端的な存在である。将と言うべきなのだろうが、何らかの階級をもらっているわけではない。自然とゼリウス軍の一員、という形で収まっているだけなのだ。
「気が変わったのよ」
ディスフィーアはむすっとした表情でそう言うとしばらく黙りこみ、やがて何か閃いたかのように口を開いた。
「決めた。私、将軍になる」
「……は?」
「なに呆けた顔してるのよ。私は、将軍になるって言ってるの。手柄を挙げて昇進して、やがて父やゼリウス様に並んでみせる」
「それは、良い目標だと思いますが……」
「あのラッセルって子でも千人長になれたんだもん。それなら私だって千人長くらいなれるはずだわ」
「おや、なってもらえるんですか?」
それは、願ってもいないことだった。ディスフィーアは騎馬隊の指揮を執ることのできる人材である。魔都攻略戦ではジャハーラの騎馬隊を相手に、見事粘ってみせた。ゼリウス麾下の一騎にしておくより、騎馬隊の指揮官として使いたい、というのはスッラリクスの本音であった。
「エリザ様と合流したら、話してみようっと」
ディスフィーアはそう言うと、自分の考えに満足したのかスッラリクスの部屋を出ていった。エリザに頼もうとしているあたり、ジャハーラやゼリウスに頼むのは気が引けるらしい。
スッラリクスは、ディスフィーアが出ていった後もしばらく地図を眺め続けていた。
地図を見ながら、奴隷商人ダルハーンたちのことを考えていた。彼らは物の流れが回復すると同時に、ルノア大平原に渡ったはずだ。その気になれば探し出すこともできたはずだが、スッラリクスはそうしなかった。
それどころか、ダルハーンがゾゾドギアに潜入していたことさえ誰にも話さなかった。窮地を助けようとしてくれたという思いもあったが、それ以上に、奴隷商人たちの存在を口に出せば話がこじれると考えたからだ。ラールゴールを殺したのは、ラッセルということになっている。それで良いじゃないか、という思いがスッラリクスの中に強く根付いていた。もうダルハーンたちはクイダーナから出ていったのだ。帝国領で商売はしないと言っていた。少なくとも、敵ではない。ならば、放っておけばいい。




