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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
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6-10「この混乱の中だったら逃げられる。自由になれる」

 ノージェに語ることは尽きなかった。父や母のこと、次期領主としての責務、侍従たちの変わった話、王国軍の求めに応じて軍をユニケーに向かわせた話……。

 思いつくことは何でも話した。壁に話しているのと違って、ノージェは反応をくれる。だけど秘密は漏れることはない。安心感が、アナイに何でも語らせた。


 最近は、結婚の話が多かった。父ケイルノームが、アナイの婚姻を画策していた。表向きは女性を娶らせ、裏では男性と結婚させるつもりのようだった。

 父が考えていることは、手に取るようにわかった。自分が領主でいる間に、アナイに子供を産ませたいのだ。男の子が生まれれば、アナイの代を飛ばして孫に次期の領主を務めさせる。アナイの性別詐称を隠し通すには、自分が領主の内に……という気持ちがあるのだろう。アナイが領主を継いでしまえば、いつ嘘が明るみに出るかわからない。


 薄暗い空間で話を聞いていたノージェは、壁に書いた「ごめん」の文字を指さす。アナイは首を振った。ノージェのせいじゃない。確かにアナイの運命が歪むことになったきっかけはノージェだったかもしれない。だが、決めたのは全部、父ケイルノームだった。それに、アナイも運命を変えようとはしてこなかった。流されるままにしてきた。

 自分の結婚の話が進んでいるというのに、どこか他人事のような気がしている。きっと自分で決めたことじゃないからだ。誰かに決められた通りに、流され続けているからだ。


 アナイが何か言葉を重ねようとしたとき、大地が激しく揺れた。天井からパラパラと土埃が降ってくる。表で何かが起きている。不安げな表情を浮かべるノージェに「ちょっと待ってて」と言って、アナイは地下牢を出た。


 あちこちで、紫色の煙が上がっていた。市街からは混乱する声が聞こえる。煙の中から騎兵が飛び出してきて、アナイは目を見張った。騎兵の顔には戦化粧が施されている。ドルク族だ。逃げ惑う市民に対して戦斧を振るい、煙の中を駆け去っていく。悲鳴は方々から聞こえた。馬蹄の音と市民の混乱、鈍器が空気を震わせる独特の音が入り混じっている。煙の中に、いったいどれだけのドルク族が紛れているのか。


「城門はまだ閉じられないのか、これ以上の敵の侵入を許すな! 第一班から三班は城門を閉じよ! 四班以降は侵入したドルク族に応戦。各班長の指示に従って、市民を守れ!」


 矢継ぎ早に指示を出す父の声が、風に乗って聞こえてきた。三階のバルコニーから、指揮を執っているようだ。アナイは駆け足で中庭に出て、バルコニーを見上げた。紫色の煙が都市全体を包み隠そうとしている。父ケイルノームは、視界の悪い中で必死に指揮を執っていた。

 だが、このままではどんなにケイルノームが指揮を執ったところで、花の都リダルーンは落ちるだろう。対応が後手に回りすぎている。城郭に拠ることもできないままドルク族に侵入されてしまっている。守備兵もほとんどが出払っていて、ドルク族を外に押し返す力はない。城壁の中に侵入された時点で、敗北は必至だった。


「父上!」


 アナイは声をあげた。ケイルノームが、眼下のアナイに気が付く。「降伏してください」と言おうとした、その瞬間だった。一筋の銀の煌めきが煙を切り裂いて走り抜け、ケイルノームの胸に突き刺さった。鎧を貫通しているのが、遠目にもわかる。


「父上ーっ!」


 アナイは悲痛な叫びをあげた。ケイルノームがゆっくりと崩れる。手すりに体重を預けながら、アナイの方に向かって手を伸ばす。そこに、次々と矢が射かけられた。ドルク族の弓矢は、高さを物ともしていなかった。煙の中から放たれたとはとても思えない正確な射撃で、ケイルノームの身体に何本もの矢が突き刺さる。ケイルノームは回転して倒れこみ、そのまま動かなくなった。


 その時、すべての音が掻き消え、視界が真っ暗になった。

 意識が飛んだのが、どれだけの時間だったかアナイには分からなかった。何も考えられない、空白の時間があった。


 再び音が戻る。そう長い時間が経ったわけではなさそうだった。わずかな空白の時間があったことで、アナイはいま自分が何をすべきかが、はっきりとわかるようになっていた。

 地下牢の入り口にある鍵束を取って、地下に降りる。ノージェが、心配そうな表情でアナイを見つめていた。アナイは鍵束からノージェの牢の鍵を探した。薄暗い地下牢で、書いてある番号が読めない。やむを得ず、一つずつ鍵を試すことにした。その間にも、たびたび地下牢は激しく揺れた。


「ドルク族の襲撃。兄さん……ここはもう持たない。敵はもう城壁の内側にまで入り込んでる。もうすぐ、花の都リダルーンは落ちる」


 アナイは喋りながら鍵を試し続けた。錆びついた鍵束の中に、手ごたえがある。錠前が鈍い音を立てて外れた。十年もの間、開かれることがなかった地下牢の扉に手をかける。


「今なら! 今なら兄さんは遠くに逃げられるかもしれない! この混乱の中だったら、誰もモンスターにかまけてる余裕はないはず。今だからこそ、兄さんは逃げられる。自由になれる。……地下を出たら、右に向かって、突き当りをまた右。やがて行き止まりに出るから、壁にかかっている燭台を持ちあげて。……秘密の通路よ。そこを通っていけば、城壁の外に出られる」


 ノージェはきょとんとした顔をしている。

 その通路は、代々領主だけに語り継がれる秘密だった。領主ケイルノームは死んだから、もう知っているのはアナイしかいないはずだ。


「早く行って!」


 アナイは叫ぶように言った。ようやくノージェは動く。壁に書いてある「ありがとう」の文字を指さして、アナイに頭を下げて牢を出ていく。

 階段を上る途中で、ノージェは一度振り返った。一緒に来ないか、と言っているようにアナイは感じて、ゆっくりと首を振った。石造りの地下がまた揺れる。パラパラと降ってくる土埃が眼に入りそうになって、アナイは軽く目を閉じた。目を開けたときには、もうトカゲ男の姿はなくなっていた。


 達成感がアナイを支配していた。兄を、運命の流れから外してやった。地下牢で生涯を終えるはずだったノージェが、野に解き放たれたのだ。自分にも、運命を変えられるじゃないか。そう思うと、腹の底からえも知れぬ快感がこみあげてきて、アナイは声を出して笑った。父の死を目撃したばかりなのに、こんなにも笑えることがおかしかった。狂ってしまったのかもしれない。アナイは自分自身でもそう思いながらも、笑うことを自分の意思で止めることができなかった。

 ひとしきり笑い終えると、アナイは地下牢を出た。土埃を頭からかぶってしまっている。戦闘はまだ続いているようだ。馬の駆けまわる音が、近くにまで響いている。


 アナイは階段を上った。父は死んだ。次期領主として、降伏の意思を伝えるのはアナイの仕事になった。

 父の死んだ三階にまで上がり、大広間の扉を開く。すぐ首筋に、長剣の刃があてられた。


「私は領主ケイルノームの子、アナイ。降伏したい。残っている兵にも、もう抵抗しないように言うつもりだ。何かを残していってくれと言うつもりもない。ただ、皆の命を無駄に奪わないでほしい。……剣を下ろしてはくれないか」


 自分でも驚くほどに落ち着いた声だった。兄を逃がしたことで、自分でも知らぬうちに覚悟が決まったのかもしれない。大広間には十人余りのドルク族がいた。カーペットは血で汚れていて、領主の親衛隊が数人倒れていた。開け放たれたバルコニーの先にはケイルノームの死体が転がったままになっている。窓際には侍従たち十人程が集められていて、全員が恐怖にひきつった顔をしていた。


「ほう、見上げた根性だ。――だが、この都市で男を生かしておくつもりはない。後から逆らわれると厄介だからな」

「降伏すると言っているのに、それでも殺すのか。私のことは良い。だが市民は」

「殺す。あいにく、おれたちは蛮族と言われるのには慣れているからな」


 アナイは剣を突き付けてきている男を睨み付けた。顔中に傷跡のある大男だ。例に漏れず戦化粧をしている。男もまたアナイを見た。目線が交差し、アナイは身体の中に氷の矢を突き立てられたような気持ちになった。これが、ドルク族か。あまりに冷たい眼をしている。男が視線を逸らした。アナイは小さく息を吐く。男が、すっと剣を退いた。


「お前……女だな」

「だったら、どうするというのだ」


 ドルク族の男は、アナイの問いに答えなかった。その代わり辺りを見渡して「こいつは、おれがもらう」と言った。


「誰がお前なんかの!」


 アナイは吼えた。男が再びアナイを見据えた。蛇に睨まれたカエルのように、アナイは動けなくなる。


「大人しくしておけば、そこの従者たちも生かしておいてやる。それでも逆らうというのなら、一人ずつ殺す」


 アナイには逆らうことはできなかった。たとえ従者たちを殺すと脅されなくても、逆らえなかっただろう。ひと睨みされただけで、動けなくなってしまったのだ。

 ……自分の無力さが恨めしかった。だが心のどこかで、仕方ないという思いもあった。これもまた運命なのだろう。結局、自分は何もできず、流されていくしかないのだ。無力だ。何もできず、流されるままにすべてを受け入れるしかない。


 こうして花の都リダルーンは、血に染まった。


      :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 頭がぼうっとして、それから意識が徐々に覚醒していく。

 ちょうど、空が白み始めた頃だった。アナイは身体を起こした。隣では、キーグボイスが大きないびきをかいて眠っている。


 今なら殺せるかもしれない。アナイは桔梗の短剣を手に取った。キーグボイスは目覚める気配もない。農業都市ユニケーを落とすために必要だからと、この短剣を返したのがキーグボイスの運の尽きだ。

 鞘から刃を抜き放とうとして、アナイは自分の手が震えていることに気が付いた。――できない。ドルク族は、アナイからありとあらゆる物を奪っていった。父も、平和な暮らしも、市民たちも、財産も、人間としての尊厳も、すべてを奪っていった。キーグボイスは、そのドルク族の王だ。殺す理由は十分にある。でも、動けない。自分に力が足りないことを、アナイは思い知らされすぎていた。


 ふぅ、と息を吐いて、アナイは短剣をしまった。キーグボイスは寝返りを打ち、肩がはだける。アナイはキーグボイスの肩に、そっと自分の毛布をかけた。


 自分はきっと、流されて生きていくことしかできない。

 これまでは、父ケイルノームの作った運命に流されてきた。今度はキーグボイスの作った運命に流されている。


 流れ着く先がどこにせよ、ただひたすら、誰かの作った運命に流されていく。それが自分の運命なのだろう。アナイは空虚さを胸に抱くように、自分の両肩を抱いた。陽は、まだ出ていない。

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