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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
147/163

6-9「今日から、男として生きてもらう」

アナイ

 →花の都リダルーンの領主:ケイルノームの子。(次期領主)

登場話:6-2


キーグボイス

 →『蛮勇王』ドルク族の王にして、最大の実力者。

登場話:6-2

 毎日がお祭り騒ぎのようだ、とアナイは思った。周囲は熱狂に包まれている。誰もがわいわいと騒いでいる。その中で、自分だけがそれから取り残されていた。冷めた心で、ドルク族の野蛮な行いを見ている。


 農業都市ユニケーでの略奪を終えたドルク族は、持てるだけの物を持って、次々と大平原に飛び出していった。ドルク族の戦士たちは自分が乗る馬とは別に替えの馬を連れているのだが、略奪を終えるときには替えの馬まで荷物でいっぱいになる。


 食糧や酒、金目の物はもちろん、女たちも馬車につないだ牢の中に閉じ込めて連れ去っていく。彼らにしてみれば、人の命もモノと同じことだった。自分たちが、力で手に入れたモノ。だからどんな扱いをしても、構わないと思っている。


 アナイは冷めていた。嫌悪感は、さして沸いてこない。

 これがドルク族の一般的な考え方なのだ。力を持つ者が、自分の力の限りにモノを手に入れる。単純明快な考え方だった。とてもアナイ自身は共感できなかったが、理解することはできた。


 キーグボイスは当然のように、アナイにも一頭馬を与え「ついてこい」と言った。アナイは無言のまま頷き、馬に乗ってキーグボイスの後を追う。

 打ち壊された城門を踏み越えて、農業都市の外に出る。眩しい程に、太陽の光が降り注いでいた。青空の下では、磔にされた貴族たちが、恨めしそうな表情で駆け去っていくドルク族を見下ろしている。ホーズン伯爵の姿もあった。アナイは胸の内で、ごめんなさい、とまた呟いた。ホーズン伯爵はうなだれていて、どんな顔をしているのかアナイには分からなかった。


 ドルク族の戦士たちは大平原に出ると、自然と隊列を組み始めた。アナイの周辺をドルク族が囲む。酒を飲みながら馬を走らせる者や、身体中に煌びやかな装飾品を巻き付けている者がほとんどだ。他にも、大声で何かを歌っている者、手に入れた宝石を空にかざして喜んでいる者、馬を走らせながら何かを縫い合わせている者もいた。何をやっているのかと目を細めて見たら、人間の耳を糸で縫い合わせていた。気持ちが悪くなって、アナイはそっと目を逸らす。吐き気を堪えて、馬を走らせることに集中する。

 ドルク族が蛮族と罵られる理由も、彼らと行動を共にしてみて良く分かった。おおよそ文明人とは思えない原始的な快楽を、ドルク族は好む。彼らに倫理や道徳を期待するのが間違っているのだ。自分が楽しいと思うことならば、何でもやる。彼らのルールは簡単だ。強い者が、すべてを手にする。弱い者は、強い者に従う。とても原始的なルールだった。


 ドルク族の野営の準備は素早い。陽が陰り始めると、先頭を走る者がぱっと馬を止める。それに合わせて全軍が止まるのだ。すぐにかがり火が焚かれ、食事の準備が始まる。料理を作るのは、ドルク族の中でも立場の弱い者たちだった。戦利品として連れ去ってきた女たちに作らせるのではなく、あくまで料理は自分たちで作る。毒を怖れているのかもしれない、とアナイは思った。手伝おうとしても、料理にだけは近寄らせてもらえない。

 百人ほどが、寝ずの番で見張りに立つ。アナイには良く分からなかったが、部族ごとに役割として回しているようだった。幕舎は張らず、その代わり、地面に毛布を敷く。見張りに立つ者と料理をする者以外は、それぞれが自由に行動していた。取っ組み合いのケンカを始める者もいれば、肩を組んで何かを歌い始める者もいる。手に入れたルーン・アイテムをいじり回して使い方を調べている者も、酒を煽って早々に眠ってしまう者もいる。


 まるでお祭りのようなバカ騒ぎ。今この瞬間が楽しければそれでいいという感じが、常にドルク族の中にはある。

 彼らは祭りが終わることを考えていない。死ぬまで延々と騒ぎ続け、人生を楽しみ続ける。それが、ドルク族の生き方なのだ。人の一生が短いと知っているからこそ、いまその時を楽しんで生きようとしている。誰かの幸せを押しのけ、奪い取ることに躊躇がない。短い人生の中で幸せを掴むには、すでに幸せな人から奪い取るしかないのだ。少なくとも、彼らはそう考えている。


「来い」


 キーグボイスが言った。アナイは頷いて、キーグボイスについていった。

 彼は、ドルク族の王だった。誰もキーグボイスには逆らわない。アナイが他の「戦利品」たちとは違って、ある程度の自由を認められているのも、王であるキーグボイスが認めているからに他ならない。アナイの自由は、キーグボイスによって管理されている。


 キーグボイスと並んで毛布に腰を下ろした。冬の夜だというのに、つい汗ばんでしまう程に火が近い。


 丸焼きにされた豚が、運ばれてきた。桔梗の短剣を取り出して、丁寧に豚の肉を切り分け、木工細工の施された器に乗せた。香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。キーグボイスは「先に食え」と顎で指示を出してくる。

 アナイは、切り分けた肉にかじりついた。思ったより香草が強くて、むせてしまう。皮袋に入った葡萄酒が差し出され、それも飲んだ。つい二月も前までは酒など飲んだことがなかったのに、もうすっかり慣れてしまった。キーグボイスも肉にかじりつき始めている。


 二人は火のそばで、お互いに何もしゃべらずに食事をとり続けた。アナイは、酔いが回ってくるのを感じた。炎の音が、やけに大きく聞こえる。

 唇に、何かが触れた。目を閉じていてもわかる。これは、キーグボイスの唇だ。アナイは抵抗しなかった。


 ――好きにしたらいい。アナイは薄れていく意識の中でそう思った。アナイは、キーグボイスのモノだった。少なくとも今はそうだ。だから、好きにしたらいい。


      :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 もう十年も過去の話になる。


「今日から、男として生きてもらう」


 父ケイルノームのその一言で、アナイの人生は決まった。アナイはまだ五歳で、何が何だか良く分からないままに頷いた。父がどんな顔をしていたのか、アナイは上手く思い出すことができなかった。視界の端で、母が泣いていたのだけはよく覚えている。


 きっかけは、アナイの兄ノージェが、呪われたモンスターの肉を食べてしまったことだった。

 ケイルノームは大慌てで高名な精霊術師を呼び寄せて、息子ノージェの治療にあたらせた。そのかいもあってノージェは一命をとりとめたが、変わり果てた姿はもう元には戻らなかった。


 トカゲのような頭、やたらと大きな口。眼はぎょろっと飛び出していて、縦に線の入ったような形の瞳孔が左右にせわしなく動く。身体中をびっしりと鱗が覆いつくしており、腕よりも太い尻尾まで生え出している。何よりもケイルノームを絶望させたのは、ノージェが人間の言葉を喋れなくなっていたことだった。声帯の形が変わってしまったのだろう、と治療に当たった精霊術師は言った。そして「一度変わってしまった肉体は、もう元には戻せない」と続けた。


 跡取りとして期待していたノージェの不祥事に、ケイルノームは悩んだ。母など、ノージェに起きた不幸を信じられずに、毒を飲んで自殺してしまった。


 苦渋の果て、ケイルノームは息子ノージェを事故で死んだことにし、次期領主をアナイにするつもりだと発表した。アナイを男だと偽ったのは、花の都リダルーンの利権を守るための決断だったようだ。女を領主に据えると、政略結婚の的にされてしまう。婿の家に都市国家の権利や爵位を乗っ取られる例は多かった。ケイルノームはそれを危惧して、アナイを男として発表した。利権を守るには、次期領主は男でなければならなかったのだ。

 アナイが女であることを知る者はほとんどいなかった。中規模の都市国家などそんなものだ。せいぜい、領主と次期領主くらいの情報しか知られていない。男だと発表がされてから、限られた侍従たちだけがアナイの秘密を知ることとなった。


 こうして大人たちの都合によって、アナイの人生は歪んでしまった。

 アナイはそのことを自然に受け入れてきた。物心がついたときには、すでに何もかも決まっていたのだ。自分は男として領主を継ぎ、兄ノージェはモンスターとして地下牢に閉じ込められる。……そういう風に、運命が定められていた。


 アナイは運命の流れに乗って流されていただけだ。思えば、ずっと流されてきた。何かに熱中したこともない。何かを追い求めてみたこともない。ただ、流されてきた。求められるままに日々を食いつぶしていた。男として生きることを求められてきたから、演じ続けてきた。苦しくはなかった。そういうものだと思い定めていただけだ。用意された流れに乗ってきただけだ。


 ……無為に時間だけが流れているのは、わかっていた。

 これじゃ、誰かに求められた偶像になり切っているだけだ。空虚な心は満たされないまま、誰かに押し付けられた役割を演じ続けている。活力の泉は枯れ果てていた。何もかもを諦めていた。誰かの意思にすべてを委ねていた。


 どうしようもなく心が乾いていた。

 アナイの乾ききった心を理解してくれたのは、兄ノージェだけだった。


 まるでトカゲのような姿になってしまったノージェは、陽もあたらぬ地下牢で読書をして過ごしていた。湿った空気の充満する地下牢だった。蝋の明かりが、薄暗く石造りの壁を照らしている。ノージェには、わずかな光で十分なようだった。とても文字など読めないような暗がりで、彼は本を読んでいるのだ。

 十日にいっぺん、アナイは兄のいる地下牢を訪れた。本と食事を運びこむ。アナイが訪れると、ノージェは壁に書いた「ありがとう」という文字を指さす。ぎょろっと飛び出した目が、薄暗い地下牢で輝く。たしかに、モンスターかもしれない。人間とはとても思えない姿かたちをしている。だけどアナイはノージェの姿を見ると、とても安心できるのだった。


 アナイが持ってきた食事や本を差し出すと、ノージェは長い舌でそれらをぐるりと包み込み、牢の内側に運び込む。そして再び「ありがとう」の壁の文字を指さすのだ。

 異形の姿をしているのに、アナイはどこか愛らしい気持ちになった。


 声の出せなくなったノージェとの会話は、不思議な体験だった。

 アナイが何かを言うと、ノージェは首を動かして反応する。コクコクと頷いたり、良く分からないと首をひねってみたり、それは違うと首を振ってみたりする。


 兄妹だからだろうか、アナイにはそれだけでノージェが何を言いたいのか、わかるような気がした。どんなに姿かたちが変わっても、兄は兄だった。一風変わった兄妹の関係は、十年近くも続いた。

次回まで、アナイの話が続きます。

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