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ユーガリア戦記  作者: さくも
第6章 白霧の中へ
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6-8「でも、止まってしまったら、絶対に約束は果たせない」

 エリザが疲れた様子を見せると、レーダパーラは長居せずに部屋を出ていった。エリザは自分の周りを纏う精霊たちに気づいていたが、レーダパーラは肌でそれを感じたようだった。

 精霊が見えなくても、ささいな仕草や表情で気がつけることはたくさんある。スラムで暮らしていた時はそれが当然だったはずなのに、今では精霊が教えてくれるのが当たり前になってしまっていた。もしかすると、だんだん鈍感になっていっているのかもしれない。精霊がいないと、何もできなくなってしまっているのかもしれない。


 レーダパーラがいなくなると、疲労が襲ってきた。大波に全身が飲まれたように、身体の自由がきかない。自分でも思っていた以上に疲れていた。野営続きの行軍には、まだ慣れていない。

 エリザは何とかベッドまでのそのそと歩き、そのまま身を委ねた。薄れていく意識の中で、メイドたちが食器を片している音が聞こえる。カチャカチャと小さな音が、徐々に徐々に薄れていって、やがてエリザの意識は闇の中に落ちていった。


「ねえ、ティヌアリア」


 まどろみの中で、エリザは話しかけた。心地よい浮遊感がある。身体の力はすっかり抜けていて、エリザはいま自分が眠っているのだとわかった。精霊に慣れたのと同じように、エリザはもう夢の中でティヌアリアに話しかけることにもすっかり慣れてしまっていた。


「私は、多くの人に支えられているのね。支えられて、ようやく立っている」

『誰だってそうよ。助け合い、支え合って生きているの。エリザもまた、誰かを支えてあげているはずだわ』


 ティヌアリアの声が聞こえる。落ち着いていて、それでいて魅力的な声だ。まるで声に魔術でもかかっているんじゃないかと思うくらいに、すべてを委ねてしまいたくなる。

 だからというわけではなかったが、エリザはティヌアリアにだけは何でも話すことができた。他の人には聞かせられないような弱気な内容でも、ティヌアリアには話すことができる。


 自分は女帝なのだ、という思いが、悩んだりうろたえたりすることを封じていた。弱いところを見せちゃいけない。女帝は凛として気高く、人々を従わせなければなならないのだ。弱いままじゃいけない。

 スラムで年長者たちに頼っていた時には、アルフォンやラッセルが不安になる言葉の一つを吐くだけで、とても心配になってしまった。もし、いま自分が弱音を吐けば、それはきっと女帝エリザを信じてついてきてくれているすべての人に心配をさせてしまう。だから、情けない姿を見せるわけにはいかない。


 たとえ何があってもエリザの味方だと言ってくれたレーダパーラにさえ、エリザは心のすべてを曝け出すことはできなかった。きっと曝け出してしまえば楽になるのに、エリザにはそれができなかった。言えば、何かが壊れてしまう。そういう予感のようなものが、エリザを縛り付けていた。

 ティヌアリアだけには、心配をする必要はなかった。帝位に就くという孤独を、ティヌアリアは理解している。


「そうじゃないの。私は傲慢になっていた。女帝だって持ち上げられて、何でもできるような気がしていた。だけど本当は支えられて、ようやく立っているだけなのよ。そのことに、ようやく少しだけ気がつけた」

『……そう』

「違う、って言ってくれないのね」

『たとえ私が違うと言っても、エリザはそう思わないでしょう』


 くす、とティヌアリアは笑った。


「なんでもお見通しなのね」

『そんなことないわ。エリザが何を見て、聞いて、そうやって考えたのか、私にはわからない。……でも、そうね、エリザは強くなったと思うわ。それだけは確かにそう思う』

「そう、かしら。私はまだ何もできていないのに」

『それでもよ。それでもエリザは、役目を果たそうとしているじゃない。あなたが望む方向に世界を導くために、進んでいる。そのために帝位を受け継いだ。……私にできなかった、約束を果たそうとしている』

「……約束?」

『誰も傷つかない世界を作るって、エリザはそう約束をしたでしょう。エリザが自分で決めた、エリザ自身の道。世界を変えると約束をして、それを果たすために進み続けている。そうでしょう?』

「でも、もし道が間違っていたら? 私が前に進むことで、誰かを傷つけ続けていたら? より多くの人を、傷つけることになってしまっていたら?」


 戦場に出るたびにその思いは強くなっていた。いくら戦勝続きと言っても誰かが死んでいるのだ。傷を負った者は、もっとたくさんいる。

 覚悟は決めていた。たとえどんな犠牲が出ようとも、やると決めていた。だけどたまに重圧に押しつぶされそうになる。


『間違っているかどうかは、後になってみないとわからないことよ。もうエリザは道を歩み始めている。その歩みを続けるか、止めてしまうか、それだけの話よ。茨の道だわ。前に進めば、それだけエリザは傷つく』

「でも、止まってしまったら、絶対に約束は果たせない」

『そう思うのなら……』


 ティヌアリアの声が遠ざかっていく。


「うん。わかってる」


 自分の声で、エリザは目を醒ました。柔らかいベッドから身を起こす。カーテンの向こう側は、まだ暗かった。眠っていた時間はそう長くはなさそうだったが、頭は冴えてしまっている。

 カーテンをずらして、夜の魔都を見下ろした。薄紫色の幻想的な光が、ぼんやりと魔都の内部を照らし出し、その上にもやがかかっている。酔っ払って騒いでいる兵たちの姿も見えた。全体的に、もやは落ち着いている。兵士たちの周りでさえ、今日はずいぶん緩んでいるようだ。


 部屋の扉が小さくノックされた。


「どうぞ」

「夜分に申し訳ございません。どうしてもエリザ様にお話をさせてほしいという者が……」

「構わないわ、入れてちょうだい」


 扉が開く。両脇に杖を挟み、身体を支えながら入ってきたのはダントンだった。北海での戦いで、ルイドに入れ替わっていた兵士である。戦いの中で、右膝から下を失ってしまっている。

 エリザは大急ぎで椅子を運び、ダントンを座らせた。


「すみません、お手を煩わせて……。エリザ様にどうしてもご挨拶をしておきたかったのです」

「いいの。それより、ここまで上がってくるの大変だったでしょう」

「ずいぶん時間がかかり、こんな夜中になってしまいましたが、城の兵士たちには顔見知りもおりまして、助けてもらいながら、何とか」


 ダントンはそう言って笑った。どこか、憑き物が落ちたような顔つきをしている。北海で会った時とは、纏っている精霊の雰囲気も違った。


「どうしても、魔都を出られる前に感謝を申し上げておきたかったのです」

「感謝?」

「……私はずっと、自分の運命を諦め続けてきました。運がないから仕方ないと言って、諦めてきたのです。何一つとして、自分の力で変えようとしてこなかった。本来ならば変えられたはずのことさえ、変えてこなかった。何もかも失敗することを前提に考え、運がなかった、仕方がなかったのだと諦め続けて生きてきました。しかし、違うと気がつきました。運があった、なかったなどという話は、やれることをすべてやってみてから言うべき言葉だと、そう気がつけたのです」

「やれることを、すべてやってみてから……」

「そうです。恥ずかしい話ですが、私は何もしてこなかった。ずっと立ち止まって、流されるままに生きてきたのです。しかし、エリザ様のおかげで目が覚めました。そのことを、どうしてもお伝えしたかったのです」

「でも、あなたは右足を失ってしまった」

「右足だけで済んだ、と思うことにしました。この足では、戦場に戻れないのが残念ですが」

「これから、どうするの?」

「牧場を開こうかと思っています。戦場に立てずとも、何か帝国のために働きたいのです。良質な馬を育てることができれば、きっと役に立ちます」


 エリザは頷いた。北海で戦った聖騎士たちは、雪の中でも駆け抜けてくる馬に乗っていた。ああいう良馬を揃えることができれば、帝国軍はもっと強くなる。


「あなたなら、できるわ」


 何か支援を……と言いそうになって、エリザは口をつぐんだ。支援を約束することは簡単だ。だけど、ダントンはそれを望んでいない。言葉の裏に打算を含んでいるなら、言葉を介せば精霊が見えるはずだった。ダントンの言葉に、打算はなかった。ただ本当にエリザと話をしたくて、城を上ってきたのだ。

 また、望まれてもいないのに人の荷物を持とうとしている。悪い癖だ、とエリザは自分を戒めた。


「では、私はこれで……。夜分に、大変失礼しました」


 ダントンが片足で立ち上がったので、エリザは杖を脇に入れるのを手伝った。部屋を出ていくダントンを、外に立っていた兵が支える。


「階段を下りるの、助けてあげてね」


 エリザはそれだけ声をかけてダントンの背中を見送ると、扉を閉めた。


「それで、黒樹(コクジュ)は何の用?」


 エリザは部屋の中を振り返って訊ねた。透明化していた黒樹が姿を現す。ダントンの後ろについて部屋に入ってきたのである。ダントンは気づいていないようだったが、エリザにはお見通しだった。

 ダントンがエリザに危害を加える可能性を考えて、姿を消して入ってきたのだろう。心配してくれるのはありがたいが、あまり良い気分はしない。ダントンは、エリザと二人だと思って話をしてくれていたのだ。


「エリザ様に、お願いあって参りました」


 黒樹の真剣な表情に、エリザは「ふぅ」と息を吐いた。姿を隠して入ってきたことを怒るのは、また今度にしよう。


黒耀(コクヨウ)を、編成から外して欲しいのです」


 その話か、とエリザは思った。黒樹は何としてでも黒耀を戦場に連れていきたくないようだ。しかし、黒樹も肉親には甘いというのは意外だった。他の仲間は連れてきているのに、黒耀だけを外してくれなどと言われるとは思っていなかった。


「それは妹だから?」


 いじわるな質問だ、と思いながらエリザは訊ねた。


「いいえ、違います。そもそも黒耀は妹ではありません。兄さまと慕ってくれてはいますが……」

「それで?」

「黒耀は、特別な存在なのです。おれにとって特別というわけではなく、ダークエルフ全体にとって特別な存在なのです。おれたちは、どうしても彼女を失うわけにはいきません。どうか、黒耀だけは戦場に出さないでいただけませんか……」

「それは構わないけれど……黒耀が頷くかしら」

「エリザ様から直接、何か命令を出してやっていただきたいのです。重要な任務だと念を押せば、黒耀は頷くでしょう」

「なんだか、騙すみたいね。でも、いいわ、明日の朝、レーダパーラの護衛を頼む。それでいい?」

「ありがとうございます」


 深々と頭を下げる黒樹に、エリザは「もう遅いわ。今日は休みましょう。せっかくベッドで眠れる日なんだから」と声をかけた。

ダントン

 →北方面軍に配属されていた兵士の一人。

 →ルイドが戦線を離れた際、代役を務めていた。

登場話:4-18,4-21,4-23あたり

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