6-1「いま最も価値があるのは、この町に住む権利ですよ、父上」
王国軍が出払ってからというもの、農業都市ユニケーの状況はより悪化することとなっていた。
というのも、農業都市ユニケーに集まる民の数は一向に減る気配を見せなかったからである。ホーズン伯爵は農業部を取り潰して民の収容に努めたが、それでも限界があった。やがて城壁の外側を取り囲むようにして幕舎が張られ、それは日に日に増えていった。
逃れてきたのは、貧しい民ばかりではなかった。
爵位を持つ者や、商いで成功した者たちも多く、彼らは事あるごとに農業都市の内部に居を構えさせろと迫った。ユニケーは二重の防壁に守られた都市であるが、外側の壁には城門が一つしかない。その前にまで来て、貴族たちがそれぞれに陳情を述べるのである。兵士たちは一件一件「確認を取る」と言い続けて時間を稼いでいた。
「このままでは、どうやっても住居が足りん……」
かといって、爵位を持つ者たちを蔑ろにすることもできない。農業都市ユニケーはルノア大平原に位置する都市国家の一つに過ぎず、近隣の都市国家とは浅からぬ縁を持っている。ここで彼らを拒絶するようなことがあれば、恨まれてもおかしくはない。そうなれば、平時に戻った時に農業都市ユニケーだけがルノア大平原の中で孤立することになってしまうだろう。商人たちにも見放されるようなことがあれば、都市国家として大きな打撃になってしまう。
そうなった時、特に心配なのが貿易による利である。セントアリア地方とルノア大平原をつなぐ道は二つ。セントアリアの南からリッケンディア石橋を越えてルノア大平原南東部に出る南周りのルートと、リガ山脈を越えて大平原の北東部に出る北周りのルートである。農業都市ユニケーはこの北周りの道にあるということで、大きな利益を上げていた。
ここで商人や周辺都市の有力者たちを敵に回すようなことがあれば、彼らは今後、南周りのルートを主要にすることになるだろう。それでは、農業都市ユニケーにとって無視しがたい損失を出すことになってしまう。
有力者たちや大商人たちは、都市の内部で保護するような形を取らなければならない。そうでなければ、今後の経済的損失は計り知れない程に大きな爪痕を残すことになる。
だが、現実として住居は足りない。
ホーズン伯爵は温厚で知られていたが、決断力は持ち合わせていなかった。爵位を継いでから先、とりたてて大きな問題も起きなかったので、のらりくらりと領主の座にいただけなのである。八方美人を演じて、ルージェ王国にも周辺都市にも良い顔をしておくのは得意だったが、何かを選ばないといけない局面になると途端に弱くなる。
「父上、もう限界です。城壁の内と外を行き来する商人の荷馬車に潜り込む者まで出てきています」
言ったのは、ホーズン伯爵の息子ベルーロである。決断力の乏しいホーズン伯爵に代わって、現場で細かい指示を出すようになっていた。
「では、どうすればいいのだ。すべての民を受け入れることはできないのだぞ」
「城壁の内部に残っている王国騎士団にも、野営を頼んでみましょう」
ランデリードは二万の兵を残していった。それから集まってくる民に混ざるような形で、百、二百の規模の騎士たちが次々合流し、今では三万を超える軍になっている。彼らは城壁の内側と外側で、半数ずつに分かれて展開していた。
「どうせ、敵が来るとしたら外からなのです。この非常時であれば、さすがの王国騎士団も嫌とは言えぬはず。彼らが外に出てくれるだけで、一万人以上が都市の内側に入れます」
ホーズン伯爵は舌を巻く思いだった。息子の施策は理にかなっており、魅力的な提案に聞こえる。許可を出すと、ベルーロはすぐに王国騎士団と交渉にあたって、全軍を城外で野営する方向で話をまとめてきた。
続いてベルーロは臨時徴税を提案した。それほど高い税ではない。だが、貧民には堪えるだろう。
「必要なのか?」
「税が不足しているから行うわけではありません。これは選別のための徴収です」
「選別……?」
「ええ、民を選別するのです。この農業都市ユニケーにとって有益な人物たちを保護し、逆に不要な人間を切り捨てる。こんなはした金も払えないような貧民など、残しておいても仕方がありませんよ。彼らを追い出し、住居を空ける。入居希望者は外に大勢いるのです。貧民たちと、使えそうな人間を入れ替えるには、絶好の機会だと思います」
ホーズン伯爵は、目を丸くしてベルーロを見た。言いたいことはわかる。それが、理にかなっていることもわかる。だが、いくら何でもやりすぎではないのか。元々住んでいた者たちを、城壁の外に追い出すというのか。
「いま最も価値があるのは、この町に住む権利ですよ。これを上手く使わない手はない。父上……私に任せてはもらえませんか」
ホーズンは悩んだ末、ベルーノにすべてを任せることに決めた。どうせ、もう何年かしたら、爵位とともに統治権もベルーノに譲るつもりだったのである。少し過激なところはあるが、為政者としてはそのくらいがちょうどいいのかもしれない。自分が思っている以上に、ベルーノは大きくなっていた。そういうことなのだろう。
王弟ランデリードが戻ったら、爵位を譲ることを認めてもらおう。ホーズン伯爵はそのように考えて、いったん統治をベルーノに任せてみることにした。
花の都リダルーンが壊滅したという報告が入ってから、ひと月以上が経った。いまのところ、ベルーロの施策は上手くいっているようだ。ホーズンと違い、ベルーロは即断即決という形で物事を決めていく。金の使い方が、とてもうまかった。城壁の中に入ってきた大商人たちや貴族たちには、自費を使って住居の改修を行わせた。臨時徴税で集めた金を使って貧民街を整理再編し、新たな農業区画を作った。城壁の外側で募集をかけ、農業に従事できる体力のある者たちを門の内側に招き入れる。
都市の内側と外側で、経済格差が広がっていく。ベルーロの手で必要ないと切り捨てられた者たちが、門の外で生活しているのだ。
門の外での生活を強いられた人々は、どうやって生きていくのだろう。ルノア大平原には、モンスターも出る。今はまだ王国騎士団がいるから良いが、彼らがいなくなってしまったら、門の外の人々はどうやって生活していくつもりなのだろう。
ベルーロは何か考えを持っているのだろうか。やがて、この動乱が収まれば城壁の内部にいる貴族や大商人たちは町を出ていくだろう。……そうなるまで、城壁の外で暮らす人々は、食いつないでいくことができるのか。
ホーズンは、考えるのをやめた。息子に任せると決めたのである。腹を括って見守るべきだった。
城壁の中に入れることを決めた有力な貴族や大商人たちとは、積極的に会うようにした。これから先、農業都市ユニケーは息子のベルーロに譲るつもりである、という内容を話した。できるだけベルーロも同行させて、挨拶させた。こういうつながりが、これから都市国家の代表となった時に役に立つ。
「花の都リダルーンの領主ケイルノームの子、アナイと名乗る者が城門の中に入れてほしいと願い出てきております」
この報告が入ったとき、ホーズンはとても驚いた。花の都リダルーンは、ドルク族に破壊しつくされたはずだ。その領主の子が逃げ延びて、ひと月も旅をしてここまでやってきたというのか。
「姿は確認したか」
「はい。城門の上から確認を取りました。年の頃は十五といったところでしょうか。土埃で汚れてこそおりましたが、藍色の髪に、翠玉のような瞳をした、どこか気品のある少年です。桔梗の花のあしらわれた短剣の鞘をかざして、これが証拠であるとお伝えしてほしいと」
ホーズン伯爵は「よかった……」と呟いた。聞いた特徴の限り、本物のアナイのようである。
アナイのことは、良く知っているわけではない。だが彼の父ケイルノームとは学友である。花の都リダルーンが壊滅したと聞いて、領主一族は皆殺しにされたのだろうと思い込んでいたのだが、アナイだけは一人生き延びたのかもしれない。ひと月も流れ流れて、ようやくユニケーにまでたどり着いたのだろう。苦難の連続だったに違いない。花の都リダルーンから逃れることができた者は、これだけ集まってきた民の中でも極少数なのである。
「すぐに会いたい。門を開いて、中に入れてやっておくれ。そうだ、ベルーロにも立ち会わせよう。ケイルノームのご子息ならば、じきに子爵位を継ぐことになるだろうし……」
ホーズンは独り言のようにぶつぶつと呟きながら、準備を整えた。すぐにベルーロと合流し、城内に迎え入れられたアナイたち一行に会いにいく。
二十名程の集団が、城門をくぐって入ってきた。全員がフード付きのローブを着こんで顔を隠している。大男が十人程で、残りの十人は女子どものようである。逃げてくる途中で傭兵を雇ったのか、それともリダルーンの兵士の生き残りなのかだろう。モンスターも出る大平原を、旅して抜けてきたのだ。そのくらいの備えはむしろ当然と言えた。
先頭にいた少年がフードを取る。藍色の髪が、太陽を反射して輝く。兵の言っていた通り、土埃で汚れてはいるが、どこか気品を感じさせる顔立ちをしている。
「初めてお目にかかります、ホーズン伯爵」
間違いなく、ケイルノームの子だとホーズンは思った。少年の頃のケイルノームと、良く似ている。
「花の都リダルーンが壊滅したと聞いてとても心配していた。よく……よく無事に逃れてきてくれた。つらい旅路だったろうが、もう安心してほしい」
ホーズンは喋りながらアナイに近づいた。自分の眼が潤んでいるのを感じている。ケイルノームの子が、生きていた。学校を卒業してからは互いに領主となって、会うことはなかった。それでも同じ学校で学び、青春を共にしたかけがいのない友の子である。
アナイが、短剣を取り出した。鞘には桔梗の花があしらわれている。間違いない、それはケイルノームが少年時代に、自身で細工したものだ。
それを持っていることが、何よりもケイルノームの子であることを証明している。つもる話はいくらでもあった。ケイルノームたちは無事なのか、花の都リダルーンでは何があったのか。それはアナイ自身の口からいずれ聞けることだろう。だがそれよりも何よりも、生きていてくれたという感動が先に来た。
「ごめんなさい、ホーズン伯爵」
感動的な再開に似合わぬ、冷たい声が聞こえた。アナイの声だ、と思った直後、ホーズン伯爵は首筋に冷たいものが突きつけられるのを感じた。
「こ……これはどういうことだ」
アナイが、ホーズンの首先に短剣を突き付けていた。
「ごめんなさい」
アナイは繰り返す。驚くほど感情の読み取れない無機質な表情である。何が起きたのかわからないホーズン伯爵の前で、アナイの連れてきた十名の大男たちがフードを取った。
全員が、顔に戦化粧をしている。
「ドルク族――!」
ホーズンの後ろで、ベルーロが呻くように言った。すぐに兵士たちに指示を出そうとするが、ドルク族たちの方が早かった。すぐにホーズンの視界から十名全員が消えたと思うと、打撃音や風を割くような斬撃の音、血しぶきが舞う音が聞こえて、すぐに静かになった。
「ち……父上……」
後ろから、ベルーロの声が聞こえる。ホーズンは息子の安否を知りたかった。だが、首筋に短剣を突きつけられていて振り返ることはできない。
ホーズンの首筋に短剣をあてているアナイの表情からは、なにも読み取ることができなかった。




