5-46「民の望む英雄を、仕立て上げるのです」
ジャハーラが目覚めた、と聞いたときには、すでにスッラリクスは覚悟を決めていた。城塞都市ゾゾドギアに籠るというスッラリクスの作戦は、失敗している。王国軍が退いて、目先の敵がいなくなった以上、誰かが処分を受けなければならないだろう。それが間違いなく自分になる、ということをスッラリクスは理解していた。
その場でジャハーラに殺されるかもしれない。スッラリクスはそう考えていた。それだけの失態は重ねている。ゾゾドギアへの強行渡河で多数の犠牲を出した。その際に提言した決死隊のほとんどは戻っていない。ジャハーラもまた右腕を失っている。その上、ゾゾドギア籠城では兵と民の軋轢を止められず、多くの民を失った。
ジャハーラには苛烈なところがある。魔都クシャイズでは、王国貴族たちを磔に晒して殺した。そういう見せしめが効果的なことを、ジャハーラは知っている。民の反感を抑えるため、誰かに責任を負わせることは十分に考えられる。そうなった時に、真っ先にやり玉にあがるのはスッラリクスだろう。責任のある立場なのだ。処断される覚悟は、できている。
「王国軍を退かせ、クイダーナの赤い大地を守った。良くやった。良く、もちこたえてくれた」
ジャハーラは、予想に反して全員の労をねぎらった。威厳は残していながらも、どこか穏やかな声だった。
「しかし民と兵が反目し合う状態は好ましくない。民が、帝国支配を信じられなくなってしまえば終わりなのだ。何とかしなければならん。軍師殿、何か案はあるか?」
私の意見で良いのですか。思わずスッラリクスは訊き返しそうになり、ジャハーラの眼を見つめた。灼熱を閉じ込めたような、真っ赤な瞳。
あてにされているわけではない。試されているのだ。
こういった事態になってしまったことをどうこう言うつもりはない。予期せぬ結果になった。それで、これからどうする? 失態だと思っているのなら、どうそれをカバーする? ジャハーラの言葉の裏には、そういうものがある。ジャハーラは、まだスッラリクスが軍師として機能するかどうか見極めようとしている。使い物になるかどうかを、知ろうとしている。
スッラリクスは数秒だけ目を閉じ、それから口を開いた。
「――英雄を仕立て上げるのです。民の望んだ姿の英雄を。それで、人々は言うことを聞きます」
ほう、とジャハーラが口角を釣り上げて微かに笑う。こういうところは、ルイドに良く似ていた。
「虚像の英雄を作り上げるというのだな」
「そうです。軍の中に、民に支持される希望を作り上げるのです」
ジャハーラは、スッラリクスの言わんとしたことを理解したようだ。しかし、ジャハーラの子どもたちは何を言っているのかわからない、という顔をしている。
「続けろ」
「はい。今我々は、民の信頼を失いつつあります。ゾゾドギアから出て行った民を見捨てたのだ……という風潮が、それを強めてしまっています。今はまだゾゾドギア、ジーラゴンの周辺だけの話ですが、これがクイダーナ全域に広がってしまえば、帝国軍の立場はとても弱くなってしまう。協力してくれる者たちも減ることでしょう。これを防ぐために、あらゆる罪をラールゴールに背負っていただきます」
「ゾゾドギアへの補給を断っていたのは、領主ラールゴールだという事実を教えてやるのだな」
「そうです。出て行った者たちの大半は、渡河すればラールゴールが助けに来てくれていると信じていました。しかし実際にはラールゴールの助けはなかった。ラールゴールには、最初から助けるつもりなどなかったのです。それどころか、輜重隊の報告によれば、水門の罠を作動させてワニを川の西側におびき寄せるようなことさえしていました。――つまりラールゴールは、自らを慕ってくれている民をワニの餌にしたのです」
「しかし、民はその話を信じない」
「そのための、虚像の英雄です。何かにすがりたいと思っている民衆の心理を利用します。彼らが望むような英雄を仕立て上げるのです。英雄の言葉ならば、民は素直に聞くでしょう」
「つまり?」
「悪逆非道な領主ラールゴールから、民を救い出そうとした英雄。これが大まかな筋書です。そしてその英雄は、帝国軍の内部にいる。民は彼を支持するでしょう」
アーサー、カート、ナーランが息を飲む。ゼリウスの長い髪が揺れて、口元が見えた。ゼリウスは笑っているようだ。
「虚像――というのは言い過ぎかもしれません。ラールゴールが王国軍に内通していたのは事実です。輜重隊が閉じ込められ、ワニの餌にされたのもまた事実。軍が強行に渡河してきたと思い違いしたのかもしれませんが、ラールゴールは水門の罠を作動させました。これに対し、輜重隊のメンバーは勇敢にも自力で水門の罠から脱出し、ラールゴールを止めようと動きました。これが英雄でなくて何でしょう」
スッラリクスは大仰な手ぶりをつけて語った。実際にラールゴールを殺したのはダルハーンの手の者だったが、それは言わなかった。ダルハーンとは、秘密にしておくという約束をしてある。輜重隊の誰かがラールゴールを殺した。そういう話になっているはずだ。
結果はどうあれ、窮地に手を貸してくれたダルハーンを裏切る気にはなれなかった。今はゾゾドギアのどこかに身を潜めているはずだが、船の利用が一般にも回るようになれば、民の動きに合わせてどこかへ消えていくだろう。
「英雄の条件は、十分に揃っているではないか。まさに民の味方だ。そういう人物が、帝国軍内にいる。それだけで軍に対する不信感はずいぶんぬぐえる。軍そのものは信用できなくとも、その英雄のことは信じるというわけだな。……なるほど、考えたものだ。輜重隊の生き残りたちは全員大々的に表彰し、それなりの地位に昇格させてやるとしよう。問題は……その中にこちらでコントロールできる人間かどうか、というところだな」
「候補は、すでに出しています。実際に、英雄的行動をとった人物がいるのです。諦めずに自力で地下牢を抜け出し、輜重隊を率いてラールゴールの館を襲撃した少年が。しかも彼は、ラールゴールの船を奪って民を救おうとしました。不幸にも船は転覆してしまいましたが、彼の行動には目を見張るものがあります。奇跡的にジーラゴンに流れ着き、今は輜重隊の仕事でゾゾドギアに来ているはずです」
想い人を探しにゾゾドギアに来た、という情報も入っていたが、スッラリクスは言わなかった。英雄に必要なのは、人間臭さではない。どうせ虚像なのだ。
「ほう。なかなか骨があるではないか。英雄に祭り上げるのに、良い人材かもしれん。……そいつの名は?」
「ラッセルという名だと聞いています」
ナーランが「ラッセルですって?」と驚いた。
「知っているのですか?」
「え、ええ……。そうですか、ラッセルが……」
「ナーラン殿から見て、ラッセルという人物は信頼できますか? 英雄として祭り上げるのであれば、人格は把握しておきたいのですが」
「それは、大丈夫だと思います。ラッセルなら信用できる。正義感の塊のような男です」
決まりだった。ゼリウスがまた、無言のまま笑ったようだ。青い髪が揺れる。
「ナーラン、お前に頼もう。そのラッセルという男を、おれのところに連れて来い。直接、話をする」
ジャハーラが言い、ナーランは「はい!」と勢いよく返事をした。




