5-42「ゾゾドギアを落とす、またとない機会かもしれん」
城塞都市ゾゾドギアの影が仄かに照らし出されている。夜だというのに城壁の影が見えるということは、その反対側に光源ができているということである。リズール川を挟んで、反対側で何かが起こっている。
ランデリードはそれを見ながら、ヴァイムを出してしまったことを後悔し始めていた。ゾゾドギアの反対側で何が起きているのか、ジーラゴンにいるヴァーリーの情報があれば把握することができる。だというのに、タイミング悪くヴァーリーと共鳴する能力を持ったヴァイムがいない。ヴァイムを出さず、もう少し様子を見ておくべきだった。二十日以上も動きがなかったので、油断をしていたのかもしれない。
「後悔先に立たず、か」
呟きは、夜風に流されて消えた。眩い程の光が、辺りを一瞬だけ照らす。ゾゾドギアの城壁で、炎が上がっている。爆発音は遅れてやってきた。
ゾゾドギアでも、何かが起こっている。ランデリードはデュラーに命じて、見張りを強化させた。
「いつでも出撃できるよう、船に兵を乗せておけ。ゾゾドギアを落とす、またとない機会かもしれん」
ゾゾドギアに詰めているジャハーラ軍を壊滅させることができれば、今後のクイダーナ帝国との戦いは大きく有利になる。退却を許さず、ここで壊滅に持ち込んでおきたい。もしランデリードの予想通り、ジャハーラが動けない状況にあるとすれば、敵はゾゾドギアから動けないだろう。だがジャハーラが死んでしまえば、帝国軍はなりふり構わずにリズール川を渡ろうとするだろう。いま、ゾゾドギアの反対側に見える明かりは、帝国軍が退却している明かりなのか。そうだとすれば、今が好機ということにはならないか。
情報が足りない。帝国軍が撤退に動いているのでなければ、船を動かすのは危険だった。敵に船を奪われてしまえば、それこそゾゾドギアの補給路を回復させてしまうことになりかねない。
ヴァイムは、まだ帰らない。ゾゾドギアの城壁で、再び爆発が起きる。戦闘が行われているのかもしれない、とランデリードは思った。潜入しているヴァイムの身に、何かがあったのかもしれない。
爆発が消えた。城壁の上を、ちょろちょろと松明の火が動くのが見える。城壁での戦闘は終わったようだ。もしあれがヴァイムならば、無事に逃げ切ってくれていることを祈るしかない。
「ランデリード様、火が見えます」
見張りの兵が近づいてきて言った。
「おれにも見えている」
ゾゾドギアの城壁をじっと見ながら、ランデリードは答えた。ヴァイムの乗った小舟が渡ってくるのを、待っている。
「火が見えるのは、東からです」
「なに?」
ランデリードは振り返った。火は見えない。まだ、見張り台からしか見えない距離のようだ。
「敵か?」
「わかりませんが、速度から推察するに騎馬隊です」
「数は?」
「少なくとも一万数千……いえ、二万近いです」
「二万だと?」
ありえない、どこの軍勢だ。帝国軍が奇策を用いて、背後に兵を回したというのか。だが、それでも用意できて一万騎だろう。クイダーナ帝国の戦力など、たかが知れている。
「間違いないのか。数を多く見せているだけではないのか」
ランデリードが訊ねた時、ちょうど東の空に光が走った。太陽が顔を出したような光――間違いない、精霊術だ。これほどの光を放てるのは、純血種だけだ。『青眼の白虎公』ゼリウス以外に考えられない。
「間違いありません! 数は二万! 馬だけで数を多く見せているのではありません、兵を乗せた、騎兵が二万です!」
背筋に、冷たいものが走る。帝国軍はこれを待っていたのか。だから補給を断たれてなお、ゾゾドギアから動かなかったのか。
二万もの軍勢をどうやって背後に回したのか、ランデリードは考えるのをやめた。敵が近づいてきている現実に対処しなくてはならない。
「敵襲だ、寝ている者を全員たたき起こせ!」
再び、東の空に閃光が走る。ランデリードは考えた。帝国軍が背後に回ったとして、なぜわざわざ位置を知らせてくるのだ。明かりを消して奇襲を仕掛けた方が、何倍も効果があるはずだ。
「もう一度、見張りに確認をさせろ! 敵がどうして光を飛ばしているのかを知りたい」
指示を飛ばした。船に詰めさせている兵たちも、陸に戻す。デュラーに命じて、急いで防御の陣を組ませる。西側にばかり備えをして、東側の守りは薄い。だがデュラーなら、何とか防御線を構築できるだろう。
「報告致します! こちらに近づいてきているのは、二軍! クイダーナ帝国軍と……ドルク族です!」
「ドルク族だと? 間違いないのか」
「ま、間違いありません! 魔族に劣らぬ巨体に、戦化粧……間違いなく、ドルク族です。帝国軍とドルク族が交戦しながら、ものすごいスピードでこちらへ向かってきています! あの光は、魔族がドルク族に向けて放っている攻撃のようです」
ランデリードは戦慄した。ドルク族は、ルノア大平原の南東に閉じ込めていたはずである。包囲に、穴をあけられたのか。そうだとして、なぜ報告が入らない。……伝令よりも早く、ここまで駆けてきたというのか。
「急ぎ、デュラーに伝えよ! やつらの突破力は、魔族以上だ! 重装部隊を間に合わせろ!」
東側を手薄にし過ぎたことを、ランデリードは激しく後悔していた。馬止の柵も用意していない。あまりに脆い後方を衝かれた格好である。
「叔父上、私も戦います!」
準備を整えたオールグレンが、勇み足で飛び出していこうとする。
「王子、いけません! 私のそばにいて、指揮を助けてください」
ランデリードは、何とかオールグレンを制止した。前の戦いで、一度オールグレンを失いかけた。いま飛び出すのを許してしまえば、今度こそ本当に失ってしまうかもしれない。オールグレンはしぶしぶと言った顔で、ランデリードのそばに戻る。
ついにランデリードの位置からも敵の姿が見えた。闇夜に青い長髪をたなびかせた男が、先頭を駆けている。小指の先ほどの大きさにしか見えていないはずなのに、ランデリードにはゼリウスの口元が読み取れた。笑っている。ゼリウスが片手を上げた。閃光が走る。辺りが照らし出される。ゼリウスが、振りかざした手を真っ直ぐランデリードに向けた。一直線に、騎馬隊が突っ込んでくる。
防御の陣は、完成していなかった。デュラーの責任ではない。敵の移動が、速すぎるのだ。ゼリウス軍の後ろに、一万数千の明かりが灯る。ドルク族だ。
「くそっ! 敵を食い止めろ! 両軍が戦い合っているということは、ドルク族の狙いは帝国軍だ。帝国軍の動きさえ止めてしまえば、ドルク族と挟撃の格好に持ち込める!」
ゼリウスの帝国軍さえ潰してしまえば、全軍でドルク族にあたればいい。ゼリウスの狙いは、三つ巴の戦いに持ち込むことにあるはずだ。そのために、ドルク族をわざわざ引き連れてきた。光を放っていたのも、攻撃というよりは、位置を知らせてドルク族が追いかけてこられるようにしていたということだろう。
ランデリードは急いで指示を出すが、間に合うはずもなかった。デュラーの率いる前衛が、矢を放っている。だが強風が吹きすさび、矢はことごとく軌道を逸れてしまう。
王国軍の前衛を、ゼリウスの帝国軍が貫いた。ゼリウス軍の勢いは止まらない。中衛の部隊が止めようと動くが、精霊術で牽制されて動けずにいる。暴風が巻き起こり、あちこちでかがり火が倒れた。幕舎に火が付き、ゼリウスの騎馬隊が陣の中を荒し回る。
続いて突進してきたドルク族が、穴の開いたデュラーの部隊に喰らいついた。獰猛な獣が暴れまわっているような戦い方だ。デュラーは何とか反撃しているが、ドルク族の勢いは止められない。つい数刻前までの静寂が嘘のようだった。一瞬で、王国軍の野営地は戦場と化していた。
ゼリウスの率いる帝国軍が、ついにランデリードの本陣へ向かってくる。さすがに、近衛兵たちは良く持ちこたえた。一撃で崩しきれず、ゼリウスの部隊が離れていく。ランデリードは息を吐いた。ゼリウスの部隊を、取り囲めないか。数では圧倒している。ジャハーラと戦った時のように、精霊術が使えなくなるまで打ち切らせてしまえればいい。何か、弱点はないか。
ゼリウスの部隊を目で追った。灰色の騎馬隊が、特に動きが良い。人体でいう関節のような役割をしている。ゼリウスの意思を全体に共有し、軍を動かしているのだ。あの灰色の騎馬隊を狙い撃ちできれば、ゼリウス軍はまっとうに機能しなくなる。
灰色の騎馬隊を狙え――そう指示を出そうとしたとき、一角獣が眼に入った。赤髪をたなびかせた女性が、跨っている。
「ディスフィーア!」
隣にいたはずのオールグレンが、一角獣に向けて馬を走らせる。
「危ないっ!」
ランデリードは甥を追いかけて馬を出した。近衛兵たちが、驚いた顔をしている。オールグレンは、一角獣に向かって走っていく。味方の陣の一角が崩されて、ドルク族が前に出てきた。巨体の男が、信じられないほどに巨大な棍棒を振り回している。ランデリードは馬を飛ばした。味方の死体を踏みつけ、前に出る。オールグレンを、ここで失うわけにはいかない。
オールグレンとドルク族の間に、ランデリードは飛び込んだ。棍棒が、胴体にめり込む。身体が宙を舞った。痛みは感じない。味方の驚愕した顔が、スローモーションでいくつも映る。兵たちの顔に混じって、オールグレンの顔もある。良かった、王子は無事のようだ。
灰色の騎馬隊を狙え。宙を舞いながら、ランデリードはそう指示を飛ばそうとした。声は出ない。痛みが、遅れてやってきた。意識ははっきりしているのに、身体は動かない。地面にたたきつけられる感覚。衝撃に、ランデリードは気を失った。
※申し訳ありませんが、4/11(土)の更新はおやすみいただきます。次回更新は4/18(土)となります。よろしくお願いいたします。
ランデリード
→ルージェ王国軍の騎士団長。王弟。
オールグレン
→ルージェ王国の王子。ランデリードの甥。
デュラー
→ランデリードの腹心。