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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
130/163

5-40「船はやれないんだ。必ず助けるって、そう決めたから」

 鍵束を受け取ったラッセルは夢中で階段を下りた。船さえあれば、マリーナを助けられるかもしれない。他のことなどまったく考えられないほど直情的に、ラッセルは走った。


 ちょうど一階に降り立った時、入り口の方で争い合う音が聞こえた。輜重隊の仲間たちが武器を見つけて駆けつけてくれたようだ。まだ残っていたラールゴールの私兵たちと戦闘になっている。ラッセルは仲間たちの戦いを尻目に、地下への階段を探した。


「これ……お前が一人でやったのか? おい、待てよラッセル!」


 仲間の一人がラッセルの姿に気が付いた。声をかけられたが、ラッセルはそれを無視した。声をかけてきた仲間も、ラッセルを追う余裕はないようだ。ラールゴールの私兵たちとの戦いが、激しさを増している。階段を見つけたラッセルは必死に駆け下りた。


 地下へ続く階段は螺旋状になっていた。ラッセルはできるだけ物音を立てず、耳を澄ましながら下った。ルーン・アイテムで足元が照らされているのは途中までだった。壁に手をつき、道を確認しながら前に進む。階段を下りきると、細い通路に出た。仄かな明かりが、奥から漏れてきている。


 ラッセルは慎重に進んだ。泥の臭いが、通路の中に充満している。通路の先がリズール川につながっていることをラッセルは確信した。この先に、船が隠してあるはずだ。


 鍵束を握りしめ、前に進む。泥の臭いがきつくなってきた。通路の先で揺らめく光は、川で揺れている松明の炎のようだ。ゾゾドギアの住民たちが灯す、炎。


 ラッセルはそこで違和感を覚えた。もらった鍵を使っていないというのに、川に出てしまった。扉は、最初から開いていた。


 気が付いたラッセルは慎重に進むのをやめた。誰かが、先に船を奪おうとしている。そうとしか考えられなかった。細い通路を抜ける。


 ラッセルは広い所に出た。川に面した洞穴の中のようだ。


(船! 船はどこだ!)


 川の向こうで揺れ動く松明の光に隠れるようにして、小舟が一艘浮かんでいるのが見える。既に洞窟の中を離れて、川に出てしまっている。


 ラッセルは舌打ちをして洞窟の中を走った。小舟はせいぜい六、七人乗りくらいの小さな物だ。オールを漕いで川に繰り出そうとしている人影は一つ。女性だ。胸元がはだけているのも気にせず、シーツを頭からかぶって、必死の形相でオールを漕いでいる。ラールゴールの部屋にいた女だ――と、ラッセルは気が付いた。よりにもよって、自分が逃げるのにその船を使おうというのか。


 洞窟の先まで駆け寄ったラッセルは、ポケットから三角錐を取り出して女の人影に向かって放り投げた。夜の川辺を、銀色の煌めきが走る。「ぎゃ!」と声が聞こえて、女が船の中で倒れるのが見えた。三角錐は、女の腹部に突き刺さったようだ。


 ラッセルは糸を手繰り寄せて、川に身を投げた。何としても船を手に入れなくてはならない。


      ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 ヴァイムは城壁の上を飛び回るようにして逃げていた。退路は十全に確保してある。あらかじめゾゾドギアの城壁で見張りにつく兵たちの夜食には、強力な眠り薬を仕込んでいた。城壁の一部に、斜めに崩落した箇所がある。そこを途中まで滑るようにして下り、壁上に空けられた穴に手をかけて下の層に飛び降りる。


 ゾゾドギアの城壁は三重構造になっている。川に挟まれた堅城ではあるが、建造からの月日で崩れている部分も出てきている。侵入されないように修繕を施した跡はあったが、ヴァイムの腕ならば十分に退路となり得る。


「待て!」


 ずいぶんとしつこい男だとヴァイムは思った。燃えるような赤髪、おそらくジャハーラの息子の一人だろう。年齢から判断すれば、最若年のナーランだろうか。

 ナーランは下の層に逃げたヴァイムに向かって、火の球を何度も飛ばしてきた。眠っている見張りの兵を蹴っ飛ばして起こし、大声を張り上げてヴァイムの逃げた先の階層の兵たちまで呼びつけてくる。実に迅速な指示だった。


 ランデリードからは、ジャハーラを暗殺する必要はないと言われていた。ヴァイムも当初そのつもりでいたが、食糧問題が噴出して、民衆と帝国兵が決別したことで考えを改めた。帝国兵は疲労がたまっている上に、内側にも敵を抱える格好となってしまった。ゾゾドギアの市街地にも兵を出し、川を渡ろうとする民衆たちが暴動を起こさぬように出動している兵もいる。


 これはチャンスだ。今ならばゾゾドギアの城内に兵は少ない。ジャハーラの容態を確認するだけでなく、機会があれば暗殺まで狙う。上手くいけば、民衆の中に暗殺者がいたと勘違いして、帝国軍と民衆の軋轢はよりひどい物になるだろう。

 ヴァイムは十分に退路を確認して、暗殺に臨んだ。成功の見込みは低い。暗殺はあくまで努力目標で、ジャハーラの容態を眼にすることを第一目標とした。想像以上に病室の警備は薄かった。病室に入った時、ナーラン一人がジャハーラの周囲にいたのを見て、運が良いと思った。しかしいま、そのナーランに追い回されているから果たして運が良かったのかどうかはわからない。


 ナーランの放った火の球が、ヴァイムのすぐ脇で破裂した。熱風が頬を焼く。ヴァイムは舌打ちをした。相手がナーランでなければ、もうとっくに小舟にたどり着いているはずだった。

 だが、まだ間に合う――。次の階層に飛び移ることさえできれば、後は崩れた斜面をすべっていけば、小舟に着地できるはずだ。


 崩れている部分から、三つ目の階層に向かって飛んだ。

 その時、ヴァイムは腹に何かが突き刺さる感触を味わった。空中で自分の腹を見る。何もない。――これは自分の感覚ではない。ヴァーリーの痛みだ。ヴァイムは身体中から力が抜けていくのを感じた。焦りと恐れが入り混じっている。違う、これはヴァイムの感情ではない。ヴァーリーの感情だ。痛い。腹に突き刺さった異物が引っ張られている。ヴァイムは、いやヴァーリーはその異物を引き抜こうとするが、抜けない。


 ヴァイムは着地に失敗し、第三階層の城壁に頭を打った。視界が回り、身体がぐらつく。顔の周りが、やけに濡れているように感じる。汗……いや違う、血だ。頭が切れてしまったのか。意識がぼやける。これはヴァーリーの感覚なのか。それとも、ヴァイムの感覚なのか。腹が痛い。視界が回っているだけではない。身体もまた、回っている。


 一瞬、心地よい浮遊感に包まれた。近くで何かが爆発する。肌がひりつき、浮遊感は落下する感覚に置き換わった。暗い。何も見えない。


 ぼちゃん、とあまりにあっけない音がして、ヴァイムの身体はリズール川に落下した。


      ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 ヴァーリーは小舟でリズール川に漕ぎ出していた。

 領主ラールゴールは殺されてしまった。ヴァーリーは見逃してもらえたが、このままクイダーナ地方に潜伏している必要はない。川を渡った先には、王国軍の本体がいるのだ。そこまで逃げた方が早い。幸いにも、地下の船の鍵はヴァーリーが持っていた。


 川には、無数の松明が浮かんでいる。ゾゾドギアから逃げ出してきた民衆たちだ。あの中に飲み込まれてしまえば一たまりもない。ヴァーリーは民衆を避けて川を渡り、王国軍に合流するつもりでいた。船の底には、ワニを寄せ付けないルーン・アイテムが設置されている。ワニに襲われることさえなければ、十分に逃げられるはずだ。


 腹に信じられないような痛みが走ったのは、その時だった。何かが、腹に突き刺さっている。三角錐のようだ。はじめ、ヴァーリーはそれを引き抜こうとした。だが痛みが走るばかりで、三角錐は抜けそうにない。三角錐には糸が通してある。その先に少年の姿が見えた。


 糸が張り、ヴァーリーは川に引きずり込まれそうになった。三角錐の突き刺さった腹が痛い。ヴァーリーは片手で船を掴んで身体を支え、短剣で糸を斬ろうとした。斬れない。まるで短剣よりも堅い金属でできているようだ。糸の先に、もう少年の姿は見えない。川に飛び込んだようだ。川に飛び込んで、糸を辿って船に乗り移ろうとして来ている。


 ヴァーリーは短剣で糸を切るのを諦め、糸を掴んだ。腹の痛みがマシになる。少年の姿が、水面に浮かんできた。ぎっとヴァーリーを睨み付け、糸を手繰って進んできている。ヴァーリーと少年は細い糸を互いに引き合った。夜の水面に、銀色の直線が走る。


「放して! 放しなさいよ!」

「マリーナを……マリーナを助けに行かなきゃいけないんだ!」


 げほげほと川の水を飲みこみながら、少年は叫ぶ。何を言っている、とヴァーリーが聞き返そうとしたとき、頭を槌で殴られたような衝撃が走った。視界が回り、力が抜ける。糸を引っ張る力が入らない。肌が焼けるような感覚に襲われる。なんだこれは。ヴァーリーのものではない。ヴァーリーの感覚ではない。ヴァイムの痛みだ。ヴァイムの痛みが、共鳴している。


 頭の痛みは、すぐに腹の痛みに変わった。糸が引っ張られている。鋭い痛みが続く。

 痛みは浮遊感に変わった。それから、落ちていく感覚。ヴァーリーは、船の上にいるはずだと思った。船のいるはずなのに、やたら長く落ちるものだ。


 少年が船に上がってくるのが分かった。船が大きく傾き、水浸しの少年が這い上がってくる。


「悪いけど……この船はやれないんだ。必ず助けるって、そう決めたから」


 肩で息をしながら、少年が呟く。ひどく小さな声なのに、耳の奥に直接語り掛けているように、はっきりとヴァーリーには聞こえた。続いて、ぼちゃん、という音がする。それがヴァーリーの聞いた音だったのか、ヴァイムの聞いた音だったのか、ヴァーリーには判断がつかなかった。

 いずれにせよその音を最後に、ヴァーリーはこと切れた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああ! ヴァイムとヴァーリーが! なんともったいない。 こんな使い方されるような能力の持ち主では無いのに。 ここで、王国軍は帝国軍を壊滅に持ち込まないと、延々と祟りますね、これは。
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