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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
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5-38「そのスープを、まずお前が飲んでみろと言っているんだ」

 民衆が、ゾゾドギアを出て川を渡ろうとしている。夜が更けて松明の明かりが、次々と川に入っていく。


 ナーランは冷めた瞳で、渡河しようとする者たちを見つめていた。帝国軍の精鋭でさえ命からがらに川を渡ったというのに、ろくすっぽ武器も持てない民衆が川を渡るなど、自殺行為に等しい。ワニに襲われば一たまりもないだろう。リズール川は血で染まる。


 そんなに死にたければ、勝手に行くがいい。

 ナーランは民衆に怒っていた。苦しいのは皆同じだというのに、勝手なことばかりを言っている。ラールゴールが助けを出してくれるなど、到底考えられない。ラールゴールは、ゾゾドギアの民衆を見捨てたのだ。どうしてそのことがわからない。どうして、ありえない虚像にすがろうとする。


 虚しい怒りだった。明日の朝になれば、この怒りは行き場を失うだろう。リズール川はワニに喰われた民衆たちの血で、真っ赤に染まることになる。

 なんのために戦ってきたのか、という気持ちにさえなる。民衆の生活を豊かにするために、魔族や混血たちの地位を向上させるために戦っていたはずだ。だというのに、その民衆が自ら離れて行こうとしているのだ。


 そのきっかけを作ってしまったのが自分だということも、ナーランを苦しめた。兄たちはナーランの対応に怒らなかったが、自責の念は消えることがない。自分が剣を振り上げなければ、このような事態にはならなかったかもしれないのだ。


 ナーランは、眠り続けるジャハーラの居室を訪れた。

 父の身体は、驚くほどに小さくなっている。四肢は細くなり、頬はこけている。老化の遅い身体でも、栄養の不足で弱まってしまうのだと、当たり前のことを思う。


 ジャハーラが目覚めたら、ナーランの行動を叱責するだろうか。

 叱ってほしい、というのが正直なところだった。ナーランは、後先を考えずに行動してしまうことがある。そういう時には、止めてほしい。叱ってほしい。それでようやく、間違っていたかもしれないという気持ちになれる。父に、甘えているのかもしれない。


「少しだけ、父と二人にしてくれないか」


 ナーランが言うと、ジャハーラの看病に来ていた衛生兵は黙って頷いて、部屋を出て行った。

 弱り切った父に向かって、何を話せばいいのか迷っているとき、ふいに風が動いた。風の精霊が、不自然に動いている。


「お前たちも、少し外してくれ」


 誰もいない壁の方を向いて、ナーランは言った。透明化しているが、そこにはダークエルフが姿を隠している。スッラリクスがジャハーラの護衛につけているのだろう。


 風の精霊が動き、ダークエルフたちの気配も部屋から消えた。どうしても、父と二人きりになりたかった。

 父の手を、取った。やせ細った手だが、たしかに鼓動を感じる。父は、生きている。早く目覚めて欲しい。目覚めて、叱ってほしい。叱られてようやく、自分の間違いを認められる。このまま叱られないでいれば、自分がどこに突き進んでいってしまうか、見当もつかない。


 それから、命令を出してほしい。ゾゾドギアに籠る兵たちにも、一本芯が通るだろう。いまは、誰の考えに従えばいいのか、誰にもわかっていない。スッラリクスか、アーサーか、カートか。三人は意思決定をすり合わせてはいるが、それには限界がある。ジャハーラが指揮官として君臨しなければ、どうしても緊張感が足りない。


 声をかけることもできないまま、ジャハーラの手を握り続けた。半刻も過ぎただろうか。部屋の扉がコンコンと叩かれ、ナーランはそちらに目を向けた。


「これは失礼しました。食事の時間でしたので……」


 先ほどの衛生兵とは別の、衛生兵だった。両手で木製の器を抱えている。スープか何かが、入っているのだろう。ナーランは「ああ、すまない」と言って、父の手を離した。


 衛生兵が近づいてくる。ナーランは違和感を覚えた。怖ろしい程に存在感がない。それに、こんな夜更けに食事をとらせているのか? ありえない話ではないが、おかしい気がする。塩分の強いスープなのだろうか。少し、臭いがきつい。


「見ない顔だな」


 ナーランが言うと、衛生兵は「兵も多いですから」と答えた。衛生兵は、精霊術を使わないようだ。精霊たちを纏っていない。精霊たちを纏っていないというのに、何か得体のしれない、不気味なものをナーランは感じた。


「……飲んでみろ」

「は?」

「そのスープを、まずお前が飲んでみろと言っているんだ」


 ナーランは、父を守るように移動した。考えすぎかもしれないが、怪しい。

 衛生兵は驚いた顔をしたが「わかりました」と答えて、部屋の端の机に、器を置いた。両手があいたその瞬間、銀の煌めきがナーランを襲った。すそに隠し持ったダガーで、斬りつけてきたのだ。


 ナーランが初撃を躱すことができたのは、日々の鍛錬のおかげだった。すぐに剣を抜いて、次の攻撃に備える。襲撃者は、ナーランではなくジャハーラにダガーを投げつけてきた。ナーランがダガーを剣で叩き落としたときには、曲者の姿はすでに部屋から消え去っている。


「ダークエルフたち、いるか! 曲者だ、父上が襲われた!」


 部屋から身を乗り出して、声を張り上げた。扉の裏側には、壁に背を持たれて眠っているような格好の衛生兵がいる。彼が眠っているのではなく殺されているということは、状況からすぐにわかった。


 透明化を解いたダークエルフたちが集まってくる。


「父上を任せる! 他にも曲者がいるかもしれない!」

「ナーラン様は?」

「さっきの襲撃者を追う」


 敵が逃げ去る瞬間、かろうじて逃げ去る方向が見えた。いくら夜中とはいえ、城塞の中の各所には兵士が立っている。それを避けて逃げたとすれば、自ずと退路は限られる。城壁に出る通路。そこが一番手薄になっているはずだ。


 ナーランは走った。騒ぎを聞きつけて合流した兵士たちを引き連れて、城壁に出る通路を駆ける。扉が開いたままになっていた。間違いない、この先に敵がいる。

 いくら何でも、おざなりな暗殺計画だ。成功の見込みは低いと分かっていながら、やってみた、という感じ。ぬぐい切れない違和感が、ナーランを襲う。


 城壁に出た。寝ずの番で見張りに立っているはずの兵の姿がない。目を凝らすと、かがり火のそばで倒れている兵の姿が見えた。先ほどの侵入者と交戦になったのは間違いがなさそうだ。

 リズール川の不快な臭いが漂っている。城壁の下は崖になっているから、飛び降りることはできないはずだ。


「探せ! このあたりにいるはずだ! 城壁から下りるつもりならば、どこかに縄と船が隠してあるはずだ! 生かして帰すな!」


 指示を出したその瞬間、ダガーがナーランの頬のかすめた。飛来した先を見る。城壁の中でも一段高いところに、敵の姿があった。既に、衛生兵の格好ではない。闇に紛れる黒装束である。


 ナーランは炎の精霊を集めた。これで足場を気にせずに戦える。敵は一人だ。逃がすわけにはいかない。

 黒づくめの襲撃者は、身を翻した。城壁の凹凸を利用して、光から身を隠すつもりのようだ。


「追え! 絶対に逃がすな!」


 ナーランは大声を上げながら、黒装束の男を追った。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ダークエルフがナーランの命でその場を離れたタイミングで、刺客(?)が現れたのは、やはり精霊術を使える?
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