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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
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5-34「武器を下げろ。その剣は、民を斬るためにあるのではあるまい」

 ナーランは食糧庫の暴動を聞くと、即座に一部隊を率いて食糧庫の防衛に回った。食糧は、文字通りの生命線である。暴動の中で失われるようなことがあってはならない。


「どけ! この髪が目に入らないか! 炎熱の大熊公ジャハーラが息子、ナーランだ! この場はおれが預かる!」


 群衆の中、強引に騎馬で突き進んだ。暴動寸前にまで口論が激化しているのは、食糧庫の周辺だけのようだ。しかし何事かと押し寄せた民衆たちが道を埋めていて、なかなか前に出られない。声を張り上げ、道を開けさせる。ようやく前に出たときには、既に食糧庫を防衛する兵に向かって、激化した群衆が武器を振り上げているところだった。


「やめろ! 話ならおれが聞こう。いま、こうやって我々が争ってどうなるというのだ!」


 帝国兵たちは、決して手を出さないように厳命されているのだろう。掴みかかられても剣を抜いていない。


「どうして溜め込んでいた食糧まで奪われなきゃならない。家族が生き延びられるように、日々の中で溜め込んできた食糧を、どうしてお前たちに奪われなければならない!」

「待て! 奪ってなどいない。この戦いが終わったら、徴収した分に応じて金を払う。その誓約書も渡しているはずだ!」


 ナーランは兵に掴みかかっている男を引きはがした。馬上から無理やり引きはがされた男は地面を転がり、立ち上がるとナーランを睨み付けた。


「ここで飢え死ねば、約束は果たされぬ! お前たちは最初から約束を守るつもりなどないのだ。おれたちのことなど少しも考えてはいない! こうやって徐々に食糧を絞って衰弱させ、歯向かうことさえできなくするつもりだろう!」

「そうだ! おれたちから食糧を奪って、帝国の兵だけは隠れて腹いっぱいに食ってるのだろう!」


 同意する声が、あちこちから響き始める。兵たちを押しのけて民衆が前に出る。飢えた眼だ、とナーランは思った。


「誤解だ! おれたちは皆、同じだけの量しか口にしていない。お前たちが飢えているというのなら、それは我々も同じことだ。どうして理解してくれない、我々は同士ではないか。ここで争い合って、いったいどうなるというのだ。全滅するだけだ」


 ナーランの必死の説得も、暴徒化した民衆の心には響かなかったようだ。食糧庫を守るように円を描いて防衛にあたっていた帝国軍は、次第に輪を狭めるしかなくなっていった。鎧と鎧がぶつかり、その間から手を伸ばそうとする民衆たちを、後列の兵が押し返す。

 帝国軍に入った者たちと民衆とでは、覚悟が違う。自分の意思で戦に加わった者と、巻き込まれた者では我慢の範囲が違うのは当然のことだった。いま腹を減らしている。目の前に食べ物がある。どうしてそれに手を伸ばしてはいけないんだ。押しかける群衆の瞳からは理性が抜け落ちてしまったようだ。


(父上なら、こういうときに魔術を使うのだろう……)


 だが、ジャハーラはいない。二人の兄やスッラリクスが駆けつけてきたところで、事態が好転するとは思えない。


 ナーランは唇を噛みしめ、剣を抜いた。


「それ以上、前に出るというのなら、おれが相手になる!」


 喧騒が、一瞬だけ止んだようにナーランは感じた。自分の言葉が虚しく響かぬように、ナーランは言葉を重ねた。


「お前たちは軍が嘘をついていると言う。おれたちは嘘でないと言うだけだ。それをどんなに証明したところで、お前たちの疑念が晴れることはないだろう! ならば、もはやこう言うしかないではないか! それ以上、前に出て食糧を奪おうというのなら、おれが相手になる! おれは帝国軍の将として、これを守る義務がある。お前たちが、おれの義務よりも強い気持ちを持って食糧庫を襲うというのなら、武をもってそれを示すがいい! さあ、それでも通るか? おれは本気だぞ!」


 兵たちに掴みかかっていた者たちも、ここにきて怖気づいたようだ。帝国軍が反撃しないから、激しさを増していた部分もあるのだろう。

 静まったかに見えたが、まだ諦めきれない者もいた。兵を押し分けて食糧庫へ向かおうとする。不意を衝かれた兵たちの間を這うようにして、一人の男が輪っかの内側に入った。ナーランは馬を走らせて男に寄ると、地を這う男の手に、剣を突き刺した。


 絶叫が響いた。


「愚かな……」


 ナーランは突き立てた剣を引き抜く。男は地を転がりながら、悲鳴を上げ続けた。

 これが契機となった。


「やっぱり、おれたちのことなんて気にもしちゃいないんだ!」

「結局は武力で押さえつけようとする。それが帝国軍のやり方か!」

「ラールゴール様ならば、このようなことはしなかった。我々の生活を守ってくれた。だというのに、お前たちが来てからすべてが滅茶苦茶だ。おれたちの平穏を返してくれ!」


 静まりかけた民衆が、一斉に兵たちを押しのけて食糧庫へ向かおうとする。ナーランは剣を振り上げ、応戦するように命じた。


「もはや言葉は通じない。言葉の通じぬ獣に、いくら道理を説いても無駄というもの。押し通ろうとする者には容赦するな!」


 ナーランの声には怒気が含まれていた。兵たちが次々と剣を抜く。押し寄せる民衆たちに向かって剣を振るい上げる。


「やめろ! やめるんだ!」


 制止の声が入ったのは、ちょうどその時だった。今まさにぶつかり合わんとしていた民と兵のどちらもが、声の主に注目をする。そこにいたのは、アーサー、カート、スッラリクスの三人だった。


「武器を下げろ。その剣は、民を斬るためにあるのではあるまい」

「しかし、兄上」

「いいから、下げろ。責めるつもりはない。お前の気持ちもよくわかる。だが、先走りすぎだ。ここは私に任せて、剣を下ろせ」


 アーサーがなだめるように言った。ナーランはしぶしぶ剣を下ろした。荒くなった息を整えながら、遅れてやってきた兄たちの姿を見つめる。アーサーはスッラリクスを振り返り、何かを確認する。それから大声で指示を飛ばした。


「食糧庫を開けろ。現実を見せてやれ」


 ナーランは驚いた。そんなことをすれば、より民衆は激しく食糧庫に向かおうとするだろう。しかし、兄は「早く開けろ」と命令を繰り返した。重い音を立てて、食糧庫が開かれる。

 入口のそばから、順に光が入って内側が照らし出される。そこに保存されていたのは、信じられないほどに減った食糧だった。片隅に積まれているだけである。ゾゾドギアにいる全員が満腹になるまで食べれば、それだけですべてなくなりかねない。


「たった……これだけ……?」


 開け放たれた食糧庫を見て、民衆の熱が急激に冷めていく。もっと食糧があるのに、帝国軍が出し渋っていると思っていたのか。


「これが現実だ。あと数日もすれば、ゾゾドギアの食糧は尽きる」

「なら……ならどうして、それを教えてくれなかったんです!」

「これを知れば、結束が弱まると思ったから言わなかった。しかし、もはやこれを見せねば分かってもらえぬだろう。だから見せた」

「どうしてワニの肉を焼いたりしたんです!」

「やつらが、おれたちの同胞を食ったからだ。仲間を食ったモンスターを食うことは、仲間を食うことに等しい。だから食わなかった」


 民衆が次々と投げかける疑念や怒りに、アーサーとカートは冷静に対処している。冷や水を浴びせられた格好になった民衆たちは、振り上げた拳をどこに向けていいのかわからなくなったようだ。もう食べ物は底をつきかけている。何かを言ったところで、食糧が生まれるわけではない。

 スッラリクスは怪我人たちの応急処置に人員を動かしている。先ほどナーランが手を斬った男も、連れられて行ったようだ。


「ラールゴール様ならば、何とかしてくださったはずなのに」

「ジーラゴンからの補給が断たれている。だから食糧は底をつきかけているのだ。ラールゴールはお前たちを救ってはくれない。むしろ食べ物を絞っているのがラールゴールだと、なぜ気づかない?」

「そんなことはない! ラールゴール様が我々のことを見捨てるなどと! クイダーナ帝国軍がここに駐留しているから、ラールゴール様は食糧を送りたくても送れないのだ!」


 ナーランは怒りに身が震えるのを感じた。どうして民衆は、こうも愚かなのか。ラールゴールが、リズール川の大型船の権利を独占していることは掴んでいる。川の中州にあるゾゾドギアの民は、ラールゴールに船を借りなければゾゾドギアから出るも、財産を持ち出すことも出来ない。ある意味では、飼われているようなものだ。ラールゴールに飼われている期間が長すぎて、自分で考えることを忘れてしまったのか。


 ラールゴール様なら、そうだ、ラールゴール様なら、と声が上がり始める。アーサーもカートも、それに関しては何も言わない。

 帝国軍に対する言葉には反応するが、ラールゴールのことには答えない。下手に刺激すれば、また火がつきかねないと思っているのだろう。ラールゴールに傾倒しているのは厄介だが、それを正すのは今ではない。


 ナーランは怒りを堪え、小声でこう呟いた。


「――ならば、勝手に出て行けばいいではないか。ラールゴールはそんなに優しい男なんだろう? お前たちがゾゾドギアを出てジーラゴンへ向かえば、ワニに食われる前に助けを出してくれるだろうさ」


 ナーランの言葉を聞いたわけでもないはずなのに、すぐに事は起こった。

 ゾゾドギアを出て、ジーラゴンにいるラールゴールに助けを求めるのだと宣言する者が出始めたのだ。

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