5-33「一度ひびが入ってしまえば、簡単な衝撃で割れてしまうものです」
城塞都市ゾゾドギアの内部では、軍と民衆の間で軋轢が起きていた。
噴出した問題はやはり、食糧事情である。帝国軍は、民がそれぞれで蓄えていた食糧をすべて管理下に置こうとした。都市の有力者のみならず、一般の暮らしをしている人々からも徴収を行った。飲食店はもとより、その問屋、漁師の家、個人が所有する小さな農園まで、食べ物を隠し持っているのではないかと疑いの出た家のすべてから徴収したのである。
最初は大人しく従っていたゾゾドギアの民たちだったが、帝国軍の過激なやり方に、日に日に反感が高まっていた。
スッラリクスはこの状況を何とかしようと、アーサーとカートに話をした。二人揃っている時に話した方がいい。そう考えたスッラリクスは、何とか二人に揃って時間を捻出してもらった。二人は交互に休憩をとっていたこともありなかなか時間が合わず、ようやく落ち着いて話ができるようになったのはスッラリクスが時間を取るように頼んでから三日が過ぎた日のことだった。籠城開始から数えると、二十日が経過していた。
「籠城戦において最も大切なのは、離反者が出ないことです。一人でも離反する者が現れれば、崩壊の一歩手前と考えた方が良いでしょう」
「……軍師殿は、すべてを見透かしたように喋られますね。まるで、このままではゾゾドギアが内部崩壊して敗北すると言っているように聞こえます」
「このままでは時間の問題です。いずれ離反者が出ます」
「軍師殿は、籠城戦の経験がおありですか?」
スッラリクスは深く頷いた。ダリアードの町で、帝国軍を相手に籠城したのはそう昔の話ではない。いつ来るとも知れぬ救援を待ちながら、内側の団結を守らねばならない。それがどんなに大変で心細いことか、スッラリクスは痛いほどに知っていた。
「敵は、ルージェ王国軍ばかりではありません。真の敵は、内側から発生するものなのです。軍が駐留し、戦に巻き込まれているというだけでも、民衆にとっては負担になります。その上で徴収を重ねれば、彼らの矛は私たちに向くことになるのです」
「ふっ……民が矛を手にする、と」
笑ったのはカートだった。スッラリクスはカートの眼を見つめ「そうです」と言った。カートは少し驚いたようで口をつむぎ、視線を逸らした。
「我々は敵に囲まれており、食糧には限りがあります。全体量を把握しておかねば、何日持ちこたえられるのかもわかりません。事実、民のほとんどは、十日分も食糧を持っていなかった。このことを私たちが把握していなければ、飢えた民が暴動を起こしていたかもしれません。ゾゾドギアにある食べ物のすべてをいったん管理下に置き、配給制に切り替えたのは正しい判断だったと思っています」
アーサーが言った。
確かにアーサーの言うことにも一理あると、スッラリクスは思った。ゾゾドギアに入ってから、帝国軍は食糧の総量を調べ上げて均一に配分した。腐りやすい物から順に、なるべく同一の量になるようにして配給が行われたのだ。貯蓄の少なかった民は、アーサーのおかげで飢えることがなかったのだ。
それだけのシステムを、籠城からわずか数日で作り上げたあたり、アーサーの手腕には眼を見張るものがある。
「アーサー殿のおっしゃっていることと、やっていることは正しいです。しかし問題は、民がそれで納得していないということなのです。不満は蓄積します。一度ひびが入ってしまった食器は、簡単な衝撃で割れてしまうものです。ひびの入らないように、努力をせねばなりません」
「民が、納得していないと?」
「そうです」
「食糧は、全員が同じだけの物を口にできるように配給しているはず。不正が起きぬよう、監視の目も光らせています。私や軍師殿でも、民や兵たちと同じだけの量しか食べていません。それなのに、なぜ?」
アーサーの頬は、少しやつれている。籠城が始まってから白髪も増えたようだ。心労は察して余りあるほどだろう。
「老人や子ども……赤子でさえ同じ配給量であり、これでは不足と感じる者たちが出てきています」
「ならば、年齢に応じた配給量の調整を」
「そうではありません。それは、あくまで建前なのです。先に申しました通り、彼らは戦に巻き込まれているという状況だけで負担になっています。軍が通過するだけならば、文句も出ないでしょう。金払いが良ければ、歓迎もするでしょう。ですが、現状はどうでしょう。籠城に際して、食べ物さえ管理下に置かれ、自由は制限されてしまっています。民衆にしてみれば、自分たちの自由な生活が侵されているということになります。それが不満の根源です。アーサー殿やカート殿が、どんなに公正に食糧を分配したとしても、この問題は続きます。解決しません。私たちは無意識的に、彼らに圧力をかけているのです」
スッラリクスが言い切ると、アーサーは押し黙った。スッラリクスの言っていることに、心当たりがあるようだ。もしかしたら、どうしてここまで公平にやってきているのに不満が上がってくるのだ、という思いもあったのかもしれない。
「……我々、クイダーナ帝国軍は、エリザ様の理想を実現するために戦っている」
カートが震える声で言う。怒りとも、悲しみとも、あるいは別の感情とも取れる声音だった。
「ここゾゾドギアにも、魔族や混血……特に混血のやつは多いはずだ。エリザ様は、混血の立場が上がるような治世を成されるだろう。今の人間族支配が続くよりずっといいはずだ。だから、彼らは当然、帝国軍に味方するはず」
「それは理想です、カート殿。民にとっては、自分たちの生活が第一。上に立つ者が誰であれ、さして興味を持ちません」
「だが将来のことを考えれば……」
「今日や明日のことで手がいっぱいの人間が、果たして遠い未来のことに思いを馳せられるでしょうか? アーサー殿にしても、カート殿にしても、いま敵襲の報が入ったらどうしますか? 今後のことを考える前に、敵襲に対処するはずです。それと同じことで、民衆は今の生活を行うのです。今の生活を行っていて、その上でようやく、未来の話を考えられるのです」
「目の前に迫った問題から、解決せねばならないということですか」
「はい、そうです。民に五年後……いえ、三年後でもいい。三年後に豊かになるために戦争に協力してくれと言っているのです。お前たちを豊かにしてやるからと言って、協力することを課している。この状況を押し付けているのです。民の不満は、元をただせばそこにあります。確約もされていない未来のために、今どうして無理やり協力させられているんだ。そのように考えているのです。どんなに公平と思われる食糧分配を行っても、根は解決されません。……民衆は、疑っているのです。三年後に果たして豊かになれるのかどうか。今の生活を壊してまで、未来の豊かさに賭けるべきなのかどうか」
くっ、とカートは唇を噛んだ。まだ何かを言おうとするが、アーサーがそれを押しとどめた。
「では軍師殿ならどうなさいますか。どうやって内部の崩壊を防ぐのです?」
「対話しか、道はないでしょう。エリザ様の理想に、賭けるだけの価値があるのだと、説得するのです。兵と民を分離するのではなく、その溝を埋めるようにしなくては。軍が民衆に負担をかけている、圧力をかけているという事実を正しく認識し、少しでも圧力を弱めなければならないのです。この戦いは、援軍が来るのが早いか、我々が崩壊するのが早いかということで決します。崩壊を少しでも遅らせる手立てをつけねば、負けます」
アーサーは頷いた。
「あるいは、食糧が切れるのが早いか……」
考え込むようにしてカートが言った。
食糧の配給は減らしている。それでも、もう数日で完全に食糧は切れるだろう。撤退戦で仕留めたワニの肉があれば……という言葉を、スッラリクスは飲み込んだ。今それを言ってしまえば、アーサーやカートと、スッラリクスの間に亀裂が入る。溝を埋め、対話を増やすべきだと提言する人間が、自ら溝を深めてしまうわけにはいかない。
「父上なら、どうするだろうか」
カートが呟いた。
ジャハーラは昏睡したままだ。身体を起こしてスープを口に含めば、かろうじて咀嚼する。だが意識は戻らず、身体は日に日に弱っている。痩せていくジャハーラの姿は、以前とは比較にならないほどに小さく見えた。
スッラリクスは、自分の護衛に黒樹がつけてくれたダークエルフの護衛たちを、ジャハーラの警護に回していた。昼夜を問わず姿を消してジャハーラを守っている。
ジャハーラが目覚めさえすれば……と言うのは、ゾゾドギアに拠った帝国軍全員が思っていることだった。アーサーとカートはよくやっているが、ジャハーラには遠く及ばない。一番大切な柱が抜けた、建築物のようだとスッラリクスはたびたび思う。他の柱が何とか支えているが、いつまで持つかわからない。ぎりぎりの所で、何とか踏みとどまっているだけだ。
部屋の外から、どたどたと騒がしい音が聞こえたのは、ちょうど話題がジャハーラに移ろうとしているときだった。アーサーが席を立ち、大声で「何事か」と問いかけた。すぐに扉が開き、兵の一人が答える。
「食糧庫に民衆が押しかけています! ナーラン様が対応に当たっていますが、一触即発の状況で……」
「すぐに行く。兵たちには、手を出さぬよう厳命しておけ!」
カートが立ち上がり、続いてスッラリクスも立ち上がった。
更新再開します。今年もよろしくお願いします。
 




