5-32「敵は動かないのではなく、動けないのではないか」
両軍は、リズール川を挟んで睨み合いの様相になった。
ランデリードは、デュラーたちを船に乗せて弓矢を射かけるくらいのことはしたが、あまりに効果が上がらなかったので持久戦に気持ちを切り替えていた。
まず、敵味方問わず死体の確認をさせた。あわよくばジャハーラを討てていないかという期待もあったし、オールグレンの死体が混じっていないかという不安もあった。敵味方共に指揮官と見られる死体はいくつもあったが、ジャハーラやオールグレンの死体は、見つからなかった。
「一か所に集めて、燃やしておけ」
デュラーに命じた。
先の戦いは痛み分けに終わったと言いたい所だったが、実質は負けだった。敵はルノア大平原からの撤退を成功させ、指揮官の一人も討ち取れていない。戦死者の数も、王国軍の方が多い。攻めてきた敵は、わずか一千だったという。その半数近くは討ち取ったが、そのために王国軍の兵士は一千人以上が死んでいる。その上、オールグレン王子は行方不明になっている。
ジャハーラ軍を、壊滅させなければならない。それでようやく、戦の顛末を兄に報告することができる。
「ランデリード様! 王子が! オールグレン王子が戻られました! 大司教様もご一緒です!」
報告が入った時、ランデリードは心の奥底から神に感謝した。さっそく会いに行くと、確かにそこにオールグレンの姿があった。五体満足で、顔色も悪くない。
「叔父上、心配をおかけしました」
ランデリードは思わず、甥を抱きしめた。良かった、良かったと涙を流す。心なしか、オールグレンは憑き物が落ちたような顔をしている。
「オールグレン王子、ご無事で、ご無事で何よりです。戦はもう大詰め。王子はどうぞこちらで、ゆっくりと戦いの帰趨を見届けていただければと存じます」
「いえ、叔父上。私に戦わせてください。先の戦いのような無様は晒しません。どうか、私に汚名返上、名誉挽回のチャンスを」
オールグレンの眼は座っている。軍を離れている間に、何かがあったのかもしれない。ランデリードは詳しい話を聞きだそうとは、しなかった。男の気持ちを短期間で変える出来事など、そう多くはない。それは無理に聞き出すようなことでないのは、ランデリードの経験が訴えていた。それは、王子が心の中に留めておけばいいことだ。人間の価値は、心の内側で決まるものではない。何を成したかで決まるものだ。王子の価値や評価は、後世の者が下すだろう。ランデリードは、甥を支えるだけである。ただ叔父として、臣下として、王子がやる気を持ったことは歓迎していた。
とはいえ、戦場に出たいという願いは聞き届けられない。王子を失ってしまえば、ルージェ王国そのものの存亡にかかわる問題になる。
「敵はもう、川の中州に閉じ込めてあります。後は兵糧が切れるのを待つだけ、という戦です。ここは腰を据えて見守るのが、王子の新たな戦いなのです」
「……そうですか」
オールグレンは少しだけ暗い表情をしたが、状況を理解すると頷いた。ランデリードに心配をかけてしまっていたという負い目もあるのだろう。食い下がってくるようなことは、しなかった。すぐに幕舎を用意させ、護衛の部隊を組織させた。
そこまでやって、ランデリードは肩の荷が下りたような気持ちになった。後は、ジャハーラを倒すだけである。
敵は、驚くほどに動かなかった。川を挟んでの睨み合いが続く。船団を出してちょっかいをかけてみても、敵は甲羅にこもった亀のように出てこない。睨み合いは二十日を過ぎ、とうとうランデリードは痺れを切らした。
「ヴァイム」
一人きりになった時に闇に向かって声をかけると、ヴァイムが姿を現す。
「どうして敵は動かないと思う? 城塞都市ゾゾドギアの糧食など、そろそろ尽きてもおかしくないはずだが」
「わかりかねます」
「敵は、確かに川の中州に閉じ込められた格好だ。川の西側には我らが布陣しているから、動けないというのはわかる。だが、東側はどうだ? ジーラゴンにはわずかな兵しかいない。包囲の網が薄い所から脱出を図る。それが当然のことだろう。なのに動かない。なぜだ?」
「敵には、船がありません。船のないままにリズール川を渡るということが、いかに危険なことなのかを身をもって知ったので、動けないでいるのではありませんか?」
「……そうだと、いいがな」
「それに、ジーラゴンの所有する船団は、すべて東側――ルノア大平原の側に集めてあります。渡河を強行し、ジーラゴンを攻め落としたとしても船は手に入りません。補給路は回復しない……。そのことは帝国軍にもわかっているはずですから、籠城を決め込むのはおかしな選択とは言えないでしょう」
「それならば、ゾゾドギアを破棄して全軍で渡河すればいい。いくら川にワニがいるとはいえ、ゾゾドギアには一万数千の帝国軍がいるのだぞ。それが全軍で西へ向かえば……ジーラゴンなど一たまりもあるまい」
ジーラゴンにいるのは、王国軍ですらない。領主ラールゴールの私兵だけである。多く見積もっても一千に届かないだろう。
それなのに帝国軍は動かない。ランデリードは、その理由を考えていた。
「何を考えていらっしゃるのか、訊いてもよろしいですか?」
ランデリードは頷いた。話してみれば、考えがまとまるということもある。ヴァイムに何かを話しても、それが外に漏れることは絶対にありえない。壁に向かって話していることと同じことだ。
「敵は動かないのではなく、動けないのではないか……と、考えている」
「動けない……ですか」
「そうだ。何か事情があって、城塞都市ゾゾドギアを動けない」
「事情……」
「たとえばジャハーラ子爵が瀕死だとすれば、どうだろう。死んでいれば埋めていくだけでいい。だが、かろうじて生きているとすれば? 魔族の連中は、彼を見殺しにはできんだろう」
「なるほど」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。他に何かゾゾドギアを動けない理由があるのかもしれない。それを確かめたい」
「では、私が忍び込んで見てきましょう。小舟を一艘、お借りします」
「やってくれるか」
「はい。隠密行動は、得意とするところです。……ジャハーラ子爵が、もし死にかけていたら、どうします?」
「殺せ……と、言いたい所だが、手を出さなくていい。敵が動かぬ理由が知れれば、それで良い」
ヴァイムは頭を下げた。
いくら弱っているとはいえ、ジャハーラは純血種である。下手につつけば、返り討ちに会う可能性も十分にある。
それにもう一つ、ヴァーリーのことがある。ジャハーラの暗殺に成功した場合、帝国軍は一斉にジーラゴンを目指して渡河を図るだろう。そうなってしまえば、ジーラゴンにいるヴァーリーの身に、危険が及んでしまう。双子の姉を危険に晒すような命令を、ヴァイムに下すことはできなかった。
「では、今夜のうちに忍び込んで参ります」
今年は一年間、小説にお付き合いいただきありがとうございました。
先月事故ってしまった影響もあり、12月からしわ寄せがきて、多忙になってしまっております。
そのため、1月は丸々1か月間、更新のおやすみをいただきたく思います。この間、ネットへの接続も控えるつもりですので、感想返信なども遅れてしまうと思います。
次回更新は、2月1日(土)予定です。
間が空いてしまい申し訳ありませんが、どうぞご理解くださいますよう、よろしくお願いいたします。
本年は大変お世話になりました。創作に関して、色々と見えてきたことの多い一年間でした。
来年は今以上の創作を目指しますので、どうぞまた、よろしくお願いいたします。
良いお年を、お迎えください。