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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
120/163

5-30「たとえ飢えることになっても、食うことなどとても容認できない」

 二日が経った。ジャハーラは、昏睡していた。右腕の止血は終わっているが、それでも血を流しすぎている。その上、体温の低下も激しく、生きているのが不思議なくらいの状況である。それだけではない。先に川を渡った四千名のうち、五百名近くが戻らなかった。決死隊に至っては、百人程しか生き延びていない。死者は合計で一千名を越え、負傷者は二千名以上にもなる。


 スッラリクスはそれらの数字をまとめ上げると、次に兵糧の確認を行った。帝国軍の糧食は、おおよそひと月といったところだ。ジーラゴンからの補給は、やはり断たれていた。

 城塞都市ゾゾドギアは、もともと英魔戦争の際に築かれた都市である。だが、四十年もの間、軍事利用されてこなかった。今では多くの民が暮らす都市である。兵士たちのことだけでなく、住民たちのことも考えねばならない。住民たちにも食糧を分けるような事態になれば、糧食は半月も持たないだろう。


 主だった者を集めて、軍議が開かれた。


「父上は動かせない。なんとか、ゾゾドギアで守りを固めよう」


 アーサーの言葉に、カート、ナーランと言った弟たちは頷く。


「軍師殿……北のルイド様たちか、南のゼリウス様たちが援軍に来るとすれば、どのくらいの時間がかかるのでしょう?」

「北は、期待できません。北海でどんなに劇的な勝利を飾ろうとも、ここまで引き返してくるのに二月はかかります。糧食が尽きるのが先でしょう」

「ゼリウス様は?」

「海賊たちとの交渉が上手くいったと仮定すれば……そうですね、もう、現れてもおかしくはないです。彼らが現れるとしたら、それは東側……つまり、王国軍の背後と言うことになります。こちら側からも軍を出して、挟撃の形をとらなければ迂回させた意味がありません」

「それは、あまり心配する必要はないかもしれませんよ」


 ナーランが口を挟んだ。


「敵は、船を用意しています。おそらく、ジーラゴンの船団でしょう。せっかく船を手に入れたのですから、川上に兵を乗せて近づいてきて、こちらへ弓矢を射かけるくらいのことは、してくるでしょうから。こちらに船を出してきているところに、背後からゼリウス公爵が攻撃を仕掛ければ……こちらが何もしなくとも挟撃と同じ状況に持ち込めます。二方面作戦の展開を余儀されなくなる、というわけですね。こちらを攻めるのをやめて軍を戻そうにも、それには多少の時間がかかります。ゼリウス様がそのすきを逃すはずがない」


 スッラリクスは頷いた。ナーランのいう通りだろう。


「いまは籠城しか手はない、ということですね」

「父上を動かせない以上、わかっていたことです。後は食糧が切れる前に、ゼリウス様がきてくださるかどうか……」

「できるだけのことをして、待ちましょう。まずは糧食の件ですが、先日殺したワニの死体を、糧食として確保します」


 スッラリクスの言葉に、その場にいたほとんどの者が顔色を変えた。青い顔をしながらスッラリクスに噛みついてきたのはカートである。


「軍師殿……あのモンスターを食べるというのですか。やつらは、我々の仲間を食ったのですよ?」

「ジーラゴンでは食用として利用していました。ゾゾドギアにも、調理の仕方を知る者がいるはずです」

「いや、私は反対です。たとえ飢えることになっても、あんな化け物を食うことなどとても容認できない。いくら軍師殿の言葉といえど」


 カートがここまで反対するのは、弟サーメットが異形の姿になってしまったことも関係しているのだろう、とスッラリクスは思った。弟の二の舞になりたくない、と考えている。感情はわかるが、いまは理屈で戦うべきだ。


「いまは、一日でも長く籠城することを考えねばならないのではありませんか。そのために、できることをしましょうと話したばかりではありませんか」

「それとこれとは話が違う。軍師殿、それはできないことです。仲間を食ったモンスターを食うなど、それは仲間を食うことにも等しい」

「今はそんなことを言ってる場合ではないでしょう。緊急事態です、食える物は何でも食わねば。ジャハーラ公ならば、きっと私に賛同してくださったはずです」


 スッラリクスは言ってから、しまったと思った。ジャハーラの三人の息子たちは、スッラリクスを睨み付けるようにしている。


「いま、父上は眠っておられる。指揮の代理は、私ということになったはずです」


 アーサーが言った。冷ややかな目線だ、とスッラリクスは思った。戦うこともできないくせに、と顔に書いてあるようだ。


「だから、私が判断します。ワニの肉はことごとく燃やしましょう。……大丈夫、ゼリウス様は必ず助けにきてくださります」


 スッラリクスは黙って頭を下げた。決定には、従う他にない。ジャハーラという後ろ盾がなければ、自分は無力だ。


      ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 ラッセルは異臭を感じて、目を覚ました。腐った卵と、川底の泥の入り混じったような臭いが充満している。


「お、目ぇ覚めたか。お前が最後だよ」


 声をかけられて、ラッセルは身体を起こした。薄暗くて、じめじめとした場所にいるようだ。空間自体は、広い。ざっと見ただけでも、数百人が放り込まれているのがわかる。床も壁も石造りだが、手入れされていた場所というわけではないようだ。あちこちに泥がこびりついている。異臭の原因は、どうやらその泥のようだ。


「ここは?」


 声をかけてくれた男に問いかける。


「たぶん、地下牢じゃないかって話さ」


 男は、カルロと名乗った。輜重隊の一人のようだ、ラッセルと同じ制服を着ている。

 ラッセルも自分の名を明かした。その時、急に強い光が差し込んできたかと思うと、すぐに暗くなった。明滅するような明かりにラッセルが目をすぼめると、カルロは上を見上げながら言った。


「外で戦いが起きてるんだと思う」

「戦いだって? ジーラゴンが攻められてるのか?」

「いや、そんな感じじゃない。ほら、光は入ってくるけど、戦いの音はまったく聞こえないだろ。ってことは川の向こう――城塞都市ゾゾドギアか、ルノア大平原の側で戦いが起きているんだ」


 言われて、ラッセルは耳を澄ました。一緒に閉じ込められている数百人が何かを話している音以外には、何も物音は聞こえない。


「ちょっと待ってくれ。つまり、ゾゾドギアの周辺で、帝国軍と王国軍が戦っている?」

「他に軍隊があるのかい? それに、あの炎はおそらく精霊術による物だよ。どうやら、ジーラゴンに裏切り者がいたらしい。そいつが飯に毒を盛って、おれたちをここに閉じ込めた」


 ラッセルは「やっぱりそういうことか」と思った。自分でも驚くほど素直に、ラッセルは今の状況を理解していた。一緒に閉じ込められている者たちがやけに大人しいことも、幸いした。誰ももう抵抗しようという気持ちさえ失ってしまっているようだ。


「だったら、早いとこここを出て、裏切り者を始末しないと……ってことだよな。なのにどうして、みんなあんなにやる気をなくしてるんだ?」

「逃げる手段がないからさ。ラッセルが目覚めるまで、ちょうど半日くらいかな、あいつらもあいつらで、何とかここを脱出できないかって色々調べて回ってたんだ」

「それで、何もなかったっていうのか? 飯はどうした?」

「ここからじゃ見えにくいが、あそこの壁に穴が空いていて、そこから投げ入れられる。ひどい飯さ。生のままのワニの肉とか、カビの生えたパンとか、残飯とか」

「そこからは逃げられないのか?」

「無理だね。身体が入るような大きさじゃない」

「水は? 水は落とせないだろう?」

「それなんだが……水は沸いているんだ。どういう仕組みかわからないが、おれたちもそこからこの牢に放り込まれたみたいだ」


 おそらく、ルーン・アイテムを使っているのだろうとラッセルは思った。この牢は、ずいぶん手の込んだ作りをしているようだ。


「でも、どうしておれたちを生かしておいたんだろう」

「それなんだが……この地下牢のことを知ってるやつが言うには、壁のどこか一部が水門のようになっていて、それが開くとここは川の水でいっぱいになるって仕組みらしいんだ。どうやら、英魔戦争のときに作られた地下牢らしい」


 ラッセルは頭を抱えたくなった。水門が開けば脱出路にはなるが、それはワニが入ってくることも意味する。生きたままワニの餌にするなど、牢屋の設計者を恨みたい。


「他に出口はないのか?」


 カルロは黙って上を指さした。確かに天井はついていない。あそこまで上ることができれば、脱出できるはずだ。


「じゃあ、どうしてみんなあそこを目指さないんだ。一人二人ならよじ登れなくったって、百人で体重を支え合えば、上に出られるはずだろ?」

「それが……」


 カルロは言いにくそうに、両手を前に出した。震えている。それがカルロの意思によって震えているわけではないことは、明らかだった。


「輜重隊に回されたやつっていうのは……だいたいが何かの不調を持ってる。そんなやつらで体重を支え合うことなんてできると思うか?」

「じゃあ、黙ってここで助けが来るのを待つのか? 補給が断たれてしまえば、ゾゾドギアだってそんなに長くはもたない。そのことはわかってるだろ」

「わかってるさ! おれだって、おれたちだって帝国軍の一員だ。何かをしたいという思いはある! だが、いまこの状況で何をしろっていうんだ!」


 牢屋の中の数百の眼がラッセルを見ている。ラッセルは「悪かった」と言った。そこで思い出したように懐に手をやる。望んでいた物があった。


「カルロ……どうにか、なるかもしれないぜ?」


 ラッセルは、糸のついた三角錐を懐から取り出して、にいっと笑った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 籠城戦で食料心もとないのに魔物だからとはいえ焼くのはどうなんでしょうね? 早く援軍来てくれるといいのですが・・・・。
2019/12/14 13:09 退会済み
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