5-17「ドルク族は断裂していたのではなかったか!」
ランデリードは目を疑った。確かに、地平の果て、草原の果てに尋常ではない数の影が見える。すぐに状況を確かめさせた。
「ちょうどいま早馬が入りました。ランデリード様、大平原の南東部にてドルク族が山を下り、近隣都市を略奪して回ったとのことです。あそこに見せるのは、街を捨て、戦火を逃れてやってきた難民たちです」
デュラーが言った。
「なんだと! ドルク族は部族ごとに断裂していたのではなかったか!」
「そうです、そのはずでした。しかし、巨体に戦化粧を施した姿は、間違いなくドルク族だったと……」
ランデリードは偽の軍令の真意を悟った。兵をユニケーに集結させたことで手薄になった南東部の諸都市を、ドルク族が襲う。そのために偽の軍令が出されたのだ。
「難民の数は?」
「十万を軽く超えると見られます……二十万に迫るかもしれません」
デュラーの言葉にランデリードは頭を抱えた。
「花の都リダルーンは壊滅、そこから何とか逃げ出した者たちが周辺都市に逃げ込み、ドルク族の襲撃を恐れた周辺都市は自分たちの都市を捨てて逃げ出しました。そうして、あの難民を形成した模様です」
「まだまだ増える、ということか」
リダルーンで何が起きたのかは、聞くまでもなかった。徹底した蹂躙、略奪、破壊。人々が恐れをなし、町を捨てて逃げ出すほどに徹底してそれは行われたのだろう。周辺都市も無事とは思えなかった。
「……やってくれる」
舌打ちをしそうになるのを、何とかランデリードは堪えた。
王国軍は二方面の戦いを余儀なくされることとなる。その上、難民を放置しておくわけにもいかない。食糧は、軍の物を分け与えるしかないだろう。しかし、いかに大都市ユニケーと言えど、人々を収容しきれるのか。軍でさえ、農業部の一部を潰してユニケーの中にいるような状況なのだ。
「軍を、都市の外に出さざるを得ないな」
ランデリードは呟いた。難民の代表と話し合い、軍の半数を都市の外に出すことにした。それでも、難民を受け入れると農業都市ユニケーは農業部をさらに潰す必要が出てくる。
難民の受け入れについてホーズン伯爵と話を詰めた。ホーズン伯爵が心配したのは、民の収容そのものよりも、ユニケーの防備についてだった。
「ドルク族は、民を追って北上してくることはないのですか」
花の都リダルーンの惨状は、既にホーズン伯爵にまで伝わっているようだった。
「ホーズン伯爵、ご安心ください。軍の一部を残します。それから、ドルク族が自由に動き回れないように、南部の都市に連携を呼び掛けています。王国軍に合流しようとこちらへ向かっている軍に事が伝われば、ドルク族の包囲はすぐにでも完了するでしょう」
「そ、そうですか」
「はい。それから、要塞都市ミッドボームに詰めているハンバール将軍に動いてもらいましょう。さらに剣の国ブレイザンブルクが牽制に動けば、いかにドルク族と言えど派手な動きはできないはずです」
「雷光将軍と名高い、ハンバール将軍ですか」
ホーズン伯爵は安心したようだ。ドルク族を押し込めておくには十分な兵力になるはずだ。
「このまま我らも軍を南東へ動かし、ドルク族を先に殲滅すべきではありませんか」
言ったのはオールグレンだ。それにランデリードは首を振った。
「王子、我らが対処すべきはクイダーナ帝国軍です。ドルク族の蠢動も、帝国軍の策略の可能性があります」
「しかし、民が困っているのだろう」
「帝国軍を放置する方が危険です。パージュ大公国が北海からクイダーナ帝国を攻めています。ここで我らが東から攻めるのをやめてしまえば、帝国は全軍をパージュ大公国の側へ向けるでしょう。そうなればいかな聖騎士といえど苦戦は免れません。ここは南部の諸都市にドルク族の対応は任せ、本隊は帝国軍を討つべきです」
納得のできない表情をしているオールグレンに、ランデリードは笑いかけた。
「何も、ドルク族をこのまま放置するというわけではありません。帝国を名乗る輩を討ち滅ぼしたら、軍を返してドルク族を殲滅すればいいのです。我々が帝国と戦っている間、ドルク族が大人しくしていてくれればそれで十分です」
「つまり、帝国軍を早々に打ち滅ぼせば良いのですね」
「そうです。反乱の首謀者が一人、ジャハーラ子爵を討てば敵は瓦解するでしょう」
「それが、民の為になるというのですね」
オールグレンはそう言って、頷いた。
翌日になると、さらに難民の数は増えた。今度は西からである。
「クイダーナ帝国軍が、北西の都市を蹂躙しています!」
きたか、とランデリードは思った。敵の狙いはわかっている。民をユニケーに集中させ、こちらの糧食を減らすと同時に、戦わずして軍を疲弊させようとしているのだ。
で、あれば――疲弊する前に、帝国軍を討つだけである。ランデリードの決断は早かった。
「デュラー、進発の準備をさせろ」
「ランデリード様、まだ軍が整いきっておりませんが……」
「構わん。ジャハーラ子爵の軍勢はたった五千。十万の軍勢を揃えていく必要もあるまい」
このとき、農業都市ユニケーに集まった兵力は総勢で八万。そのうち二万をドルク族の北上に備えて残していくこととなった。六万の軍勢が西進する。
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一人になったオールグレンが思うのは、いつも父の姿だった。
拍手喝采、歓声で称えられる父の姿。
「ペケデン、コーディリゲルの二都市を、自由都市とする」
「直轄領の税を一割削減する」
「リッケンディア石橋を建設する。セントアリア、ルノア大平原、リンドブルムをつなぐのだ」
賢治王ビブルデッド。
そう呼ばれ、人気のある父の姿。
ひとたびバルコニーに顔を出すだけで、人々はビブルデッドを見上げる。何かの発表があると言えば、王都ルイゼンポルムは人だかりになり、国王の言葉を待つ。期待と希望が織り交じった雰囲気が、王都の中に充満する。その雰囲気が、どうしてもオールグレンには受け入れられなかった。
父のようになりたくない。
笑顔で民に手を振る父を見るたびに、オールグレンはそう思った。
父が優れた人だとは、オールグレンには思えなかったのだ。
ルージェ王国に暮らす人々は、豊かな暮らしを王に求め、王はそれを実現する為にあらゆる政策を打つ。それは民の願いだ。決して、父ビブルデッドの願いではない。父が本当は何を願っているのか、オールグレンでさえも知らないのだ。民が求める『王の姿』とでも言うものを、ビブルデッドは演じ続けているだけに思える。
国民が求めているから、答える。
貴族が求めているから、答える。
それがビブルデッドのやり方だった。オールグレンはそんな父の姿が、嫌で嫌でたまらなかった。
王とは何だ。
オールグレンは何度も自問した。王とは……国を治める者とはなんだ。
セントアリアに暮らす人々の生活を豊かにする。それが王の役目だと、父はよく語った。
オールグレンは父がそういう台詞を吐くたびに、嘘だと思った。それは民が求める王の姿だ。民が認めなければ、王は必要ない。民に必要とされるために、王は存在する。そう言われているような気持ちになったのだ。
だったら、民に必要とされない王は、必要ない。父の言葉を裏返せばそういうことになる。
オールグレンは自分が父のように王を演じられるとは、どうしても思えなかった。だからきっと、自分は必要ないと思われるだろう。
……だったら、王になどなりたくない。
オールグレンの知る『王』とは、民にとって都合のいい飾り物に過ぎない。
ひとたび災害が起きれば王のせいになる。国が乱れれば、王のせいになる。そうやって国民は、自分たちの身に降りかかる災厄の全てを王に押し付ける。
その対価が税だと言うが、それならばオールグレンは自分も税を納める側に回りたかった。それで、王としての責務を誰かに押し付けられるのなら、そうしてしまいたかった。
民の前で笑顔を作る、父の姿。
有力貴族たちに良い顔をする、父の姿。
そして人目がなくなると、げっそりと生気のない顔で休む、父の姿。最近は白髪も目立ってきた。
父のようにはなりたくない。オールグレンは十歳を迎えるころにそう思い始めた。だが、だからといって他に何かやりたいことがあるわけでもない。
学者になりたいとも思えなかったし、騎士になりたいとも思えなかった。ただ、王にだけはなりたくなかった。生まれながらにして職を持つ者たちが、羨ましい。これをやれ、あれをやれと指示される方が、どんなに心地よいかわからない。
正解のない問題を抱えながら、国民の顔色を窺う。それも、見える国民の顔はほんのわずかだ。ルージェ王国は広い。今やユーガリアのほとんどすべてを掌握したと言っても過言ではないのだ。
その中には、セントアリアに住む国民もいれば、辺境都市に住む国民もいる。人間族の国民もいれば、魔族の国民もいる。そのすべてを知ることは到底できないし、全員が納得する答えを提示し続けることはできない。
そうなると結局、少数派の意見を切り捨てて、多数派の顔色を窺うようになる。斬り捨てられた少数派は不満を溜めて、それが何らかの形で噴き出す。
今回の反乱など、まさしくそうだ。
クイダーナで反乱が起きたと聞いたとき、オールグレンはそう考えていた。
魔族を冷遇しすぎた。クイダーナ地方はリズ公爵の管轄だから、国王の責任じゃない? きっと、国民はそう捉えてはくれない。
父のように八方美人な国王を演じていても、このざまだ。自分が父ほどに上手く『王』を演じられるとは思えなかったし、だとしたらもっと悲惨な歴史を生み出すことになってしまうだろう。だから、王になどなりたくなかった。
クイダーナの反乱に関して言えば、鎮圧さえできれば、すべての責任を魔族に押し付けることもできるだろう。父はそれを期待している。
だが、鎮圧しきれないような事態になれば、これ幸いと反王家の連中が蠢きだす。国が荒れたのは、王の治世が悪いからだと騒ぎ立て始める。
これは何も反乱に限った話じゃない。天災であってもそうだ。
嵐や地震、火災、モンスターの襲撃。予想もできない人知を超えた出来事であっても、すべて王の責任になる。国が乱れるのは、すべて王が悪いのだ。
「王位など、継ぎたくない」
いつだったか、剣の稽古をつけてくれている従妹のラルニャにそう言った。ラルニャは笑いながら「じゃあやめたら?」という。
ランデリードが戦争に連れ出そうとしたときも「私が代わってあげよっか」という。
まだ十二歳の従妹は、王というものを軽く考えている節がある。本当にそうできたら、どんなに良いことか。オールグレンはたびたびそう思った。だが結局のところ、それは叶わない。オールグレンは戦争に狩り出され、戦功をあげることを求められる。
「私には無理だ……」
何度そう思ったことだろうか。
叔父のランデリードは、それを期待と呼ぶ。だが、オールグレンにとっては重荷でしかない。そのことを、誰も分かってくれない。唯一わかってくれたのは、ラルニャだけだ。
「王子、出撃のご準備を。明日の朝には、ユニケーを出ます」
ランデリードが直接、部屋まで来て言った。オールグレンは頷く。
「敵は五千だったか。早々に蹴散らし、クイダーナの反乱を鎮圧してドルク族を討つ」
「そうです。王子、その意気です」
叔父の眼には、自分の姿はどう映っているだろう。民の為に覚悟を決めた、次期国王としての姿に見えているだろうか。
「民の苦しみを長引かせるわけにはいかない。叔父上、力を貸してくれ」
「もちろんです、オールグレン殿下。ジャハーラ子爵の首を持ち帰り、ビブルデッド様を驚かせましょうぞ」
ランデリードは嬉しそうに笑う。オールグレンも笑った。
今はまだ、求められている姿を演じるのは難しいことじゃない。王子である今はまだ。
だけど『王』になったら、演じ切ることができるのだろうか?
お待たせして申し訳ございません。
次回、ジャハーラ軍VS王国軍です。




