5-15「じゃ、親分、おれちょっと行ってくるわ」
機構都市パペイパピルは、ルノア大平原の都市国家の中でも、ひときわ異彩を放つ存在である。高い城壁で覆われた都市の内側には、巨大な採掘場がある。古の時代の都市が、パペイパピルの足元に眠っているのだ。遺跡からは貴重なルーン・アイテムが発掘されることが多く、パペイパピルの貴重な収入源となり、また生活を豊かにするために使われてきた。
パペイパピルが機構都市と呼ばれるのは、都市の内部でルーン・アイテムを利用して、さまざまな道具を生産しているからである。軍事に関わる物でいえば櫓や車、生活に関わる物で言えば釣り具や農具などを組み立てている。単にルーン・アイテムを採掘して売り出すのではなく、それを利用して道具を作り出し、その道具や技術を他の都市国家に売り出す。そのシステムが構築されている。
現領主のルーク伯爵は、そうやって技術を販売することでパペイパピルを発展させてきた。有限資源であるルーン・アイテムを都市から出さない方法をとることで、長期的に民の暮らしを豊かにできる。ルーク伯爵のその考え方は非常に合理的で、彼の代になってからパペイパピルはルノア大平原の中でも屈指の大都市に成長することができた。
ルーク伯爵は、自分の治世の腕を信じて疑わない。伯爵位を継いでから二十余年、パペイパピルの発展の為に身を粉にして働いてきた。目下の悩みは、引退ができないということだった。一人息子のチェルバには爵位を継ぐつもりがないようだ。槍術に夢中で、旅に出たきり一年も帰ってこない。他に手ごろな親戚がいれば爵位を譲っても良いのだが、あいにく適任な者が思い浮かばない。
鏡に映る自分の姿を見るたびに、溜息をつきたくなる。若い頃は艶のあった黒髪も、今や黒い部分を探す方が難しい。
「老いたな」
自分の姿を見て自虐的にルークは笑う。それは朝の日課となりつつあった。
さて、そんなルーク伯爵の下に、百艘を超える海賊船の発見の報がもたらされた。大型船も含んでいるという。ずいぶんな大艦隊である。ルーク伯爵は双眼鏡を用いて、海賊船が近づいてきているのを自ら確認した。
「アッシカ海賊団か! 銃兵隊に用意させろ! それから大砲だ。手の空いた者は弓を用意、迎撃の準備に入れ!」
かくしてパペイパピルは海賊船が近づいてくるまでに防備を固めた。ルーク伯爵は決して慢心していたわけではない。百艘もの海賊船は確かに脅威だが、上陸を許さなければ十分な勝機があるはずだった。海沿いの城壁には十五を数える大砲が配備され、二千人もの銃兵隊が配備された。港に船が入り込めないよう、海門も閉ざしてある。防備は完璧に思われた。
機構都市パペイパピルは海沿いにある上に、貿易港としての価値も高く、ルーン・アイテムの採掘までできる。海賊たちに狙われたことは今までにも何度もあった。百艘を超える大艦隊はそうお目にかかれる機会は多くないが、それでも十分に防衛できるとルーク伯爵は考えていた。ルージェ王国軍に合流する為、軍の半数近くは出払っているが、海賊相手に後れを取るとは思えない。
海賊団にとって船は命であるから十艘も沈めてやれば逃げ出すに決まっている、という今までの経験則が、ルーク伯爵を縛った。攻め手がアッシカ海賊団である、ということも判断を鈍らせる大きな要因であった。団長のアッシカは慎重で、合理的な判断ができる男だとルークは判断していた。他の海賊たちとは一線を画すると思って買っている。だからこそ、被害が多くなれば無理に攻め入らずに撤退するはずだと確信している。
海賊船が射程に入り、大砲が火を吹いた。大砲はもとより命中精度が低い。ぎりぎり届くという程度であれば、届きはしても当たりはしない。敵が近づいてくる。砲撃を続けさせた。肉眼でもはっきりと海賊旗の見える距離になって、ようやくルーク伯爵は違和感に気づいた。あまりに砲撃があたっていない。命中精度が低いのは確かだが、それにしても当たらなさすぎではないか?
敵の大型船は沖合で停泊した。小船が発進してくる。特に大型船が沈められるのは、海賊団にとって威信を失うことに等しい。
「射撃準備! かまえーっ!」
銃兵隊と弓兵部隊で小船の対処をする。砲撃部隊はそのまま沖合の大型船を攻撃させる。何も敵を全滅させる必要はない。パペイパピルを攻めれば火傷すると教えてやれば、それだけで海賊たちは手出しをしてこなくなる。
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このとき、ルーク伯爵の部下の中に精霊術に長けた者がいれば、砲撃があたらないのではなくかわされている、ということに気が付けただろう。沖合には途方もない数の水と風の精霊が集まっていた。もちろん、操っているのはゼリウスである。大型船の甲板で精霊術を使って船を守るゼリウスのそばで、アッシカは呆然と成り行きを見守っていた。
「じゃ、親分、おれちょっと行ってくるわ」
小船に乗り移ったルーイックの言葉に、何とか威厳を保ちながら「おう」とアッシカは答えた。
「さあて、ひと暴れするわよー!」
灼熱色の長髪を靡かせ、ディスフィーアが言う。ルーイックが「えいえいおー!」と掛け声をかけて、小船を出発させた。ディスフィーアが波の精霊を操っているようだ。信じられない速度で、ディスフィーアとルーイックの乗る小船は、先に進んでいた味方の小船群に合流する。
機構都市の銃器が火を吹いた。こりゃあ死人が大勢出るぞとアッシカが覚悟した時、高潮が上がって銃弾を防いだ。続いて、矢雨が小船に降りかかる。今度こそ犠牲が出るぞと覚悟した時、強風が吹きすさんだ。矢は軌道を失い、海の中に落ちていく。小船は風に乗ってパペイパピルに突撃していく。
(敵を見誤らなくて、本当に良かったぜ……)
デメーテの言った通りだ。アッシカは成り行きを見守りながらそう思った。視界の端にゼリウスが映る。その口元が歪んでいるような気がして、アッシカはゼリウスに視線を向けた。
長い髪に隠されて、ゼリウスの表情は読めない。
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ルーク伯爵が、敵がただの海賊団ではないと気が付いたときには、既に海門が突破されていた。
海賊が精霊術師を雇うことくらいは、ルーク伯爵にも想像が付いた。しかし、現在起きている事象は、そこいらの精霊術師が起こしているものとはとても思えない。手をこまねいている内に、海賊たちは港に上陸している。
「ええい、上陸させるな! 撃て、撃てーっ!」
銃と弓矢が、港に降り立った海賊たちに撃ち込まれた。海賊たちは盾を重ねて攻撃を防ぎ、じわじわと詰め寄ってくる。一糸乱れぬ連携に、ルーク伯爵はうすら寒い物を感じた。これは海賊の戦い方ではない。
「おっさきー!」
盾の間から、少年が飛び出してきた。不格好な鷲の帽子を片手で抑え、もう片方の手には半月刀を握りしめている。少年は銃弾の雨を物ともせずに港を駆け回り、防衛部隊をひっかき回していく。
「あー、ちょっと、待ちなさいよ!」
次に聞こえてきたのは女性の声だ。目を向けると、赤髪灼眼の乙女が突風を巻き起こしたところだった。角の生えた白馬に跨っている。風の刃が、一直線に城壁の上に飛来する。その直撃を喰らって、城壁で銃を構えていた兵士たちが落下していく。
「ええい、あの精霊術師の女に狙いを集中しろ!」
ルーク伯爵は指示を出すと、自分は城壁から何歩か退いた。銃撃の音が響く。風の刃が飛来しては、銃兵隊がやられていく。
「ルーク様! 精霊術師はあの女だけではありません!」
「なんだと? ならば精霊術師を優先的に攻撃させろ!」
「そ、それが……上陸してきた海賊どものほとんどが精霊術を使うのです!」
「バ、バ、バカな……。海賊風情がそんなに精霊術師をかき集められるはずが……」
ルーク伯爵はようやく敵の正体に気が付いた。魔族を中心にした軍勢。海を越えた先、クイダーナ地方では魔族がルージェ王国に対して反乱を起こしたのではなかったか。
もし、敵がアッシカ海賊団ではなくクイダーナ帝国軍なのだとしたら、勝機は万に一つもない。
(しかし、どうしてクイダーナ帝国軍がパペイパピルを攻めるのだ!)
考えている時間は、ルーク伯爵には残されていなかった。報告に来た兵が、急に苦悶の表情を浮かべる、倒れる。その後ろには半月刀を構えた少年海賊がいる。もうここまで登って来たのか! 兵たちはいったい何をしている!
二歩、三歩と後ずさる。
「ま、ま、待て。クイダーナ帝国軍の皆様なのだろう? 都市を上げて皆様を歓迎する。クイダーナとの交易は双方に大きな利をもたらすはずだ。きっと私たちは上手くやれるはずだ」
少年は一瞬だけきょとんとしたが、すぐに半月刀を振るった。鮮血が迸り、ルーク伯爵の首が転がる。
「よくわかんねえけど、おれ、帝国軍じゃねえし」




