重責ゆえの喪失
何もかもが嫌になった。怒りと憎しみと悲哀が混ざり合い、声にならない叫びをあげる。
「――ッッ!」
衝動的な気持ちを抱えながら、何にもぶつけられずに黙々と歩き続ける。
沸々と煮えたぎる激情が胸を焼き、涙を噛み殺す。
「泣くなよ、ばか。男なのに、みっともない……」
僕は自分を奮い立たせ、虚勢で感情を飲み下す。
涙が出る直前のように目がじくじくと痛い。まだ泣いていないけど、鏡を見たら赤くなっていそうだ。
気がつくと、バンガロー裏の物置にいた。今朝ココアと整理していた場所だ。ひと気の無いところを目指していたのに、最後には戻ってきたらしい。
物置は整理されていて、ひと一人が入れそうなくらいの空きがあった。ここにあるモノたちは、忘れられたように放っておかれている。散々に使われてから、用がすんだら放っておかれるモノたちを見て、僕も同じなのかもしれないと思えてきた。
僕の居場所はどこなんだろう。なんとなく物置の中に入った。物置の扉を閉めるとまっ暗になる。そよ風の音すら遮断され、静けさだけが満ちている。
「ふてくされて一人になりたくて、挙句に物置に隠れるって子どもっぽいな……」
真っ暗な物置の中で自虐的に呟いた。呟かないと、真っ暗すぎる世界に僕がいなくなるみたいで、自分を確認するように不安な気持ちを抑えきれなかった。
草が踏まれる音が近づいてきた。僕が隠れている物置の前で音が立ち止まる。
「……たぶん、ここに」
「けれど、……だと思うし」
「分からない。……絵具を、ぜんぶ混ぜたような色みたい……」
「そう言えば昔は見えて……」
遠かった声が明瞭になってくる。僕の苛立ちの張本人がふたりともやってきた。
そのうちの一人が物置の目の前まで歩いてきた。
「ここにいるの?」
義姉の声に、僕の心に怒気が込みあげてきた。
「……なんで一人にしてくれないの」
「一人にしちゃいけないかなって思ったから」
勘弁してほしい。本人が止めてと言っているのに、どうして来るのだろうか。独善的だ。
草の上に座る音がした。ずっと居座る気だ、この人は。
義姉が座ってから、しばらくの間はずっと沈黙が流れていった。
ここまで追って来て何も言わないつもりなんだろうか。なにも考えずにここに来たんだろうか。どうにも感情的に生きている人だ。もっとも、僕からは何も言うつもりはないけれども。
義姉が長い沈黙を破った。決意のこもった迷いのない声で、僕へ言葉を渡してくる。
「生きているとさ、逃げなくちゃいけない時ってあると思う。駄目になっちゃったらそれでおしまいだから、助かるなら逃げてもいいと思う。でも、いま逃げちゃっていいのかな。たった一回の行動でずっと後悔する時もあるように、一回でも逃げたら全部が駄目になる時ってあるかもしれないよ」
逃げている?
僕が?
ああ、そっか。こんなところに引きこもって、本当に子どもみたいで馬鹿馬鹿しいことをしているからだ。でも、馬鹿らしいと分かっている上で、きっと僕は逃げることを必要としている。感情に振りまわされていると理解しながら、子どもっぽくていけないことだって分かっていながら、感情に振りまわされることを善しとしている。僕はなんて情けないんだろう。
僕は義姉の言葉に気持ちを漏らす。
「あの学園にいた頃が一番に良かった。僕の居場所はあの場所だったのに、僕は……」
「考え過ぎじゃないかな。いま考えている部分をポイッと捨てれば楽になれると思う。ポイッとして、きれいになった部分は未来を考えれば楽しいんじゃない?」
僕はその言葉に一瞬で頭に血が昇った。
「捨てていいモノと捨てちゃいけないモノ位は分別できる。何年人間をやっていると思っているんだよ。それくらいのこと、分かっている上で今が嫌なんだよ……ッ!」
いや、僕は人間じゃなかったか。自分で何を言っているのか、本当は自分でも理解できていないのかもしれない。
「そういう意味じゃないの。昔っからそうだけど、年齢の割にヒネくれてるというかさ、変に歳を重ねて屁理屈ばっかり覚えてきて、感情が出ないのに磨きがかかっているよね」
知るかそんなこと。勝手に僕のことを見限るなよ。
むしろ、感情が出ないというのは、出会ったばかりの頃のココのことを言うんだろう。能面のように冷えた無表情で、今でもわからない表情もあるけれども、それどころかまったく表情が崩れない時が今でも多いけれども、感覚的に察知できるようになってきたっけ。
「感情が出なくてもいいだろ、別に」
詰まりそうな声で、僕は義姉に言い捨てた。
感情なんて無かったら、今の僕はちゃんと生きようって思えたかもしれない。そう思うと、胸の中でやりきれない気持ちが疼いてきた。
義姉が容赦なく僕の心を抉る言葉をかけてくる。
「感情を隠して、いつも冷静に生きるのはね、一番に効率の良いあたりさわりのない生き方だと思う。でもね、それって逃げてばっかりってことなのに何で気がつかないの!?」
「うるさいっ! 気付くも何もあるか! 勝手に僕の感情を決めつけて、説教をしてくるときたもんだ。僕のことなんか何も知らない癖に。僕の今の気持ちを知っていたなら、そうやって感情を抉るような言葉を吐けるわけないだろ!」
「何度だって言ってあげる! あなたが間違っていると思ったなら、何度だって言ってあげる! ちゃんと前を見て、諦めないで。言い訳なんてしないで、大切なことから目をそらさないで、卑屈にならないで頑張ることが人生なんだよ。まったく無理なことは言ってないよ、簡単なことなんだよ?」
「あんたの世界にとっては、言い訳に見えるだけだろ。自分勝手な世界感に浸って、僕のことなんか何も知りもしない癖に。僕は元々そういう風に生きられないんだよ! そんな気安く簡単って言葉を使うな! 夢ばっかり語って、自分勝手な正義感に浸って、それを聞く身にもなれっていうんだ! 自己陶酔に巻きこむのなんて、やめてくれよ! そういうのって聞く側が一番に腹が立つのを分かれっていうんだ!」
僕は今まで感じていた全部の感情を吐き出した。
「努力しても届かないものは届かない。アルフに気付けなくて、ユーリもフランも巻き込んで全部が嫌になった。ずっと、僕なりに頑張っていたんだよ……。それでも駄目だったんだよ……。じゃあ、その望みを捨てて、割りきって生きることを僕が選んで何が悪いんだよ! もう希望とか考えたくない! 希望をあおる側は、正義の味方気分でさぞかし気持ちいいんだろうね、でも、僕はもう嫌なんだよ!」
「その考え方って全然に面白くないんだよ! 生きているのがまったく面白くないんだよ!?」
「生きている事に面白いも何もあるか! それ以前に、生きることすらいっぱいいっぱいなんだよ! 余裕が無いって思って、これ以上は無理だって悟って、自分だとできないことを『できないもの』って認識して何が悪いんだよ! だったら、流れ星でも今から見せてよっ! できないものは無理だろ絶対に!」
「流れ星を見るのはあなた自身。あなたが努力して見なくちゃ駄目なんだよ」
「なんだよ、綺麗事を言いながら、けっきょくは運任せじゃないか! 努力なんて無駄じゃないか! だったらなにもしたくないよ!」
「努力したら、すぐに成功するなんて思いあがらない! 人生を舐めちゃいけない! ずっと空を見ていたから、世界で一番のりに流れ星を見ることができるんだよ。上を向くくらいできなくてどうするの! まばたきをするな なんて言ってないんだから、何に対して無理なんて言うの!?」
「全部が無理なんだよ。まったく、首が痛くなる理屈だ。徒労になるのが目に見えている」
「そう見えるのは、最初だけ! 真剣になって見上げていたら、首が痛くなって工夫しようと思うでしょ。ソファーでも買って楽な姿勢で見るのも良いし、仲間に手伝ってもらって気配があるまで観察してもらってもいいんだよ。どうして、そんなことも分かんないの!? 何にも考えないで、全部を否定して、悟ったふりをしている中途半端な努力のことを徒労って言うのが分からないの!?」
「うるさい! そうやって自分の尺度を押しつけるな! 簡単に僕を否定なんかするなよ! 僕だって、頑張ってきたんだよ。でも、どうして駄目になったのか分かんないんだよ……。ずっと正しいと思った選択をしてきたのに、あがいても全部が駄目になっていって……。考えたいのに、頭の中は整理がつかないし。だって、自分のことすら人間じゃないかもしれなくて……僕ってなんなんだよ……っ!」
唇が震えて、声も滲んでいた。景色が涙で淡くぼやけていく。
「もう、生きるのにも疲れたんだ……。ごめんなさい……ぜんぶ僕が悪くてもいいから、それ以上言うのは止めてよ……。放っておいてよ……っ!」
涙と絡み合った激情が、喉に詰まって咽返る。流れおちる涙を拭うけれども、ずっと流れ続けてくる。拭おうとすら思えなくなってきた。
まるで冷たい海に投げ込まれたような気持ちだ。感情を言葉という形で表現して、自分の気持ちがはっきりしたからかもしれない。
石のように僕の心が暗い底に沈んでいく。凍えるほど冷たい孤独に包まれていく。でも、孤独を拒否しようとは思えなかった。むしろ、悪くはないとすら思えてきた。
どれくらい泣いていただろうか。ふと人の気配が離れていくのを感じられた。義姉が去ったらしい。
去り際に義姉とココの会話が聞こえた。何を言っているか完全には聞き取れなかったけれども、ココが「夜みたいな真っ暗な心が……」と呟いていたのが微かに聞こえた。
きっと、今の僕の気持ちを表現するとしたらそうなのかもしれない。小さな物置の中で、真っ暗な世界に心が溶けていった。
◇◇◇
誰かが近づいてくる音で目が覚めた。外から漏れていた陽の光が無い。いつの間にか夜になっていた。
「あの……だいじょうぶ……?」
ココの声が聞こえた。でも、僕は何も考えられなくて、反応する事ができなかった。
止めてくれ、今は本当に何も考えたくないんだ。感情が溢れだし、僕の心が押しつぶされそうになる。また涙がぶり返してきそうになってきた。
「書き置き、あるよ……」
隙間から手紙が差しこまれてきた。取る気力すら湧かない。
「行くね、さようなら……」
ココが去っていった。
誰の書き置きだろう。ココ自身が書き置きと言ったなら、ココが書いたという意味じゃなさそうだ。ということは、この手紙は義姉の書いた手紙だろうか。
なんだか無性に苛立ってきた。いっそのこと破ってやろうかとすら思えてきた。でも、手紙というものは気持ちがこもっているイメージがあって、どうにも無下にするのも気が引ける。
じっと手紙を見つめる。この手紙をどう処理するのか、考えることすら面倒くさくなってきた。
「見るか……」
手紙なんだから見なければいけない。特に考えなんかなくて、手紙は届いたら見るものだからという無意識に流されて手紙の封を切った。
久しぶりに見た達筆な文字だ。でも、内容が頭に入らない。考えることを僕はできなくなっていた。
何か文字の羅列が書いてある。茫然と眺めていると、最後の一行だけ読めた気がした。徐々に靄がかっていた思考が明瞭になってきて、ただぼんやりと『流れ星を 見せつけに 行く』と書いてあるのが分かってきた。
「……見せる、じゃないのか。見せつける、なんだ」
だんだんと頭が動きはじめてくる。少しずつ手紙が読めるようになってきた。
『わたしがあなたの未来を取り戻してあげる。大好きだから、あれ以上は言いたくなかった。だから言わない代わりに、今度は行動でしめしてみる。いま苦しんでいるわたしの大好きな人のために、わたしが希望を持ってきてあげる。 流れ星を見せつけに行く 』
読み終わると、今度は読めていた文字が潤みはじめる。霞んで読めなくなってきた。
「軽く言うなよ、好きとか……。だから苦手なんだよ、ばか…………」
あれだけ泣いたはずなのに、また涙がこぼれてきた。義姉はあんな風に僕に言われて、きっと嫌だと感じていたに違いない。それでも、義姉は未来を切り開こうと頑張っている。
しかも、僕を気にかけて手紙まで書いたんだぞ。それなのに僕は何をやっているんだろう。自分のバカさ加減に情けなくなって いたたまれない気持ちになる。
月が昇っている夜。優しい風が髪を撫でる。
夜風に当たって僕は物置から出て行っていることに気がついた。茫然とした気持ちだったからか、自分が行動していたことすら気付いていなかったらしい。
物置から出て行ったからには、僕は出ていきたいと感じたからだろう。じゃあ、なんで出ていきたいと思ったのかな。もしかして、義姉の愛情を感じて人恋しくなったのかもしれない。
寝ぼけているような浮遊感の中でバンガローの扉を開ける。
バンガローは空になっていた。まるで初めからなにも無かったかのように、人が生活していたぬくもりすらも失っていた。ベッドと机がぽつりとあるだけ。あれだけあった人形達も全部いなくなっていた。
唯一にテーブルの上に残っている「3体」の人形。見慣れた人形達が、いま見えている光景は現実のものであることを見せつけるように存在していた。
残っていた人形達のうち、ナズナはどこかツンと背中を向けている。スミレは僕の姿を見つけると戸惑いはじめた。ポプラはどこ吹く風といったようぺたんこ座りをしている。
「なあ、どうしたんだよ。ココはいないのか?」
僕は人形達に尋ねると、ポプラが顔をあげた。
『ドッカ行った。ケッコウ時間が経ってるヨ。アイツはサクラを連れてった』
「どうしてだよ!」
『知らナイ。本人に訊きなよ……いないケド……』
僕の魂が軋んだ。後悔と憤怒が混じり合い意識を殴りつけてくる。切なさと寂しさが病理となって思考を蝕んだ。最悪な結末に、精神が砕けようとしているのを必死に押さえようとその場に座りこむ。座ろうとしたけれども上手くいかなくて、膝が床へくずれ落ちた。
「僕の居場所が……、なくなっちゃった……」
僕は人間であることを否定した。そして、彼女も失い、生きることすらも否定せざるをえなくなってしまった。僕の居場所は、ぜんぶ無くなってしまった。
視界が涙で曇る。僕の意識もぼんやりと霞んでいった。




