名前
「ちょっと待って、結論が飛躍しすぎている!」
僕は思わず声を荒げていた。
世界が緊急事態だなんて信じたくなかった気持ちのせいかもしれない。アルフと敵対している事実が明確になってきて怖くなったからかもしれない。
かすかに震える声で、義姉に疑問をぶつける。
「学園が怪しいのは充分に分かった。けれども、そもそも過去に戻っているって、どうしてそう思ったの? 本当に時間が戻っているなら証拠なんかなくなるだろうし、全部が想像の話じゃないか!?」
僕の問いに、義姉が静かに答える。
「……私が過去に戻っているから」
ぽつりとつぶやかれた義姉の言葉に、僕は一瞬、その意味が理解できなかった。
かろうじて、ずしりとした氷塊のような重い言葉だったのは分かった。僕は息をすることすら忘れて耳を澄ませた。
「わたしの名前を言えば理解できるかな。私の名前は、『ココア・ルルリス』。時間が巻き戻されたことによって生まれたの。私自身が、過去に巻き戻されたことを証明する理由」
「……どういうこと? どうして?」
「私の存在のこと? 仮説になるけれども……」
義姉は決心するように、少し間をおいてから話しはじめた。
「過去に戻る魔法と言うのは説明のための便宜なの。本当は『みんなの願いを叶える』が最初の魔法だったんだと思う」
シンプルな響きに、その偉業があまりにも軽く感じそうになった。
内容は単純明快。考えるまでもなく、もはや神の領域の魔法ではないか。
「……すごい魔法なんだ」
「軽すぎてありがたみがなくなりそうだけどね。わたしは恩恵を受けた側だからあんまり非難はできないけれども。その魔法を作った人って、頭の中がお花畑の人かもね。もとい、そういう狂人じゃないと作れない規模の魔法だったんだろうし」
義姉が苦笑する。
僕も義姉に同意する。ずいぶんと頭の中がお花畑の内容だけれども、たしかに分からないでもない魔法だからだ。
人が悪い人になる原因は、心の何かが満たされないからという考え方がある。だったなら世界を平和にしたいなら、足りない原因を叶えてあげればいい。でも、際限なく願いを聞き続けたらつけ上がるのも人間だから、机上の空論なんだろう。だけれども、魔法という世界の理屈を捻じ曲げるものを使ったなら、もしかしたなら――。
「人類がみんな幸せ計画があって、『みんなの願いを叶える魔法』が発動した。でも、みんなの願いを一斉に叶えてしまうと、世界が歪になってしまう。だから、順番みたいなのがあったんだと思う。それで真っ先に選ばれた誰かが、『時間の逆転』を願ったみたい。時間が巻き戻れば、最初の人以降の願いは叶えるまえに強制的に時間が巻き戻ってしまう。つまり本来は最初の人以外は誰も願いを叶えられないの。でも、わたしの場合は、あの部屋だけは違っていた」
義姉が思い出すように瞳をつむり、ひと呼吸おいて話す。
「魔法学書の一節だけれどもね。魔法とは心の延長であるため、万人の心が正しいと思い込んでいる対象は影響を受けやすい性質がある。すなわち、心こそが概念魔法の真髄である」
言い終わると、義姉が僕に視線を渡してきた。
「そして、わたしのいた部屋は――」
「――ココは、俺が引き取る時に暗闇の部屋にいた」
それが義姉の生まれた発端になる。
『時間』は、『暗闇』には無意味だからだ。だって、『暗闇』にいれば『時間』の感覚は無くなってしまう。『暗闇』によって心が『時間』を把握できない理屈から、あの部屋は『時間の逆転』に対して効果が軽減されていた。
義姉が僕の答えに頷きながら話していく。
「『時の逆転』が発動している中で、ココアは暗闇に守られていて影響を受けなかった。その時に願ったのは、『私を外に出して下さい』という願い」
過去に戻る魔法と、義姉が願った外に出る魔法。両方の魔法が発動した結果、外にいるココアと、過去と変わらずに館の中にいるココアの二人がいる新しい世界が誕生した。
義姉は懐かしむように目を細めた。
「外の世界に出ることができてとても幸せだった。夢見ていた遠い空に、ぽかぽかしたお日さまのひかり。風に揺られてさざめく草の演奏。最高に素敵だった」
義姉が嬉しそうに語る。
丈夫な身体、いや、丈夫と表現するには頑強すぎる身体を手に入れた。世界を揺るがす魔法の影響を受けて、何があっても外で生きていられるように身体が魔法によって強化されたからだ。
「外に出れてさ、幸せだった?」
「うん、とってもね」
義姉がとても綺麗に微笑んだ。義姉の笑顔につられて、一緒に顔がほころびそうになるくらい幸せに満ちている笑顔だった。
その笑顔に、僕の心に微かに芽生えていた気がかりがひとつ消えた。お金でココを引き取るような形だったから、ココ自身に外に出て良かったのかを訊くのが怖かったからだ。義姉の言葉を通して間接的に訊くことができた気がした。
「長くなったから話をまとめるね。学園長によって『全ての願いを叶える魔法』が発動する。でも、最初に願った人が『時の逆転』を願う、それと同時にココアが『外に出たい』と願う。『時の逆転』によってリセットされた次の世界は、過去に戻ったけれどもココアの願いも聞き入れている世界。つまり、過去と同じく館の中にいるココアと、外で生きることを願ったココアの二人がいる過去を基軸にした世界ができた」
ちゃんと理解できているか、義姉が目配せしてきた。僕は頷いて返事をした。
「じゃあ続き。この二回目の世界も最初と同じように運命が進む。つまり、学園長によって『全ての願いを叶える魔法』が発動する。そして、最初に願った人が『時の逆転』を願い、それと同時に館の中にいるココアが外に出たいと願う。そうして世界はずっと回り続けていた」
「ちょっと待って。それだとココアが外にたくさんいるってこと?」
「いるよ。ちゃんとここにね」
義姉が自身の頭を指差した。
「厳密には魂が外に出たいって願ったからなのかな。それとも、世界に無理がないような形に適合されたのか。 私の頭の中に何百人もの魂が入りこんでいる。同じ魂だからすぐに溶けあって一つになるけれどもね。世界が周回されるたびに、私は新しい魂と魔法の影響を受けてずっと強くなっていく」
これが義姉の最強の由来。世界が終わらない限り、永遠に魔法の影響を受け続ける。そして、終わらない世界を永遠と生き続けている。
ずっと話に参加していなかったココが、意を決したように顔をあげた。
「でも、今度の……。わたしの願いは違った。一人じゃさびしい、気持ちを込めたから」
ココが心底から申し訳なさそうに、小さな声で呟いた。
どうして、そんな小さな声で言うのだろうか。もちろん、驚きは僕だってしているけれども、少なくともココに対しては怒っていない。どこか怯えるような様子に疑問を感じた。
義姉がココの言葉を解説していく。
「運命って言うのはね、選択肢がないわけじゃないと思うの。きっとそれが原因なんだと思う」
「どういうこと?」
「たとえば私が、喉が渇いてジュースと水のどっちを飲もうか迷ったとする。でも、運命的にはそんなのは関係ないから干渉外ってこと。なにを飲んでも運命から見れば一緒だからね。きっと、毎日ジュースを飲む選択をしたとしても、途中で太ってきたかなって思って飲むのを止めて標準の体形になる。運命から見た大きな視野にとっては、私は平均的にはずっと標準の体型を維持し続けることになる。だから、その程度の選択肢なら、運命は干渉する必要はないの。言うならば、選択肢の自由はあるけれども、運命は決定事項ってこと」
義姉が運命を嘲るような含みで言う。
「古めかしい言い方になるけれども『カゴの中の鳥』と言えばいいのかな。私達がカゴの中で何をしようが、運命にとっては許容範囲内ってこと」
運命に対して悲観的なことを言いつつも、義姉の瞳には失望は感じられなかった。むしろ、煮えたぎるような熱いものを感じた。
「でも、選択肢があることには変わりない。私だけでなくて、誰かの選択肢にちょっとだけ影響を与えたなら、その選択肢が別の誰かに影響を与えたなら……。小さな影響がずっと重なりあった奇跡の連続が、今の世界だと思うの」
館の中にいるココアがずっと外に出たいと願い続けていたなら、世界は廻り続けていたままだった。しかし、一人じゃ寂しいと願ったココアがいたために、繰り返される運命が変わってしまった。
本来は、運命が永遠に繰り返される。しかし、何度も繰り返していたなら、運命の管轄外の部分で、奇跡的に起きた選択肢の重なりによって運命を揺るがす可能性がある。
それは気が遠くなるような物語だ。運命が変わるということは、未来の予定が変わるということである。人間が予定を決めたら、気まぐれ程度では予定が崩れたりなどしない。運命に影響させるには、小さな偶然が何度も重なった奇跡的な確率によってズレが起こらなければならない。
しかし、これはあくまでズレが起きる理屈の話だ。今ここにある世界は過去に戻ってしまう性質がある。たとえどこかの運命が変わっても、時間が戻ってしまえばそれまでだ。また最初の運命に戻ってしまう。
運命が変わる方法はただひとつ。何度も繰り返されている世界で選択肢のズレが広がった先に、館の中にいるココアの選択肢に影響を与えることによってしか世界がズレないのだ。本当に奇跡的な確率の中で偶然が繋がった果てに「一人だと寂しい」という別の願いが出現できたのだ。
義姉とココアは大きな物語に巻き込まれていたらしい。ただ話を聞いただけなのに、なんだかずいぶんと遠くに来た気分になった。
たくさんの話を聞きすぎてごちゃごちゃになっている頭で、義姉へ確認する意味で問いなおす。
「少し頭の中を整理させて。最後のココの願いが『ひとりは寂しい』ってのがあるよね。でも、俺がココを外に出す運命なら、今の運命の選択は……。ああ、もう。話していたら規模が大きすぎて分かんなくなってきた」
「そんなに難しいことじゃない。もっと、簡単なことだから」
なんとなく嫌な予感がした。僕の本能が、義姉の言葉を聞いてはいけないと叫んでいる。まるで運命と対峙しなければいけないと告げられたような恐怖心が湧きあがってきた。
義姉の唇から言葉が紡がれる。
「あなたは、もともとこの世界にいなかったの。館の中にいたココアの願いを叶えるために、ココアを外に出すために生まれた仮初めの人間なんだから」
「仮初めって、いや、まあ……」
なんだそんなことか。拍子抜けした。
僕には外の記憶があるし、いわゆる異世界召喚って奴なんだろうな。やっと僕がこの世界にいる意味が分かった。
ココが不安げに僕の顔色をうかがってきた。
「……驚かないの?」
「別に。どちらかというと俺の存在理由が分かって、胸につっかえていた物が すっとした感じ」
義姉がほっと胸をなでおろした。
「そう。ショックを受けると思ったのに。いや、そういう風に人格が形成されているのかな?」
「人格って言われても、俺は 俺だけれども」
義姉が言い辛そうに尋ねてきた。
「不安じゃないの? ――あなたはこの世界で、『名前が存在しない』のに」
運命が僕の肩に手を置いた。「ほら逃げなかったから」とゾクリと背筋を舐めてくる。決して触れてはいけないものに気付いてしまった。
「――っ!」
「あなたは願いの魔法によって作られた副産物のような存在なの。本来はこの世界に存在しないはずだから名前が存在しないのかもしれない。もっとも、人間として人格形成ができるように仮の記憶があるから混乱は少ないと思うけれども――」
「いや、仮じゃなくて……っ。俺の名前は――」
言えない。だって、分からないから。
「――理不尽に世界の理を捻じ曲げて奇跡を起こすのが魔法だから、たしかにショックは大きいだろうけれども――」
義姉の言葉を、さっきから全然に把握できない。
僕の思考が奈落へと落ちていく。深く深く、どこまでも沈んでいく。
「――わたしは貴方に同情する。あなたは何者でもなくて、ただココアを外に出すために生まれてきたんだもの」
違うんだ。僕の意志でココを引き取ったんだ。
「――ココアが館の内にいたとき。どうして外に連れ出したいと思ったか疑問に思わなかった?」
ただ目が離せなかった。どうしても、ココを自由にしてあげたかった。特別な理由なんかなくて、特別な理由がないからこそ、なにも考えずに外に出したいと思っていた。
「僕に記憶がない……、僕に意志はないのか……?」
前世だと思っていた記憶は、僕の証明ではない。だって、この世界に生まれるための仮初めの記憶なのだから。僕の意志だと思っていた行動は、ぜんぶ本当の意味で僕が起こした行動ではなかった。
じゃあ、ここにいる僕は何者なんだろう。
今までの不思議の全部が繋がった。
ああ、やっと理解できた。だからホームシックにならないで、この世界を生きてこれたんだ。だって、帰る場所がないから。
ああ、やっと繋がった。だから、記憶を眺めても思い出に震えることがなかったんだ。だって僕には懐かしむ思い出なんかなくて、はじめから空っぽだったから。
ココが心配げに僕の顔を覗いてくる。その透き通った瞳に惹かれるのは、世界にそう作られていたからだろうか。
「だいじょうぶ……?」
「――っ!」
喉が震えている。腸が煮えくりかえり、いつの間にか拳を握っていた。
これじゃあ、今までの僕が、今日までに過ごした全部の過去が否定されたみたいじゃないか。僕の行動にはずっと意志はなかったみたいじゃないか。
義姉が心配そうに細い声をかけてきた。
「ちょっと落ち着こうか。何か飲む?」
「別にいい。いまは一人にして……」
「でも、一人だと悪いことばっかり考えるようになるよ。辛かったら私が聞くから」
「うるさいなっ! 張本人が言うなよ!」
部屋が怖いくらいに静まり返った。
「魔法で作られた僕は、もはや人間ですらないじゃないか!」
僕は世界に存在しないはずのモノなのか。だったなら、人類という枠ですら属していない存在になってしまうじゃないか。それなら――
「それなら、僕はいったい誰なんだよ……」
この孤独感を誰が分かるだろうか。誰にも分かるはずなんかない。だって僕は人間じゃなくて、人間は僕に同情できないから。
この喪失感を誰が分かるだろうか。今まで僕が選んできた人生が、全く選んでいなかったのだ。大人らしくちゃんとした理屈で生きようとしながら、それでも失敗して、だからこそ僕なりに考えて、迷って、戸惑って、苦しい思いをしながら生きてきたつもりだった。それなのに、実は迷いもしない、いや、迷いもできない一本道だったんだ。これを滑稽と言わずして、なんと言うだろうか。
「こんなこと知りたくなんてなかった……。アルフ達と学校にいた頃が幸せだった。なんだよ、もう! なんでそんなこと教えるんだよ、ふざけるな!」
「ふざけてない! 今は運命と戦わないと! 未来は消しちゃいけないよ!」
即座に義姉が否定を叫んだ。
僕は義姉と睨みあう。凛として譲らない強い瞳とぶつかった。
「うるさい! 人間の未来なんて知らないし、僕がどこに感情移入できるんだよ!」
「ごめんなさい、でも、協力してくれないかな。こんな時に言うのは悪いけれども、この事件が終わった後に一緒に考えようよ。わたしも、ココアも一緒に頑張って考えるから」
「ふざけるな! 身勝手に産み落としてよくも綺麗事を言えるもんだ。僕らしい人生なんかどこにもなくて、ただただ お前らに利用されて生きてきただけじゃないか! それなのに、一緒になんて綺麗事を言うのか。そんな身勝手に振りかざすわがままを聞いてたまるか!」
僕は一刻も早くこの空間から出て行きたくなった。怒りに身を任せて玄関の扉を開けっ放して出ていく。
僕の生命を、僕の人生をまるごと利用される身にもなれっていうんだ。生まれてこれまでずっと利用しておいて、今頃になって やっぱりもう一度なんて虫がよすぎる話じゃないか。それも、本人たちが自覚をしていないからなおのことタチが悪い。
外は夕焼けが村を照らしている。その綺麗さに僕は無性に腹が立った。
夕暮れを知らせるように鳥が歌っている。その陽気さに僕は激しく苛立った。
子どもたちが笑い合う声が聞こえる。その天真爛漫さを心の底から憎らしく感じられた。
そして何よりも、こんな感情を抱いている大人げない僕に対して一番に激情していた。




