対立 [1]
二人が角を曲がっていった。
「ココ、ちょっと走るよ」
「うん……っ!」
見失ってはいけない。アルフと義姉を追いかける。
どうして二人は一緒にいたのだろうか。アルフには聞きたいことが山ほどある。
僕達も角を曲がる。でも、二人の姿が見当たらなかった。
「土地勘あるのか……。って、こんなところに来ていたんだから当たり前か」
先には分かれ道がいくつもあった。無造作に置かれるように掘立小屋や長屋がいつくも建っている。得体のしれない静けさだけが広がっていた。
茫然としていると、ココが袖をくいっと引っ張ってきた。
「行かないの?」
「どうしよう。先に行けるか分からなくてさ」
この場所は、管理棟が建つ前のずっと昔に、好き勝手に小屋を建てていた場所の名残だ。あまりにも入り組んでいて、この先の道がどう繋がっているのか僕には分からないし、かなり昔から住んでいる人でも道を覚えているのかすら怪しい。
「あの、どうしましたか?」
背後から声をかけられた。振り向くとそこには、ユーリがいた。
「なあ、ユーリ! アルフを見なかったか?」
「アルフレイドさんですか……」
ユーリが怒りを絞り出すような低い声で呟いた。ユーリの表情が険しくなっている。
「いや、突然に悪かった。似ている人を見たから、本当にいたら大変だから」
「別に。いませんでしたよ。見間違えではないでしょうか。ここは人の流れが多いですし。体形や髪の色で見間違えたのではないでしょうか」
そういえば、とユーリが話題を変える。
「ところで、帝国に帰るのが今日になったことは知っていますか?」
「いや、初耳だよ。急な話だな。もうちょっとゆっくりしていかないんだ」
「はい、実は昨日に決定していました。お姉さんに見送られている時に三人で話し合った結果です。まあ、今日だとは言いませんでしたけれども。時間が経つほどに帝国が冷静になるでしょう、なので早めに帰ることにしました。フランチェシカさんが昨日のバンガローへ向かったはずですが、すれ違いになったのかもしれませんね」
だから昨晩、義姉の帰りが遅くなっていたのか。
「ところで、帝国にご家族はいらっしゃいますか。もしよかったなら、お手紙でも届けますよ」
「いや、特にいないけれども」
ユーリが不思議そうに目をまるめた。
「どうした、ユーリ?」
「失礼しました、少し驚いていました。帝国学校に入ってきたなら、帝国にゆかりがあるかと思いましたが違うのですね」
「どういうこと?」
「てっきり、帝国に実家があると思っていましたので」
ユーリが誤解した理由を説明していく。
「帝国学校は、帝国名簿に記されている名字でないと入学できない仕組みになっています。帝国の知識を戦術と考えると、外に持ちだされたら大変です。弱点を解析されて、外部から攻められる可能性があるからでしょう。そのため、帝国の身内の人もとい、帝国由来の名字がある人ではないと入学できない仕組みなのです」
「驚いた。けっこう、厳格な場所だったんだ」
「驚いたのはボクの方ですよ。当たり前のことですから。帝国にゆかりがなければ入学できない場所なのに、わざわざ本当にゆかりがあるのかなんて訊きませんし」
「それなら留学生とかはどういう扱いなんだろう。ユーリはロイって知ってるかな?」
ユーリの空気が険しくなった。
アルフが留学生のロイに絡んでいたから、それとセットで思い出したのかもしれない。油断して地雷を踏んでしまった。
ユーリが咳払いをしてから回答する。
「留学生はかなり最近の事例ですよ。ボク達が入学した時は、別だと考えます」
なるほど。ユーリの話にそのまま沿えば、僕は名字を持っているはずだけれどもどうなっているんだろう。もしかして、義姉の名字になっているのだろうか。あまり気にしたことがないから、名字なんて考えもしなかった。
ふと、名字について考えたとき、背筋に怖気が走った。突然に世界が停止したように思考が冷えていく。
――もっと根本的なこと。名字よりも大切なモノを忘れているような。
「……だいじょうぶ?」
ココが不安げに僕の顔を覗き込んでいた。
「ああ、ごめん。ぼーっとしていた」
話していたユーリも気がついて、どうしたのかと瞳で心配してきた。だいじょうぶだと、笑みで返事をする。
「大丈夫ですか? とにかく、懇切丁寧に村のことを教えていただき、ありがとうございました。お姉さんにもよろしくお伝えください」
「そっか。とにかく、また会えたならいいな」
「はい、そうですね」
ユーリが寂しげに笑った。
◇◇◇
アルフと義姉を探す続きをする。大きな通りを歩いていると義姉をみつけることができた。義姉は通念師の前で手紙を読んでいる最中だ。僕は義姉に声をかける。
「探したよ。ちょっと訊きたいことがあるんだけれども」
「うん、いいけれども読んでからでいいかな? あと二行だけだから」
「それなら待つよ」
義姉が手紙を読んでいる。ふと太陽の光に文字が透かされているのに気がついた。目を凝らして文末を覗き見ると、『フェリンデール』と書いてあるのが分かった。
もしかして模擬戦争で会った幻術の人だろうか。
思案を巡らせていると、義姉が読み終わり手紙を折りたたんだ。義姉が珍しく困ったように むぅと小さく唸った。
「ちゃんとミドルネームを使ってるんだ……」
「ミドルネームって、もしかしてフェリンデールさんのこと?」
「幻術を使う人のことを言ってるならそう。それにしても、私があげたミドルネームを使ってくれたのは嬉しいけれども……」
義姉が言いにくそうに笑顔を濁した。
「その場で考えもなしに名付けたから、うん、ちょっと複雑かなって……」
「どういうこと?」
「人形を借りて、返す時に借りた人形の名前を、ね」
滅茶苦茶な由来だった。たしかに微妙な心境だ。
「本人がさ、ミドルネームで王族が~とか、歴史が~とか、誇らしく言ってたけれども」
「あぁ~。そうかあ。う~ん、どうしよう?」
眉をきゅっと寄せて、加護欲を引き立てるような困った瞳で助けを請われた。
「そんな目で言われても困るし、こっちがどうしようだよ。でも、本人が気にしてないならさ、別に誰も困ってないし。本人の意志を尊重したら?」
「そうだよね。そっか、本人の意志の尊重っていい言葉だね」
なんだかすごく投げやりな意味で『尊重』という言葉が使われた気がする。日本で乱用されている使われ方の意味で。
話題が終わったので、僕は一刻も早く聞きたいことを義姉に訊く。
「あのさ、さっき誰かと会っていなかった?」
義姉の動きが止まった。不自然な沈黙に、ぞっとするような寒気がした。
「いや、もしかして変なことを訊いたかな。でも、突然に止まってどうしたの?」
突然に義姉が両腕を素早く動かした。右腕は何かを引っ張るように、左腕は何かを撒いているような動きだ。
それと同時。僕の手を引っ張ろうとするような、誰かの手が僕に飛びかかってきたのが分かった。その手に掴まれる前に、風を切る糸の音が僕の身体を引っ張ってくる。誰かの手が空振りするのが見えた。
引っ張られてよろけた僕は、義姉に抱きとめられる。義姉は鋭く瞳を細めて、僕の手を引っ張ろうとした誰かと対立した。
その対立した人物は――
「アルフ……。やっぱり。なんでここにいるんだよ……」
見慣れたジャケットに、色違いのボタンがついたYシャツ、黒のカーゴパンツ。見間違うまでもなく帝国学校の制服に身を包んだアルフがいた。
僕の動揺の言葉に、アルフが僕の方へ歩を進めようとする。でも、アルフは踏み出そうと足を延ばすが、何かに阻まれるように動かさなかった。
義姉が、アルフと僕の間を割って入った。
「足を切られたくないなら動かないで下さい。この一帯を糸で包囲しています」
僕の耳元でギターの弦を弾いたような音が聞こえた。糸が張りつめた音がそこらじゅうから鳴り響きはじめた。この一帯に糸の結界が張られていることに気がついた。
アルフが冷たい声で義姉と向かい合う。
「それは警告か?」
「いいえ、脅しです」
ピンと糸が弾かれる音がした。幹の大きい街路樹、僕が両手を広げてもありあまるほどに大きい一本の木が、斜めにズレる。
「腕っ節が細そうだからって舐めないでくださいね」
幹の真ん中から切断された街路樹が、重たげな音を地面に叩きつけた。
「紙で指が切れるように、条件がそろえば非力だったとしても胴体くらいは輪切りにできます」
紙で切る時も、包丁で切る時もカラクリは同じ。糸のように細い面積で、素早く引くことによって物を切断できる。この条件さえそろえば良いのだから、剛腕の力は糸使いにとっては無用の長物なのだ。
糸に巻きつかれているアルフは、義姉によって生殺与奪が握られている。義姉がアルフを静かに詰問する。
「ルシドールさん。先程お会いましたが、帰ったのではなかったのですね」
ルシドールと呼ばれたアルフが、面倒くさそうに頷いた。
「ああ、本来はそのつもりだった」
「帝国は大混乱中です。学園長と同じ名字ですし、きっと御子息なんでしょうね。わざわざ御子息サマが直に動いているということは、それくらい切羽詰まっている状況ではないのでしょうか?」
「早く帰れってことか? 用事ができたからな。なに、少し話をするだけさ」
アルフと僕の視線が交わった。
吸い寄せられるような真剣な瞳。ふいに僕の体がくいっと引っ張られる。義姉の糸がそっちに行くなと注意してきた。
「うちの家族に何をする気なの?」
「お前こそ、オレの親友に何を吹きこむ気なんだよ?」
「話し合いならさっきに済んだはず。さっさと帰りなさい」
人混みの中で時間が止まったような感覚。二人の対峙するだけで空気が凍りついていく。
アルフが俯く。まるで後悔を吐くように切なげな声で呟く。
「……人間は簡単に変われないんだ。だったなら……変われないことを割りきってもいいじゃないか……」
どうしてアルフがそんなことを言っているのか、僕には分からない。でも、その心の叫びのような声は、僕の胸を抉るように切りつけた。
だって僕もそうだったから。この世界に生きてきて、前の世界の記憶を持っていても、こんな程度にしか生きてこれなかった。
駄目だと分かっているのに、治そうと思っているのに、ずっとかっこ悪いことを繰り返している。
後悔で潰れそうな気持ちを、義姉がアルフの言葉に否定を叫んだ。
「そんなことだからあなたの世界は過去しかない世界なの。割り切るとか関係なくって、するか しないかなのに、なんで気付けないの?」
俯いていたアルフがゆっくりと、恨むような目つきで顔をあげた。
「話が合わない奴だ」
「それはどうなのでしょうね。私はあなたが頑なになってるだけだと思うけれども」
「余裕ぶりやがって」
アルフが言葉を吐き捨てるように鼻でわらった。嘲笑しているというよりも、どこか悲しげな印象を感じられる。
アルフが僕の方を向いて薄く微笑んだ。
「その女から真相を聞け」
優しげでありながら、切なげに、絞り出すような声でアルフが僕へ語りかける。
「いつでも帝国に来い。オレは待っているからな」
突風が吹き、砂埃が高く舞う。風の刃に糸が切断されてギターを掻き鳴らしたような音が連鎖する。目に砂が入り思わずまばたきをしたほんの一瞬で、アルフは姿を消した。




