怨念を捕らえし牢獄
指先が柔らかい感触に湿らされていた。人肌ほどの体温を感じさせ、したたる音をたてている。
まどろみから目覚めると、僕の指がココの口内に入っていた。柔らかな唇に包まれて、ゆっくりと舌を這わされていくように舐めずられていた。
「……何故に、舐めているのだよ」
取り乱さなかった僕は凄いと思う。『何故』なんて、スミレみたいな言葉になっていたけれども。
「怪我が……、早く治る」
咥えながら説明された。しゃぶられていた指が離される。だ液が外の空気に触れて、指先がすうすうと冷えてくる。
舐められていた指を見ると、赤い点のような出血をしていた。もしかしたら、縄を切る時に、針で自分を刺していたのかもしれない。朦朧とした頭だったから、手先を刺しても気付かなかったのだろうか。
理由を説明したココは、また指先をはむりと口に含んだ。どことなく嬉しそうにぴちゃぴちゃと舐め続けている。じかにココの体温を感じられた。
いろいろと間違っているような気がするが、いや、絶対に間違っていると思うけれども、体力的に気を回す余裕すらなかったので思考から押し流した。よし、気にしない。気にしていない。
朦朧とした頭をふって、無理矢理に目覚めさせる。でも、まだ頭がくらくらする。魔力不足が原因かもしれない。深呼吸すると、前よりは頭がクリアになってきた。
ふとユーリとフランの姿が目に入る。この二人は起こした方が良いだろうか。
逃げるのなら正直に言うと 一人の方がラクだったりする。影から人形を使って攻撃したり、人形師はそんな戦い方を求められることも多い。おそらく、僕はみんなよりも隠れるのが上手なのだろう。だから、二人やココがいると足手まといになりそうだとぼんやりと感じた。帝国にこのことを相談や連絡しようとするなら、僕だけで逃げた方が実は一番にこの騒動が解決するのではという考えが頭をよぎった。
でも、僕はその考えをふりはらった。効率はいいけれども、あまり誉められたものではない。これは、神経が逆立って、たまたま変なことを考えただけなのかもしれない。とりあえず全員を起こしてしまうことにしよう。
「ココ、二人を起こそうか」
「うん」
ココがフランの元へ行く。肩を掴んでゆさゆさと揺り起こそうとしていた。
僕の時みたいに耳とか指じゃないのか。あれは特別サービスだったらしい。
僕はユーリを起こそうとする。肩に触れようとした瞬間に、だ液にまみれている指が気になった。ハンカチのように手をぬぐう布はない。これ、どうすればいいんだろう。
全員を起こしてから相談をする。どうしてここに捕らわれているのかの見当はつかないが、とりあえずこの場所から脱出することはすんなりと決まった。
もう課外学習とか、課題の宝どころの話じゃない。まずは孤立しているアルフと合流をしたい。
牢の鍵を調べてみると魔法による補強がされていた。鍵は明らかに金物なので、金の属性が強く発現している。五大属性の勉強を思い出す。金属は変化に強くどの属性にも有利な半面に複合魔法が弱点だ。
ユーリが鍵の前に立ち、魔術を唱えようとする。あの書き筋は水と炎の複合魔法だろうか。
炎霧の魔法陣を描こうとする。しかし、ユーリは指を動かしても魔法陣を描くことができなかった。ユーリが肩を落としながら苦笑いをしてきた。
「……これは無理ですね。指が空気の上で滑ると言いますか、描けないです」
「ユーリでも無理なのか。どうするかな……」
これはまいった。この牢獄自体に魔法を妨害する仕掛けがされてあるようだ。かなり魔法に精通している人物が作ったのだろう。
こうなれば、ポプラからもらった針で解錠をしてみるしかない。ドラマだったかアニメだったかでやってるのをみたことある。ちょっと憧れだったやつだ。
弾んだ気持ちで針を取り出すと、フランが制してきた。
「それじゃあ、今度は私に任せてください!」
あまりに自信満々だったので、勢いに押されて任せることにする。そういえば、フランの親は探検家と言っていた。宝箱の鍵を開けるような秘密の技術があるかもしれない。
鍵開けテクニックを生で見られるのか。ちょっとわくわくしてきた。
「ポプラちゃん、ソレ貸して」
『ん? ドーゾ』
まず、フランがポプラの連鎖棒を借りる。少し距離を開けてひゅんひゅんと振り回した。
「えいっっ、と!」
檻の金具をぶったたく。もう一回ぶったたく。さらにぶったたく。バキリと金具が壊れた。
そりゃー、と檻を蹴り飛ばす。蹴り飛ばした勢いで鍵をさらにボキリとへし折った。
「開きました!」
「う、うん……。思っていたよりも100倍くらい派手だった」
なんか、損をした気分になった。僕のワクワク感はなんだったのだろう。
フランが得意げな顔で解説をしてくる。僕の幻想にとどめを刺しにくる。
「もともとこの部屋は、牢じゃなかったみたいですからね。鍵は頑丈ですが、蝶番は知っているものでした。みんな鍵に集中しすぎですよ」
フランの父親は、フランに何を教えて育ててきたのだろうか。フランに知恵の輪を渡したら、浅知恵の輪方式でぶちりともぎ取るような気がしてきた。もちろん、腕力的な意味じゃなくて比喩的な意味でだ。
フランがポプラに連鎖棒を返して、堂々と最初に出ていった。ポプラが連鎖棒を受け取りながらぽつりとつぶやく。
『軸がブレてる……』
酷使した連鎖棒の芯のことだろうか。フランの冒険家思考のことだろうか。
ユーリが用心深く牢から出ていった。ユーリは周囲の安全確認をしながら僕へ尋ねてきた。
「足音ひとつすら聞こえませんね。見張りはいないのでしょうか」
「わりと大丈夫みたいなんだな。けっこう大きな音だったけれども」
フランの開錠の音で、見張りが気付いてしまうのではないか。内心はひやひやしていた。辺りは不思議な静けさだけが広がっている。少なくとも今は誰もいないらしい。
そういえば、捕まってる人も近くにはいないのかもしれない。もしもいたならば、『俺も出せ』と叫ばれて牢獄が大パニックになっていたはず。しかし、聞こえてくる音は、せいぜい静けさに混じる水滴の音くらいだ。
「なあ、ポプラ。この近くには誰もいないのか?」
『居たらサスガに、サッキのは止めてるし。ソレドコロか、見回りしてもダレとも会わなかった』
見張りに人手をさくことができなかったと考えるべきだろうか。ということは、村人全員が協力して僕達を嵌めたというわけではないらしい。
『トコロデ、なんで服の袖が濡れてんの? アト、チョットなんか臭うし』
「……た、たぶん、俺のよだれじゃないかな。さっきまで寝てたし」
よく分からない見栄を張った。しかも、意味も分からない理由だ。見栄を張った僕自身が一番に理解していないけれども、ココとの関係を茶化して触れて欲しくないように感じたからかもしれない。
とにかく、ごまかすように檻から出る。見回してみると、この牢獄の規模はかなりの広さがあることが分かった。
細長い廊下に薄暗い不気味さがずっと広がっている。空気が冷えていて、ひどいカビの臭いもする。水滴の落ちる静かな音は、地下水がどこからか漏れているせいだろう。
ポプラの先導で出口へ向かう。薄暗がりの道を歩いていると、遠くの方から微かな音が聞こえた。どことなく人間の声のように感じられた。
聞こえてきた方向は、さっきまで僕達が捕まっていた場所よりもずっと奥みたいだ。
「ポプラ、俺達以外にも牢に誰かいた?」
『アノ牢よりも向こうは見てナイ。見つけるので精一杯ダッタし、見つけタラ出口の見張りをしてたし』
「そっか。なら、ユーリとフランは先に行ってくれないかな。それと、ココも連れて行ってほしい」
人の声が気になって探してみたくなった。でも、声の元を探していたら、僕達を捕らえた敵に見つかる可能性が高くなる。ココやユーリ、フランを巻き添えにしたくない配慮からだ。
「ボクも行きますよ。アルフレイドさんかもしれないって思ったのですよね」
「私も構わないですよ。行くなら団体行動の方がいいと思います」
ココが困ったように、泣きそうな顔をした。
「……わたし、ひとりで外ですか?」
額面通りに受け止められた。三人で外に行けと言って、ふたりが抜けたらココだけが行くことになると判断したのだろうか。明らかに違う意味だろうと言いそうになったけれども、それはココにとって酷な話かもしれない。
少し前のココは誰かの言うことを聞く生活が基本だった。信じている人間の言ったことを盲信して、自分で考える力が幼いのかもしれない。
僕はおいで、と手を差し出す。ココはその手をまじまじと見て、おそるおそる手を繋いできた。
ふたりの体温が重なり合う。か細い指の触感を離さないように、ぎゅっと距離を短くつないだ。
そういえば僕から手を繋いだのは初めてだったかもしれない。繋ぎ合った手の中で溶けあう二人分の温度を感じながらそう思った。薄暗がりの不気味な牢獄の中で、この小さなぬくもりにちょっとだけ勇気づけられた気がした。
牢獄の奥は微かな光で照らされて見やすくなっていた。石畳の道の両端に、線上の薄暗い光が走っている。
十分ほど歩き続けていると、ふいに知らない声に止められた。
「……珍しい。ここにやってくるやつがいたのか?」
そのかすれた低い声は牢の中からだった。悪臭のするひげ面の男。何日も風呂に入っていないような臭いが酷く鼻を突いてくる。みすぼらしく擦り切れた服に、よぼよぼとした身体。しなびたような艶のない長い白髪。顔先まで覆われた前髪の隙間から、ぎょろりとした目を剥いてきた。
「ゼルの野郎以外を見たのは幾年振りだろうか。これは長生きするものだ」
驚いた息を呑んで答える。
「ゼルとは、村長のことですか?」
「アイツが村長だと?」
牢の中でしなびたかすれ声が呵々と大笑いした。不気味に狂ったリズムの笑い声。笑うたびに、金属の絡む音がうるさく鳴り響いていく。よく見るとその人の手元は鎖で巻かれていた。
笑い声が徐々に衰弱していき、鋭い瞳がこちらを睨みつけてくる。
「あんな盗人が村長のはずないだろうに。さては、お前らも捕らわれたのか?」
堂々と言い放たれた言葉にぞっとした。動揺を隠しながら、やせ衰えた男へ答える。
「ええ、そうです。眠たくなって、いつの間にかここにいました」
「ほお、眠たいだけだったのか? 思考が朽ちるような怠惰も、劣情も何も無かったのか?」
あの牢獄の感覚をピタリと言い当ててきた。
「図星のようだな。それはそうだ、なにせ俺が、村長自身が作った秘伝の薬なのだからな……!」
自称村長が滔々(とうとう)と話し始める。
この村に秘伝の薬が存在している。それが『ツダラの粉』だ。これは脳を強制的に混乱させることによって、脳の思考をつかさどる部分を効率的に疲弊させる。そこで、地下に閉じ込めて酸欠にすることにより弱っている脳へダメージを受けさせる。脳に止めを刺して、思考する部分のみを壊してしまう効果がある。
そんな怖い薬を飲まされていたのかと戦慄しそうになる。そんな中で、ユーリが震えた声で自称村長へ問いただした。
「どうして、そんな薬があるのですかっ!?」
「力の無い小さい村だからだ。盗賊が襲ってこないようにな」
村長がくつくつと嘲笑する。
「小僧は外交ってのを知ってるか? どこにだって良識のない国は存在する。その良識のない国ってのは、一対一で語り合うだけ無駄だ。向こうは征服するつもりでいるから、聞いたふりをして本心は聞く耳を持っていない。そういったのを相手取るには、征服するだけ損をするように仕組むのが正しい立ちまわり方だ。本来は周囲の国と同盟をとるなどしてな。しかし、この村は手を組む相手がいない森の中。個人で戦わなければいけない。だから、征服するにも恐ろしい武器を持たないといけないのだ」
ユーリと共に息を飲んだ。村長はよどみなく話し続ける。
「もしも、盗賊が攻めてきたなら、その盗賊を殺さず捕らえる。薬を飲ませて、考えることを朽ちさせる。つまり――、命令を聞くだけの操り人形にしてやるのだ……!」
うすら寒くなるような病的な笑顔で言いきった。
村人の精気が抜けているような顔を思いだした。おそらく、彼らはすでに思考を朽ちさせられたのだろう。
偽村長がこの村を征服し、村人のために作った薬を村人へ使ってしまう。偽村長のための操り人形となっていたのだろう。
ユーリが村長にくってかかる。
「そんなことを……! あなた達には誇りも何もないのですか!?」
詰問するユーリを、村長は冷酷なほどにせせら笑う。
「小僧、誇りを語るためには、越えなければいけない現実がある。そのままの力では現実を越えられない小さな村には酷なことを言うのか?」
「そういう意味じゃありません!」
「そういう意味だろうに。まったく、お前が言ってることは詐欺師と変わらんな。すこし知恵をはたらかせれば分かるだろうに。力が弱いなら正面から戦えない。ゆえに、外道を見せびらかして威嚇しながら生きていく。帝国の連中は平和で頭が染まってるようだな」
途端に、村長の顔がおぞましく歪んだ。
「いいか、これは念願の薬なんだ! 人間に効く薬なら、人間が実験台にならんきゃいかん! 何人もの村人の願いが詰まった結晶なんだぞ! 何も知らないお前らに否定される筋合いなんか無いんだよッッ!」
唾を荒く飛ばすほどの怒声。それは心の底から覚悟を決めた雄叫びのようだった。鎖を強引に打ち鳴らしながら咆哮する。
「あれは、魔法ができない俺たちに残された最後の武器だ! 薬っていうのはな、魔法に近い奇跡を起こす魔法なんだ! 俺らが必死になって望んだ魔法を、勝手に侮蔑するんじゃねぇッッ!」
しんと辺りが静まり返った。村長は卑下をするような乾いた笑いをした。
「まあ、いまはこの通りにゼルの野郎のせいで幽閉されている。捕らわれている奴の言うことに説得力はなさそうだがな」
その言葉の切なさに、ユーリは苦虫を嚙み潰したような渋い表情をしている。それを村長は何が面白いのか狂ったようにゲラゲラと笑いはじめた。
村長が重たげに立ち上がり、牢の隅へ歩いていった。耳障りな鎖の音を引き摺りながら闇の中に消える。ふと、重たげな音がユーリの足元へ転がってきた。
「これも外交だろうな。ほら、お前らの欲しがっているはずの宝珠だ」
透き通った紅色の宝珠だった。たしかにこれは課題の宝だ。そういえばそんな物のためにここに来たのだった。
「俺を助けると、ここで約束しろ。助けないならゼルに脱獄を気付かせてやる」
ユーリが足元の宝珠を見る。
「いまあなたを出すと言うことですか?」
「こんな老体を連れて逃げるのは足手まといだろうに。帝国に知らせるのだ。ここは帝国領だから、帝国も体裁を整えるためになんとかしてくれるはずだろう。本来の課題は複製品だが、これは俺しか持っていない本物だ。だから、俺の証拠にもなるだろうし、課題を片付けたいお前らが帝国へ帰る理由をつける意味もある」
村長はまるで新しいおもちゃを見つけたような瞳で、歪んだ笑いをしながらユーリへ問いた。
「お前の言う誇りとやらが本当にあるなら、これを受け取って俺を助けてみせろ」
呪詛めいた言葉を渡してきた。その冷たく無機質な村長の瞳は、だれも信用していないような怖い瞳に思えた。
どうしてその瞳が怖いのだろう。
どことなくココの瞳と似ていたような気がしたからだ。似ているのではなくて、類似していると言えばいいだろうか。
もしかしたらココと出会うタイミングや、心のほどき方を誤っていたならこんな瞳になっていたかもしれない。そうと思うと、途端にその瞳が怖くなってきた。




