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アイドル因幡ばななの鳥取県民遭遇証明書  作者: jin kawasaki


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アイドル因幡ばななの鳥取県民遭遇証明書 外伝 桃紙と遭遇証明書

東京の街は、一度火がつくと、あっという間に燃え広がる。

因幡ばなながバラエティ番組で配った「鳥取県民遭遇証明書」は、放送直後からSNSを席巻した。深夜のトレンドワード一位、二位を独占し、翌朝のワイドショーでも「会いに行ける絶滅危惧種?」という茶目っ気たっぷりのテロップとともに紹介された。

六本木の交差点。大型ビジョンに映し出される自分たちの姿を、モモカは事務所の送迎車の窓から見つめていた。

「……ばななばっかり、ずるいわ」

低く呟いた言葉は、隣で無邪気にスマホをチェックしている本人には届かない。

ばななは「見て見てモモちゃん! 鳥取県庁の公式アカウントからフォローされたよ!」とはしゃいでいる。その指先には、今日もあの名刺サイズのカードが数枚、大事そうに握られていた。

グループ「果実主義フルーティズム」は、結成三年の崖っぷちアイドルだった。全国から「フルーツの産地出身」という括りで集められたが、これまでは泣かず飛ばず。それが、ばななの「遭遇証明書」一つで、グループ全体の注目度が跳ね上がった。

だが、モモカは焦っていた。

彼女の出身は岡山県。桃太郎の故郷であり、フルーツ王国としてのプライドがある。

「鳥取に負けるなんて、ありえんわ……」

モモカは唇を噛んだ。

人口約五十四万人の鳥取に対し、岡山は約百八十万人。都会度でも知名度でも勝っているはずなのに、今の世の中、何が「バズる」かはわからない。ばななの「弱者の戦略」が、東京の人間の心に妙に刺さってしまったのだ。

「岡山なら、もっとすごいことができるはずじゃ」

その夜、モモカはホテルの部屋で一人、画用紙とペンを広げた。

ばななが「遭遇」なら、自分は「召集」だ。

岡山といえば桃太郎。桃太郎といえば鬼退治。

ファンを「家来」に見立てて、一緒に芸能界という鬼ヶ島へ殴り込む。そんなコンセプトはどうだろう。

モモカの筆が勢いよく走った。


翌日、事務所の打ち合わせスペースで、モモカはマネージャーの佐藤に試作したカードを突きつけた。

「これ、配らせてください」

佐藤は老眼鏡をずらし、そのカードを凝視した。

ピンク色の派手な紙に、力強い筆文字でこう書かれている。

『召集令状:桃紙』

本日、貴殿を岡山県出身・モモカの鬼退治軍に配属する。

戦地:東京芸能界

兵装:ペンライト、およびモモカへの愛。

拒否権なし。

裏面には、岡山の桃の生産量や、「晴れの国」であることのデータがびっしりと書き込まれていた。

「……モモカ、これさ」

佐藤が困惑した顔で口を開く。

「なんですか? ばななのよりインパクトあるでしょう。鳥取の『証明書』が草食系なら、岡山の『桃紙』は肉食系です。ファンを強制的に仲間にするんです。吉備団子を配る代わりに、この紙を配るんです」

「いや、コンセプトは面白いよ。面白いけど……『桃紙』っていう言い方と、『召集令状』っていう言葉。これ、歴史的な文脈でいう『赤紙』を連想させないか?」

「赤紙? ああ、昔の戦争の。でもこれ、桃色だから『桃紙』ですよ? ただのダジャレじゃないですか。鬼退治に行くんだから、召集で合ってるし」

モモカはあっけらかんと言った。彼女にとって、それは単なる言葉遊びに過ぎなかった。

「今の時代、こういうのは敏感なんだ。不謹慎だって叩かれるリスクがある。もう少しソフトな表現にできないか? 『入隊届』とか『仲間募集』とか……」

「それじゃパンチが足りんのです! ばななのカードがあれだけ話題になったのは、あのシュールな『証明書』っていう硬い言葉選びがあったからでしょう? 岡山は桃太郎の国。戦う姿勢を見せないと!」

モモカは譲らなかった。

結局、佐藤は「とりあえず今日は配るなよ。一度上のチェックを通すから」と念を押して、カードを預かろうとした。

だが、モモカはすでに自分のカバンに数百枚の「桃紙」を忍ばせていた。


その日の午後、都内の大型CDショップでのインストアイベント。

ばななのバズり効果もあり、会場にはいつもの三倍近いファンが詰めかけていた。

「ばななちゃん、証明書ちょうだい!」

「はい、どうぞ! 今日であなたは鳥取県民と遭遇した歴史の目撃者です!」

ばななが笑顔でカードを配るたび、歓声が上がる。

その横で、モモカの胸には黒い炎が渦巻いていた。

(うちのほうが、もっとええもん持っとるのに……)

握手会が始まった。

スタッフが目を離した隙に、モモカはカバンの底から「桃紙」を取り出した。

「これ、受け取って!」

自分を推してくれている常連ファンに、ピンク色の紙を叩きつけるように渡す。

「うお、何これ? 『桃紙』? 召集令状?」

「そうよ! あんたは今日からうちの家来。一緒に鬼退治に行くんよ。逃げ出したら承知せんからね!」

モモカは少し強気で傲慢な「お姫様キャラクター」を演じながら、次々とファンに紙を配っていった。

ファンたちは「お、攻めてるね!」「モモから赤紙ならぬ桃紙もらった!」と面白がって、その場でスマホを取り出し、写真を撮り始めた。

その光景を見ていたばななが、不安げに小声で囁いた。

「……モモちゃん、それ大丈夫? 佐藤さんが危ないって言ってなかった?」

「ええんよ。ファンが喜んどるんじゃから。ばななこそ、いつまでもそのちんまりしたカード配っとらんと、もっと派手なこと考えんね」

モモカは勝ち誇ったように笑った。

配布数は瞬く間に百枚を超えた。SNSには「#桃紙」「#召集令状」というハッシュタグとともに、ピンク色の紙の写真がアップされ始めた。


異変に気づいたのは、イベントが終わって控室に戻るエレベーターの中だった。

佐藤マネージャーの顔が、見たこともないほど土気色になっている。

「……お前ら、スマホ見るな」

「え? どうしたんですか、佐藤さん」

モモカが不審に思って自分のスマホを取り出す。

画面を開いた瞬間、通知の嵐が視界を埋め尽くした。

《果実主義のモモカ、正気か? 召集令状をネタにするなんて》

《「桃紙」って、赤紙のパロディだろ。戦争を美化してるのか?》

《鳥取の子は謙虚で可愛かったのに、岡山の子は不謹慎すぎる。グループ全体のイメージダウン》

《おじいちゃんが赤紙一枚で連れて行かれた身としては、笑えない》

《拒否権なし、って言葉選びも最悪。今の情勢を考えてない》

絶賛されていた「鳥取県民遭遇証明書」とは対照的に、「桃紙」への反応は辛辣極まりなかった。

最初は面白がっていたファンたちも、ネット上の「正義の炎」に晒されると、一転して「運営の指示なのか?」「モモカの独断か?」と騒ぎ始めた。

いわゆる「不謹慎炎上」だった。

「モモカ。さっき配ったやつ、全部で何枚だ」

佐藤の声は低く、震えていた。

「……百五十枚、くらいです……」

「バカ野郎。あれほど止めろと言ったのに」

事務所に戻ると、そこには重苦しい沈黙が待っていた。

公式サイトには批判のメールが殺到し、電話は鳴り止まない。

数時間後、グループの公式サイトに謝罪文が掲載された。

『不適切な表現を用いた配布物に関するお詫び』

イベントでの「桃紙」配布中止と回収の告知。そして、モモカの当面の活動自粛が検討されているという噂がスタッフの間で飛び交った。


深夜のレッスン場。

鏡張りの部屋の隅で、モモカは膝を抱えて座り込んでいた。

メイクは落ち、目元は赤く腫れている。

「……なんで。うち、ただ岡山を盛り上げたかっただけなのに。みんなに、家来になってほしかっただけなのに……」

岡山県民としての誇り。ばななへの対抗心。それが、最悪の形で裏目に出た。

自分が信じていた「面白い」が、世間では「悪」とされる。その恐怖に、体が震えた。

「モモちゃん」

静かな声が響いた。

顔を上げると、ばななが立っていた。その手には、コンビニの袋と、例の「証明書」が入ったポーチが握られている。

「……帰れよ。あんたは今、一番の売れっ子なんだから」

モモカは顔を背けた。

ばななは何も言わず、モモカの隣に腰を下ろした。袋から温かいココアを取り出し、モモカの手に握らせる。

「私の『証明書』もさ、最初は『不気味だ』とか『差別的だ』とか言われるんじゃないかって、怖かったんだよ」

「……嘘。あんた、あんなに堂々と配っとったじゃん」

「勇気を出してただけ。鳥取なんて誰も知らないから、何か変なことをしないと、見てもらえないと思って」

ばななは自分のカードを一枚取り出し、じっと見つめた。

「モモちゃんの『桃紙』、私は面白いと思ったよ。でも……言葉って、自分だけのものじゃないんだね」

「分かっとるわ。そんなこと」

「ううん。分かってなかったのは、私も同じ」

ばななは優しく微笑んだ。

「私が『鳥取県民はレアだ』って言うとき、実は鳥取で静かに暮らしてる人たちを、勝手に見世物にしてるんじゃないかって、ずっと不安だったの。私のやってることも、誰かを傷つけてるかもしれないって」

モモカはココアの熱を手のひらに感じながら、黙って聞いていた。

「岡山は、鳥取よりずっと大きくて、強くて、かっこいいよ。だからモモちゃんも、強く見せたかったんだよね。家来を連れて、戦いに行くくらい」

「……当たり前じゃわ。岡山の女をなめられたらいけんもん」

モモカの声が、少しだけ震える。

「でも、間違えたんじゃ。うちは……最低なことをしたんじゃ」

その時、ばなながポーチから一枚の紙を取り出した。

それは「証明書」ではなく、真っ白なメモ用紙だった。

「ねえ。これ、書き直そう」

「え?」

「『桃紙』じゃなくて。戦争を思い出させる言葉じゃなくて……岡山がどれだけいいところで、モモちゃんがどれだけみんなのことを大切に思ってるか、伝わる言葉で」

「でも、もう遅いわ。ネットじゃ、うちのこと人殺しみたいに言うてる人もおるんよ……」

「遅くないよ。だって、私がまだ、モモちゃんの『遭遇証明書』、書いてもらってないもん」

ばななは悪戯っぽく笑って、ペンを差し出した。

「『岡山県民遭遇証明書』。第一号は、私ね」

モモカは震える手でペンを取った。

真っ白な紙に、一文字ずつ書き込む。

『岡山県出身・モモカに遭遇しました。

この人は、すごく気が強くて、負けず嫌いで、おバカだけど……

本当は、岡山のことが大好きで、みんなと笑いたいだけの女の子です』

書き終えると、涙が紙の上に一粒、落ちた。

「……ダサいわ。こんなん」

「いいじゃん。ダサいほうが、モモちゃんらしいよ」

二人は、静かなレッスン場で肩を寄せ合って泣いた。


翌朝。

果実主義のSNSアカウントに、一つの動画がアップされた。

そこには、すっぴんのまま深く頭を下げるモモカの姿があった。

一切の言い訳をせず、無知であったことを謝罪し、そしてこう言った。

「私は、岡山が大好きです。でも、その大好きな場所の誇りを、自分の未熟さで汚してしまいました。ごめんなさい。……これからは、誰かを無理やり連れて行く『召集令状』ではなく、一人ひとりの心に届くような、そんなアイドルになりたいです」

動画の最後、モモカの隣にばななが現れた。

ばななは、手書きの「岡山県民遭遇証明書」をカメラに見せて言った。

「岡山県民って、実はすごく熱くて、ちょっとだけ不器用なんです。遭遇した私が保証します!」

炎上がすぐに消えることはなかった。

それでも、動画のコメント欄には、少しずつ変化が現れ始めた。

《失敗は誰にでもある。これからどう挽回するかだね》

《鳥取と岡山の友情、ちょっと泣けた》

《桃紙はダメだけど、手書きの証明書は応援したい》

一週間後。

自粛期間を終えたモモカは、再びテレビ局の楽屋口に立っていた。

その手には、新しく作り直したカードがあった。

ピンク色ではなく、淡い桃の花のような色。

そこにはこう書かれている。

『岡山県民 仲良し証明書

本日、あなたは

世界で一番、桃を愛する女の子と友達になりました。

遭遇者 モモカ』

「おはようございます!」

モモカは、ばななと一緒に深々と頭を下げた。

角度は四十五度。以前よりもずっと深く、そして真摯な角度だった。

「おはよう、モモカちゃん。大変だったね」

前回のディレクターが、少し心配そうに声をかける。

モモカは震える指先で新しいカードを差し出した。

「これ……よかったら、受け取ってください。友達の証です」

ディレクターはカードを手に取り、まじまじと見た。

「……へえ。『仲良し証明書』か。いいじゃない」

「ありがとうございます……!」

モモカの目に、再び光が宿る。

その後ろで、ばなながポーチを叩きながら笑った。

「あ、ディレクターさん! 私の『遭遇証明書』も、アップデートしたんですよ!」

「まだ配ってるのかよ、ばななちゃん」

「はい! 裏面に、岡山のいいところも書くようにしたんです。隣の県ですから!」

「よく言うよ、ライバルじゃなかったのか?」

「共存共栄です!」

東京のテレビ局。

相変わらずの熱気と焦りと笑顔が混ざり合う空気の中で。

小さな県の、小さなアイドルたちは、今日も歩き出す。

彼女たちの武器は、もう「証明書」だけではない。

傷つき、悩み、それでも故郷を背負って立ち上がる、その姿そのものが、誰かの心に刻まれる「遭遇」となっていくのだ。

「よし、行こう。モモちゃん」

「うん。……うち、今日は百枚配るけんね!」

「負けないよ!」

二人の背中が、収録スタジオの眩い光の中に消えていく。

鳥取県民と、岡山県民。

日本で一番小さな戦いは、いつの間にか、日本で一番温かい応援歌に変わっていた。

彼女たちのポーチには、まだ、たくさんの「未来」が詰まっている。

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