#46
醒めるだろう。
もし、すべての真実とやらを目の前に並べられたら、一気に興味を失う。
誰かのために生きてはいないが、刺激がなければ面白くない。
誰かの悲劇がなければ、つまらない。
#46
「……戸頭間くんの様子は」
丹羽が煙草を吸う隙間に尋ねれば、サトルは小さく笑った。
すらりとした指で煙草を口から離し、灰皿に灰を落とすために身を乗り出す。
とんとん、と小さな音が二人の間で落ち、反射的に戸頭間の叩くドラムの音が頭で再生された。
「絢乃によると〝クソ腹立つ顔ですやすや寝てます〟だそうだ」
「……ああ」
丹羽は納得したように気のない返事を返す。
彼は一週間寝ているときもそうだった。
武家山から説明された「オーバーヒート状態で強制修復中」と思えないほど、それはもう美しい顔で子供のように眠っていたのだ。武家山に担がれてホテルから出ているときも、寝姿まで戸頭間らしかった。
その彼は、今は本家とやらの地下牢で寝かせられているらしい。
武家山が付きっきりで様子を見ており、二ヶ月経った今でも指先一つ動かないという。
「さすが相棒だな。二日に一回は聞いてくるとは」
「……まだ周囲にはバレてないんだな?」
「ああ。カケルが一週間引きこもったことを母親に知られ、夜中に連行されてそのまま俺にこき使われてる──そう打ち合わせした通りに言えばみんな黙り込むらしいぞ」
「真実より真実らしいもんなあ」
戸頭間が目覚める兆しがないとわかった途端に取ったサトルの一手は全く無駄がなかった。
この廃ビルに丹羽を連れてきて「いつカケルが目を覚ますか今のところわからない」とあっさりと言い放ち、とにかく時間を稼ぎながら戸頭間が目を覚まさない間も無駄にしないように、と丹羽に黒いうねった髪のカツラと着替え一式を渡したのだ。
つまるところ、景の姿を真似て徘徊し、それを知っている者を釣る、というものだった。
丹羽の後をつける者は、もれなく〝見知らぬ者のことを知っている者〟という目論見は、残存していた侵入者を面白いくらいに釣れた。お陰で、一晩三人は始末していたのが、今は三日に一度一人が引っかかるくらいだ。
丹羽が後ろに井田口を連れて若々しい格好で練り歩く間、サトルは侵入者を動かしているとされる人間を探しているのだが、どうやら手詰まりらしかった。
「怪しいところで言えば、政治家、官僚、警察あたりだろう?」
「……まあな」
なにか思うところがあるのか、サトルはぼんやりと答える。
「その辺りは不思議なほどに静かだ。変に動けば、侵入者も人権が、とか余計なことを言い出すフェミニストが湧いて出るから、黙っているほうが無難なんだろう。恐怖は過ぎ去った。麻痺して慣れている間に、忘れてほしいってのが本音だろうよ。侵入者対策課も来年度には縮小されることになりそうだ」
「……そりゃ大変だな」
「俺達が根絶やしにしている成果が出ているらしいぞ」
鼻で笑うサトルは、どうやら警察にしがみついているようでもないらしい。
この性格だ。国に尽くすために今の職場にいるわけではないことは明白だった。
サトルが煙草の煙を勢いよく吐く。
「凶悪犯罪件数が大幅に減っているが、一時的なものだろう。今後に備えた対策も必要だというのに」
そうして、指で挟んだタバコの火をじっと見つめた。
サトルがどこまで景と紫のことを知っているのか定かではないが、ハルカから当たり障りなく聞いているらしい。
景と紫のコピーがこちらに棄てられたことは誰かが意図してやったことは明らかだ。
丹羽に用事とやらがあるというのなら、確実にこちらに来るものは増えてくる。誰かが何の目的があったとしても取り合うつもりはないが、あの二人を絶えず生み出し続けようとしているのならば、その頭を撃ち抜いておきたい。
一瞬で終わらせたりなどしない。
動けなくなったところを、許しを請いながらではなければ──
「丹羽一美」
サトルに思考を止められた丹羽は、ゆっくりとサトルを見た。
落ち着けと言わんばかりの目が丹羽を冷静にさせる。
「明日、狐刀がお前と会いたいそうだ」
「……は?」
「鬼不田に貸し出している最中で離れられんらしい。お前が行け」
「どこに」
丹羽が唖然としたまま聞くと、サトルはジャケットの胸ポケットから名刺を取り出し、煙草の箱の上に置いた。
「カケルのことはうまく誤魔化せるな?」
「……誤魔化しとけってことですよね」
嫌味で返すと、サトルは真顔で言う。
「賢くて助かるよ」
「……」
「昼の十二時。後ろには井田口が念の為に付く。無人になるここにはカケルの様子を見に来たという体でここには母が来る。お前たちが戻るまで番をしてくれるそうだ」
「……お前は?」
「朝から会議だよ」
うんざりしたような言葉に、丹羽は煙草を灰皿にねじり潰すと、煙草と名刺を持って立ち上がった。
同じように煙草を消すサトルを見下ろす。
「お疲れさん、頑張れよ」
今度こそ嫌味が伝わったらしい。サトルは微かに眉をひそめて丹羽に向かって「消えろ」と言わんばかりに手を振ったのだった。
割り振られた部屋で、ベッドの上で目を閉じる。
ふと、左指が弦を抑えるように勝手に動き始め、頭の中に音が鳴っていることに気づいた丹羽は、窓のない部屋の明かりを消した。
途端に真っ暗になる。
箱に閉じ込められたような閉塞感は、どうしてか心地良い。
だというのに、頭の中にはあのホテルで眠るときの海のさざ波の音が絶え間なく押し寄せていた。




