#4
燃え尽きた残骸を残して海岸を去る。
戸頭間の快適な運転で、夜明け前のラジオからは延々と「死神とブルース」が大音量で流れていた。
♯4
「ねえ」
呼ばれたような気がして、丹羽はちらりと隣を見た。
戸頭間の黒髪が、わあわあと潮風に煽られている。
窓が全開なのは、二人して車に乗り込んだときに焦げ臭いにおいが充満したからだ。
無言で二人して窓を全開にした。
おかげでラジオが聞こえず、ボリュームを大きくしたのは戸頭間だ。
枠に肘をついて、丹羽は戸頭間の口がはくはくと動くのを見る。
「……で、……よね?」
「戸頭間くん」
「え? なに?! 聞こえないよ!」
「俺も聞こえないよ」
それが届いたのかはわからないが、戸頭間はラジオの音を絞った。信号で止まったついでに、小さなハンドルを回して窓を半分まで上げるので、丹羽も続く。
間抜けな動きだ。
そう思っていると、戸頭間が笑った。
「あはは、聞こえなかったねー」
「……戸頭間くん、どこ行くか聞いてもいいかな」
「あのショットガンってさ、どうなってるの?」
会話のキャッチボールがする気がないのか、戸頭間はわくわくしたように尋ねてくる。
「すごい威力だよね。顔に綺麗な穴開いてたもん。薬莢も出ないとか――丹羽さん何者なの?」
「……」
「完璧なコントロールができるくらい精神力がヤバいのは確実だよね。僕、金属バットが精一杯。それでも形を維持するのが大変だもの」
炎を自由自在に扱えるだろうに。
丹羽の無言を正しく受け取った戸頭間は、へらりと笑ってステアリングを指先で叩く。
「あれはねえ、ただ得意なだけ」
「へえ」
「信じてないね、丹羽さん。本当なんだよ。本当、本当」
「……本当が多すぎて信じられないわ」
「僕、無力なんだよねー」
どこがだ。
金属バッドをききとして振るい、最後はスイングまでして、仕上げに燃やすあれのどこが。
思わず丹羽が鼻で笑うと、戸頭間は心外そうに「本当だよ」ともう一度言った。
「火を発生させるほどここに干渉できないからさ、火を持ってないと駄目なんだ」
「持っておきゃいいんじゃないか」
「確かにねー。で、丹羽さんはどうして路地裏でゴミみたいに寝てたの?」
「……」
「家族は?」
「……」
「答えないのが答えだね」
本音を聞き出す気など毛頭ないのだろう。
戸頭間はそれ以上聞いてこなかった。
奇妙な沈黙の中、海岸沿いを走る一台のクラシックカーの中に控えめなラジオから流れるブルースが続く。
終わり、始まり、終わり、始まり――ひたすら「死に神はおまえの後ろにいる」と歌い続けていた。
後ろどころか、隣にいる。
丹羽は、ふと、サイドミラーに誰かが映っていることに気づいた。
男だ。
目つきの悪い男がこちらを見ている。
そいつはボサボサの白髪の前髪の隙間から、血を渇望するように――それにしては死んだような目でこちらを睨んでくる。ズレた汚い眼鏡が滑稽だった。
手にした全てを失ったことに苦しむフリをしている、間抜けな中年。
少しして、それが自分であることに気づく。
「丹羽さん、どうかした?」
「……いいや」
それきり、戸頭間は声をかけてくることなく、時折歌いながら海岸沿いに車を走らせた。
夜明けの気配がひたひたと海の向こうから近づいていくる。
夜が明ける瞬間は、まるで地平線が割れたように見えた。小さなヒビから爪が食い込み、裂いていく。穏やかな夜は終わり、朝という凶暴な光が進入してくるのだ。
無遠慮に。
傲慢に。
我が物顔で。
彼らはそのわずかな隙間から入ってくる。
地平線を割って――光をつれて――手からゆっくりと、侵入者はやって来る。
バタン、と大きな音がして、丹羽はパチリと目を開けた。
「あ、起きた?」
「……戸頭間くん」
車を降りた戸頭間が、助手席を外からのぞき込むように見る。一瞬自分がどこにいるかわからなかったが――それが日常なのだが、何故か一瞬にして彼が誰なのかわかった。記憶が波のように押し寄せて、現実を知る。
「俺、寝てた?」
「うん。寝てたよー。余りに静かに寝るから死んでるのかと思った。そんな訳ないのにね?」
意味深に言う戸頭間から目を逸らすと、恭しくドアを開けられる。
「ほら、ついたよ。僕らのお城さ」
とっとと降りて、と促され、丹羽は気怠い眠気の残る身体を無理矢理動かして車を降りた。
恭しくドアを開けたドアマンに、戸頭間が車のキーを渡し、ロビーに入っていく。
海岸の崖にそびえる城はホテルらしい。
丹羽の頭上には「She side hotel」の文字が金色に輝いている。
慣れたように歩く戸頭間に、丹羽はゆっくりとした足取りでついて行く。戸頭間はこのホテルに入るに相応しいどころか、本当にここが彼の住処であるような堂々たる振る舞いだった。
汚い中年男を連れていても、誰も気にしない。
一流なのか、それとも彼らの視界に入らないのかはわからないが、丹羽は何となく後者のような気がした。
育ちの良い実業家のような男が戸頭間に「早いですね」と計算し尽くされたような笑みで声をかけ、これまた高そうな腕時計に目を走らせてロビーを出ていく。
「さっきの、狐刀さん。名前と同じで、刀出す人だよ」
「へえ、そう」
「綺麗な日本刀でねー、今度見せてもらう?」
「いや、別に」
「眠い?」
戸頭間が振り返る。
何故か、丹羽は頭を縦に振っていた。彼が子供でも見るような目で笑う。
「部屋まで待って。ここは安全だから、そこでゆっくり寝なよ。なにしろここはShe sideだからね」
フロントのカウンターの後ろを戸頭間が指さした。
壁からぬっと上半身を出したようなセイレーンの石像が、悲しそうに微笑んでいる。