#24
死に際の獣の慟哭が、相手を追い詰めることもあるだろう。
どちらが生き残るのかはやってみなければわからない。
#24
あまりにも静かに、彼女はそれを遂げた。
誰もが凍りつく中、真っ先に動けたのは戸頭間だった。
「──鳴さん。鳴さん、手、そのまま」
戸頭間はそっと鳴の手を上から握る。
名波他は目を剥いたまま、脂汗まみれの顔で静止して、自分の胸を見ている。戸頭間はその顔に向かって微笑んだ。
「名波他さん、大丈夫だよ」
「……、……」
「うん、上手に刺さってる。もう死ねるから慌てなくて大丈夫だからね」
そう言った戸頭間がそっと肩を押すと、名波他は蝋人形のようにバタンと後ろへ倒れた。
真っ青な顔に、心臓にアイスピックが刺さっているままだ。直前に手を離させることができた戸頭間は、安堵したように息を吐いた。
「ふう。血だらけにならずに済んだねー。絢乃、こっち来てくれる?」
戸頭間が呼ぶと、武家山はハッとしたように身体をぎこちなく動かした。すぐに鳴のそばに来ると戸頭間の代わりに手を握り、肩を抱く。武家山に「行って」と合図をすれば、彼女は黙って放心状態の鳴を連れて上の部屋へと向かった。
戸頭間は倒れた名波他だったものを蹴る。
「それにしても──僕らはなんて無能なんだろう。何にもできなかったね」
「カケル」
なにか面倒な言葉が飛んできそうになったその時、携帯の着信音が空気を読まずに割って入った。
「……はあ」
「頑張って、兄さん」
戸頭間がエールを送ると、サトルは無表情で受け取る。
「──戸頭間だ。居場所はShe Saide hotelの正面玄関前」
割れた窓を見るサトルは、そこから吹き込む潮風に髪を揺らしながら淀みなく答えた。
潮騒の音、風のざわめき、海鳥の鳴く声。
丹羽に窓を割らせていて正解だった、と戸頭間は一人満足気に頷く。あとは、兄がそつなく誤魔化すだけだ。
何気なく、足元で転がる二人を見る。
一人は報いを受けて死んだ愚か者。
もう一人は、命令を聞く前に勝手に動いた者。
「……いいや。入ってはいない。名波他警視に撒かれた。そちらで追跡できるか?」
サトルは窓際に立つ。ややあってから、声を訝しげに潜めた。
「──ネットカフェ? いや、知らない。住所を送ってくれればすぐに向かう。名波他警視を回収して戻るので、そちらを任せていいか。ああ、助かる」
その物言いに思わず戸頭間は笑ってしまう。
名波他はどれほど扱いづらい人間だったのだろうか。傲慢な顔をして兄を連れていたが、実際周囲は彼の操縦をサトルに頼んでいたに違いない。
「ホテルのことだが──万が一名波他警視が来たとしても入れないように通告しておく。では、後を頼んだ」
サトルは電話を終え、窓を親指で示した。
「これ、よくやった」
「褒めてくれるの? 嬉しいなあ。ねえねえ、丹羽さん、兄さんが褒めてくれてるよー」
戸頭間が声を掛けると、丹羽がむくりと起き上がる。
疲れたような緩慢な動きに、戸頭間は仕方なく手を差し出した。歳の割には老いていない手を引っ張り上げてやる。
「死んだふりなんて面倒なことしないでよね」
「……いや、本当に死にそうだったんだが」
「そうなの? 何があったか知らない感じ?」
「いや。身体は動かなかったが、聞こえてはいたからわかる」
「ふうん」
戸頭間は丹羽が後頭部をさすりながら立つのを訝しげに見た。この男は、普通ならば即死の打撃を受けてすぐに塞いだのだ。そんな事をやってのける者など見たことがない。両手からいくつも武器を出したり──よくわからない男だが、便利なことこの上ない。
鳴がいないことを確認するように場を見た丹羽は、倒れた名波他を見下ろす。
「こりゃまあ見事なことで」
「そうそう。一切汚れてないのが芸術的だよね。題名つける?」
戸頭間がにこにこと言うと、呆れた目が返された。いつもより少し強い眼差しに、戸頭間は肩をすくめる。
「わかったって。ふざけるのはここまでにするよ──それで兄さん、誤魔化せたの?」
「ああ。コイツ自身が徹底的に警戒してここに来たからな。追跡されないように所持品全部ネットカフェのロッカーに預けてから俺を地下駐車場に呼び出したと自慢気に言ってたぞ。ここに来るまでも車の後部座席に隠れていたしな……監視カメラで追ったとしても俺一人の移動に見えるだろう」
「ふふ。そうなんだ。そこまでして僕に会いたかっただなんて……へえ、お前かわいいね」
戸頭間が名波他をつま先で転がす。
丹羽もサトルも、黙ってそれを見ていた。
「じゃあネットカフェから忽然と消えたことになるわけ?」
「ああ。しばらくは行方不明でどうにかなる。お前から連絡はしてくるな。いいな」
「はいはい。わかったよ」
しばらくとはどれくらいか、とか。
行方不明で本当にどうにかなるのか、とか。
きっと心配しなければならないことは沢山あるはずだが、戸頭間には欠片も感じなかった。
兄がどうにかするのだろう。
どうにかできなかったときは──
「もうここを全部貰えばいいだけだものねえ」
「……何を考えているのか知らないが、家族として聞かなかったことにしてやる」
「うーん、慈悲深い」
戸頭間は「さて」と名波他だったものを見下ろす。
「処理が面倒になる前にやりますか。丹羽さん、手伝って。窓際に引っ張ってきてくれる?」
右足をつんと蹴って示すと、丹羽は律儀に名波他の右足を掴み、引き摺りながら戸頭間の後ろをついて来た。
兄が「いいな、それ」という顔をして丹羽を見ているが、戸頭間は無視をする。
これは自分のものだ。




