デートですか?
デート回
なのに淡々としている……。
朝である。
気の早い桜の花弁が春一番に舞い踊る、そんな朝である。
窓を揺らす風の音に急かされながら俺は体を起こした。
寝癖をいじりつつリビングに降りると佐也香がテレビを眺めているのを見つけた。
「おはよう」
「おはようございます」
互いにぼんやりとした顔で挨拶を交わす。
二人して低血圧なのだ。
不必要な遺伝子が混ざっていたらしく、申し訳ない限りである。
家族は変なところが似るものだと、彼女にも諦めてもらおうか。
佐也香が無言で差し出してきた湯呑みを受け取る。中をのぞき込んでみると、如何にも渋そうな色の茶が入っていた。
今の寝ぼけ頭には特効薬だろう。
半ば事務的に飲み干す。隣では佐也香も同じ顔で同じ動作をしていた。
俺達は一指乱れぬ所作で机に湯呑みを置く。音は一つ。
クローンとは言え息が合いすぎである。今年の体育祭では二人三脚に出るとしよう。
同じ顔が並んでゴールテープを切る光景を想像した。絵としては面白い。
しかしながら、まだ先の話である。天才である俺も未来のことは分からない。
だからこそ、人は予定を立てるのだ。そして、俺は今日の予定を決めてある。
「佐也香よ」
「はい」
呼びかけると幾分眠気が飛んだ返事が聞こえてきた。まだ完全には覚醒していないらしい。
「今日は出かけるぞ」
「デートですか?」
「まぁ、そんなところだ」
君の自信を回復する布石だ、と言うわけにはいかないので言葉を濁す。
「ところで、佐也香に家の料理係りを任せたい。文句がないなら、今日中に料理本を買いに行こうと思う」
佐也香はキョトンとした顔で目を瞬いた。
「佐奈さんとのデートはよろしいのですか?」
「そんな恐ろしい事をする猛者がいるのか?」
命が幾つあっても足らないだろうに……。自殺志願者だな。さもなければ馬鹿だ。
疑う俺に対して首を縦に振る佐也香。
「そんな物好きタフガイが存在するなら是非とも観察したいな」
脳の一部に腫瘍でもこさえてるんじゃなかろうか。
相当痛い奴に違いない。
「ただいま観察中です」
そう言って佐也香はその大きな瞳で俺を見つめる。
なかなか、仕事が早い。
俺の考えを先読みするとは流石だ。遺伝子的に家族以上に近い関係なだけはある。
「観察を続行して、記録をつけてくれ。ある程度まとまったら見せてもらおう」
「はい」
「となれば、ノートも欲しいな。朝飯を食べたらすぐに出る。準備しておけ」
新しくお茶を淹れつつ指示する俺に、佐也香は小さく頭を上下させた。
軽い食事をすませた俺たちは着替えるために各々の部屋に戻る。
あまり気合いの入った物を着る気はない。
結局、衣装箪笥から取り出したのは赤のパーカーとジーンズだ。
箪笥の奥から俺の精神を抉る発明品が転がり出たので素早く押し込む。
「ふぅ。危うく、視線恐怖症が再発するところだった」
箪笥を閉めて廊下に出ると既に着替えを終えた佐也香が待っていた。
赤のパーカーとジーンズという姿である。うむ、似合っているな。
「モロ被りじゃねぇか」
一瞬、鏡かと思った。
「ペアルックですか?」
「顔まで寸分違わずペアルックって、もはやホラーだろ」
せめてパーカーの色くらい変えよう。顔が同じなんだから無駄に視線を集めかねない。
提案して自室に引っ込む。
衣装箪笥を前にしてみると、わざわざパーカーを着る必要もないことに気付く。
「よし、これで良い」
灰色のシャツに黒のジャンパーを羽織って廊下にでる。
そこには佐也香が立っていた。
再び、モロ被りである。
「どうしてこうなった」
「同感です」
三度目を避けるべく相談し合った結果、佐也香が赤、俺が青のパーカーを着ることに決まった。
互いに被っていないのを確認し、俺たちは外に出る。
向かうのは駅の方角、徒歩で三十分ほどだ。
駅前には近隣の高校や大学の生徒を当て込んだ店が建ち並び、それなりに栄えている。
電車に乗って二つ先の駅なら大きなデパートなどもあるのだが、今日はそこまで行く必要がない。
駅に近づくに連れて一通りが増える。
人口密度に比例するように俺と佐也香に視線が集まりだした。
双子が歩いているのが珍しいのだろう。
実際は擬似的な双子だったりするのだが、彼らには分かるまい。
すれ違う人は男女を問わず振り返る。囁き合う気配もする。
とてつもなく目立っているのは昨日の入学式が影響しているのだろうか。
保護者も巻き込んでファンクラブが結成されたと、修一も言っていた。近隣で噂になっている可能性は否定できない。
突き刺さる視線から逃げるように書店に入る。
「料理本は多分向こうだな」
並ぶ本棚を興味深そうに見回している佐也香を促して壁際の本棚の前に立つ。
「意外と種類があるな」
適当に手にとり、めくってみた。
栄養価が載っている物もある。一人当たりに必要な栄養素量が分からなければ宝の持ち腐れだな。
「宗也さんはどんな料理が好きですか?」
「焼き鮭」
「……。」
え? なにこの沈黙……。
もしかして何かまずったか?
「他には?」
「白い米に納豆」
「……。」
やだ、この沈黙。
なんとかせねば。
「ーーに代表される日本食」
繋げてみた。これでどうだよ。
「分かりました」
納得してくれたらしい。
先ほどから背後で笑いをかみ殺す気配がする。被害妄想だ。きっとそうだ。
「これでどうでしょう?」
佐也香が顔の前に両手で掲げた本の題名は『寿司の握り方・匠の一歩手前編』
「ピンポイント過ぎるだろ。もっと汎用性に富んだ物にしなさい」
「……では、こちら」
再び掲げられたのは『寿司の握り方・アメリカ風に匠を越える』なる書籍。
表紙に載っているのはチョコレート寿司である。
「寿司限定で汎用性を広げなくていいから。もっと視野を広く持とうよ!」
「なれ寿司やいなり寿司ですか?」
「寿司から離れ切れてない。離れ切れてないから!」
次々と掲げられる『寿司の握り方』シリーズ。何冊あるんだこれ。
品揃えが偏りすぎだろこの店。
「では、こちらにしますか?」
佐也香が指さす先には『日本食の変遷』なる書籍があった。
試しに読んでみる。
日本食の歴史についてまとめられている。コラムがなかなか面白い。面白い、がーー
「料理本じゃないな」
埒が明かないので俺が適当に見繕った中から選んでもらう。
二冊の料理本を手にレジに並ぶ。
折しも客が増え始め、刺さる視線も増量中だ。
店員が俺たちをちらちらと見比べながらバーコードを読み取り、値段を表示させた。
小銭無しできっちりと払い、足早に店を後にする。
背にした店内から名残惜しそうなため息が聞こえてきた。
少々うんざりしてきたが、隣を歩く佐也香は珍しく目に見えて楽しそうなので帰るとは言い出せない。
元々は彼女の気分転換を兼ねているのだからもう少し町を見て回るべきだ。
「佐也香は映画を見たことないよな?」
佐奈と二人で出かけた時に経験あるかもしれないと思い、訊ねる。
「ないです」
「よし、久々に見に行くか」
佐也香の社会見学である。
映画館ならジロジロと見られることもあるまい。
そう結論して俺たちは駅の反対側にある映画館へと足をのばした。