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第2話 人ではないと言われたので神殿の前提を壊す

扉の向こうから、年寄りらしい甲高い怒鳴り声が飛んだ。


逃げるか。


――いや、この世界の情報が足りない。

何もわからない状態で動いても、得られるものは少ない。


駆け込んできた神官たちに両腕を取られ、白い石の廊下を引かれていく。


連れていかれた先は、窓すらない石造りの小部屋だった。


中央には、傷だらけの長机。

向かいには、神官らしい男が座っている。


男の視線が顔で止まり、次に胸元へ落ちた。


男だった頃なら、まず向けられなかった種類の視線。

それに気づいた瞬間、細い指先が勝手に袖口をつかんでいた。


――面倒な体だ。


逃げ場のない密室の空気が、よどんでいて気持ち悪い。


そこへ、これ見よがしな金糸の刺繍ししゅうが入ったローブを着た、年配の神官が入ってきた。


「ローヴェン神官、わざわざありがとうございます」


「アーロン神官。構わんよ。罰納ばつのうの処理は私の担当だ」


ローヴェンは向かいの椅子に、どっかと腰を下ろす。


長机の上に、手のひらサイズの白い板と、小さな黒い石が並べられた。


「娘、大神殿への侵入は重罪だ」


ローヴェンは白い板を指先で軽く叩く。


「二十年の強制労働、あるいは五十万刻こくの罰納になる」


『五十万刻は、いかほどの価値ですの?』


ローヴェンは、値踏みするように僕を見た。


「聖都で屋敷が買えるほどだ。未登録の娘が触れられる額ではない」


そこまで重い罪とは、よほど神殿は入られたくないんだな。


「では、本人照合ほんにんしょうごうを行う。手を置け」


促されるまま、白い板に手のひらを押し当てる。


石に、電子回路のような幾何学きかがく模様が浮かび上がった。


魂紋こんもんは読み取れます。ですが……本人登録がありません。この国の台帳だいちょうに、記録が存在しません」


身分証の読み取り機?


アーロン神官の報告に、ローヴェンの眉間みけんに深いシワが刻まれる。


「ならば決まりだ」


ローヴェンは椅子の背にもたれ、見下ろすように笑う。


「本人登録がない以上、台帳にひもづいた刻の引き落としは認められん。罰納は不可能。よって強制労働だ。払えない者には、労働する体が残っている」


「ローヴェン神官」


アーロンが小さく口をはさむ。


「形式上、罰納の意思だけは確認を――」


「不要だ。牢へ連れて行け」


ローヴェンは目も向けない。


警備の者に腕を取られ、僕は席を立たされる。


「待ってください。話を聞いていただけますか」


声が、わずかに上ずった。


「形式は、名のある者に使うものだ。台帳に名のない者に財産などあるはずがない」


そして、吐き捨てるように続けた。


「娘。覚えておけ。台帳に名のない者は、この国では人ではない」


その瞬間、女神の表情が消えた。

整いすぎた顔から、すっと温度が抜ける。


アーロン神官が、無意識に白い板から手を離した。


――またか。


白い病室。

点滴の落ちる音。

更新されないまま残っていた、ひとつの欄。


ただの記録の不備が、人を殺す。


腹の底が、静かに冷え切っていく。


『……そうですの』


出た声は、いつも通り澄んでいた。


ローヴェンは、次の言葉を失った。

アーロン神官の指先も、白い板の上で止まる。


怒りは、消えていない。

ただ、処理の邪魔をしなくなった。


僕は、ようやく視線を落とした。


白い板が本人照合。

黒い石が決済端末。


本人確認と決済処理は、本当に同じ条件で止まるのか?


「何をしている」


ローヴェンの声がとがる。


僕は、警備の腕を払って黒い石へ指先を伸ばした。


「やめろ。未登録者が触れてよいものでは――」


硬い石の奥でかすかな熱が明滅めいめつし、表面に光の文字が走る。


【支払いを確認しました】

【金額:500,000 刻 / 決済完了】


アーロン神官は、机に身を乗り出して文字を見つめていた。

ローヴェンの顔から血の気が引き、浮かんでいたあなどりががれ落ちる。


「本人登録なしで……通った?」


「そんな。では、台帳は何を確認して……」


「黙れ」


ローヴェンの声が沈んだ。


「今のは見なかったことにする。調書には残すな」


アーロン神官は、弾かれたように口を閉ざした。


『支払いは完了しました。では、わたくしを牢へ送る根拠は、どこにございますの?』


口をついて出る声は、ぞっとするほど上品に響いた。


ローヴェンは、黒い石を見つめている。


「……私の方で調査する。今晩は神殿で休めばいい」


『神殿で休めばいい、ではなく。お泊まりください、では?』


口調だけは、どこまでも丁寧だった。


ローヴェンの頬が、ぴくりと引きつる。


「……レティシア!」


呼び出しに応じて入室してきたのは、栗色の髪をきっちりとまとめた小柄な少女だった。


「この娘……いや、この方を」


ローヴェンが僕を睨む。


「……奥の角部屋へ連れていけ」


「奥の……角部屋、でございますか?」


「そうだ、何度も言わせるな」


「申し訳ございません。承知いたしました」


レティシアと呼ばれた少女は、感情の読めない顔で頭を下げる。


勝手に手続きが進むが……仕方ない。


小さく息を吐き、彼女の背を追う。



レティシアが案内したのは、廊下最奥の、客室札すら掛かっていない扉だった。


扉を開けた瞬間、湿った冷気が足元にまっているのが分かる。

寝台には、布なのか毛布なのか判別しにくい塊が丸まっていた。


――物置だな、これ。


『……客室というより、物置に見受けられますが』


「はい。ローヴェン神官様のご指示です」


あっさり認めた。

この子の裁量ではない。


未登録者は払えない。

だから、粗末に扱っていい。

そういう運用が、声にまで染み込んでいる。


『別のお部屋はありますか』


「……ございますが、未登録の方にお支払いいただける額ではないかと」


『では、そのお代をお支払いしますわ』


レティシアの目が、わずかに見開かれる。


「……最上級客室へご案内いたします」


彼女は、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。



最上階の、街を見下ろす特別客室。


扉が開いた瞬間、作り物めいた甘い匂いが肺に入った。

清潔さではなく、値段を主張するための香油こうゆだ。


足音が沈み込むほどの絨毯じゅうたん

磨き込まれた調度品ちょうどひん


「それでは、お代をお願いいたします」


差し出された黒い石には、三千刻という数字が浮かんでいた。


指先で触れる。

硬い石がかすかに熱を持ち、黄金の光が流れた。


【支払いを確認しました】


「っ……! すぐに湯殿ゆどのとお食事の支度をいたします」


足早に退出していくレティシアを見送り、重い扉が閉まる。


滑らかな布地が張られた寝台へ腰を下ろした。


『台帳に名のない者は、人ではない』


ローヴェンの言葉が、まだ耳に残っている。


五十万刻の罰納。

未登録者の強制労働。

本人確認、決済、刑罰の独占。


悪人がいるから壊れているのではない。

壊れたシステムの中で、悪人が正しい顔をして動ける。

それが厄介なのだ。


人間を弾き出す時だけ、こういう仕組みはやけに滑らかに動く。


また、浮かんだ。

病室の白い光の中で、頬だけが別人のようにそげていた顔。


口の奥に、薄い鉄の味がした。


最悪の欠陥構造を見せられた時の、あの嫌な熱だ。


鏡台に視線を向ける。


『調査が済みましたら……わたくしが、この神殿の運用前提を“確認”させていただきますわ』


その声は、どこまでも澄んでいた。


だが、鏡に映る女神の目は冷たい。

慈悲ではなく、検証の目だ。

帳簿の端で人を消す仕組みを、修正すべき欠陥として見据えていた。

挿絵(By みてみん)

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