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第13話 筆頭司祭が差し出したのは、餌でした

◆ 白い鎧


玄関の方で、よろいの金具が鳴った。


レティシアが先に立ち上がる。


「アリア様は、こちらに」


『いいえ』


寝台の縁に手をつく。


体はまだ重い。

床へ足を下ろしただけで、膝が揺れる。


リーネが、すぐに俺の手を支えた。


「私がつきます」


短い声だった。


廊下へ出る。


孤児院の空気は、もういつものものではない。


子どもたちの声が、奥へ押し込められている。


玄関ホールには、白い鎧の男たちが立っていた。


踏み込まれただけで、孤児院の床板が別の場所みたいに見える。


先頭の男が、静かに頭を下げた。


「聖騎士団第三隊、隊長エルマン・ローデンと申します」


声は丁寧。


だから、余計に冷たい。


エリセ先生は玄関脇に立っている。

顔色は悪い。


それでも、背筋だけは崩していない。


レティシアが一歩前へ出る。


「ご用件を」


「レティシア殿。ならびに聖ラウラ孤児院院長エリセ殿へ、事情聴取への同行を求めます」


「理由を伺っても?」


布施ふせ横領おうりょう疑いです」


玄関ホールから、音が消えた。


エルマンは続ける。


「宿泊係であったレティシア殿が、信徒より預かった布施を正規帳簿ちょうぼへ記載せず、聖ラウラ孤児院へ流していた疑いがあります」


「院長エリセ殿には、その受領と使途について確認を行います」


『お断りしますわ』


声が出た。


自分でも驚くほど冷たい声だった。


エルマンの視線が、こちらへ向く。


「アリア・ヴェリス様ですね」


『ええ』


「本件は、あなたを拘束こうそくするものではございません」


『ならば、なおさらです。この方々を連れていく理由がありません』


「記録にない布施が、孤児院に流れております」


『子どもたちの食費と薬代に使われた金を、横領と呼びますの?』


「帳簿にない金です」


エルマンの声は揺れない。


「善意であっても、記録を通さず動かせば横領です」


レティシアが、小さく息を吸った。


「アリア様」


止める声だった。


だが、止まれない。


『なら、今ここで記録に載せればよろしいでしょう。必要な手続きがあるなら――』


「過去の不記載は消えません」


喉が詰まる。


正論だ。


システムの不備を突く、完璧な「神殿の正義」。


リーネの指が、俺の手に食い込んだ。


透明な膜が、見えないまま玄関ホールの空気を押し返す。


『リーネ。まだです』


「ですが」


『まだ』


リーネは唇を結ぶ。


エルマンは、その小さな動きを見逃さない。


「ここで力を振るわれますか」


『……』


「神殿の調査に対し、魔女を用いて妨害した。そう記録されれば、どちらが正義に見えるか。お分かりでしょうか」


何も言えなかった。


リーネが動けば、聖騎士の剣は届かない。

けれど、それを使えば、こちらが悪になる。


正論は、向こうにある。


レティシアが、こちらへ深く頭を下げた。


「アリア様。ありがとうございます」


『礼を言う場面ではありません』


「いいえ」


レティシアは顔を上げる。


「怒ってくださった。それだけで、十分でございます」


『十分なわけがありません』


声が乱れた。


レティシアは、ほんの少し笑った。


「わたくしは、盗んでおりません」


それから、聖騎士たちへ向き直る。


「ですが、帳簿に載せられない布施を受け取り、孤児院へ届けました」


逃げない声だった。


「子どもたちを、冬の向こうへ送るためです」


エリセ先生も、静かに頷く。


「受け取ったのは、私です」


『エリセ先生』


「使いました。食料に。薬に。冬着に」


エリセ先生は、聖騎士たちを見る。


「返せと言われても、もう子どもたちの体の中です」


エルマンの表情は変わらない。


「ですから、確認が必要です」


確認。


その言葉だけで、二人を連れていける。


こちらが何もできないと確かめてから、エルマンは口を開いた。


「アルヴェリウス様より、言付ことづかっております」


その名で、レティシアの肩がかすかに揺れた。


「アリア・ヴェリス様が大神殿までお越しくださるのであれば、アルヴェリウス様は直接お話を聞く用意がある、と」


――ああ。


最初から、俺が獲物か。


帳簿も、布施も、横領疑いも。


全部、俺を玄関まで引きずり出すための手順だった。


エルマンは続ける。


「その場合、レティシア殿とエリセ殿への同行要請は、いったん保留いたします」


リーネが首を振る。


「行かせません」


『リーネ』


「行かせません」


手を握る力が強くなる。


息を吸った。


喉の奥が、まだ熱でざらついている。


震えるリーネの手を、軽く握り返す。


『……体調が悪いので、後日わたくしから伺うとお伝えください』


玄関ホールが静まった。


エルマンは、しばらくこちらを見る。


「承知いたしました」


あまりに素直な返答だった。


「筆頭司祭より、無理にお連れするなと申しつかっております」


レティシアの眉が、わずかに動く。


「また、ご快復まで救護院の聖女を置いていくように、とも」


『……お気遣い、痛み入りますわ』


声だけは、きれいに出た。


エルマンは深く頭を下げる。


「では、後日。大神殿にてお待ちしております」


白い鎧が、そろって向きを変える。


玄関ホールから、金具の音が遠ざかっていく。


レティシアとエリセ先生は、連れていかれなかった。


今日だけは。


リーネの指が、まだ俺の手を握っている。


勝ったわけではない。


けれど、今日失うものだけは、ひとつ減らせた。



二日後。


救護院から来た治癒再生ちゆさいせいの魔女――神殿でいう聖女、イリスの治癒で、熱はどうにか引いていた。


ありがたい。


ありがたいのだが、痛みを引き受けた瞬間の、あの恍惚こうこつとした顔が頭から離れない。


便利だからといって、気軽に頼っていい相手ではない。


身支度を終えると、大神殿から迎えの馬車が来た。


孤児院の前に停まっていたのは、白い箱のような馬車だった。


「筆頭司祭アルヴェリウス様より、お迎えに上がりました」


神官が、定規で測ったような角度で頭を下げる。


体調が悪ければ、日を改めても構わない。


そういう言葉も添えられた。


だが、門前には馬車。

後ろには白衣の薬師。


断る選択肢は、丁寧に潰されている。


「私も参ります」


馬車に乗り込むと、リーネはすぐ隣へ座り、俺の手を確保した。


正面にはレティシア。


その横、窓が作る影の中に、セレスが腰を下ろしていた。


いつ戻ってきたのか分からない。


短く切った銀灰ぎんかいの髪を肩口に落とし、窓の外を眺めたまま、何も語らない。


レティシアは、さっきから俺の頬と唇ばかり見ている。


リーネは、俺の手を握り潰しそうな力でつなぎ止めている。


そして神官は、車内を確かめたはずなのに、セレスへ視線すら向けなかった。


誰も、彼女に触れない。


馬車の中に、ひとりぶんだけ、誰にも数えられていない席がある。


だから、何も聞かなかった。


大神殿の尖塔せんとうが見える。


馬車は正面門を避け、裏手の脇門へ滑り込んだ。


「アリア様。筆頭司祭様がお待ちです」


『ご案内を』


リーネが先に降り、そのまま俺の手を引く。


レティシアも続こうとした。


だが、神官が手を上げる。


「申し訳ございません。ここから先は、アリア様お一人でとのことです」


リーネの指に、ぎりりと力がこもった。


「いいえ」


即答だった。


神官の顔に、困惑のしわが刻まれる。


「筆頭司祭様のご指示です。神託しんたく記録に関わる秘匿性ひとくせいの高いお話のため、同席は――」


「離れません」


レティシアが、一歩前へ出る。


「アリア様は、まだ病み上がりです。付き添いを外して万が一のことがあれば、神殿として責任を取れるのですか?」


「護衛と、腕利きの薬師はこちらで用意しております」


「そういう問題ではありません」


神官の額に、脂汗が浮き始めた。


リーネは動かない。


繋がれた手も離さない。


俺は視線をずらした。


門柱の影に、セレスが立っている。


いつ馬車を降りたのか分からない。


いつものように、感情の読めない瞳でこちらを見ていた。


『それなら――セレスにお願いしようかしら』


神官が固まった。


レティシアも、リーネも、一斉にこちらを見る。


「……セレス、とは?」


神官が恐る恐る尋ねた。


リーネの瞳が、剣の切っ先のように細くなる。


「どなたですか、それは」


『……そこに、いらっしゃるでしょう?』


門柱の影を指差す。


セレスは、確かにそこにいる。


神官の視線は、彼女のいる場所をただの影として通り過ぎた。


レティシアも、何もない空間を怪訝けげんそうに見つめている。


リーネでさえ、俺と門柱の影を交互に見る。


見えていない。


俺以外、誰も。


セレスの瞳だけが、かすかに揺れた。


「……まだ、見えているのですか」


細く、乾いた声。


長く名前を呼ばれなかった喉から、ようやくがれ落ちたような声だった。


『……見えておりますけれど』


セレスの顔から、表情が抜ける。


驚いたようにも、泣きそうにも見えた。


「いつから」


『最初からです』


セレスは何かを言おうとして、失敗した。


『馬車では、窓の影に座っていらしたでしょう。ずっと外を見て』


セレスの喉が、小さく鳴る。


青白い唇が震えていた。


神官だけが、違った。


震える指で胸の印に触れ、ゆっくりと膝を折る。


「……まさか。大神殿でささやかれていた噂は、本当だったのか……」


「我らには見えぬ御方を、見ておられる……」


「女神様は、やはりアリア様をお選びになったのだ……」


本当にやめろ。


ただ見えている相手に声をかけただけだ。


結局、リーネには扉の外を守ってほしいと頼んだ。


セレスは何も言わず、俺の後ろへつく。


案内の神官は、最後まで涙をぬぐっていた。


廊下の角では、別の神官が足を止め、胸の印に手を当てている。



案内されたのは、大神殿の奥にある小さな応接室だった。


神官たちの足音が、分厚い扉の向こうへ消えていく。


部屋に残されたのは、俺とアルヴェリウスだけに見える。


だが、壁際の影にはセレスがいる。


アルヴェリウスは、向かいの席に座る。


「道中、少し騒ぎがあったようですね」


『……騒ぎではありませんわ』


俺は座らない。


白い指先が、椅子の背に触れる。


『わたくしを呼ぶために、エリセ先生とレティシアを使おうとなさいましたわね』


アルヴェリウスは、すぐには答えなかった。


「そのような報告は受けております」


『報告』


指先が、椅子の背から離れる。


『連れてこられれば命令。失敗すれば報告。……神殿は、ずいぶん便利に言葉をお使いになるのね』


「否定はいたしません」


『でしょうね』


俺は立ったまま、アルヴェリウスを見下ろす。


『あの二人を、どうなさるおつもり?』


「動かしません」


『神殿の命令で?』


「はい」


『二度と?』


「私の目が届く限りは」


『届かない場所では?』


アルヴェリウスが、机の上に一枚の書面を置いた。


「聖ラウラ孤児院を、神殿付属から外します」


視線が、書面へ落ちる。


「院長はエリセ殿のまま。寄付は神殿を通さず受け取れます。神官も常駐させません」


『レティシアは』


「本人の意思を確認します。神殿の指示ではなく」


『書面に』


「すでに」


アルヴェリウスは、もう一枚の書面を重ねる。


『ずいぶん、用意がよろしいのね』


「必要になると判断しました」


『あの孤児院を、交渉材料にしているのね』


「必要なものを差し出しているつもりです」


『便利な言い換えですわね』


「今は不要でしょう」


アルヴェリウスは、さらに別の書面を置く。


「クランの拠点についても、所有者には話を通してあります」


『商会倉庫のこと?』


「はい」


『昨日まで、あれほど渋っていましたのに』


「今朝、考えを改めたのでしょう」


『あなたが口を利いたのですね』


「はい」


『旧詰所を紹介したのも、偶然ではありませんのね』


「偶然ではありません」


『何のために?』


「あなたがあの方々を救えるなら、次に必要になるのは、身を置く場所です」


俺の手が、机の縁に触れる。


『救えなかった場合は?』


「別の処理をしておりました」


そこで初めて、俺は椅子を引いた。


座る音だけが、部屋に響く。


『……なぜ、そこまでなさるの』


アルヴェリウスは、懐から薄い石板を取り出す。


「大神殿は、女神の神託を記録してまいりました」


石板が、机の上を滑る。


そこには、四つの文が刻まれていた。


【聖女は祈れど、器は満たされず】


【四つの楔が解かれる時、新たな道が開かれる】


【零番、女神の外より来たる】


【零番が動かねば、世界は焼ける】


『この神託が下りたのは、いつですの』


「数年前です」


『今になって、意味が分かったと?』


「四つのくさび。零番。女神の外。……昨日までは欠けた言葉でした」


『昨日までは?』


「あなたが、旧詰所の封を解くまでは」


俺の視線が、石板からアルヴェリウスへ移る。


『あの四人を、あなた方は知っていたのですね』


「記録はありました」


『彼女たちは、神殿に襲われたと聞いていますわ』


「違います」


アルヴェリウスは言い切った。


「襲ったのは、神殿ではありません」


『では、無関係だと?』


「保護下にあった者たちを守れなかった。その時点で、無関係ではありません」


『……誰が襲ったのです』


「今は、名を申し上げません」


『なぜ』


「名を渡せば、怒りの向きが決まります」


アルヴェリウスの声は、揺れない。


「彼女たちは昨日、目を覚ましたばかりです。そこへ敵の名だけを渡せば、立つしかなくなる」


『それを、あなたが決めるの』


「いいえ。ですから、あなたにお話ししています」


俺は、視線だけで壁際を見た。


セレスが、ゆっくりと目を伏せる。


小さく頷いた。


俺は正面へ向き直る。


『彼女たちには、今すぐには伝えません』


「感謝いたします」


『あなたのためではありませんわ』


「承知しております」


『ただし』


俺の目が、冷たく細められる。


『彼女たちが自ら問うたなら、隠しません』


「その判断に、異議はございません」


『異議の話ではありません。あなたの許可を求めているのではないと言っているのです』


「……失礼しました」


アルヴェリウスは、わずかに頭を下げた。


俺は、石板の縁を指先ではじく。


『それで、わたくしを何だと見ておりますの』


「女神の使徒か。外より来た零番か。あるいは、我らが勝手にそう見ているだけの方か」


燭台しょくだいの火が揺れる。


「断じるには、材料が足りません」


『なら、なぜここまで用意したのです』


「無視するには、重なりすぎております」


『わたくしを囲うつもり?』


「囲えば、あなたは拒む。ですから、囲いません」


『では、利用する?』


「妨げない、と申し上げます」


『きれいな言い方ですこと』


俺は、机の上の書面を一枚取った。


『この書面から、わたくしの名を外してください』


アルヴェリウスの目が、わずかに動く。


「あなたの名を?」


『ええ』


指で、書面を机に押し付ける。


『わたくしの名で救われた場所は、次にわたくしの名で縛られます』


声の質が変わる。


静かなのに、部屋の白さまで押し返すような声だった。


『救いを、所有の印にしてはなりません』


アルヴェリウスは、瞬きをしない。


「あなたは、本当に何もお求めにならないのですね」


『わたくしが無欲だから、名を外せと言っているのではありませんわ』


アルヴェリウスの微笑みが、わずかに遅れた。


『鍵をひとりが握る仕組みは、いずれ必ず腐ります。誰かひとりの善意に寄りかかる場所は、その善意が消えた日に壊れるからです』


俺は、机上の書面を指先で叩いた。


『孤児院は、エリセ先生と子どもたちの場所です。レティシアを縛り直すための場所でも、わたくしを飾るための場所でもありませんわ』


「……承知いたしました」


返事は早かった。


『最初から、そのつもりでしたの?』


「その方が、あなたは受け取るでしょう」


俺は、書面から手を離した。


『本当に、嫌な方ですわね』


「よく言われます」


『それと』


俺は、もう一枚、小さな紙片を机に置く。


『これら一連の手続きを、神殿からの“恩恵”として受け取るつもりはありません』


アルヴェリウスの目が細くなる。


『物件手配の照合料、および仲介実務への手数料として、後ほど正式に処理いたしますわ』


その瞬間。


アルヴェリウスが用意した壮大な「恩寵」は、ただの事務的な「仲介業務」へ落ちた。


貸しではない。

恩恵でもない。

単なる商取引。


こちらも、意味を書き換える。


アルヴェリウスは、静かに笑った。


「あなたは、神殿を嫌っておられるのですか」


『いいえ。自分を世界の中心だと思い込んでいる状態を、少し危ういと思っているだけです』


壁際で、セレスが神殿のトップをあわれむように見下ろし、口元を歪めた。


俺は視線だけを、壁際へ流す。


『……そうね』


「どなたと、お話しを?」


『古い石板には、映らないものもありますわ』


アルヴェリウスが、初めて口を閉じた。


『神託を抱きしめていれば真実に触れられるとお思いなら、少し危ういですわね』


見えていないものが、この部屋にある。


アルヴェリウスは、ようやくそれを悟った。


俺は書面の束を手に取る。


胸元には抱かない。


片手で下げたまま、背を向けた。


物語の読みやすさ向上、および主人公のキャラクター性をより明確にするため、第1話〜第13話の内容を大幅にリライトいたしました。


展開の整合性を整えておりますので、すでにお読みの方も、お時間に余裕があれば改めてチェックしていただけると嬉しいです!詳細は活動報告にまとめております。

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