第88話 星冠
世界樹の妖精は、私の手の中からじっと私の顔を見つめている。その翠色の瞳は、まるで心の奥底まで見通しているようだった。
自己紹介もしていない私の名前を知っているから、人の思考を直接読み取れるのだろう。女王陛下が毒に倒れた状況も、私達が三日間眠れずに奔走してきたことも、全部分かっている様子だ。
〖私から見れば、人間の一生なんて本当に一瞬なのよ? 芽が出て、花が咲いて、散るくらいの短い時間〗
妖精は手のひらの中でころりと寛ぎ、にこにこと笑う。
〖相変わらずねぇ、人間って。そんな短い時間の中で誰かを愛したり、守ろうする。優しくて健気で一生懸命で——でも同時に、どうしようもなく愚かで醜く、欲深い〗
「……だ、だけど!」
〖だからこそ、愛らしいんだけどね。アタシ、人間が好きよ。ずっと昔から〗
翡翠色の羽がゆっくりと動き、妖精は宙に浮かんで私の目線の高さで止まった。どこか遠くを見るような目になる。
〖星冠はね——仲の良かった、この国の建国王に贈った花なの。特別に創り出した花、だったわ〗
「建国王に……」
〖彼のことは好きだったわ。優しすぎて民のことばかり心配して、権力を持っても驕らず、大地も自然も愛してた。そういう人間がアタシ好みなの〗
妖精は懐かしそうに目を細めた。
〖星冠は、彼と彼の子孫がずっと栄えるようにって、贈ったの。人間も土地も豊かになる——そういう想いを込めたのよ〗
「そんなに……特別な花だったんですね」
〖彼は自然を大事にしてくれたわ。人間にしては、なかなか可愛いことをする子だったの。キミのように〗
ふふ、と笑う声が頭の中に響く。でもすぐに、その声のトーンがかすかに変わった。
〖問題は、子孫ね〗
「……」
〖最初の頃はよかったのよ。でも代を経るごとにこの国は変わっていった。星冠から作られる薬を高値で売りつけて巨万の富を得たり、他国との政治的な取引に使ったり、自分達が贅沢に飲み始めたわ。星冠は欲望を満たす道具になってしまったの〗
妖精の声が、少しだけ低くなった。怒りというよりは——疲れたような色だった。
〖アタシはずっと見ていた。でも、権力と富を手にした人間が欲望に飲まれていくのは変わらなかった——だから星冠を、この世界から消した〗
「それが、三百年前……」
〖そう。人の理には過ぎた力だったわ。アタシが間違ってたのね〗
妖精はそう言って小さく肩をすくめた。
〖もう人間の手に余る力を与えるべきではない、そう考えているわ。余計なことをすれば、人間はまた歪み争いを生む〗
「……でも」
私は手を握った。
「それでも——陛下を助けたいんです。私達は欲望のために星冠を使おうとしているんじゃない。ただ、生きていて欲しいんです。救いたい大事な人がいる、ただそれだけなんです」
声が少し震えた。
妖精は動かなかった。翠色の瞳で、じっと私を見ている。ほんのしばらくの沈黙の後、妖精はふっと息を吐いた。
〖やっぱりキミ、あの子に似てるわねぇ、心の波長まで〗
「え?」
〖建国王よ。魔力の質も、自然を愛している所も、人を思う心が——そっくり〗
翠色の羽がゆっくりと動く。
〖……しょうがないわね、美味しいマナを沢山届けてくれたキミに免じて、一輪のみ、一度だけ創ってあげる。条件付きでね〗
「ほ、本当ですか!? 条件って……何ですか?」
妖精がくわっと目を見開いた。
〖もっとアイリスの魔力を吸わせなさい!〗
「……はえ?」
〖これまでみたいに、毎日アタシに美味しい魔力をチューチュー吸わせること! 感情がしっかり篭ってる魔力がいいわ! やきもちの魔力とか、最高なのよね!〗
「や、やきもちって……! 妬いてないですけど!」
〖感情は養分よ! もっとロマンスしなさい!〗
妖精が意味不明な事を言いながら、意地悪な笑みを浮かべた。
(……魔力を浴びせるだけでいいなら、願ったり叶ったりだ!)
「そんなことでいいなら、いくらでも! お約束します!」
〖は〜い、契約成立♪〗
あまりにあっさりした対応だった。 世界樹の端末とか、精霊王の意思とか、建国王に贈った花とか、そういう重々しい肩書きはいったい何だったのか……。
(この妖精……ちょろくない……?)
一度はこの世から消した万病に効く薬の素材になる花を、そんな他愛もない条件で蘇らせていいのかしら?
そんな心配を覚える中、妖精が宙でくるりと小さく回った。
金と緑の光の粒子が周囲に散り、やがて一点へと収束していく。粒子が形を成し、輪郭が現れ、色が宿っていく。その様子は《花の帳》から植物を生み出す時と似ていた。
やがてそこに——王冠を象った大きな花が、金色に輝きながら姿を現した。
「こ、これが……星冠……!」
思わず両手を差し出した。花びらの一枚一枚が、王冠の宝石のように光を帯びている。触れた瞬間、温かい何かが指先から伝わってくるようで——
「アイリス!!」
エリオット様が静止しようとした理由を理解するのが、少し遅かった。
「えっ? ……あっ、うわあああ!?」
星冠は光の粒子に変わり、《花の帳》の中へきれいさっぱり吸い込まれていった。
「ああぁ!? またやってしまったぁ!! す、すぐに生み出します!」
〖待ちなさい〗
妖精の声が真剣だった。
〖星冠は人間には過ぎた力を秘めているわ。無理に生み出そうとすれば、命を削ることになる。やめときなさい〗
「そ、そんな……!」
〖……はぁ、しょうがないわね、もう一本あげる〗
そう言いながら、妖精がため息をついた。
「えっ?」
あっさりとそう言って、妖精はまた同じように光の粒子を集め始める。数秒後には、再び同じ星冠が、ふわりと宙に浮かんでいた。
〖これ以上はもう手伝わないわよ! アタシが人間の世界に干渉すると、よくないことが起きるから!〗
一度だけ一輪だけ、と言ってたのにあっさりと二輪も頂いてしまった。
(……やっぱり、ちょろいでしょ……この妖精……?)
この世界のあらゆる自然の始まり、世界樹。そんな神話の存在がお手伝いをしたそうに、そわそわしながらこちらを見てるのは気のせいだろうか……?
「は、はい! ありがとうございます、本当に!」
〖絶対に、もう手伝わないわよ!〗
「はい!」
〖……絶対よ!?〗
「…………」
二輪目の星冠が、そっと私達の前に差し出される。今度こそ慎重に、そっと手を伸ばすと、エリオット様も同じタイミングで手を伸ばした。
星冠に触れた瞬間、エリオット様の指の先に光の板が幾つも浮かび上がる。
「……『製作図』が、見つかった……! 星冠を使った、解毒薬の『製作図』が……!」
私達は顔を見合わせて笑い合った。
「作れる、”王家の聖杯”を——作れる!」
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