第二百八十三話:世界樹の腹ペコエルフと、茸汁(きのこじる)の餌付け。そして一億ポイントの絶望
まるで最高級のアワビか、はたまた極上の貝柱か。
コリッ、プリッとした圧倒的な弾力と、噛むたびに溢れ出す黄金色の茸汁。そして、暴力的なまでに食欲を刺激するガーリックバターのような芳醇な香り。
俺たちは、巨大な『迷宮茸の王の極厚ステーキ』を平らげ、キャンピングカーの傍らに用意したアウトドアチェアに深く腰掛けながら、至福の満腹感と溜息を漏らしていた。
「ふぅ……。森の幸、恐るべしだな。肉が一ミリも入っていないのに、この圧倒的な満足感はどうだ」
「主よ、我はもう動けん……。腹が重い……」
5万ポイントで購入した【神話級・妖精の防虫オーラ発生器】のおかげで、俺たちの周囲2メートルは、完全に清浄で無菌な「極上のグランピング空間」と化している。
結界のすぐ外側では、キャンピングカー並みにデカい毒蜘蛛や、紫色の巨大ムカデといったグロテスクな神話級の虫どもが、オーラを嫌がってシャァァァッと威嚇音を立てて這い回っているが、もはや環境映像(サファリパークの動物)にしか見えない。
まさに安全圏から地獄を眺める、資本主義的優越感の極み。
俺が冷たい麦茶で喉を潤し、極厚キノコの余韻に浸っていた、その時だった。
ガサガサッ……。
防虫オーラで浄化された結界のすぐ外側、薄暗い巨大シダの茂みを掻き分けて「それ」は姿を現した。
「……に、人間……。この神聖なる、世界樹の森で……何を……」
現れたのは、淡い金糸のような美しい髪と、長く尖った耳を持つ、紛れもないエルフの少女だった。
だが、一般的な絵本や吟遊詩人の伝承に描かれるような「気高く、美しく、神秘的な森の精霊」というイメージとは、絶望的なまでにかけ離れていた。
身に纏う木の葉とツタで編まれた伝統的な衣服はボロボロに擦り切れ、泥だらけ。美しいはずの白い頬はこけ、足取りは生まれたての小鹿のようにフラフラだ。
そして何より、彼女の焦点の合っていない虚ろな視線は、俺たちではなく、鉄板の上にわずかに残った『キノコステーキの切れ端(黄金の茸汁たっぷり)』に完全に、そして狂気的に釘付けになっていた。
「ここは、我らエルフの領分……。人間風情が、立ち入りを……許される場所では、ありませ……」
少女が、最後の気力を振り絞り、精一杯の虚勢を張って威嚇しようとした、その瞬間。
――グゥルルルルルルゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!
彼女の細く薄っぺらいお腹から、先ほど砂漠で倒した神話級魔獣の咆哮かと錯覚するような、凄まじい「腹の虫の音」が森中に響き渡った。
「……あぅっ」
少女は顔を真っ赤にして両手でお腹を押さえ、その場にヘナヘナとへたり込んでしまった。
エルフの神秘性、ここに完全崩壊。
俺は、熱した鉄板の横でため息をつき、頭を掻いた。
「おいおい。神聖な森の住人が、そんなに腹を空かせて倒れそうになって、どうするんだ。……ほら、食うか?」
俺は小皿に、鉄板に残っていた極厚キノコステーキの切れ端(といっても、普通のステーキ肉くらいの大きさはある)を乗せた。
さらに、鉄板に焦げ付いていた黄金色のエキス(茸汁)とオリーブオイルをたっぷりと絡め、少女の目の前、オーラ結界のギリギリの境目へと差し出した。
ホワァァァァァッ……!
暴力的なまでに芳醇な、森の旨味を凝縮した香りが、少女の鼻腔をダイレクトに強襲する。
「くっ……! 人間から施しなど……誇り高きエルフは、決して……ッ!」
少女はプルプルと小刻みに震えながら、必死に顔を背けようとした。
エルフとしての矜持が、人間の残飯(極上ステーキだが)を食うことを全力で拒否しているのだろう。
だが、限界まで飢えきった肉体と本能が、それを許さなかった。
限界まで見開かれたエメラルドグリーンの瞳。
ダラダラと、文字通り滝のようにこぼれ落ちるヨダレ。
次の瞬間、彼女の理性の糸が「プツン」と音を立てて切れた。
「……あうぅぅぅぅっ!!」
彼女は野生の獣のようなスピードで結界内に飛び込み、小皿に置かれたキノコの切れ端に、両手で掴みかかって豪快にかぶりついた。
……コリッ、ジュワァァァァァァッ!!
「んぐっ!? あ、あはぁぁぁぁぁっ……!!」
一口噛んだ瞬間。
少女は白目を剥き、首をのけぞらせて天を仰いだ。
エルフの誇りなど、極上の茸汁の旨味の前では、1ポイントの価値もない紙くず同然だった。
彼女は美しい顔をキノコの油と茸汁でベタベタにしながら、咀嚼音もあらわに、まるで何日も餌をもらえなかった野犬のように貪り食う。
「おいちい! なにこれぇぇぇっ! お肉みたいにすごい弾力があるのに、噛むたびに森の旨味がジュワジュワあふれてくるぅぅっ! ああっ、ソースを舐めさせてえぇぇっ!」
「おいおい、皿まで食う気か。落ち着け、まだあるから。喉に詰まらせるぞ」
結局、彼女は俺たちが予備で残していたキノコステーキを3枚も平らげ、皿を舌でピカピカに舐め回し、冷たい麦茶をジョッキで一気飲みして、ようやく正気(?)を取り戻した。
「はっ!? わ、私としたことが……! 人間の食べ物に、あんな浅ましい姿を……!」
「気にするな。美味い飯の前には、種族の壁もエルフの誇りなんてものも存在しない。で、腹が膨れたなら事情を聞かせてもらおうか。エルフの嬢ちゃん」
俺が椅子を勧めると、彼女――シルフィと名乗ったエルフの少女は、赤面して俯きながら、涙ぐんで森の現状を語り始めた。
「森の中心にある、生命の源である『世界樹』が……強大な『大地の澱み』に侵されてしまったのです。マナの循環が完全に絶たれ、森の果実も、私たちが育てていたキノコもすべて枯れ果て、私たちエルフの集落は、飢えに苦しんでいます……」
なるほど。ガリウス所長が解読した石板の通り、ここが次の「大地の澱み」の浄化目標というわけだ。
世界を救う大義名分。
だが、俺の心は驚くほど動かなかった。
「ふーん。そりゃあ大変だな」
俺は麦茶をすすりながら、ひどく気のない返事をした。
森が枯れるのはエルフにとっては死活問題で気の毒だが、ぶっちゃけ俺には関係のない話だ。俺は極上のトリュフとフルーツが食えればそれでいい。
「お願いです! このままでは、森の命脈が……あの世界樹の頂にある、神聖なる『黄金林檎』も、澱みに侵されて腐り落ちてしまいます!」
「……なんだと?」
ピクッ。
俺の耳が、その「黄金林檎」という単語に激しく反応した。
「黄金林檎だと? 神々の庭を凌駕する芳醇な香りと、圧倒的なフルーティーな甘み。一口かじれば百の病が治り、寿命すら延びるという、究極のデザートの最高峰……あの黄金林檎が、俺が食う前に、腐って落ちるだと!?」
「は、はい……。瘴気の影響で、すでに実の半分がドス黒く変色し始めていて……このままでは、あと数日で完全に泥に還ってしまいます……」
バンッ!!
俺は、キャンピングカーのアウトドアテーブルをぶち壊す勢いで叩いて立ち上がった。
冗談じゃない!
俺はこの過酷な、見渡す限り不快な虫だらけの巨大樹海に、わざわざ5万ポイントの防虫オーラまで買って、極上のデザートを求めてやってきたのだ!
それが、俺の口に入る前に腐って落ちるなど、農民として、いや、食いしん坊として、断じて許されることではない!
「ガリウス所長! フェン! 緊急事態だ! 黄金林檎の鮮度がピンチだぞ!」
「世界の危機というより、完全にお前のデザートの危機だろうが!」
「黙れフェン! 俺の食欲は結果的に世界を救うんだよ! 今すぐ助けるぞ!」
俺は虚空を素早くタップし、システムウィンドウを開いた。
砂漠の地下迷宮とは違い、ここは見晴らしの悪い森の中とはいえ、通信圏内(アンテナ・バリ3)だ。
ポイントさえあれば、世界樹の病気だろうと、大地の澱みだろうと、チートアイテムで一瞬にして解決できるはずだ。
俺は検索窓に、素早くキーワードを打ち込んだ。
【検索ワード:世界樹、浄化、回復、万能薬、神話級、即効性】
検索結果のリストがローディングマークと共に更新され、俺の求める「最強の答え」が、ウィンドウの最上段に黄金色に輝く文字で表示された。
「あったぞ! これだ!!」
【シークレットアイテム:神話級・星の万能薬(エリクサー・世界樹完全再生用)】
【説明:星の生命力を極限まで凝縮した究極の霊薬。どんな強大な大地の澱みも一瞬にして浄化し、枯れかけた神話級の植物を、病気前の『完全な状態(極上の鮮度)』へと再生・活性化させる。】
【価格:100,000,000 pt】
「よし、これなら黄金林檎も完璧な状態で食え……ん?」
俺の指が、購入ボタンの1ミリ手前で、まるで時間が停止したかのようにピタリと硬直した。
価格の欄。
そこに並んでいるゼロの数を、俺は右から一つずつ、震える声で数え始めた。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、せんまん……」
そして、一番左の数字。
「……いちおく?」
100,000,000ポイント。
一億。
現在、俺が持っている全財産は、これまでの魔物討伐や数々の農作物出荷、クエスト報酬でコツコツと(時に豪快に)貯め込んだ、約1300万ポイント。
8700万ポイントも、足りない。
「一億ポイントぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!?」
俺は、白目を剥いて天を仰ぎ、両目から血の涙を流さんばかりの絶叫を、世界樹の森の奥深くに響き渡らせた。
「ふざけるなァァァ! なんだその狂った価格設定は!! ついこの間、村に100万ポイントの温室を建てて『高い!』と震えていたのに、いきなり100倍のインフレかよ! ゲームバランスが崩壊してるだろ! 桁がおかしいだろ、システムのバカヤローッ!!」
あまりの理不尽な要求額に、俺は膝から崩れ落ち、腐葉土の上に両手をついた。
絶望だ。
通信圏外で金が使えなかった砂漠の時以上の、絶対的な「資本主義の壁」。ポイ活ユーザーにとって、目標額が高すぎるのは、何よりも心を折る拷問だ。
「ル、ルークス様……? どうされましたの、急に泣き崩れて……。どこかお怪我でも……?」
「ダメだ……。高すぎる……。黄金林檎が……俺の究極のデザートが、腐って落ちる……。もうダメだ……スローライフ終了だ……」
シルフィが不安そうに見つめる中、エレナ様が背中をさすってくれる中、俺は地面の土を握りしめ、しばらくの間、完全に打ちひしがれ、機能停止していた。
もう帰ろう。村の温室で、普通のリンゴを食えばいいじゃないか。
だが。
脳裏に、あの黄金に輝く、甘く芳醇な香りを放つ究極の林檎のビジュアル(※まだ見たことはないが、俺の食欲が勝手に想像した完璧な映像)が、強烈にフラッシュバックする。
シャキッという、小気味良い歯ごたえ。
薄い皮が弾け、中からジュワァッと溢れ出す、神々すらも酔いしれる極上の蜜と果汁。
それを味わわずに、諦めるのか?
この森まで来て?
最強の農民として?
いや、ただの食いしん坊として?
「……ふざけんな。諦めきれるか」
俺は、ユラリと立ち上がった。
絶望の涙は乾き、その瞳には、先ほどまでの落胆とは全く違う、かつてないほどのドス黒い「欲望」と、狂気じみた「執念」の炎が燃え盛っていた。
「主よ……? なんか、とてつもなくヤバいオーラが出ているぞ……。魔王よりも邪悪な気配だぞ……」
「金が足りないなら……稼ぐまでだ」
俺は『真・アダマンタイトの鍬』を強く握りしめ、薄暗い樹海の奥深く、神話級の魔虫や魔獣たちが潜む魔境を、ギラギラと血走った目で見据えた。
一匹倒せば数万ポイント。ならば、森ごと更地にする勢いで狩り尽くせば、一億ポイントなど造作もないはずだ。
「おい、森の化け物ども!! よく聞け!」
俺の怒号が、防虫オーラを越えて、森の木々をビリビリと震わせる。
「1億ポイントだ! 俺が黄金林檎を食うために必要な金だ! お前らを片っ端から極上の食材に変えて、乱獲して、狩り尽くしてやる!! 世界樹を救うための、狂気の収穫祭(ポイ活)の始まりだァァァッ!!」
その瞬間。
世界樹の森に潜むすべての魔物たちが、食物連鎖の頂点が入れ替わったことを悟り、理不尽な悪寒に身を震わせたとか、させなかったとか。
最強農民の、かつてないほどに欲望むき出しの狩猟(ポイ活)が、今、絶望の樹海で高らかに幕を開けたのだった。
【読者へのメッセージ】
第二百八十三話、いかがでしたでしょうか。
誇り高きエルフのシルフィが、極上の茸汁の前になす術もなく陥落していくギャップ萌え(飯テロの恐ろしさ)! 美味い飯は種族の壁を超えますね。
そして、ルークスを絶望の淵に突き落とす、まさかの「1億ポイント」という超インフレ!
100万ポイントで震えていたのが嘘のような価格設定に対する、ルークスのメタ的なツッコミと絶望をねっとりと描写いたしました。
しかし、食欲はすべてを凌駕します。
黄金林檎を食うためなら、森の生態系を破壊してでも1億ポイントを稼ぎ出す。欲望に火がついたルークスの「狂気の収穫祭(ポイ活)」が、いよいよ始まります!
次回、森の魔物たちにとっての真の恐怖が幕を開けます。次話もぜひご期待ください!




