第二百五十五話:聖大根(セイント・ラディッシュ)の市場価格。商人と、王都で起きた奇跡
その日の朝、リーフ村の静寂は、鶏のコケッコーというのどかな鳴き声ではなく、一人の男の断末魔のような悲鳴によって破られた。
「ぎゃああああああああああッ!! め、目がぁぁぁぁッ!!」
耳をつんざくような絶叫。
俺、ルークス・グルトは、畑で新しい農具(全自動水やり機)の設置場所を検討していた手を止め、声のした方角を振り向いた。
屋敷の裏庭にある、収穫した野菜の一時保管所。
そこに、見慣れたシルエットの男が膝から崩れ落ち、地面をのたうち回っているのが見えた。
この辺境伯領と王都を繋ぐ大手商社「クラウス商会」の若き支店長、クラウスさんだ。
「……く、クラウスさん? どうしました? ギックリ腰ですか? それとも朝露で滑りました?」
俺が駆け寄ると、クラウスさんはワナワナと震える指で、目の前の光景を指差した。
その顔は青ざめ、滝のような冷や汗を流している。
「ル、ルークス様……こ、これは……一体……? ここは野菜置き場のはずでは……?」
「ああ、これですか? 今年の新種の大根です。ちょっと育ちが良すぎて、光っちゃったんですけど」
俺は無造作に積み上げられた、虹色に輝く大根の山をポンと叩いた。
昨日の収穫分だけで五百本はある。
一本一本が太ももサイズで、内側から高出力の魔力光を放っているため、夜になるとここ一帯がパチンコ屋の新装開店みたいにギラギラ光るのだ。正直、眩しくて安眠妨害になりかけている。
「ひ、光っちゃった……? 育ちが良すぎて……?」
クラウスさんは壊れたブリキのおもちゃのように同じ言葉を繰り返し、そして震える手で懐から商売道具の魔導鑑定用片眼鏡を取り出した。
商人としての本能が、恐怖を上回ったらしい。
「し、失礼します……鑑定させていただきます……!」
カチャッ。
彼がモノクルを装着し、大根の山を見た、その瞬間。
――パリーンッ!!
バヂヂヂッ!!
装着した瞬間、モノクルのレンズが内側から弾け飛び、金属フレームから火花が散った。
「ぐあぁぁぁぁっ!!?」
「ああっ! クラウスさん、大丈夫ですか!?」
「め、目が……! 魔力光が強すぎて、測定限界を突破しました……! 最高級の鑑定レンズが一瞬で……! な、なんですかこのエネルギー量は!?」
クラウスさんは割れたレンズの破片を押さえながら、後ずさった。
その目は、見てはいけないものを見てしまった者のそれだった。
「これは野菜ではありません! 形状が大根なだけの、高純度魔力結晶体……いや、植物型の聖遺物です! 一本で小城の結界を維持できるほどの魔力を内包していますよ! こんなものを野晒しにするなんて、正気の沙汰じゃありません!」
「いやいや、大根ですよ。食べると梨みたいで美味しいんです。ほら、ガリウス所長も朝からボリボリ食べてますし」
俺が指差すと、大根の山の向こうから、「うむ、今日の部位(尻尾側)は特に甘みが強くてシャキシャキしているな」と呟きながら、丸かじりしている王宮筆頭魔導師の姿があった。
その手には、食べかけの光る大根。口の周りは虹色の汁でベタベタだ。
「が、ガリウス様!? 王宮筆頭魔導師のガリウス様が、なぜこのような場所に!?」
「ん? おや、クラウス君か。……見ての通りだ。この大根は本物だぞ。私の持病の腰痛も、これを三日食べたら完治した。おまけに、長年停滞していた魔力回路が活性化し、全盛期以上の魔力を取り戻せた」
ガリウス所長は、ニカッと笑って大根を掲げた。
国の最高権威による、実体験に基づいたお墨付き。
その瞬間、クラウスさんの手から商売道具のそろばんが滑り落ちた。
ガシャン!
「ポ、ポーションより効く……? 魔力回路の修復……? それを、こんな……山のように……」
クラウスさんの目が、恐怖から一転、狂気じみた「商人」の色に変わった。
瞳孔が開き、口元が引きつった笑みを浮かべる。
彼は割れたモノクルを投げ捨て、俺に詰め寄った。その迫力は、先日戦った泥の巨神よりもある意味恐ろしい。
「ルークス様! これ、全部ウチで買い取らせてください! い、いくらですか!? 金貨百枚? いや、白金貨でも足りないか!? 王都の本店の権利書を持ってきましょうか!?」
「えっ、いや……そんな高くなくていいですよ。所詮は野菜ですし、早く出荷しないと瑞々しさがなくなっちゃうんで」
俺は困って頭をかいた。
確かに凄い効果はあるが、俺にとっては「勝手に育った副産物」だ。それに、あまり高く売って税金が跳ね上がるのも面倒くさい。確定申告が大変になる。
「じゃあ……普通の大根の相場が銅貨一枚(約10円)だから、色付きだし、百倍の銀貨一(約1,000円)枚でどうです?」
「銀貨……一枚……?」
クラウスさんが白目を剥いて卒倒しかけた。
口から泡を吹いている。
「や、安すぎる……! 市場破壊どころか、大陸経済の崩壊を引き起こす価格破壊だ……! 聖遺物を銅貨で売るようなものですぞ!?」
「でも、高く売りすぎて誰も買わなかったら肥料にするしか……」
「肥料にするだとぉぉぉぉッ!!? 神への冒涜だ!!」
クラウスさんは絶叫し、俺の胸ぐらを(物理的にではなく、精神的な勢いで)掴んだ。
「わかりました! では、書類上はその価格で卸していただき、市場での販売価格はこちらで調整させていただきます! その代わり、利益の七割……いや、八割はルークス様の口座に振り込みます! 文句は言わせません!」
「は、はぁ。お任せします」
クラウスさんは震える声で契約成立を宣言すると、部下たちに怒号を飛ばした。
それは戦場の指揮官のようだった。
「おい! あるだけの保冷魔導コンテナを持ってこい! 最高出力で冷却しろ! 一本たりとも傷つけるなよ! 葉っぱ一枚落とすな! これは野菜じゃない、国の宝だ! 丁重に、王族をお運びするように運べぇぇぇッ!!」
「はっ、はいぃぃッ!!」
こうして、数百本の聖大根は、一本ずつ最高級の絹の布に包まれ、衝撃吸収の魔法がかけられた木箱に収められ、厳重な護衛付きの馬車で王都へとドナドナされていった。
◇
数日後。王都エストリア。
中央広場に面したクラウス商会の本店前は、かつてないほどの大パニックに陥っていた。
「押すな! 押すんじゃない!」
「その『光る大根』を寄越せ! 金ならいくらでも出す!」
「私の父が病気なんだ! 一本でいい、譲ってくれ!」
王都の市場に突如として現れた「虹色に輝く奇跡の野菜」。
クラウス商会が「辺境の秘境で発見された、聖なる加護を受けた根菜。生産者:L・G」として売り出したそれは、瞬く間に王都中の噂となった。
最初は「光る野菜なんて気味が悪い」と敬遠していた人々もいた。
だが、実際に食べた引退間近の老騎士が「全盛期の筋力を取り戻し、酒場の腕相撲大会で優勝した」という話や、ハゲ上がっていた富豪の商人が「煮汁を頭に塗ったら、翌朝フサフサになっていた」という衝撃的な目撃情報が広まるにつれ、事態は一変した。
貴族、騎士、魔導師、そして富裕層の商人たちが、目の色を変えて殺到したのだ。
本店で開催された緊急オークション会場。
そこは、野菜の競り市とは到底思えない、異様な熱気に包まれていた。
ビロードのクッションの上に鎮座するのは、たった一本の聖大根。
シャンデリアの光を反射し、虹色のオーラを放つその姿は、もはや食材の域を超えた美術品だ。
「さあ、本日の目玉商品! 生産者直送、最高品質の『聖大根・極』! 泥付き、葉っぱ付きの完全体です! スタート価格は金貨十枚から!」
司会者の声に、貴族たちの札が次々と上がる。
「金貨二十枚!」
「三十枚だ!」
「ええい、まどろっこしい! 金貨五十枚(約50万円)!」
会場がどよめく。たった一本の大根に、庶民の年収以上の値がついている。
だが、入札は止まらない。
「金貨八十枚! 妻の誕生日にどうしても必要なんだ!」
「金貨百枚! その葉っぱだけでもいい、我が家の家宝にする!」
最終的に、その大根は王家御用達の大貴族によって、金貨百二十枚で落札された。
「買えた……これで、これで我が家の没落も免れる……!」
落札した貴族は、大根を我が子のように抱きしめ、涙を流していた。
市場では、「あの大根の煮汁を浴びると肌がツルツルになる」「葉っぱを煎じて飲むと魔力が増える」「枕元に置くだけで悪夢を見なくなる」といった噂が尾ひれをつけて広まり、聖大根は「食べる万能エリクサー」としての地位を確立していた。
◇
そして、その「奇跡」は、王宮の最奥にも届いていた。
王宮、薔薇の離宮。
そこには、国内で最も高貴でありながら、最も不遇な運命を背負った少女がいた。
第三王女、シャルロット。
生まれつき体が弱く、原因不明の「魔力欠乏症」という熱病に伏せっていた彼女の寝室は、死を待つだけの静寂に包まれていた。
国中の名医や高位神官が匙を投げた、不治の病。
少女の命の灯火は、風前の灯となっていた。
「……陛下。クラウス商会より献上された、『奇跡の野菜』をスープにいたしました」
静寂を破ったのは、侍女長の声だった。
彼女が運んできた銀のトレイには、白い湯気を立てるスープ皿が乗っている。
中身は、聖大根を丁寧に裏ごしし、ミルクとコンソメで仕上げたポタージュだ。
だが、普通のスープとは違う。
器から立ち上る湯気そのものが、微かに虹色の粒子を帯びて輝いているのだ。
ベッドの脇に座り、憔悴しきった顔をしていた国王、リアム・フォン・エストリアは、藁にもすがる思いで娘の口元にスプーンを運んだ。
「シャルロット……一口だけでいい。これを食べておくれ。……噂が本当なら、きっと良くなるはずだ」
蒼白な顔をした王女が、薄く目を開ける。
その瞳には、焦点が合っていなかった。
彼女は父の願いに応えるように、震える唇を開き、スープを一口、口に含んだ。
――その瞬間。
カッ……!
王女の体が、内側から発光した。
淡く、優しい光が、病魔に侵された彼女の体を包み込む。
「……あ」
王女の瞳に、光が戻る。
カサカサだった唇に、桜色が差す。
荒かった呼吸が深く、穏やかなものになり、熱に浮かされていた苦悶の表情が、安らかなものへと劇的に変わっていく。
「美味しい……。お父様、体が……温かいわ。氷のようだった手足に、血が巡っていくのがわかるの」
「シャルロット! おお、神よ……!」
国王は震える手で娘の手を握りしめた。冷たかったその手が、確かな体温と、力強い脈動を取り戻している。
慌てて駆け寄った侍医が、魔導聴診器を当て、そして信じられないという顔で腰を抜かした。
「き、奇跡です……! 枯渇していた魔力回路が、修復されています! いや、それどころか、以前よりも太く強靭な回路が形成されつつある! これなら……助かります! 完治しますぞ!」
寝室に、歓喜の声が響き渡った。
侍女たちは泣き崩れ、国王もまた、娘を抱きしめて男泣きした。
しばらくして、国王は涙を拭い、そして鋭い眼光で侍従に問いかけた。
その瞳には、王としての強い意志と、底知れぬ興味が宿っていた。
「このスープ……この『聖大根』を作ったのは、どこの誰だ? 宮廷魔導師団が束になっても治せなかった病を、たった一杯のスープで治すとは……」
「はっ。リーフ村の領主代行、ルークス・グルトという者です。箱には『生産者:L・G』と記されておりました」
「ルークス……。あのガリウスが『調査』に向かった村か。そして、先日の太陽のような魔力爆発……」
国王は立ち上がり、窓の外、遥か北の空を見つめた。
点と点が、線で繋がっていく。
「余の愛娘を救った奇跡の野菜。……そして、観測された規格外の魔力。全ては偶然ではない。その地に、何者かがいる」
「その者を、余の前に連れてまいれ。……いや、待て」
国王は首を振った。
これほどの力を持つ者を、不用意に呼びつければ警戒されるかもしれない。それに、ガリウスからの報告書には「彼はただの農民であることを望んでいる」とあった。
「余自らが、出向くべきか? お忍びでな。……その『最強の農民』に、礼を言わねばならん」
◇
一方その頃。
王宮での大騒ぎなど露知らず、当の本人、ルークスは。
「ふあぁ……。いい天気だなぁ」
リーフ村の畑の真ん中で、木陰に吊るしたハンモックに揺られながら、のんきに大あくびをしていた。
手には、聖大根をスライスして干した「干し聖大根」をつまみに、冷えた麦茶。
そして目の前では、新しく購入したポイントアイテムが稼働している。
【全自動魔導スプリンクラー(天候制御機能付き)】
価格:50,000pt
聖大根の売上でポイントが潤った俺は、速攻でこれを購入した。
ただ水を撒くだけではない。
畑の上空に局地的な「雨雲」を作り出し、マイナスイオンたっぷりの霧雨を降らせ、作物の成長に最適な湿度と温度を全自動で管理してくれる優れものだ。
「シュッシュッシュッ……」というリズミカルな音と共に、畑に優しい雨が降る。
俺は濡れることなく、ハンモックの上からそれを眺めるだけ。
「これだよ、これ。俺が求めていたのは、こういう『楽しむための農業』なんだよ。労働は機械に任せて、人間は成長を見守る。完璧なスローライフだ」
王都で自分の大根が金貨で取引されていることも。
王女様の命を救ってしまい、国王陛下に目をつけられたことも。
ましてや、ガリウス所長が毎日俺の料理レポートを王宮に送りつけていることなど、露知らず。
「平和だなぁ……。このまま、何事もなくスローライフが続けばいいのに」
俺は麦茶を飲み干し、幸せそうに目を閉じた。
その平穏が、嵐の前の静けさであることに気づく由もなく。
空飛ぶカボチャが、俺の頭上をプカプカと通り過ぎていった。
【読者へのメッセージ】
第二百五十五話、お楽しみいただけましたでしょうか!
ルークスにとっては「早く売らないと腐る野菜」が、王都では「万病に効く奇跡の秘薬」として高値で取引される……この価値観のズレこそ、異世界モノの醍醐味ですね。
クラウスさんの商魂と、王宮を巻き込んだ大騒動。
点と点が繋がり、ルークスの名声(悪名?)は留まるところを知りません。
本人がのんきにスプリンクラー(天候制御付き)を眺めている間に、事態は国家レベルへと発展してしまいました。
国王陛下のお忍び訪問フラグも立ち、物語はますます賑やかになりそうです。
次回、新たなトラブルが村を襲うのか? それとも……?
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