第二百四十五話:極寒の夜。石狩鍋と、鮭の遡上(そじょう)
おせち料理の華やかな色彩と、餅による窒息未遂事件から数日が過ぎた頃。
リーフ村は、これぞ「冬将軍」の本気と言わんばかりの、すべてを白く塗りつぶし、生命活動を停止させるかのような、極寒の静寂に包まれていた。
窓の外では、ダイヤモンドダストが舞い、軒先には槍のような氷柱が地面に向かって伸びている。
魔導コタツは確かに温かい。そこは常春の楽園だ。
だが、連日の餅とあっさりした和食攻勢により、俺の身体は、そして本能はある「欠乏」を訴え始めていた。
「……寒い。ダメだ、コタツに入っていても、身体の芯が冷えている気がする。上品な出汁や、甘い栗きんとんじゃ燃費が悪い……。もっとこう、暴力的で、内側からボイラーのように燃え上がるような『脂』と『熱量』を求めている……」
俺がコタツの中でミノムシのようにうめくと、同じく丸くなっていたフェンが、強く同意するように鼻を鳴らした。
『うむ。主よ、我もだ。餅は確かに美味いが、あれは腹にたまるだけで、野生の血が騒がん。……肉か魚か、とにかく脂の乗った獲物を食わせろ。この寒さを凌ぐには、圧倒的な燃料が必要なのだ』
「奇遇だな、フェン。……実はさっき、見回りをしていたロベルトから面白い情報を聞いたんだ。村の近くを流れる渓流に、今年も『アレ』が遡上してきたらしいぞ」
『アレ……だと?』
「産卵のために北の海から戻ってきた、銀色の弾丸……『キングサーモン(魔物化)』だ」
◇
数十分後。俺たちは完全防寒装備に身を包み、村外れの渓流へと来ていた。
外気温は氷点下十五度。吐く息は瞬時に白く凍りつき、まつ毛に霜が降りるほどの寒さだ。
川の淀みには人が乗れるほど分厚い氷が張っているが、流れの速い場所には、バシャバシャと水面を割り、飛沫を上げる力強い生命の音が響いていた。
「……いたぞ! 見ろ、あの魚影の濃さを!」
俺が指差した先。
黒く冷たい川底を、銀色の巨大な影が、矢のように群れを成して泳ぎ回っている。
通常の鮭ではない。魔素をたっぷりと吸い込み、体長一メートルを超え、丸太のように太り、鋼鉄の鎧のように硬い鱗を纏った『シルバー・エンペラーサーモン』だ。
『……主よ。水が冷たいぞ。あんな氷水の中に飛び込めと言うのか? 我は誇り高きフェンリルだぞ。犬かきなどしたくない。足が濡れるのも嫌だ』
フェンが川岸で前足を引っ込め、露骨に嫌な顔をする。
俺はニヤリと笑い、悪魔の囁きを吹き込んだ。
「いいのか、フェン? こいつらは北の海で栄養を蓄え、今まさに脂が乗りに乗っている状態だ。特に腹の部分……『ハラス』と呼ばれる部位は、もはや魚肉じゃない。口に入れた瞬間に体温で溶ける、白銀の『大トロ』の塊だぞ? お前が捕まえなければ、今夜の夕食はまた『焼き餅(海苔なし)』だ」
『……ッ!! 大トロ……溶ける脂……』
フェンの黄金の瞳が、狩猟者の、いや飢えた猛獣のそれに変わった。
彼は低く唸り声を上げ、首周りの毛を逆立て、筋肉を隆起させる。
『……ふん。仕方あるまい。主の貧弱な魔法では、傷をつけて味を落とすかもしれんからな。……我が行く! 見ていろ、伝説の漁を!』
ドッパァァァァァァァンッ!!
フェンが躊躇なく、極寒の激流へとダイブした。
水しぶきが上がる端から空中で凍りつき、氷の粒となってキラキラと散る。
水中での激しい乱闘。銀色の閃光と、白い狼の影が交差する。水面が盛り上がり、激しい水音が渓谷にこだまする。
ガブッ!! バシャバシャバシャッ!!
数秒後。
フェンが水面から顔を出した。その口には、激しく暴れる巨大な鮭の首根っこが、がっちりとくわえられている。
彼は水しぶきを上げながら岸へと上がり、獲物をドサリと雪の上に放り出すと、全身の水を激しく撒き散らした。
『ブルルルルッ! 冷たッ! 主よ、これは虐待だ! 尻尾の先が凍ったぞ! 早く乾かせ!』
「よくやった! でかしたぞ! ……見ろ、この魚体の厚み! 丸太みたいだ! パンパンに張ってるぞ!」
俺は雪の上でビチビチと跳ね回る、生命力の塊のような鮭を押さえ込み、ナイフで延髄を断ち切って締めた。
銀色の鱗が、雪明かりを反射してギラギラと輝いている。
「帰るぞ! 風魔法で乾かしてやる! この命、最高の鍋にして供養してやる!」
◇
自宅のキッチンに戻った俺は、早速解体に取り掛かった。
出刃包丁の背で、バリバリと硬い鱗を引く音が響く。
頭を落とし、腹を裂く。
――ズバッ。
現れたのは、目の覚めるような鮮やかな「サーモンピンク(橙色)」の身。
そして、俺の予言通り、腹身の部分には、真っ白な脂肪の層が分厚く、霜降りのように入っている。
「……これだ。この脂こそが、冬を乗り切るための最強の燃料だ」
俺は鮭を豪快な「ぶつ切り」にした。骨からも良い出汁が出るため、中骨も頭も捨てずに使う。
用意したのは、俺が持っている中で最も巨大な、五人用の深型土鍋。
そこに利尻昆布の出汁をたっぷりと張り、火にかける。
「今夜は『石狩鍋』だ。北国の漁師が生んだ、身体を温めるための知恵の結晶だ」
沸騰した出汁に、まずは鮭のアラを投入し、アクを取りながら濃厚な魚介出汁を抽出する。
続いて、ザク切りにしたキャベツ、くし切りのタマネギ、長ネギ、そして地元産のホクホクとした甘いジャガイモ(キタアカリ系)を山盛りに投入する。
野菜に火が通り、くたくたになり始めたら、ここからが「錬金術」の時間だ。
「フィオナ、味噌を取ってくれ。……それと、冷蔵庫から『牛乳』と『バター』だ」
「え? お味噌汁に……牛乳? 正気なのルークス? 気持ち悪くない? 味が喧嘩するわよ?」
フィオナが眉をひそめて後ずさるが、俺は不敵に笑って作業を進める。
赤味噌(仙台味噌)と白味噌(信州味噌)をブレンドし、酒と味醂で溶いた特製味噌だれを鍋に回し入れる。
そこに、隠し味として新鮮な「牛乳」をカップ一杯分投入する。茶色いスープが一気にまろやかなクリーム色を帯び、香りが柔らかくなる。
そして仕上げに、メインの鮭の切り身と、黄金色の「発酵バター」の塊を、惜しげもなく投下する。
――ジュワァァ……トロォォ……。
熱々のスープの上でバターが溶け出し、味噌スープの表面に黄金色の油膜を作っていく。
その瞬間、キッチンに漂っていた魚の匂いが、暴力的なまでに芳醇で、食欲をそそる「背徳の香り」へと変貌した。
「……っ!? な、なにこの匂い……!? お味噌の香ばしい匂いと、バターの甘い乳製品の香りが……混ざり合って……すごく、お腹が空く匂いになったわ! これは反則よ!」
「完成だ。……さあ、冷えた身体に燃料を投下するぞ! コタツへ急げ!」
◇
俺たちはコタツの上に土鍋を移し、ハフハフと言いながら箸を伸ばした。
部屋中が味噌バターの香りで満たされている。
まずはスープを一口。
ズズッ。
……熱い! 濃い! 美味い!
味噌の塩気とコクを、牛乳とバターが優しく包み込み、角を取っている。そこに鮭のアラから出た強烈な旨味が加わり、旨味の爆弾となっている。
「……くぅぅぅぅ! 染みる! 凍えた内臓が、一気に解凍されていく! 血液が沸騰するようだ!」
鮭の身を頬張る。
ホロリと崩れる柔らかさ。噛むほどに溢れ出す脂の甘み。
バターを纏った鮭は、もはや魚料理の域を超えている。
そして、スープを吸って煮崩れかけたジャガイモ。
ハフッ。
ねっとりとした食感。ジャガイモの甘みと、味噌バターの塩気が完璧なハーモニーを奏でる。これがまた、とてつもなく熱いのだが、それが良い。
『ガツガツッ! ……うまい! 主よ、これは良い! 冷たい川に飛び込んだ甲斐があった! このバターという油、鮭の脂と混ざると最強だな! 身体の奥から力が湧いてくるぞ!』
フェンが夢中で汁ごと平らげていく。
フィオナも「熱っ! はふっ! でも止まらない!」と、額に汗を浮かべ、上着を一枚脱ぎながら食べている。
身体の芯からカッカと熱くなる。これぞ「食べる暖房」だ。
そして、具材があらかたなくなった頃。
鍋の底に残ったのは、鮭と野菜の旨味が極限まで凝縮され、少し煮詰まってドロリとした最強のスープ。
「……ここからが本番だ。締めは雑炊じゃない。この濃厚スープには、こいつだ」
俺はポイント交換で取り寄せた、生タイプの「ちぢれ太麺(札幌ラーメン用)」を投入した。
黄色い麺が、濃厚なスープを絡め取り、黄金色に輝く。
「『特濃・味噌バターコーンラーメン』の完成だ」
仕上げに缶詰のコーンと、追いバターを乗せる。
俺たちは丼に取り分け、ズルズルと豪快に音を立ててすすった。
――ズズッ、ズルズルッ!
麺の小麦の香りと、味噌バターのパンチ力が、満腹中枢を破壊して胃袋へ雪崩れ込んでくる。
「……おせちも良かったけど、結局こういう『茶色い味』が一番落ち着くのよね……。カロリーって、美味しい……。冬って、美味しい……」
フィオナが恍惚の表情で呟く。
その時。
遠くから、雪を踏みしめる馬車の音と、「この匂いはぁぁぁ! バターか! 味噌か! 私が来るまで食い尽くすなよぉぉ!」という叫び声が聞こえてきた。
「……やれやれ。あの男、吹雪の中でも鼻が利くな。猟犬並みだ」
俺は苦笑しながら、システムウィンドウを開き、替え玉(追加の麺)をもう三玉購入した。
「……まあいい。寒さこそが最高のスパイスだ。この一杯のために、厳しい冬があるんだからな」
俺たちは熱々のラーメンをすすり、窓の外の雪景色を眺めた。
極寒の夜。
石狩鍋の湯気とバターの香りが、俺たちのスローライフを温かく、そして濃厚に彩っていくのだった。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百四十五話、いかがでしたでしょうか?
寒い夜には、やっぱり鍋です。
特に北海道の郷土料理「石狩鍋」は、味噌とバターの背徳的な組み合わせがたまりません。
鮭の脂、溶けたジャガイモ、そして締めのラーメン。
これをコタツで食べる。まさに冬の最強コンボであり、ダイエットの敵です。
公爵も匂いを嗅ぎつけて到着したようですが、彼に「カロリー制限」という言葉は通用しません。
「石狩鍋食べたい!」「味噌バターラーメン最高!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの鍋の具材を豪華にします!
次回、第二百四十六話――「真冬の甘味。雪室リンゴと、アップルパイの誘惑」。お楽しみに!




