第二百三十三話:公爵の提案、王都に「和食街」を作ろう
カツ丼という名の「脂と糖の暴力」、刺身という名の「静寂の洗礼」、そして焼きおにぎりという名の「嗅覚へのトドメ」。
三種の神器による波状攻撃を終え、俺たちは縁側で、食後の熱いほうじ茶(茶葉を焙煎し、香ばしさを極限まで引き出した自家製)を、ズズズ……と音を立ててすすっていた。
西日が差し込む、リーフ村の穏やかな午後。
頬を撫でる風は心地よく、満腹の胃袋を抱えた体は、重力に従って畳(に見立てたゴザ)に沈み込んでいく。
だが、俺の隣に座る王都最強の美食家、ガルド・フォン・エピキュリア公爵の瞳だけは、沈むどころか、獲物を狙う猛禽類のようにギラギラと、異様な熱気を帯びていた。
「……ルークス殿。茶を飲んでいる場合ではない。単刀直入に言おう。王都に来い」
公爵は、茶飲み話のついでとは思えないほど重々しく、そして有無を言わせぬ圧で切り出した。
「私の屋敷の隣……いや、王都の一等地に、私が所有する広大な土地がある。現在は薔薇園にしているが、そんなものは明日すべて焼き払ってもいい。そこを無償で提供しよう。貴殿はそこに店を出し、この『和食』という奇跡を、王都の民に……そして国王陛下に振る舞うのだ! これは提案ではない、義務だ! この味を……この感動を独占することは、美食の神に対する背信行為であり、人類への裏切りだぞ!」
公爵の鼻息が荒い。荒すぎる。
彼はもう、ただの客ではない。「和食」という名の新興宗教に目覚め、その教義を世界に広めようとする狂信的な宣教師だ。
彼の脳内では、すでに黄金に輝く「カツ丼神殿」が建立されているに違いない。
だが、俺の答えは決まっている。俺は急須から二杯目の茶を注ぎながら、極めて冷静に答えた。
「お断りします。俺は農家だ。今はスローライフ中なんです」
一刀両断。
俺の言葉に、公爵は信じられないものを見るような顔をした。
「な……っ!? こ、断るだと!? 貴殿は正気か? 金か? 金ならいくらでも出す! 王都の相場の三倍、いや十倍の出資金を用意しよう! 名誉か? 宮廷料理長のポストを用意させてもいい! 男爵位くらいなら、私の推薦ですぐにでも叙爵できるぞ! 貴殿のその神がかった才能を、こんな辺境の村で、泥にまみれさせて腐らせておくなど……!」
「公爵。俺はな、前世……いや、昔、死ぬほど働いてきたんだ」
俺は茶を一口すすり、遠い目をして語り出した。
「毎朝、満員電車という鉄の箱に詰め込まれて通勤し、理不尽なクレーマー(貴族)に頭を下げ、休みのない調理場に立ち続ける……。日付が変わるまで働き、家に帰っても泥のように眠るだけ。……そんな生活に戻るくらいなら、俺はここで一生、土を耕し、トマトの成長を見守りながら暮らしますよ。金も名誉も、自由な時間の前では紙切れ同然だ」
俺の拒絶は鉄壁だ。
金? 化粧水とスパイス貿易で、すでに使い切れないほど唸るように入ってくる。
名誉? そんなものを持ったら、面倒な貴族のパーティに呼ばれるだけで、畑仕事の邪魔にしかならない「呪いの装備」だ。
「ぐぬぬ……っ! し、しかし……! ならば私はどうすればいいのだ! 私はもう……この醤油の焦げた匂いと、カツ丼の甘辛いタレなしでは、一日たりとも生きられない体になってしまったのだぞ! 責任を取れ! 私の胃袋に対する責任を!」
公爵が頭を抱え、子供のように駄々をこねる。
王都の重鎮が、焼きおにぎりの残り香が漂う縁側で、涙目で喚いているのだ。
厄介だ。非常に厄介だ。
このまま断り続ければ、この権力者は「カツ丼が食いたい」という一心で、毎日片道数時間をかけてこの村に通い詰め、俺の平穏な農作業を妨害し続けるだろう。最悪の場合、俺を誘拐して王都に監禁しかねない。
かといって、俺が店に立つのは論外。
自分が働かずに、公爵の欲望を満たし、かつ俺の懐も潤す方法……。
……待てよ?
俺の脳裏に、ブラック企業時代に担当していた、ある大手飲食チェーンのクライアントのビジネスモデルが閃いた。
「搾取」と「拡大」の悪魔的システム。
「……分かりました、公爵。店は出しましょう。王都に『和食』を広める手伝いもします」
「お、おお! やってくれるか! やはり貴殿は話のわかる男だ!」
「ただし、条件があります。俺は包丁を握りませんし、王都にも住みません。俺が提供するのは『仕組み(システム)』と『権利』だけです」
「仕組み……だと? 料理人がいない店など、どうやって回すのだ?」
俺は懐から新しいホワイトボード(Lサイズ)を取り出し、そこに現代地球が生み出した、合理的かつ残酷なまでに効率的なビジネスモデルの図解を描き始めた。
「名付けて『リーフ村・フランチャイズ・システム(FC構想)』です」
俺はマジックを走らせ、四角と矢印で複雑な相関図を描きながら、淡々と説明する。
「まず、店を経営するのは俺じゃありません。公爵、あんたの家だ。店舗の建設費、内装費、料理人の雇用と給与、客の対応、在庫管理……これらは全て『オーナー』である公爵家の負担と責任で行ってもらいます。俺は一ゴールドたりとも出資しません」
「ふむ……金と人は私が用意する、と。まあ、それくらいは造作もない。では貴殿は何をするのだ? 名前だけ貸すのか?」
「いいえ。俺は『本部』として、以下の三つの絶対的な価値を提供します。
一、『究極のレシピ』と『調理指導』。
俺が作ったマニュアル通りに作れば、誰でも80点のカツ丼が作れるように、あんたの抱える料理人を短期間でしごき上げます。
二、カツ丼や味噌汁に不可欠な『食材』の独占供給。
米、味噌、醤油、そして聖樹ポーク。これらはリーフ村でしか生産できません。他では絶対に真似できない味の根幹を、俺が握り続けます。
三、『リーフ村公認・元祖和食』というブランドの看板貸与。
『あの英雄ルークスが監修した店』というだけで、客は行列を作ります」
そして、俺は最後に一番重要な数字を、赤マジックで大きく書き込んだ。
「その対価として、食材費(原価)とは別に、毎月の売上の『30%』をロイヤリティ(技術指導料)として、リーフ村に納めてもらいます」
横で聞いていたフィオナが、飲んでいたお茶を吹き出した。
「ぶふっ!? さ、30%!? 食材費は別でしょ!? 暴利よ! 悪魔の契約よ! あんた、それでも人の心があるの!?」
普通なら決裂する条件だ。自分がリスクを負わず、働かず、ただ「やり方」を教えるだけで、売上の三割を永遠に掠め取るなど、強欲な貴族でもやらない。
だが、公爵の反応は違った。彼はその数字を見ても、眉一つ動かさなかった。
彼の目には、「カツ丼」の幻影しか映っていないのだ。
「……その契約を結べば、レシピと、あの醤油や味噌が……安定的に手に入るのか? 私が店を持てば、毎日、朝昼晩と、行列に並ぶことなく揚げたてカツ丼が食えるのか?」
「ええ。あんたの店ですからね。特等席で、好きなだけマヨネーズをかけた裏メニューを食うことも可能ですよ。……どうです? 公爵家にとっては、安い買い物でしょう?」
「乗ったぁぁぁぁぁ!! 安い! 安すぎる! カツ丼が毎日食えるなら、ロイヤリティが50%だろうが、私の全財産を投げ打っても惜しくはない! すぐに契約書を作れ! 今すぐにだ! 羊皮紙を持ってこい!」
公爵が俺の手を両手でガシッと握りしめ、涙目で叫んだ。
……チョロい。いや、それほどまでに「和食」の魔力は、人の理性を破壊するほど凄まじいのだ。
さらに俺は、ここぞとばかりにダメ押しの条件を追加する。
「それと、もう一つ。これが一番重要です。王都でこんな美味い店をやれば、必ず面倒な貴族や王族が『レシピをよこせ』だの『俺を優先して予約させろ』だのと言ってくるでしょう。あるいは、利権を巡って他の商会が嫌がらせをしてくるかもしれない」
「む……確かに。ハイエナのような連中だ、必ず寄ってくるだろうな」
「それらの政治的干渉、クレーム対応、もみ消し……すべて公爵が防波堤となって防いでください。俺の耳に雑音が入った瞬間、食材の供給ルートを即座に遮断します。醤油の一滴たりとも、王都には入れません」
「任せろ! このガルド・フォン・エピキュリアの名にかけて、貴殿の平穏と、我が命綱である醤油の供給ルートは死守してみせる! 国王陛下だろうと、行列の最後尾に並ばせてみせるわ!」
契約は成立した。
これで俺は、村から一歩も出ることなく、泥臭い店舗運営のリスクを公爵に押し付け、王都の売上を吸い上げ続ける「フィクサー」の地位を確立した。
「さて……ビジネスの話はまとまりました。では、どんな店を作るかですが」
公爵は、夢見る少年のように目を輝かせて提案する。
「やはり、和食の神秘性を表現せねばな。入り口には純金で作った巨大な鳥居を置き、床は総大理石、天井からはクリスタルのシャンデリアを吊るし、食器はミスリル銀で……」
「却下です。全力で却下します。そんな落ち着かない場所で、焼き鳥や焼きおにぎりが食えますか。味がしませんよ」
俺はホワイトボードの図を消し、サラサラと一枚の「完成予想図」を描いた。
それは、石造りの中世風の王都にはあまりにも異質な、しかし日本人の魂を揺さぶり、サラリーマンの帰巣本能を刺激する風景だった。
「……なんだ、これは? 狭い路地に……簡素な木のカウンター? 入り口には『縄のカーテン(暖簾)』? 椅子は……なんだこの四角い箱は? そして、この軒先にぶら下がっている、不気味に赤く光る物体は……」
「これは『赤提灯』です。……いいですか公爵。和食、特に俺たちが提供するB級グルメってのは、気取って食うもんじゃない。仕事帰りに、ふらりと立ち寄り、この赤い光に蛾のように吸い込まれていく……。狭い店内で肩を寄せ合い、酒を飲み、笑い合う。そういう『猥雑な熱気』を作るんです」
俺が描いたのは、昭和レトロな「横丁」の幻影。
煙が充満し、笑い声と食器の触れ合う音が響く。そして、夜の闇にボゥッと浮かぶ、赤い提灯の列。
「……赤く光る、提灯……。……不思議だ。絵を見ているだけなのに……なぜか、無性に『入りたくなる』。この赤い光には、疲れた魂を強制的に吸い寄せ、財布の紐を緩ませる、抗いがたい魔力があるぞ……」
公爵が、ゴクリと唾を飲み込み、描かれた赤提灯を指でなぞった。
さすがは美食家、本能で「赤提灯」の恐ろしさを理解したらしい。
「名前は『リーフ横丁』にしましょう。……メニューはカツ丼、焼き鳥、おでん、そして酒。……公爵、あんたはこの横丁を作ることで、王都の『夜』を支配することになるぞ」
「素晴らしい……。リーフ横丁……。私が求めていたのは、これだ! 黄金の鳥居など不要! 必要なのは、赤提灯の灯りと、醤油の焦げる匂い、そして人々の熱気だ!」
公爵は、完成予想図を宝物のように抱きしめ、恍惚の表情を浮かべた。
「……ルークス殿。貴殿は、農家ではないな。……貴殿は、人の欲望を操り、国すらも動かす『魔王』だ」
「人聞きが悪い。俺はただの、平和を愛する農家の次男坊ですよ。……まあ、ちょっとばかり『効率的な経営』が得意なだけです」
俺は縁側で冷めた茶をすすり、遠くに見える王都の方角の空を見上げた。
近い将来、あの街の一角に、異世界人を沼に沈める「赤提灯の迷宮」が誕生する。
そこで働くのは公爵の部下たち。責任を負うのも公爵。
俺がやるべきことは、ここで米を作り、醤油を仕込み、そして毎月送られてくる重たい金貨の袋を数えることだけだ。
これぞ、社畜が夢見た究極のスローライフ。
「不労所得」という名の果実が、今、たわわに実ろうとしていた。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百三十三話、いかがでしたでしょうか?
「働きたくない」という一心で、現代知識をフル活用して巨大な利権システムを作り上げたルークス。
公爵も「カツ丼のためなら」と喜んで搾取される道を選びました。これぞ究極のWin-Win(?)関係です。
次回、いよいよ王都に「リーフ横丁」が建設されます。
しかし、その前に……ルークスの元に、公爵以上の「厄介な客」からの招待状が届く予感が?
「赤提灯で一杯やりたい!」「フランチャイズ契約恐ろしいw」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの不労所得を増やします!
次回、第二百三十四話――「王都震撼、赤提灯の灯る夜」。お楽しみに!




