第二百二十三話:エルフの国の危機? いえ、ただの栄養失調です
リーフ村の朝は、無慈悲な静寂と共に訪れた。
昨夜の狂乱が嘘のように、広場には二日酔いで使い物にならなくなった白銀の騎士たちが、干物のようにあちこちに転がっている。黄金の神酒に酔いしれた彼らの鎧は、朝露に濡れて鈍く光り、あちこちにピザのソースや食べ残した野菜の欠片がこびり付いていた。
俺、ルークス・グルトは、重い頭を抱えて呻いている聖樹守護騎士団長エルウィンの前に、一杯の水(聖域の湧き水・常温)を無造作に差し出した。
「……うぐっ、か、感謝する。……ルークス殿、貴殿のところの木が醸す酒は、……凶器だな。魂までどこかの深淵に抜かれるかと思ったぞ」
エルウィンは震える手でコップを掴み、一気に飲み干すと、情けなく喉を鳴らした。その翡翠の瞳は充血し、白銀の兜はどこへ行ったのか、乱れた金髪を朝風に晒している。騎士団長としての威厳は、昨夜の三杯目のジョッキと共にどこかへ消え失せたらしい。
「酒は飲んでも飲まれるな、ですよ。……それで、話ってのは何です? 飲み代(金貨三〇枚)の踏み倒し相談なら、一切受け付けませんよ。うちは前払い制じゃない分、取り立ては厳しいんですから」
「……いや、それ以上に深刻な話だ。ルークス殿、……我が国『聖樹連合国』を救ってほしい。頼む、この通りだ!」
エルウィンは急に真剣な面持ちになり、地べたに座ったまま、俺に向かって深く、深く頭を下げた。最強と謳われる騎士団長が、田舎の農民に、しかも二日酔いの真っ最中に土下座をする。普通なら歴史の教科書に太字で載るような瞬間だが、俺の心は一ミリも動かなかった。
「嫌です。遠いし、面倒だし、今はトマトの追肥と、新しく生えた聖樹の剪定で忙しいんです。世界が滅びるとしても、俺の畑の収穫サイクルには勝てません。他を当たってください。俺は英雄じゃなくて、農民なんですから」
「そこを何とか! 我が国の、すべての聖樹の親である『マザーツリー(大聖樹)』が原因不明の病で枯れかけているのだ! 数千年の間、一度も絶えたことのない魔力が日に日に細り、葉は黄色く変色し、森全体が死の静寂に包まれようとしている。エルフの賢者たちが総出で祈祷を捧げ、浄化の儀式を繰り返したが、悪化の一途を辿るばかり……。これを救えるのは、聖樹を瞬時に成長させ、家具を実らせ、酒まで醸させた貴殿の……その、得体の知れない『肥料術』しかないのだ!」
「褒めても無駄ですよ。俺はしがない農家です。政治や国家の危機なんて、ブラック企業時代のプロジェクト炎上だけでお腹いっぱいです。責任の重い仕事は、もう前世で使い果たしたんです」
俺が冷たく突き放すと、横で同じく二日酔いで頭を抱えていたフィオナが、縋るような、それでいて必死な声を上げた。
「……ねえ、ルークス。……あんた、大きな勘違いをしてない? もし本国の『マザー』が完全に枯れたら、あんたの庭のこの子(聖樹)も、連鎖して一晩で枯れ果てるのよ? 聖樹はすべて、地下の魔力経路で親木と繋がっているんだから。……あんたが昨日からずっと離さない、その蛇口もね」
俺の、クワを担ごうとしていた動きが、ピタリと止まった。
「……なんだって? もう一度言ってみろ。……今、なんて言った?」
「だから、親木が死ねば魔力供給が止まって、この世界の全セクターの聖樹は全滅するわ。もちろん、あんたが気に入ってるあの『黄金の神酒』が出る蛇口も、一生、一滴も出なくなるわよ。マホガニーの椅子も、トマトも、全部おしまい」
「……。…………。エルウィン団長、詳しい話を聞きましょう。俺の、俺の大切なインフラ(酒サーバー)を脅かす奴は、たとえ世界の寿命だろうが、神の意志だろうが許せません。これは立派な『営業妨害』だ」
「……お、おお! 受けてくれるか! ……しかし、その、動機が不純すぎて、私の感動がどこかへ霧散してしまったのだが……」
驚愕と困惑の混ざったエルウィンの表情を無視し、俺は「鑑定」のログと、彼から聞き取った「マザー」の症状を脳内のデータベースと照合し始めた。ブラック企業の保守運用で培った、障害切り分けの思考回路が超高速で回転する。
「……葉先が黄色く縁取られている。幹には不自然な褐色の斑点。新芽の伸びが著しく悪く、土壌が妙に固く締まっている……。おい、団長。あんたらの国、最後に『土を耕し、栄養を補給した』のはいつだ?」
「耕す……? 何を言う。聖なる森は、精霊の力によって自然のまま保たれるのがエルフの数千年の伝統……。手を加えるなど、聖域への冒涜に他ならない」
「伝統=ネグレクト(放置による虐待)かよ。……いいか、団長。それは『古の呪い』でも『世界の滅び』でもない。数千年も同じ場所で、何も補給せずに一方的に魔力という名の収穫だけ続けてれば、どんな土だって死ぬ。それはな、呪いじゃなくてただの『カリウム欠乏症』、あるいは深刻な『連作障害』だぞ」
「カリ……ウム……? ……それは、禁じられた古代の死霊魔術か何かなのか?」
「……いや、肥料の主要三成分の一つだ。お前らエルフは、神聖だなんだと理屈を並べて、一番大切な『飯(肥料)』を木にやってなかったんだよ。いいか、聖樹だって腹が減るんだ。空腹のまま数千年も働かされれば、誰だってストライキを起こす」
俺はため息をつき、ポイントショップのウィンドウを脳内に展開した。
三億ポイントあった残高はまだ余裕があるが、今回の出張は「正義の味方」としての活動ではない。
「いいですか、団長。これは『救国』じゃありません。俺の庭の設備保全と、そちらの土壌環境改善に関するコンサルティング業務です。報酬として、金貨の代わりに『エルフの森の秘蔵種子』の提供を求めます。特に米や大豆に近い穀物、あるいは味噌の原料になるような豆があれば最高だ。……契約、成立でいいですね?」
「……う、む。背に腹は代えられん。……貴殿が、我が国の『凝り固まった常識』という名の荒れ地を耕してくれるというなら、すべてを賭けよう。国庫を開放することも約束する」
「よし、商談成立だ。……おい、新人フィオナ! 二日酔いで寝てる暇はないぞ。すぐに荷馬車を用意しろ。積み荷は、昨日作った『黄金堆肥』の予備と、ポイントで交換した『土壌分析・精密キット』だ!」
そこからの俺の動きは、ブラック企業のトラブル対応並みに迅速だった。
冒険の装備などいらない。俺が用意したのは、大量の高度複合肥料、土壌改良用の石灰、そして移動中の食糧としてポイント生成した『保存用・冷凍マルゲリータ』の大群だ。
「……主よ。また面倒なことに首を突っ込むのだな。……まあ、あの大聖樹とやらの肉も、魔力に満ちていて美味そうではあるが」
フェンが、予備食糧の『特製ビーフジャーキー』を俺のアイテムボックスに勝手に押し込みながら、呆れたように、しかしどこか楽しげに呟いた。
「フェン、これは冒険じゃない。ブラック企業で培った『業務改善』の手際を、エルフの長老どもに見せつけてやるだけだ。……さあ、出張だ。神秘の森の連中に、近代農業の洗礼を浴びせてやる」
ガラガラと、重い堆肥を山積みにした荷馬車が、朝日を浴びてリーフ村の門を抜ける。
村長ハンスが「今度はエルフの国を壊しに行くのか、この疫病神め!」と叫んでいたが、俺は満足げに手を振り返した。
目指すは、神秘と停滞の森――聖樹連合国。
「世界の終わり」という名のただの「深刻な肥料不足」を解決するために、俺は使い慣れたクワを力強く担ぎ直した。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百二十三話、いかがでしたでしょうか?
「世界樹が枯れるのは、呪いではなくただの栄養失調だ」と断じるルークスの、圧倒的な専門家(農民)としての風格。
自分のビールサーバー(聖樹)を守るためだけに、エルフの国へと乗り込む彼の姿に、本作らしいエゴイスティックなヒーロー像を感じていただければ幸いです。
いよいよ始まる「エルフ編」。神秘の森で、ルークスの近代農業理論はどんな波乱を巻き起こすのでしょうか?
「ルークスの動機が安定のクズで安心した(笑)」「カリウム欠乏症、なーるほど!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの荷馬車の速度をさらに加速させます!
次回、第二百二十四話――「境界の森、肥料の香りに精霊が舞う」。お楽しみに!




