第二百二十一話:騎士団長殿、まずは一口食べてから
「……不浄なる人間どもよ。我が魂の拠り所たる聖樹様を、浅ましくも宴の道具に貶めたその大罪……万死をもって償うがいい!」
白銀の鎧を月光に反射させ、巨大な一角獣から音もなく降り立った聖樹守護騎士団長――エルウィンは、苛烈な魔力を帯びた長剣を、俺、ルークス・グルトの鼻先わずか数センチのところで突き止めた。
彼の翡翠の瞳には、一切の妥協を許さない「神聖なる断罪」の意志が宿っている。その背後では、数十名の精鋭騎士たちが一糸乱れぬ動作で抜剣し、リーフ村の広場は、一瞬にして凍りつくような冷たい殺気の檻に閉じ込められた。
数秒前まで溢れていた村人たちの笑い声は霧散し、皆が腰を抜かしてその場に凍りついている。
フェンが俺の前に躍り出、喉の奥で「グルル……」と、いつでもその華麗な喉笛を食いちぎれるよう、重心を低くして殺気を研ぎ澄ませた。
まさに、絶体絶命。
だが、俺の脳内は、ブラック企業で「激怒して机を叩く取引先の役員」を相手に、冷や汗一つ流さず落とし所を探っていた時のような、異様なほどに冷徹な冷静さに支配されていた。
「お待ちください、騎士団長殿。……処刑を執行されるのは構いません。ですが、その前に『証拠品』の検分をされるのが、法と理を重んじるエルフの正義ではありませんか?」
「問答無用! この地獄絵図が何よりの証拠だ。聖なる枝を椅子に変え、不浄な酒を煽るなど、もはや説明の余地などない!」
「果たしてそうでしょうか? これを見てからでも、同じことが言えますか?」
俺は、震えながら石窯の影に隠れていたロベルトを制し、薪の爆ぜる音がパチパチと響く熱い窯の奥から、一枚の「板」を取り出した。
そこに乗っているのは、武器でも、魔法の媒体でもない。
聖樹産の薪で焼き上げられたばかりの、究極のマルゲリータだ。
俺は抵抗の意志がないことを示すように両手を挙げ、木のプレートに乗った黄金色のピザを、エルウィンの鋭い剣先へと捧げるように差し出した。
「……なんだ、これは。盾か? それとも、小麦を捏ねただけの平たいパンか?」
「これは、あんたが『汚した』と断じた聖樹様が、自らの意志で俺たちに与えた『答え』ですよ。鑑定の魔眼をお持ちなら、見てみるがいい。このトマトが、いかに清浄で、いかに慈愛に満ちているかを。そして、聖樹様がこれほどまでに芳醇な実りを許した理由を、あんたの鼻で確かめてみるんだな」
俺がそう告げた瞬間、焼きたてのチーズが放つ、抗い難いほどに暴力的な芳香が、エルウィンの鉄壁の防御――その鋭すぎる嗅覚をダイレクトに貫通した。
トマトソースが熱で凝縮された甘酸っぱい香り。摘みたてのバジルが放つ、清涼感あふれる森の吐息。そして、何よりも罪深い、焦げたチーズが放つ濃厚な脂の香ばしさ。
エルフという高潔な種族ゆえの鋭敏すぎる感覚が、今、彼にとって最大の敵となった。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!
静寂と緊張に包まれた広場に、エルウィンの腹の虫が、騎士団の進軍ラッパよりも勇ましく、そして耐え難いほど情けない音を立てて響き渡った。
「……っ!? 今のは……今の音は、私の剣が風を切り、魔力が共鳴した音だ! 断じて、断じて卑俗な空腹などでは――」
「団長ぉ~、堅いこと言いっこなしっすよぉ~。この白い伸びるやつ、マジで『概念』が変わるくらいヤバいっすから。ほら、あーん」
そこで、完全に出来上がって理性をどこかの森の奥に捨ててきたフィオナが、フラフラと千鳥足で立ち上がり、ピザの一片を掴んで、あろうことかエルウィンの口元に強引に押し付けた。
端から端まで黄金色のチーズが溢れ出し、バジルの葉が宝石のように散りばめられた、エルフの理性を破壊するための戦略兵器だ。
「フィ、フィオナ!? 貴様、その酒臭い姿は何だ! 聖なる管理者としての矜持はどこへ――むぐっ!?」
言いかけたエルウィンの口内に、フィオナがピザを物理的に叩き込んだ。
反射的に、そして生物としての本能に従って噛み締める、エルウィン。
その瞬間、彼の白銀の兜の隙間から、黄金色の光が漏れ出した。
――サクッ。トロリィィィ。
エルウィンが顎を動かすたびに、白銀の糸のようにどこまでも伸びるモッツァレラチーズが、彼の愛剣よりも美しく、しなやかに空中に弧を描いた。
トマトソースの鮮烈な赤色は、彼の瞳には「不浄な汚染」ではなく、「凝縮された生命の輝き」として映し出された。
生地の香ばしさが鼻を抜け、トマトの濃厚な旨味と酸味が舌の上で爆発する。
「……ぐっ!? なんだ……なんだこの、とろける白い悪魔は……! 噛み締めるたびに、トマトの旨味が口の中で猛威を振るい、聖域の魔力が……濁り一つない純粋な力が、全身の血管を駆け巡る……! これほどまでの『浄化』が、パンという形であり得るというのか!?」
エルウィンは、俺の鼻先に突きつけていた剣を、ガタリと力なく石畳に落とした。
彼の翡翠の瞳からは、峻烈な殺気の代わりに、あまりの美味への感激による大粒の涙が溢れ出していた。
彼が数千年の間、聖典の行間から想像してきた「神々の至福」が、今、目の前の安っぽい木の皿の上で、伸びゆくチーズと共に具現化していた。
「騎士団長殿。聖樹様は、俺たちが嫌いならこんな実は産みません。……これは、聖樹様からの『もっと美味い土を作れ』という激励なんです。それとも、あんたは聖域の至宝が産んだこの贈り物を、毒だと言って吐き捨てますか?」
俺の「クレーム対応仕込みの論法」が、エルウィンの喉元に、剣よりも鋭く突き刺さる。
彼はしばし、口の端から伸びたチーズをぶら下げたまま呆然としていたが、やがて、震える手で地面の剣を拾い上げ、それを鞘に収めた。
「……総員、抜剣をやめろ。……これは、未曾有の事態だ。……聖域の反応が、これほどまでに『世俗的な悦楽』と高度に融合しているとは……。これは精査が必要だ。徹底的な、実食による現地調査がな!」
エルウィンは、一角獣から飛び降りるや否や、聖樹産のマホガニーテーブルの特等席にドカリと座り込んだ。
「……そこの人間! この『白い悪魔』の乗った円盤を、今すぐもう五枚持ってこい! それと、フィオナが煽っているその黄金色の濁り酒……麦のジュースか? それもだ! 私は……私はこの『調査』が完了するまで、ここを一歩も動かんぞ!」
「了解いたしました。……おい、ロベルト! 騎士団様への『追加受注』だ! 大至急、窯に薪をくべろ! 一番いいトマトを使い切るぞ!」
「お、おうよ! 任せとけ、英雄様! 騎士団様、お口に合って光栄です!」
数分前まで血生臭い処刑場だった広場は、こうして「エルフ騎士団による大食い調査会場」へと一変した。
白銀の鎧を纏った精鋭たちが、村人たちと肩を並べ、聖樹ジョッキを打ち鳴らしながら、「このミネストローネ、魔力濃度が規格外だぞ!」「ピザの縁まで旨い、これは魔法か!?」と叫びながら、夢中でピザを頬張っている。
フェンが、俺の隣で呆れ果てたように座り込んだ。
『……主よ。お前、いつか本当に神様すらもポイントと餌付けで買収するんじゃないか? あの団長を見ろ。さっきまでの威厳はどこへ行った。耳までチーズまみれではないか』
「……平和が一番だよ、フェン。……さて、追加のトッピングには、ポイントで交換した『超熟成・生ハム』でも使ってやるか。……団長、おかわり焼けてますよ?」
「……うむ。即座に持ってこい。……これはあくまで、公務だ。……むぐっ、うまい……! 人間……貴様、天才か……!」
黄金色に染まったリーフ村の空に、殺気の代わりに、満腹の溜息と賑やかな笑い声が響き渡る。
王都を救った救世主。
世界の理を書き換えた男。
だがその真の姿は――最強の騎士団長を「ピザ」一片で完封してしまった、腹黒き農家。
俺は、忙しく立ち働くリリアや、騎士たちに酒を注いで回る村人たちの姿を眺めながら、スローライフという名の「強引な接待」を完遂した安堵感と共に、冷えたビールをぐいと煽った。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百二十一話、いかがでしたでしょうか?
「処刑」が「実食調査」にすり替わる、まさに本作の真骨頂。
エルウィン団長の「チョロさ」と、フィオナの「物理あーん」が、リーフ村を未曾有の危機から救いました。
結局、どんなに高い理想や伝統を掲げても、焼きたてのチーズの香りと伸びには勝てないのが本作の真理です。
さて、騎士団までもがリーフ村の胃袋に掴まれてしまった中、聖樹は次なる変化を予感させます。
「団長、いいキャラしてる(笑)」「ピザが無性に食べたい!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの「次なるトッピング」を豪華にします!
次回、第二百二十二話――「聖樹、ついには『酒』を醸す」。お楽しみに!




