第二百十三話:これは正義ではなく、環境保全作業だ
「……さて、これは正義の執行じゃない。ただの、環境保全作業だ」
俺の呟きは、黄金の粒子が舞い踊る時計塔の頂上で、静かに、だが確かな質量を持って響いた。
視界の端で、狂ったように数値を更新し続けるポイント残高。九桁に達したその数字は、かつての俺が、そして俺と一緒に泥を啜った施設の後輩が、どれほど望んでも手に入らなかった「理不尽を覆すための対価」そのものだ。
俺は、黄金の光を放つシステムウィンドウの最深部、かつてはノイズに隠れて選択不可能だった、禁断の項目に指を触れた。
[警告:『世界の理・再構成プロトコル』を実行しますか?]
[消費ポイント:300,000,000pt(固定)]
[実行権限:管理組合認定・特例イレギュラー「ルークス・グルト」]
(三億ポイント……。あの日、あと一万ポイントあれば、あいつは死なずに済んだ。あいつと約束した『お腹いっぱいの野菜』を、俺はこの手で渡せたはずなんだ)
胸の奥が、焼けるように熱い。
このポイントは、単なる数字じゃない。俺が前世で失ったすべてと、この世界で土にまみれて積み上げてきた時間の結晶だ。
俺はためらうことなく、[YES]を選択した。
その瞬間、世界から音が消えた。
俺の意識が、肉体という器を突き抜け、王都全体、いや、この世界の「システムログ」そのものへと接続される。
王都を埋め尽くしていた『アビス・ローカスト』の残滓、ジルヴァが書き換えた不吉な魔力の数式、食い荒らされた大地と枯れ果てた街路樹。それらすべてが、俺の脳内では「修正が必要な重大なバグ」として視覚化されていた。
「ポイント消費。……王都全域の『環境ロールバック』、開始」
ドクン、と心臓が波打つ。
時計塔から、黄金の波紋が王都全域へと広がっていく。
それは破壊の波ではない。優しく、だが圧倒的な「修正」の波動だ。
俺は農民だ。荒れた土地があれば耕し、害虫がいれば取り除き、乾いた土には水をやる。
今、俺がやっているのは、王都という巨大な家庭菜園の「メンテナンス」に過ぎない。
空を覆っていた重苦しい黒雲が、黄金の光に触れた端から、清浄な大気へと置換されていく。
イナゴに食い荒らされ、無残に剥き出しになった王都の土壌が、まるで数年分の完熟堆肥を一瞬で与えられたかのように、深い、生命力に満ちた黒褐色へと色を変えた。
街路の石畳の隙間からは、本来なら春にしか芽吹かないはずの草花が、生命の奔流に突き動かされるようにして一斉に花を咲かせる。
「な……っ!? 何を、何をしているんだルークス! それは魔法じゃない、ましてや奇跡なんて呼べるものじゃない! 世界の……世界のルールそのものを、上書きしているのか!?」
ジルヴァが、裏返った声を上げて後ずさる。
彼は慌てて自分のウィンドウを開き、自身の権限で『アビス・ローカスト』の再召喚、あるいは事象の再破壊を試みようとしていた。
「無駄だ、ジルヴァ。……あんたの持っている『ポイントイーター』の権限、あれはこの世界の理を壊してポイントを奪うためのものだろ? なら、俺がこの場所を『保護領域』として再定義すればどうなると思う?」
[システム通知:対象「ジルヴァ」の書き込み権限を検知。]
[特例権限行使:対象領域を「読み取り専用(Read-Only)」に固定します。]
[権限剥奪:対象「ジルヴァ」の変動レート操作機能を永久凍結。]
「……あ、あ、ああ……っ!? 僕の、僕のウィンドウが……!? エラーだと!? コマンドが受け付けられない……そんなことが、あっていいはずがない!」
ジルヴァが虚空を掻きむしる。
彼がどれほど執念深くポイントを弄そうとも、今の俺が展開しているのは、三億ポイントという天文学的な対価で支払われた『公式アップデート』だ。
ブラック企業時代、どれほど優秀なハッカーがシステムの脆弱性を突こうとも、運営が「仕様変更」の一言でパッチを当ててしまえば、それですべてが無に帰すのと同様に。
「あんたは『不具合』を利用して、この世界をクソゲーだと笑った。……だが、俺はここを、家族と一緒に笑って飯を食える場所にすると決めたんだ。管理組合も、世界の捕食者も、ましてやあんたも、俺の『庭』で好き勝手させるつもりはない」
黄金の光が収まっていく。
王都には、かつてないほどの清浄な空気が満ちていた。
アビス・ローカストの耳障りな羽音は消え、代わりに聞こえてきたのは、遠くでロベルトたちが上げる、戸惑いと歓喜の混ざった叫び声だった。
「……緑が、緑が戻ってる……!?」
「見てくれ、枯れてたリンゴの木に、花が咲いてるぞ!」
「さっきまでの地獄が、嘘みたいだ……」
人々は、自分たちの体を包んでいた黄金の粒子の温もりに驚き、涙を流しながら、再生した街の姿を確かめている。
一瞬前まで「死」を覚悟していたロベルトが、震える手で石畳の隙間に咲いた小さな花に触れ、それから時計塔の上の俺を見上げた。
「……ルークス……様……?」
その声には、もはや単なる「腕の良い農家」に対する親しみだけでなく、計り知れない存在への畏怖が混じっていた。
俺は、大きく息を吐き出した。
全身を襲う、鉛のような倦怠感。数億のポイントを「正しく」制御するために使い果たした精神力は、俺の意識を闇へと引き摺り込もうとする。
視線を落とすと、そこには権限をすべて奪われ、ただの平民と変わらない無力な存在へと墜ちたジルヴァが、膝をついてガタガタと震えていた。
「……おしまいだ、ジルヴァ。あんたが貯め込んでいた『呪いのポイント』も、今の大規模アップデートの負荷で全部消し飛んだはずだ。これからは、自分の手と足で、真っ当に働いて生きていくんだな。……ま、この世界で一番厳しいのは、案外、額に汗して土を耕すことかもしれないけどな」
俺は、ジルヴァにそれ以上の言葉をかけるのをやめた。
彼との因縁も、この王都での騒乱も、俺にとってはスローライフを送るための「害虫駆除」に過ぎない。
フェンが、心配そうに俺の袖を引いた。
『主よ。顔色が最悪だぞ。……それにしても、やりすぎだ。王都中が、俺の魔力で栄養過多になっているぞ』
「……ああ。肥料をやりすぎた時の、あの独特の匂いがするな。……でも、これでようやく、トマトの収穫に戻れる」
俺はフェンの首筋を、優しく、感謝を込めて撫でた。
時計塔の向こうから、ようやく本当の朝日が昇り始める。
黄金の光ではなく、柔らかい、生命を育むための光。
「……帰ろう、フェン。腹が減ったな。……みんなと、朝飯を食べよう。昨日交換した『最高級のバター』があるんだ。それをたっぷり塗ったトーストを、みんなで囲むんだ」
俺は、遠くで手を振るマキナや、リリア、アルフレッドの姿を思い浮かべた。
三億ポイントの奇跡よりも、俺にとっては、その食卓の一杯のスープの方が、ずっと、ずっと価値がある。
俺の、異世界での「農民」としての戦いは、まだ終わらない。
だが、今はただ、その温かい湯気の向こう側へと、帰りたかった。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
ついに王都編、クライマックス!
絶望の災厄を「大規模アップデート」で上書きし、平和を取り戻したルークス。
彼が最後に行き着いたのは、やはり「家族との食卓」という、ささやかで何よりも大切な場所でした。
ジルヴァとの決着、そして莫大なポイントを消費しての「環境保全」。
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皆様の声こそが、作者にとっての「最強のポイントボーナス」です!
次回からは、さらに深まる世界の謎、そしてエルフ編へと続く新たな日常が始まります。
これからも『ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります』をよろしくお願いいたします!




