第二百八話:強欲の招待状と、農民の矜持(プライド)
王都の物流革命から数日が過ぎた、『夕暮れ亭』の昼下がり。
ロベルトとの提携により、スラムから運び出される野菜は「鮮度」という武器を纏い、飛ぶように売れていた。
店先では、フェンが貴族から貢がれた高級骨付き肉を齧り、ゲイルさんが忙しそうに、けれど楽しげに鍋を振るっている。
平和だ。
俺が求めていた、稼ぎながらも穏やかな日常がここにある。
――その空気が、一台の馬車の到着によって凍りついた。
店の前に横付けされたのは、辺境伯家のものよりもさらに豪奢で、けれどどこか威圧的な空気を纏った漆黒の馬車だった。
降りてきたのは、王家の紋章が入った外套を羽織る、神経質そうな従者。
彼はスラムの住民たちを虫でも見るような目で見下し、俺の前に立った。
「農民ルークスだな。……第二王子、アベル殿下よりの招待状だ」
従者が差し出したのは、香水の匂いがきつい紫色の封筒。
アベル王子。
現国王リアム陛下の弟君であり、その整った容姿とは裏腹に、王都の裏社会ではある「異名」で恐れられている人物だ。
「……『蒐集家』からの招待かよ。……おいルークス、逃げたほうがいい。あいつに気に入られたら、人間だろうが珍獣だろうが、剥製にされて硝子ケース行きだぞ」
ロベルトが青ざめた顔で耳打ちしてくる。
俺は封筒を開いた。中身は招待状というより、召喚状だった。
『今宵、我が屋敷の茶会に招く。拒否権はない』。実質的な命令だ。
「……行きますよ」
「正気か!? 相手はこの国の王子だぞ!?」
「逃げれば、ロベルトさんやゲイルさん、それにスラムのみんなに迷惑がかかる。それに……俺には『王室御用達』の看板がありますから」
俺は懐の金看板を確かめ、足元のフェンを見た。
フェンは骨を噛み砕くのを止め、金色の瞳で俺を見上げた。
「……行くぞ、フェン。今日は少し、お行儀の悪い客になるかもしれないがな」
(ふん。主の護衛だ。退屈しのぎにはなるだろう)
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王城の離れにある第二王子の屋敷は、息が詰まるほど美しく、そして死んでいた。
廊下には国宝級の絵画や彫刻が所狭しと並べられているが、それらは乱雑に置かれ、まるで倉庫のようだ。
使用人たちは皆、能面のように無表情で、足音すら立てない。
「よく来たね、ルークス君。……そして、その愛らしい仔犬も」
通された広間で待っていたのは、ソファに深々と腰掛けたアベル王子だった。
兄であるリアム陛下によく似た金髪碧眼の美青年。だが、その瞳には光がない。あるのは、物欲と独占欲が濁った澱みだけだ。
「初めまして、アベル殿下。一農民をお招きいただき、恐縮です」
「堅苦しい挨拶はいい。……君の野菜、食べたよ。あれは素晴らしい。味もさることながら、あの生命力……まさに『芸術品』だ」
アベルはうっとりとした表情で、テーブルに置かれた俺のトマトを指先で撫で回した。
「私はね、美しいものが好きなんだ。だが、外の世界は汚すぎる。害虫、天候、不純物……それらが私の愛する美を損なうのが許せない」
彼は立ち上がり、手招きした。
「ついて来たまえ。君に、私の『理想郷』を見せてあげよう」
案内されたのは、屋敷の地下深くにある巨大な空間だった。
重厚な鉄扉が開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……これは」
地下空間の天井には、魔導具による人工太陽が輝き、空調設備によって温度と湿度が完全に管理されている。
そして、整然と並んだプランターには、傷一つない野菜や花々が咲き乱れていた。
土汚れ一つない、無菌室のような農園。
「どうだ? ここには害虫もいなければ、嵐も来ない。泥に汚れることもない。……君には、ここで暮らしてもらう」
アベルは、まるで最高のプレゼントを与えるかのように両手を広げた。
「君の『王室御用達』の看板など捨ててしまえ。あれは兄上の首輪だ。……私の『専属』になれば、一生ここから出る必要はない。衣食住は最高級のものを保証しよう。君はただ、私のために美しい野菜を作り続ければいいのだ」
一生、ここから出ない。
安全で、清潔で、何も不自由のない生活。
……なるほど。確かにここは楽園かもしれない。
だが。
俺は足元の土を――魔力で精製された人工培養土を『鑑定』し、静かに首を振った。
「……お断りします」
アベルの笑顔が凍りついた。
「……何? 聞こえなかったな」
「ここでは、俺の野菜は育ちません。この土は死んでいます」
俺はプランターの土を一掬いし、指の間からこぼれ落とした。
「土というのは、ただの栄養素の塊じゃありません。微生物が死に、分解され、雨が降り、風が吹き……無数の命が循環して初めて『生きる』んです。この完璧な箱庭で作れるのは、野菜の形をした『工業製品』だけだ」
俺はアベルを真っ直ぐに見据えた。
「それに……俺が村を出たのは、こんな地下室に引きこもるためじゃありません。広い世界を見て、多くの人と出会い、自分の足で立つためです。……俺の自由は、誰にも譲れません」
かつて、エレナ様を救うために村を出たあの日。
フェンと出会い、地下水路を抜け、王都に辿り着いた日々。
その全てが、俺の「農民としての魂」を形作っている。それを捨てて、飼い殺しになれだと? ふざけるな。
アベルの表情から、柔和な仮面が剥がれ落ちた。
そこに残ったのは、思い通りにならない玩具を見る、子供のような残虐性だ。
「……農民風情が、増長するなよ?」
彼が指を鳴らすと、部屋の影から武装した近衛騎士たちが現れ、俺たちを取り囲んだ。
「断ればどうなるか、想像力が足りないようだね。……お前の店、あの運送屋、スラムの薄汚い住人たち……。それに、私の兄に媚びを売ったあの生意気な辺境伯令嬢」
アベルは契約書を放り投げた。
そこには、魔術的な拘束力を持つ『隷属契約』の文字。
「サインしろ。さもなくば、お前の大切な『畑』を、すべて灰にしてやる」
脅迫。
権力を使った、逃げ場のない暴力。
近衛騎士の一人が、俺の腕を掴み、無理やりペンを握らせようと歩み寄る。
「抵抗するな。殿下の慈悲に感謝して――」
騎士の手が、俺の肩に触れようとした、その瞬間。
――ピキィッ。
部屋中のガラス製品、人工太陽の魔導具、そしてアベルが手にしていたワイングラスが、一斉に亀裂を走らせた。
「……ッ!?」
騎士が硬直する。いや、動けないのだ。
俺の足元。
黒い子犬の姿をしたフェンが、ただ静かに、金色の瞳を細めていた。
(……主よ。我慢しなくていいぞ? ここを更地にするくらいなら、コスト(変身)はいらん。……『殺気』だけで十分だ)
ドォォォォォン……。
重力が増したかのような重圧。
生物としての格の違い。
「動けば死ぬ」という原初的な恐怖が、騎士たちの脳髄を直接レイプする。
彼らは白目を剥き、剣を取り落とし、その場に崩れ落ちた。泡を吹いて失神している者もいる。
「な、な、なんだ……!? 何をした!? 貴様ら、何をしている! 早く捕らえろ!」
アベルが腰を抜かし、後ずさる。
俺はその中を悠然と歩き、床に落ちた契約書を拾い上げた。
ビリッ、ビリリッ!
契約書を破り捨て、紙吹雪のようにアベルの頭上に散らす。
「アベル殿下。兄君であるリアム陛下から頂いた『不干渉特権』をお忘れですか? 俺の農作業を邪魔する者は、何人たりとも許さないと」
俺は、恐怖に震える王子を見下ろした。
「俺の主人は、空の太陽と、大地の土だけです。……次に俺や俺の仲間に手を出したら、この『番犬』の首輪が外れるかもしれませんよ? ……躾には自信がないので」
「ヒッ……!」
フェンが「ワンッ!」と可愛らしく、しかし地獄の底から響くような声で吠えると、アベルは悲鳴を上げて失禁した。
俺は踵を返し、動けない騎士たちの間を抜けて出口へと向かう。
「行こう、フェン。ここは空気が悪い。……外の風を吸いに行こう」
(うむ。……まったく、不味そうな場所だったな)
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屋敷を出て、正面玄関から堂々と帰路につく俺たちの背中を、屋敷の窓から見つめる視線があった。
アベルだ。
屈辱と恐怖に顔を歪めながら、彼は爪が食い込むほど窓枠を握りしめていた。
「……おのれ、おのれぇ……! ただの農民が、私に恥をかかせたな……!」
彼の瞳から、理性の光が完全に消え失せる。
蒐集家としての歪んだ執着が、黒い炎となって燃え上がる。
「ならば、すべて奪ってやる。……物流も、店も、そしてあの女も。……奴の周りのすべてを壊し、絶望に染まったところを、硝子ケースに入れてやる」
アベルは、影に控えていた執事を呼んだ。
「……アレを使え。商業ギルドの残党、そして教会の狂信者ども……使える駒はすべて使え。法も倫理も関係ない。……戦争だ」
自由を賭けた拒絶は、新たな、そして泥沼のような冷戦の幕開けとなった。
だが、後悔はない。
俺は農民。自分の植えた種の結果は、自分で刈り取る覚悟はできている。
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読者の皆様、第二百八話「強欲の招待状と、農民の矜持」をお読みいただきありがとうございました!
地下の楽園という名の牢獄を拒絶し、権力者に啖呵を切ったルークス。
フェンの「変身なし」での圧倒的威圧、スカッとしましたか?
しかし、敵は強欲な王子。これまでの敵とは違い、執拗な嫌がらせが始まりそうです。
次回、第二百九話。
「包囲される夕暮れ亭と、エレナの決断」。
アベル王子の陰湿な攻撃に対し、ルークスとエレナはどう立ち向かうのか!?
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