第百八十三話:根回しの旋律、あるいはリーフ村からの「錨」
王都エストリア。その中心部、白亜の城壁に守られた『中央商業ギルド』の重厚な石造りの建物は、この国の富の血流を司る巨大な心臓だ。
高くそびえる天井には、過去の豪商たちが寄進した壮麗なフレスコ画が描かれているが、その下に蠢くのは、一パーセントの利を求めて互いの喉笛を狙い合う、強欲な商人たちの群れである。立ち込めるのは、高級な葉巻の煙と、誰かの破滅を祝うような冷たいワインの香り、そして何よりも鼻を突く「金」への生々しい執着の匂いだった。
その巨大なロビーに、場違いなほどに「静かな」一団が現れた。
中心にいるのは、磨き抜かれた銀の鎧に、汚れ一つない緋色のマントを羽織った男――カイル・フォン・バルザック。昨夜、俺の料理という名の背徳に屈し、その精神を根底から再定義されたばかりの彼は、今や俺の命令を「絶対の神託」として信奉する、最も使い勝手の良い、そして最も危険な『盾』となっていた。
「……バルザック様、そんなに周囲を威圧しないでください。今日はあくまで、穏やかな『市場開拓』の相談に来たのですから」
俺――ルークス・グルトは、カイルの半歩後ろ、従者としての位置を保ちながら、念話に近い小声で彼を制した。
「分かっている、ルークス殿。……だが、君という奇跡の結晶を汚れた金勘定の道具にしようとするこのハイエナ共を見ると、つい腰の剣が鳴ってしまってな。……安心しろ、君の望む通り、私は完璧な『バルザック家の誇り高き、それでいて話の通じぬ次男』を演じ切ってみせよう」
カイルの瞳には、かつての傲慢さとは質の違う、狂気的なまでの「忠誠」が宿っている。彼にとって、俺の平穏を邪魔する者は、自分から『至高の食事』という名の救済を奪おうとする悪魔と同義なのだ。
【スキル:気配察知 Lv.1 連続稼働】
【検知:前方20メートル、ギルド職員の視線に『好奇心』と『僅かな恐怖』を感知】
【分析:バルザック家という暴力的な看板による先行投資。……効果は絶大。第一段階、チェックメイトです】
俺は視界の端で、冷徹なチェスプレイヤーのように「人心の推移」をスコアリングする。
今回の作戦は、昨日エレナ様との対話中に閃いた「流通による防衛」だ。古代トリュフという『世界の理を外れたバグ』。これを俺一人が独占し続ければ、ジルヴァのような略奪者や、独占を嫌う王室派閥の標的になる。
ならば、あえて価値を僅かに希釈して流通させ、王都のあらゆる有力者の胃袋を「共犯者」に変えてしまえばいい。彼ら自身がこの味を守るために、俺の盾となるように。
「ルークス殿、ギデオン殿からの『裏の根回し』も予定通り完了したようです。ギルド長は、我々を最奥の特別応接室で待っているとのことだ。……顔色が悪いぞ、覚悟を決めておけ」
傍らを歩く騎士ギデオンが、兜のバイザーの奥で苦笑した。彼は辺境伯の命により、表向きは「バルザック家との外交調整」という名目で同行しているが、その実、俺の経済侵食が暴走しないか、あるいは俺が王都の闇に呑まれないかを見守る、唯一の良心的監視役でもあった。
ギルド長との会談。俺はカイルに吠えさせ、自分は「天才的な目利きと調理技術を持つ、無垢な従者の少年」として立ち振る舞う。
提示するのは、温室で急速培養した古代トリュフ。……ただし、そのままではない。
【アイテム:品質偽装の粉(B級ランクダウン加工):500pt 購入】
【保有ポイント:84,100 pt → 83,600 pt】
(……『究極の真実』は、俺のキッチンにしか存在しない。市場に出すのは、あくまでその『残り香』を纏った劣化品で十分だ。それでもこの世界の貧相な食常識を破壊するには、お釣りが出るほどの衝撃だろう)
交渉が佳境に入り、ギルド長が「この独占供給権に金貨千枚、いや二千枚を!」と身を乗り出した、その時。
俺の胸元、収納魔法とは別の懐の中で、一つの小さな魔法袋が「熱」を帯びた。
それは、今日、商隊のクラウスさんを通じて宿に届いていた、リーフ村からの「荷」だった。
「――おっと、失礼。急に胃の腑が鳴りまして。バルザック様、あとは貴方の『家名』という暴力で、最も有利な条件をこの狸から毟り取ってください。信じていますよ、バルザック『騎士』様?」
俺は、期待に鼻息を荒くするギルド長をカイルに押し付け、ギデオンと共に一旦部屋を出た。
回廊の隅、夕闇が石造りの床を赤く染める窓辺で、俺は震える手でその荷を開いた。
中から出てきたのは、少し歪な形をした、だが愛情を込めて干されたことが分かる乾燥肉。そして――。
ゴツゴツとした、お世辞にも流麗とは言えない、だが一文字一文字に渾身の力が込められた文字が並んだ、一枚の羊皮紙。
『おにいちゃんへ。おうとのお菓子は甘いですか? お兄ちゃんの送ってくれた服、すごく暖かいよ。お母さんもお父さんも、毎日お兄ちゃんの話をしています。クラウスさんが、お兄ちゃんは王都で「すごいこと」をしてるって言ってたよ。でも、無理しないでね。帰ってきたら、一緒におじやを食べよう。みんな待ってるよ。 マキナより』
「…………」
視界が、急激に滲んでぼやけた。
一文字一文字の筆跡の震えに、泥のついた小さな手と、俺を案じて空を仰ぐ真っ直ぐな瞳が透けて見える。
王都でジルヴァと化かし合い、密偵を冷徹に「処理」し、貴族の精神を美味という名の麻薬でハックして回る。そんな「毒」と「打算」に塗れた俺の魂に、この拙い手紙は、荒れ狂う嵐の海を漂う小舟を繋ぎ止める『鋼の錨』のように突き刺さった。
「ルークス殿。……良い家族だな。その手紙の重さは、金貨二千枚でも釣り合いは取れまい」
背後で、ギデオンがすべてを察したように優しく声をかけた。
「……はい。……本当に、ずるいですよ。こんなものを送られたら、俺はもう、どんな汚い手段を使ってでも、この『帰る場所』を……マキナの笑う空を守り抜くしかないじゃないですか」
俺は、手紙を胸のポケットに、俺の最も熱く、そして最も冷徹な鼓動を刻む心臓の真上に丁寧にしまった。
保有ポイント八万三千。王太子の信頼。狂犬という名の盾。商業ギルドの利権。
手に入れたすべての武器は、ただ一つの、この羊皮紙に宿る「平穏」を死守するためにある。
「ギデオンさん、戻りましょう。……バルザック様がギルド長を物理的に絞り殺す前に、俺たちの『市場』という名の防壁を確定させなければ」
俺の瞳には、先ほどまでの「経済的な損得勘定」を完全に上書きする、より深い、そしてより静かな「殺気にも似た執念」が灯っていた。
窓の外、王都の空には、リーフ村でも同じように輝き、マキナの頬を照らしているはずの、穏やかな月が昇り始めていた。
経済という名の戦場に、一人の「農民」が、家族という名の最強の武装を魂に纏って、再びその残酷で美味な足跡を刻み始める。
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【読者へのメッセージ】
第百八十三話をお読みいただき、ありがとうございます!
経済的な勝利の裏で、妹マキナからの手紙に一人涙するルークス。この「人間としての弱さ」があるからこそ、彼は誰よりも冷徹な「守護者」になれるのです。
次回、ルークスが市場を支配するための「トリュフの試食会」を開催!
王都の美食家たちが、あえて品質を落としたルークスの料理に、文字通り狂喜乱舞し、理性を失う!?
その狂乱の最中、ジルヴァがついに「実力行使」の直接的な罠を仕掛けてくる……。
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皆様のブクマが、ルークスの次なる「偽装ランク」の精度をさらに高めます!




