第百七十七話:深淵のジャンク品、あるいは「システムエラー」の残滓
王都エストリア。その繁栄の象徴である中央市場の喧騒から、さらに数本脇に逸れた路地の奥。
陽光すら石造りの高い建物に遮られ、年中湿ったカビの匂いと、正体不明の金属の錆びた臭いが立ち込める場所――通称『鉄屑の墓場』。
俺――ルークス・グルトは、愛らしい小犬を装うフェンを引き連れ、誰にも悟られぬようこの深淵へと足を踏み入れていた。
「……主よ。ここは市場の表通りとは訳が違うぞ。漂っているのは商人の欲ではなく、古びた呪いと、忘れ去られた絶望の匂いだ。私の鼻が、微かに『向こう側』の気配を捉えている」
足元で、フェンが警戒を最大限に高めているのが、リード(を装った魔力糸)を通じて伝わってくる。
「分かっている。だがフェン、背に腹は代えられないんだ。防衛設備と家族への贈り物で、残高はついに三万を切った。……王都で平穏を買い叩くには、この程度の『毒』は吸い込む必要がある」
俺は右目の奥で、再び「鑑定」の検索フィルタを限界まで絞り込んだ。
【スキル:鑑定 Lv.1 限界稼働】
【検索条件:市場評価額・銅貨50枚以下 ── かつポイント変換期待値・測定不能】
視界が青白く、不気味に明滅する。
前世のブラック企業で、数万件のバグ報告の中から「真に致命的な脆弱性」を見つけ出すために画面を凝視し続けた、あの極限の集中力が脳を焼く。
(……あるはずだ。ジルヴァのような『システムの穴』を知る者が、ゴミと断じて見捨てた中に、俺にしか見えない『バグの塊』が)
俺は、錆びついた武具や折れた魔導杖が山積みにされた、老婆の営む露店の前で足を止めた。
老婆は、もはや生きているのかすら怪しいほど深い皺を刻み、虚空を眺めている。
その足元、泥水に半分浸かった状態で放置されていたのは、一辺が十センチほどの、汚れきった「黒い立方体」だった。
【対象:[SYSTEM_ERROR]……文字化け……】
【解析不能:########……侵食率42%】
【警告:このオブジェクトへの直接接触を推奨しません。……管理組合より、緊急警告プロトコルが発動しています】
(――これだ。ジルヴァを鑑定した時と同じ、あの赤黒い不協和音!)
心臓がドロリとした重い音を立てて跳ねた。
ただの鉄屑に見えるその立方体の周囲だけ、現実の解像度が僅かに歪み、ノイズが走っているように見える。
「世界の捕食者」の傷跡。あるいは、管理組合がこの世界に遺し、そして制御できずに「バグ」として切り離した、古の記録媒体か。
「……お婆さん。この、動かなくなった知恵の輪みたいなやつ……銅貨十五枚で、譲ってくれないかな。……壊れててもいいんだ。こういう形、好きなんだ」
俺は、震える声を「好奇心旺盛な子供」のトーンで無理やり上書きし、老婆に話しかけた。
老婆は、濁った瞳をゆっくりと俺に向けた。
「……それは、数代前の店主が、南の『魔法汚染地域』の境界で拾ってきた呪物だよ。……持ち帰った者は、全員、正気を失って死んだ。……坊や、命が惜しければ……」
「大丈夫。僕は、呪いなんて信じないから。……はい、銅貨二十枚。お釣りはいらないよ」
俺は老婆の手の平に硬貨を押し付け、その『黒い立方体』を、布越しに素早く収納魔法へと放り込んだ。
刹那――。
俺の網膜に、管理組合からの無機質な、だが悲鳴のような通知が乱舞した。
【特異点オブジェクト:『捕食者の記憶断片』を回収】
【称号:『深淵を覗く者』獲得】
【ボーナスポイント精算:測定中…………精算完了】
【獲得ポイント:120,000 pt(!!)】
【警告:管理組合との同調率が上昇しています。……『…助けて…世界が…』】
(……十二万ポイント!? 一撃で、これまでの全残高を上回る『利益』だと!?)
カタルシスよりも先に、得体の知れない戦慄が背筋を駆け抜けた。
これは「稼ぎ」ではない。世界の滅びという名の「爆弾」を、俺はポイントという形で買い取ってしまったのだ。
だが、この圧倒的なリソースこそが、ジルヴァという絶望に対抗する唯一の軍資金になる。
「……主よ、今すぐここを離れろ! 『影』が来るぞ! お主がその異物を手に入れた瞬間、王都の魔力の流れが、一斉にこの場所に収束し始めた!」
フェンの鋭い叫びに、俺は弾かれたように路地を走り出した。
背後で、先ほどの老婆の露店が、音もなく「塵」へと崩れ落ちるのが見えた。
物理的な破壊ではない。そこにあった『存在の定義』が、何かに喰われたかのように消滅したのだ。
――夕暮れ。
なんとか宿屋『銀の蹄亭』へと逃げ帰り、二重三重の結界を起動させた俺は、調理台に突っ伏して荒い息を整えていた。
十二万ポイント。
この数字の重みが、今は命を削る呪いのように感じられる。
「……フェン。俺たちは、とんでもないものを拾っちまったみたいだ」
「ああ。だが、これでお主の言う『平穏』を買い守るための力は手に入った。……主よ。まずは手を洗え。今の主からは、あの銀髪の男と同じ、冷たい『バグ』の匂いがする」
俺は、言われるがままに手を洗った。
昨夜、密偵を始末した時と同じ。何度も、何度も、皮膚が痛くなるまで。
その頃。
王都から遥か北。辺境のリーフ村に、夕闇と共に一台の商隊が到着した。
「おーい! リリアさん、アルフレッドさん! 王都のルークス坊ちゃんから、届け物だ!」
クラウスの威勢の良い声に、農作業を終えたばかりの少女が、泥のついた顔を輝かせて駆け寄る。
「お兄ちゃんから!? お母さん、お兄ちゃんから荷物が届いたよ!」
マキナが、受け取った包みを抱きしめ、茜色に染まる空を見上げる。
「……お兄ちゃん。王都でも、美味しいもの食べてるかな」
少女の純粋な祈りが、冷たい王都の闇を貫き、ルークスの元へと届くことはない。
だが、ルークスが収納魔法の奥底に封印した『深淵』と、マキナが抱きしめる『愛の贈り物』。
その二つが繋がっている限り、俺は何度でも、ポイントという名の泥を啜って生きていく。
白亜の城壁が夜の帳に包まれる中、ポイント亡者の右目は、かつてないほど鮮烈な青白い光を放っていた。
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【読者へのメッセージ】
第百七十七話をお読みいただき、ありがとうございます!
ゴミの中から「世界の滅び」を拾い上げるカタルシス。そして、その対比として描かれるリーフ村のマキナの純粋な笑顔。
ルークスが背負った「12万の呪い」が、今後の王都編でどのような役割を果たすのか。
次回、大金を手にしたルークスの次なる「投資」……そして、宿屋を訪れる『第二のVIP』は、エレナ様を付け狙うあの貴族!?
「12万ポイント獲得の瞬間に鳥肌が立った!」「マキナの笑顔に救われる……」という方は、ぜひ評価やブックマークで応援をよろしくお願いいたします!皆様のブクマが、ルークスの「同調率」を抑える心の盾となります。




