第七七話 「愛国軍師」
「――セルヴァアア!」
レージュが、誰とも知らぬ名を叫ぶと、ヴェヒターの背後に翼の生えたメイド服の女が突如として現れる。
「はいはーい、お呼びでー?」
「何だと!」
いくらレージュに集中していたとは言え、ヴェヒターは周囲へと警戒は怠っていなかった。レージュの近くにいる味方が一番危険だと言うのは知り尽くしていたからだ。
だが、それでもこのメイド服の女の存在には気づかなかった。
急いで振り向いて古代遺産で拘束しようとするが、それよりも満面の笑顔の彼女が振り回す竹箒の攻撃の方が早かった。
打たれたヴェヒターの手から離れた古代遺産が床を転がると、レージュの拘束は解かれて屋上に向かって落ちてくる。
「あらあらー、いけませんねー」
メイド天使はヴェヒターの事を見向きもせずに竹箒を捨てて飛び立ち、空中でレージュを優しく抱きかかえる。丸縁眼鏡をかけたメイド服の天使はレージュの翼の匂いを嗅ぐと、嬉しそうに微笑む。
「貴女がレージュ様ですねー、大丈夫ですかー?」
千切れそうになった間接の痛みに意識が飛びそうになりながらも、レージュは誰何する。
「……あんた、誰?」
「ひどいですー。今お呼びになったではありませんかー。ご主人様から貴女に仕えるように申しつけられたセルヴァですよー」
このとぼけ顔のメイドが彼女の言っていた何かあったときに頼れる存在なのだろうか。
彼女が自らの翼で飛んでいることを見ると、合流してきた部隊の話に聞いていた謎の天使が彼女の事であるとレージュは確信する。
「とりあえず直しますねー」
謎のメイド天使の腰にぶら下がっている懐中時計が浮き上がって勝手に蓋が開く。凝った装飾がそこここに散りばめられた作りであり、文字盤には色とりどりの宝石の様な物もはまっている。その懐中時計の針が時間に逆らって目まぐるしく動き回ると、少し前の時刻を指し示す。
すると、レージュは自分の体に力が戻ってくるのを感じた。もう目も翳んでいないし、筋肉が飛び出た四肢の間接も元に戻り、右腕の骨折も治っている。クレースを操って元のサークレットに戻すこともできた。
「はいー、元通りですー」
黒色の瞳の彼女がレージュの顔をのぞき込んでくる。
一体彼女は何者なのか。レージュは物怖じせずに人形のような深い漆黒の瞳と正面から見つめ合う。
「……あんたは、セルヴァ?」
「はいですー」
「あたしのこと知ってる?」
「ご主人様からお話だけはー。直接お会いするのは初めてですよー」
そのご主人様とやらは白い部屋の彼女の事なのかと聞きたかったが、レージュは彼女の名を知らない。そもそも彼女の教えてくれたセルヴァがこいつである確証も無い。それでも、聞かずにはいられなかった。
「セルヴァのご主人様って、誰? 女?」
「申し訳ありませんー。ご主人様の事については一切伝えてはいけないときつーく言いつけられておりましてー」
とぼけたり誤魔化してくれたらすぐに嘘を見破って特定できたのだが、ご主人様とやらは相当用心深いらしい。
「で、そのご主人様があたしに協力しろって?」
「はいですー。レージュ様ー」
「そこは嘘じゃないようだね」
何故彼女はクレースを治すことができたのか、何故彼女が味方してくれるのか、何故彼女はずっと笑った顔をしているのか。分からないことだらけだが、彼女は自分に協力する意志があり、そこに嘘をついていない。
今はそれだけわかれば十分だ。
「さあ、どうするヴェヒター。形勢逆転だ。運はあたしの方が上だったようだね。もうあんたに勝ち目は無い。投降はいつでも受け付けているよ」
すっかり回復したレージュはクレースを翼に変化させてセルヴァの腕の中から飛び降りる。城下に広がる町の戦いも、マルブル軍優勢で大勢を極め、決着は時間の問題だろう。
今や完全に回復したレージュと壊れかけの古代遺産を持つ疲弊したヴェヒターでは勝敗は明らかであった。
「言ったはずだ。オルテンシアはくれてやるが、刺し違えてでもお前を倒すとな」
しかし、この絶望的な状況の中でも、壊れかけの古代遺産を拾って握りしめたヴェヒターの表情は力強かった。だがもはやその古代遺産はただの棒きれに等しい。
「あと一回でも使ったら壊れるよ。もっとも、使わなくても壊すけどね」
「いいや、もうこれは使わない。天上の天使の末裔と呼ばれているお前だが、こいつは見たことあるか?」
ヴェヒターが懐から指輪のような物を取り出す。銀色に輝くそれは、レージュにとって見覚えはなかった。
「知らないね。知らないけど、ろくでもない物だというのは確かだろうね」
「この戦いの直前にコシュマーブル殿から古代遺産と共に頂いたものだ」
「あいつの名を口にするな!」
「どなたですー?」
激昂するレージュを恐れもせずにセルヴァは質問してくる。その暢気さに、レージュは頭を掻いてため息をついた。
「……カタストロフ帝国の現宰相だよ。あたしの目と羽を奪って古代遺産でマルブルを焼いた卑怯者だ。つまり、その指輪はろくでもないって事が確定したわけだ。ヴェヒター、使ったらあんたもただじゃすまないよ」
「構わぬ。元よりこの身はカタストロフに捧げた身である。祖国の敵を葬り去れるなら安いものだ」
「断言する。それを使ってもあんたは絶対に今のあたしに勝てない。無駄死にするだけだ。投降してくれたら命は助けてあげるよ。あんたは人材としてとても優秀だからね」
「断る」
ここまで追いつめられても毅然とした態度を崩さないヴェヒターにレージュは疑問を抱く。
「……なんでなのさ。命を捨ててまでカタストロフの為に働くのはなんでなの?」
「知れたこと、忠誠心と愛国心だ。その国に生まれた者はその国の為に死ぬまで尽くすのが使命なのだ。それがわからぬか」
「……わかんないよ」
「忠誠心の無いお前の方がよほど理解できぬ。では何故そこまでマルブルに入れ込むのだ」
「マルブルに入れ込んでいるわけじゃない。国とか階級に力を貸しているんじゃない。忠誠心や愛国心なんかよりも、友達との約束の方が大事だからだよ。ローワの爺さんとは友達だ。だから力になりたいだけだ」
「それが忠誠心だ」
レージュは首を振る。
「違う」
「王の力になりたいと思う。それが忠誠心でなくてなんなのだ。私と何が違うというのだ」
「違うよ。王様だから助けたいんじゃない。ローワだから助けたいんだ。あたしはあんたみたいに仕えたいなんて思っちゃいない。友達が困ってるから助ける。それだけだ」
「所詮は下賤な元傭兵の子供か。国という大きな存在が見えていない。約束などという自分の事しか考えられないようだ」
「違う!」
未だに金色の隻眼のままのレージュは大きく腕を振り払う。
「自分の事しか考えていないのはどっちだ。忠誠心だの愛国心だのに縛られて、考えることを放棄して、自分すら失ってるあんたはひどく滑稽だ」
「……これ以上話しても無駄なようだな」
「ああ、分からず屋には力で教えてあげないと駄目みたいだね。世界から戦争がなくならないわけだ」
ぎしぎしと音を立ててクレースの翼が開いていく。ヴェヒターも壊れかけの古代遺産と指輪を持ってレージュと正面から対峙する。青空の下で互いににらみ合い、動くタイミングを見計らっているようだ。
「あのー、レージュ様ー」
その張りつめた空気を容易く打ち破るのはメイド服の天使だった。
「……そのレージュ様っての止めてくれない? レージュで良いよ」
「そう申されましてもー、レージュ様はレージュ様でー、私としてはそうお呼びするしかー」
「ああ、そう。もうなんでもいいや。で、何か言いたいことあるの?」
「はいー、そうでしたー。あの方が持っている指輪なのですがー」
のんびりとしたセルヴァの言葉を聞いている間に、ヴェヒターは指輪をはめ、壊れかけの古代遺産を強く握って折ってしまう。いくら壊れかけとは言え、人間の力で折れるほど古代遺産は脆くない。しかし、レージュが本当に驚いたのはその後に起こったヴェヒターの変化である。
「あれはー、人と古代遺産を融合させる指輪でしてー」
氷の彫像が一瞬で溶けるようにヴェヒターの姿は流れ落ち、床に広がった液体は宙に浮き始める。
そして、ヴェヒターだった液体は、見上げるほど巨大な半透明のゲル状のゴム鞠のような物へと変貌した。
「使ってしまうとー、あのように自我を失って古代遺産に飲み込まれてしまうのですよー」
「……うん。よく分かった。そういうことはもうちょっと早く言ってね」
「かしこまりましたー」
ヴェヒターだったゴム鞠が押しつぶそうと巨体を傾けてくる。飛んで避けようとするが、巨体から古代遺産の引っ張る力が働いているのか、羽ばたいて飛ぶだけでは攻撃範囲から逃れられない。
レージュはクレースの十字架を一つ持って伸ばし、城壁に鉤爪のように引っかけて縮める。セルヴァの手を引っ張り、城壁から飛び出して攻撃から逃れると、同じように十字架を伸ばしては縮ませて城壁を進み、天守閣のゴム鞠から距離をとる。
城内にある鍛練場の広場に降り立つと、二人は天守閣で蠢くゴム鞠を見上げる。
「あんなになってまであたしを倒したいのかね……」
レージュの呟きを聞いていたのかいないのか、セルヴァは何も答えなかった。
「でも、ここで倒されるわけにはいかない。全ての古代遺産を壊すまで、あたしは止まるわけにはいかないんだ!」
金色の隻眼のレージュはそう吠えて、純白と十字架の翼を大きく羽ばたかせると、抜け落ちた羽が光の粒に変わって消えた。
17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)




