第七六話 「引裂軍師」
氷のように冷たい手で心臓を掴まれたような感覚がレージュに襲いかかってきた。
その異様な感触に驚いて周囲を見渡すが、ここには自分とヴェヒターしかいない。
この前からずっと感じていた悪寒。オルテンシアに入ってからさらに強く感じていたが、ここまでのものは初めてだった。
レージュが謎の悪寒に気を取られていると、ヴェヒターの古代遺産の力が増し、彼を掴まえているクレースの握り拳が解けそうになる。レージュは慌てて意識をヴェヒターに向けなおし、クレースの力を強めた。
しかし、再び訳のわからぬ悪寒がレージュの集中力をかき乱す。
冷たい手が全身をなで回しているようだ。途端に息が苦しくなる。かきたくもない冷や汗をかき、膝が震え出す。十字架の眼帯も痛いほどに締め付けてくる。
なんなんだこれは。
思うとおりに体が反応しないことにレージュは焦りを感じる。
いつものクレースの活動限界の反応とは違う。あれは一瞬で意識を失うからこんな風にはならない。しかし、どこかから古代遺産の攻撃を受けている感じもない。原因不明の気持ち悪さにレージュの意識は激しく乱れた。
精神力で動く古代遺産を使うには研ぎ澄まされた集中力が必要だ。だが今のレージュはそれを欠いている。そうなればクレースの力も弱まるのは必然だった。
どうしようもなくレージュは膝を折ってしまう。目が翳む。呼吸が荒くなる。力が、抜ける。これ以上クレースの力を使うことはできない。
クレースの力が明らかに緩んだ。
この機を逃すヴェヒターではない。古代遺産が壊れないように注意しながらクレースの拘束から逃れて、自身を古代遺産の力で引っ張って距離を取る。
二人は荒い息をつきながら睨み合った。
「どうやら、そこまでのようだな。死神よ」
「さて、どうかな。もしかしたら弱ったふりをしてるのかもよ」
震える足で虚勢を張るレージュだが、クレースはもう形作ることはできず、地面に散らばったままだ。謎の気持ち悪さは消えかかっているが、すぐにクレースを動かせる力はない。
「そのようなハッタリは通用しない。あの状況から私を解放するのはどう考えても愚策でしかないからだ。強がるならば、この状況から脱してみよ」
レージュの体がゆっくりと青空へと吸い寄せられる。力を使い果たした今の彼女では、クレースで抵抗することもできない。
町のどこからでも見える高度まで上げられると、レージュの全身は外側へと引っ張られる。誰よりも太陽の近くで照らされながら張り付けにされる彼女の姿は美しさすらあった。
「またずいぶんと悪趣味な処刑方法だね……ぐぅ!」
十字架に張り付けられた様な格好のレージュは苦痛に呻く。引っ張る力が次第に強くなり、首と四肢が嫌な音を立て始める。
「お前のような化け物一匹に我が国はひどく手を焼いた。だが、それもここで終いだ」
「化け物とは、随分な言い草じゃない……」
「お前が化け物でなくてなんだというのだ。神話の天使だとでも言う気か」
「……違う。あたしは……」
ヴェヒターが力を込めるとレージュはさらに苦しそうな表情になる。
「それともまさか人間だと言うのか。背から翼を生やし、人を殺すことだけを考え続け、徒に戦火を広げることを狙うお前が、人間だと言うのか」
「戦火を……広げている……?」
「そうだ。お前がマルブルに現れなければ、我が国もマルブルも犠牲が少なくてすんだのだ。あのような禍々しい力なんぞに頼らなくてもすぐに戦争は終わっただろう。……あの戦争は無意味だった。私とて無駄な戦争はしたくない。だが、私なぞの考えとは関係なく戦争は始まってしまった。始まってしまったからにはすぐに終わらせる必要がある。無駄に長引けば双方に被害が広がるだけだからだ」
だが、そこにレージュが現れた。蒼天の軍師が終わろうとしていた戦争を長引かせた。そして、赤い光という強攻策で無理矢理戦争を終わらせる羽目になってしまったのだとヴェヒターは考えている。
レージュはそれに反論した。
「目の前で踏みにじられて、助けを求めている人を救おうとして何が悪い……」
「物事は大局的に見る必要がある。蒼天の軍師ならばよくわかっているだろう。力なき小国を助けたところで何があるというのだ」
「……強国にはただ踏みつぶされろって言うの? 生まれた国が弱国なら、ただ強者の暴力を受け入れろって言うの? なんて自分勝手な考えだ。そんな考えを持つのがあんたの言う人間なら、あたしは人間じゃなくていい」
「ならばお前はなんとする。死神でも天使でも人間でも化け物でも無いと言うお前はなんなのだ」
「人間だとか、天使だとか、ましてや化け物だとかであたしをくくるんじゃない」
磔にされているレージュは蒼天の隻眼でヴェヒターと対峙する。
「あたしは、レージュだ。あたしを指して呼ぶときは、レージュと呼べ」
頭上の青空より澄んだ蒼天の隻眼に、ヴェヒターは無意識に生唾を飲み込んで喉を鳴らした。
「……凄まじい精神力だな。これでまだ十二、三の少女だというのだから、末恐ろしい奴だ」
ヴェヒターも負けじとレージュをにらみ返す。
「だが、これで終わりだ。お前のこれまでの策略には驚かされたが、所詮一人では大したことはなかったな」
果たして、心臓をくり抜かれた自分は、首と四肢をもがれても生きていられるのだろうか。もし生きていたらちょっと嫌だな。
痛みよりも、恐怖よりも、レージュはそんなことを考えていた。
☆・☆・☆
ふいにヴァンの言葉がレージュの心の中に現れる。
『勝てよ』
『誰に何を言ってるんだか』
自分はそう答えた。
ヴァンはあたしを信頼してくれたから任せてくれたのではないのか。今ここで無惨に散ってしまっては、彼との約束を破るという事ではないか。
そんなのは、嫌だ。
絶対に嫌だ!
「ぐううぅ!」
ありったけの力を込めてレージュはヴェヒターの拘束から逃れようとする。しかし、クレースを使えない今のレージュではそれは無意味な事であった。いくら壊れかけの古代遺産といえども、少女の力であらがえるほど弱くはない。
「無駄なことを。コシュマーブル殿には一応感謝しておくか。私に忌まわしき死神を討ち滅ぼす力を与えてくださったのだからな」
再びその名を聞いたとき、レージュは体中の血が沸騰したように感じた。
マルブルが燃えたあの日。
あの業火の中であいつは笑いながらあたしの目を抉り出し、翼をもいだ。
忘れもしない。
あの痛み、あの恐怖、あの怒りを。
ここで終わるわけにはいかない。
あいつに負けたまま死ぬのは死んでも嫌だ。
もう二度と、あいつには負けない!
「うわああああ!!」
魂から叫び、渾身の力を込めたレージュの青空の隻眼が輝かしい金色に光る。叫び続けたままレージュはこれまで以上の力を発揮し、徐々に体を丸め始めた。
レージュの異常なまでの抵抗を見て、ヴェヒターは一瞬だけ体を震わせる。
古代遺産の拘束力を上回っているとでもいうのか。いや、違う。奴の力が強くなったのではない。自分の古代遺産の力が弱くなっているのだ。自分の精神力も体力もそろそろ限界に近い。しかし、ここで負けては祖国に顔向けできない。
「うううう!!」
歯を食いしばり、抵抗を続けるレージュの金色の隻眼の中に十字架の輝きを見たヴェヒターは、ここが正念場だと感じ、古代遺産を握る手に一層力がこもる。
「無駄なことを。今すぐにその体を引きちぎってやろう!」
レージュの丸めた体が再び徐々に開かれる。しかし、ヴェヒターの古代遺産のひびもどんどん広がっていく。
「どうした古代遺産。古の天使を滅ぼしたとされるお前が、たかが現代の天使一人を殺せずに壊れるつもりか! 意地を見せろ!」
ヴェヒターの喝に応じたのか、古代遺産は一気に力を増した。ついにレージュの四肢は勢いよく伸びきり、間接の外れる鈍い音がする。皮膚も裂けて血が吹きだし、もはや引きちぎられるまで一刻の猶予も無い。
筋肉も千切れ始め、激痛に意識が遠のくと、レージュはあの白い部屋の幻を見る。
☆・☆・☆
部屋の明かりが落とされ、暗くなった部屋から彼女が出て行こうとする。
行かないでと声を上げようとするが、いつもの夢と同じように、いくら呼んでも叫んでも、音として発せられなかった。体も全く動かず、部屋を去ろうとする彼女を繋ぎ止める力は今のレージュには無い。
その時、レージュからは見えないが、彼女はレージュの方を振り向いて言った。
「何かあったら××××を呼んでくれ」
その声ははっきりと聞こえた。
いつものような訳の分からないノイズではなく、しっかりと、鮮明に彼女の声が聞こえた。その事に驚愕すれば良いのか、感動すれば良いのか考えている内に白い部屋の扉が閉まり、明かりのない部屋は黒い部屋となる。
☆・☆・☆
「終いだ、死神レージュ!」
レージュは、彼女が居なくなってしまった悲しみを感じる暇もなく現実の痛みに強制的に引き戻された。すでに筋肉も裂け、千切れた肉の間からは白い骨が剥き出しになっている。
もはや一秒たりとも考えている暇はない。彼女が伝えた名は聞いたこともない名だ。だが、そいつはきっと力になってくれる。そう確信があった。
『何かあったらセルヴァを呼んでくれ』
呼べ。
喚ぶんだ!
「――セルヴァアア!」
17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)
17/09/19 文章微修正(大筋に変更なし)




